親父
1
大阪城の埋蔵金発掘騒ぎをもって、黄金ハンターは一段落した。
俺はこれで命の危険は去ったのではと伊瀬知に聞いたが、それはまだわからないとのことだ。小説内の出来事はすべて完了し、埋蔵金探しにも決着がついたので、もう狙われる必然性が無いと思うのだが、どこかはっきりしない。まだ、何か残りがあるのだろうか。
俺は自身の就職についてはひとまず棚上げとした。つまりバイトをしながら作家を目指すということにしたのだ。まあ、どこまでやれるのかはわからないが、夢に出てきたばあちゃんの言うように挑戦することに意義があるとも思った。
それでスーパーのバイトを続けながら、小説家を目指すべく、黄金ハンター完全版を書き続けていた。
今村からの提言にもあったように、まずは著名な作家の小説を書き写すことからやり直していった。確かに話の持って行き方や描写の仕方、それと基本的なルールやテクニックについても以前よりも見えてきた。今まで何気なく自己流で小説を書いていたのが、よりしっかりしたものが書けるようになった。そんな気がしただけかもしれないが・・・。そしてこの黄金ハンター完全版を持って、また、新人賞に応募するべく、日夜、書いていた。
そんな時に今村からメールが入った。今度、大学に来る機会に俺の小説の話をしてくれるとのこと。(横溝正史殺人事件)の批評なので参考にしたいのと、今回の一連の出来事についても顛末を話そうと思ったところだったので、会う約束を取り付けた。
また、俺はばあちゃんから発破をかけられたように、彼女に告白すべきではとも思っていた。夢の中なので個人的な願望なのかもしれないが・・・。
しかし、こんなことを俺が考えるだけでも、これまでの自分を考えると奇跡に近い気がする。今回の黄金ハンター事件の経験で前向きになることが出来て、少しは成長したのかもしれない。
よっていつもの水曜日の授業後に、今村とカフェテリアで待ち合わせした。
今村と対峙すると妙に緊張してしまう。今までは意識しなかったのが、これから告白すると思うと汗も滲んでくる。そんな俺の気持ちなど知るわけもない彼女は、バッグから原稿を出してくる。
「長谷川君、やっぱりよくなってるね。ミステリーとして随分読みごたえが出てきたと思うよ」
「え、ほんと」やはり褒められるとうれしい。「でも新人賞では一次も駄目だったよ」
「そうなんだ。でも気に入る編集者も出てくる気がするな。ああ、新人賞にも傾向があるからね」
「え、そうなの」
「うん、題材によって受けがいい出版社もあるから、そういった賞を選ぶといいかもしれない」
「そうか、俺は完成したらその都度、間に合いそうなところに出してた」
「これだったら、ライトノベルに近いから、もっと軽い感じのミステリーを扱うところがいいと思うよ」
そう言って、今村は合いそうな新人賞を説明してくれる。
「わかった。考えてみる」
「あと、少し問題点があるから、そういった部分を失礼だけど添削してみた。長谷川君が気に入らなかったら参考にしないでいいけど、私なりにこんな感じがいいかもって直しも入れてみたから見てみてよ」
今村さんは彼女が持ってきた原稿を渡してくれた。なるほどざっくりと赤字で色々記載がある。少しだけ読んでみて、ああと思う箇所がすぐに数点あった。
「ありがとう、やっぱりこうして客観的に見られない部分が多いから指摘は助かるよ。また、書き直してみる」
「そう言ってもらえるとうれしいな。ああ、それから例の埋蔵金探しってどうなったの?」
「そうなんだよ。実はあれから色々あってさ・・・」
俺はこれまでの出来事を話す。今村はとにかく驚いていた。やはり小説通りに物事が進んでいくことが信じられないということだった。一通り話を聞いてから、
「ということは大阪城の地下に埋蔵金があったの?」
俺はちょっと人目を気にしながら、「そうなんだよ」と小声で話す。
「たしか200兆円は下らないって話だったよね」
「全部あったらね」
「じゃあ、それで長谷川君はいくらもらえるの?」いきなり今村さんにはあるまじき下賤な質問。
「いや、まだわからないんだ。実際、どのくらい金塊があったのかはこれからはっきりするんだ」
「厳密には大阪府のものだよね。いや、秀吉の子孫かな?どうなるんだろ」
「埋蔵金の件を発表するならそうなると思うけど、伊瀬知は自分で処理すると思うよ」
「え、ねこばば」またまた下品な言い方。
「多分・・・」
「そうか、まあ、それが普通かもしれないな。下手すると国家予算並みだよね」
「うん、でも俺はこれから小説を書くのに不自由しない程度、もらえればいいんだ」
「え、じゃあ長谷川君はもう就職しないの?」
「そうだね。バイトは続けるんだけど、定職にはつかないで、とにかく何年間かは小説で勝負してみようと思う。だめならそこから考えるよ」
「そうなんだ。ちょっと羨ましいかも」
「え、そう、先が見えないんだけどね」
「でも好きな仕事を目指すんだから、羨ましいよ」
「うん、ありがとう。今村さんのおかげもあるんだ」
「え、そうなの?」
「そうだよ。君から色々教えてもらって、少しは進歩したと思ってる。それとやる気も出てきたんだ」
「そう、それはうれしいな」
話が一段落したところで、ここでいよいよ俺にとってのメインイベント突入だ。
昨晩から考えてきた質問をする。とにかくあっさりと簡潔に言うんだと心に言い聞かせる。
「い、今村さんは、つ、付き合ってる人いるの?」駄目だ。全然スムーズじゃない。
彼女は答えるのに少しだけ躊躇したようだったが、「うん、いるよ」とあっさり言った。
「やっぱりそうなんだ。落ち着きが違う気がするもん。俺なんかバタバタだし、ハハハ」
「長谷川君はいないの?」
「うん、俺なんかを気に入ってくれる人はいないよ」
「そう」今村さんはこの程度で止めてくれた。これ以上なんかお世辞みたいなことを言われるのは逆につらい。俺は気持ちをリセットして言う。
「じゃあ、また、書いてみるよ。今日はありがとうね」
「うん、またね」
そう言って別れた。
大学から帰る道々、色々考えるとやはり振られた気がする。彼女なりに気を使ってくれた感がありありだった。やっぱり今村さんは持てるんだな。それなりに言い寄る男を振る経験も豊富なんだろう、俺を傷つけないように断り方も堂に入ってる。
ばあちゃん、俺やっぱり玉砕したぞ。
『真治、失恋を糧にするんだよ。経験することが財産だ』祖母ちゃんがそんなことを言ってる気がした。
2
失恋のショックを紛らわすためもあり、午後からスーパーのバイトをこなし、夕方、食材を買ってからアパートに帰宅する。
とにかく考え事をすると落ち込みそうなので、何も考えないようにして夕食の支度をしていたら携帯が鳴った。
「長谷川です」
『真治か、俺だ』珍しい。親父の声だ。
「どうした?」
『ああ、今、お前のアパートがある駅に着いた。これから行っていいか?』
「え、着いたってどういうこと?」
『うん、ちょっと話がある』親父が俺に話などと今までなかったことだ。いったいどうしたのだろうと思う。ここまで来たのならもう断るわけにもいかない。
「わかった。アパートはわかるよね」
『ああ、前に行ったことがあるからわかる』
親父は電話を切る。
いったい何事だ。こんなことは初めてだ。ましてや俺に話があるとは、色々考えてみるが何の件だか全く思いつかない。そわそわしながらしばらく待つと親父が来た。
親父は手にレジ袋をぶら下げていた。
「ちょっと飲もうか、焼き鳥とビール買ってきた」
親父が酒を飲もうというのは珍しいというか、これまでもほとんど経験がない。親父自体がそんなに酒を飲まないし、俺も同じく酒を習慣にはしていない。まあ、今日のように失恋した日は飲みたい気分だったけど。まさか親父はそれに気が付いたのか、いやそんなことは無いはずだ。
「珍しいね。何かあった?」
それには親父は答えなかった。そのまま黙って俺の部屋に入ってくる。
親父がこのアパートに来たのは、確か俺が大学生活を始めた矢先の頃だったと思う。それ以来だから実に4年ぶりになるのかもしれない。
親父は俺の部屋をそれとなく見る。いやいや特に変なものはないですよ。大麻や覚せい剤なんかはやらないし、そんな金もない。女性の影もないし、もちろん男の影もない。ひょっとして親父は霊でも見えてるのか・・・。
親父は居間兼寝室にあるこたつに座り、レジ袋からビールや焼き鳥を出す。部屋中に焼き鳥のいい香りが広がる。
「真治は晩飯作ってたのか?」
「うん、でもカレーだから大丈夫だよ。明日食べる」
「そうか、急で悪かったな」
「で、どうしたの?」
「ああ、悪いな。まず乾杯しないか?」
「そう、わかった」
なんだろう、何か飲まないと話せないようなことだろうか。少し緊張気味な親父を前に俺も緊張する。
缶ビールを開け、乾杯する。しばらくは何も言わずに親父は酒を飲み続け、一缶が開いたぐらいから話し出す。
「真治、実はな。今まで話してなかったことがある」
俺は何も答えず、黙って親父の次の言葉を待つ。
「お前は俺の子供だが、遺伝上は子供じゃない」
何を言ってるんだろうと少し考える。俺は頭の回転が早い方じゃないんだ。子供ではあるが遺伝上は違うとは、それは言い換えれば血のつながりが無いってことか?
「俺は親父の本当の子供じゃないってこと?」
「何が本当かはわからないが、血のつながりはないんだ」
「じゃあ、誰の子なんだ?」
「うん、それをこれから話す」
こうして親父は自身の話を始めた。
3
1997年、平成でいうと9年になる。当時、親父は中野の光学機器メーカーで働いていた。栃木の工業高校を卒業してから東京で働きだして、転職も数回したのだが、この会社は親父と合っていたらしい。工場では主にレンズ磨きをやっていて、そういった黙々と仕事に打ち込める環境も気に入っていたらしい。そうやって勤めだして7年目の頃だそうだ。
親父のアパートはモルタル2階建ての1DKで、主に独身者か学生さんが住むことが多かった。親父は2階の角部屋に住んでいて、家賃も手ごろで新宿などに出るのも近くて住みやすかった。中野の会社に勤めだしてから、そこに住みだしてもう7年になる。そんな時、隣に住んでいた男子学生が卒業して出て行き、次はどんな人が来るのかと思っていた。
ある日曜日、朝から引っ越し業者が来てドタバタとやっていた。いよいよ隣に人が入るのかと思っていたら、夕方になって挨拶に来る人間がいた。
親父が扉を開けるとそこには小さな女の子がいた。ぱっと見は中学生のようだった。おかっぱ頭で目はくりっとしていて、色白のかわいい娘だった。
「隣に越してきました鎌田希と申します。ご迷惑をお掛けするかもしれませんがよろしくお願いします」
緊張した面持ちでぺこりとお辞儀をして、引っ越し蕎麦のような袋を差し出してくる。親父はこの娘の親がそうしろと言ったのだろうと思った。引っ越しならそばを贈るというのは昔の人間の考えることだ。それを見てしっかりした親御さんだと思った。それを実践できるこの娘もしっかりしている。
「はい、こちらこそよろしくお願いします。何かあったら遠慮なく言ってください」
「はい、どうも」それだけ言うとその女性は戻って行った。
実際、それが俺の母親と親父との最初の出会いだったそうだが、その時の印象は中学生のような、かわいらしい女の子としか思わなかったそうだ。ちなみに親父はロリコンではなく、その娘に対しどうこう思ってはいなかったそうだ。
そしてある日の夜、親父が仕事を終えアパートに帰ってくると、何やらその娘が玄関先で誰かと揉めている。親父の部屋はその娘の隣の角部屋だから、否が応でも部屋の前を通らなくてはならない。娘の部屋の入り口にちょっとガラの悪そうな中年男がいて、どうやらそれは新聞の勧誘員のようだった。今でこそあまり過度な新聞勧誘は無くなったが、当時は胡散臭い男が、無理やり新聞契約を取り付けることが多かった。契約に応じて販売店からお金が出るようなのだ。
特に田舎から出てきたばかりの女子学生などは、強引に迫られると断れないようで、中学生のような、いかにも押しに弱い娘の場合はどうしようもない。彼女は必死で断っているのがわかる。そんなわけで親父が助け舟を出した。
「彼女、嫌がってますよ。諦めたらどうです」
男はその筋の人なのか、親父を睨むと、「あんたは関係ないだろ」とすごむ。
実は俺の親父ながら、彼は俺とは真逆で喧嘩は強いそうだ。はっきりとは言わないし、怖いので聞いたこともないが、栃木にいた頃はそういったグループでやんちゃをしていたらしい。
「どこの販売店?電話するよ」
「うるせえな。関係ないだろ」
「わかった。じゃあ警察呼んで話を聞こうか」
警察と言う言葉に弱いのか、男は捨て台詞だけを残し、すごすごと帰っていった。
娘は恐怖もあって震えていたが、落ち着くと親父に感謝していた。
「ありがとうございました。どうしても帰ってくれなくて・・・」
「ああいう勧誘が多くて困りますね。引っ越ししたのを聞きつけて勧誘に来るみたいですよ。また何かあったら言ってください」
「はい、ありがとうございます」
よくある話だが、母親にとってはこういったことは初めてだったらしい。そんな縁もあり、それから親父は母と会うと少しづつ話をする仲にはなっていった。
親父の兄弟は兄貴が二人で、俺にとっての伯父さんがいるだけで女兄妹はいない。歳は離れているが何か妹のように思えていたらしい。さらには母(娘さんのことだが・・・)のほうも姉が二人いるだけで男兄弟はいなかった。それで疑似的な兄妹関係が成立したそうだ。
母は都内の有名私立大学に通っていたそうで、政治経済学部と言う俺にとっては夢のような専攻だったらしい。親父はそういった分野はまるでダメで、母親は頭脳労働担当、親父は肉体労働担当みたいな関係で、お互い重宝するようになったらしい。ここまで親父の話を聞いて、俺は誰の子供なんだろうかと増々不安になった。そんな有名私大だったら、母親も違っているのではないか・・・。
さらに数年がたち、母が4年生になった時に事件が起きる。
それまでも部屋の行き来はあるが、二人の関係はまるで本当の兄妹のようで、恋愛感情はないし肉体関係などありえないといったものだった。それを聞いてやはり親子だな、そういった部分は親父と似ているなと思ったが、なぜか血のつながりはないらしい。
夏休みが終わった頃だった。母は優等生なのか、早々と就職も決まり卒業後は秋田に帰ることになっていた。そんなある日、母は憂鬱そうな面持ちで親父の部屋に来たそうだ。最近になって何度か様子がおかしいと思ったことはあったらしいが、特に相談もないのでそのままにしていたそうだ。
しばらくは取り留めのない話をしていたが、突然、母がぽつりと言う。
「子供が出来た・・・」
親父は耳を疑う、身に覚えが無かったって、当たり前だ。そういった関係が無いんだから、それでよくよく話を聞くと、相手は同じ大学の留学生で、同じゼミに在籍している人間だそうだ。親父は妹を傷つけられたような気がして憤慨したが、実はそうではないらしい。
「ロバートとは結婚の約束をしているの」相手は米国人でロバートというらしい。
「それでロバートはこの9月にアメリカに戻ることになったの」
「じゃあ、希もアメリカに行くってこと?」
「そのつもりだったんだけど、事情が変わってきた」
母の話はこうだった。
アメリカからの留学生、ロバート・S・ヨシオカは日系人で母とは6歳違いだった。大学では同じ学部でもあり、ゼミも同じですぐに仲良くなった。最初は単なる友人関係だったが1年を過ぎた頃から恋愛関係になった。ちょうど母が4年生になった頃である。実際、その頃になると相思相愛で、彼の方もいずれは母との結婚を考えていたそうだ。正式な婚約までは交わさなかったが、彼からは婚約指輪に近いものももらっていたそうだ。
そして問題はこのロバート・S・ヨシオカの家族だ。彼の父親グレン・S・ヨシオカは日系アメリカ三世でアメリカでは相当著名な人物らしい。若い頃は米国政府にも所属し、数多くの功績を上げた。その後、ホワイトハウスを辞めてから実業家としても大成し、彼の持つ会社は米国でも指折りの大企業となった。そのグレンの息子がロバートだ。
ロバートは日系人でもあり、父のグレンも日本の大学に留学経験があったことから、息子にも日本での勉学を勧め、彼は来日したのだ。そこで母と知り合ったわけだ。
ヨシオカの子供はロバートひとりだけで、いずれはグレンの会社を引き継ぐことは既成路線だった。
母にとって運が悪かったことは、そのグレンが早々に亡くなったことだ。本当に急だったようで、ロバートは急遽、米国に戻り父親の仕事を引き継ぐことになったのだ。
ロバートは帰国の際にいずれ迎えに来ると母に言い残した。母もそれを信じて待つことにした。ところが本国では別の話が動いていた。グレンの会社を継続するために、ロバートは政略結婚に近い形での、関連先の女性との結婚が決定事項となっていたのだ。ロバートも驚いたが、残念ながら企業存続のためにはそれを断る選択肢は無かった。ロバートは電話で涙ながらに母に謝罪したそうだが、ロバート以上に母の驚きは大きく、まさに天国から地獄に突き落とされるような思いだったそうだ。
そして運悪く母は妊娠していた。ロバートは妊娠の事実を知らなかったのだ。こうなった以上、母もあえてその話はしなかったという。ロバートはもし生まれ変わったらその時こそ一緒になろうと母に言ったとのこと、よくある決まり文句ではあるが、本心はわからない。そして結婚は諦めるように話をしたらしい。ロバートが任される会社は、それこそ米国の根幹となるような企業で、一個人の思惑ではどうしようもなかったのだ。結局母はあきらめざるを得なかった。
親父の部屋に来てそんな話を滔々とする母を見て、不憫でたまらなかったそうだ。
「で、希はどうしたいんだ?」
泣きながら母は言った。「産みたい」
その母の希望を受けて、親父はどうすれば一番いいのかを考えた。本来はロバートと結ばれるのが一番なのだが、それは叶わないことだ。かといってシングルマザーで生きていくのが母の幸せなのか、どうすればいいのか、そうやって考え抜いた挙句、一つの提案をしたのだ。
「俺をその子の父親にさせてくれないか?」
「え?」
「その子にも父親が要るだろう?俺がそうなるんじゃだめかな」
「それは私と結婚するってこと?」
「ああ、そうだ」
母はじっと考える。
「それは長谷川さんに悪いよ」
「いや、俺がそうしたいだけだ」
母はすぐには結論を出せないと言った。母にしてみれば親父の言った事は勢いに任せただけだと思ったらしい。
ただ、それからも親父の思いは変わらなかった。そして親父は母を説得し続ける。その時の気持ちは言葉で説明するのは難しいが、母が好きだという感情と妹を思う兄の感情とお腹の子供の父親になりたいといった、とにかく複雑なものだったらしい。そう言われても俺にはよくわからない。そして母はついにその提案に乗ったのだった。
それから親父は母の秋田の両親のところに出来ちゃった結婚を謝罪に行き、母の父親から殺されそうになるも一命は取り留め、なんとか結婚は認めてもらえた。当然、母も両親に本当のことは言えない。言えばロバートに迷惑がかかるからだ。俺がロバートの子供であることを知っているのは、親父と母だけだった。ばあちゃんも秋田の両親も真実を知らない。
そして俺が生まれた。
その時の親父はこの子は自分の子供だと思ったそうだ。よく継子いじめなどと言うことが言われるが、親父は血のつながりがあるかないかで、子供を判断する気持ちがわからないと思った。とにかくこの子を命懸けで育てていこうと心底思ったらしい。
親父に言わせれば俺はそのぐらいかわいかったそうだ。子供が親父を慕って近づいてくるときなど、この世の本当の幸せを感じたらしい。まあ、そう言われて悪い気はしない。俺はそれぐらいかわいかったのか、今はその面影はないが・・・。
親父たちは俺が生まれてからは違うアパートに住むことにしたそうだ。それまでの1DKでは子育てにも無理があった。親父は相変わらず光学機器工場に勤務していた。母は子育てに追われ、俺が3歳になった頃からパートに出だしたそうだ。
そんな時に悲劇が起きた。母が交通事故で亡くなったのだ。
その日はいつものようにパート勤めをした帰り、保育園まで俺を迎えに行く途中だった。幹線走路を走っているトラックに跳ねられたとのことだった。運転手によると母は赤信号をそのまま歩いていたそうで、運転手も前方不注意だったらしいが、避けられなかった。勤めに出だしたばかりと、俺の子育ての両方で疲れていたとのことだ。ほぼ即死だった。
親父の新婚生活はたった3年で終止符を打ったわけだ。ただ、大事な子供はいる。その子をなんとか育てることが、母の思いに答えることにもなると、より一層子育てには気を遣うこととなる。
そのため親父は勤めに出ながら俺を育てることはできないと、小山市の実家に戻る決心をする。その話にばあちゃんも仕方がないと協力してくれた。それからの小山市での出来事は俺にも記憶がある。
今回の東京での話は初めて聞いた。親父が母親の話をしなかったのは、こういった事情を隠して話をするほど器用ではなかったとのことだった。やはり嘘の話は出来ないらしい。根っから不器用な男なんだな。俺と血は繋がっていないが似ている気がする。
親父はここまで話し終えると、再び缶ビールを開けて、やはりほぼ一気飲みをする。
「母さんは幸せだったの?」
「どうだろうな、幸せとは言っていたけど、本当のことはわからないな。ロバートは母にとってかけがえのない人だった。それは間違いない。俺もそれとなく話は聞いていたからな。そういった男を忘れることができるのかな。俺には分からない」
「そうか・・・」
「それでな。ここからが重要な話になる」
すでにあまり飲まないアルコールで、顔を真っ赤にした親父が真剣な顔になる。
「お前の小説の話だ」
「黄金ハンター・・・」
「ああ、おそらく大阪城で金塊が発見されたんだろ」
「え、わかる。そうなんだよ」
「やっぱりな」
「やっぱりってどういうこと?」親父は不思議なことを言う。
「俺は小山市でお前の話を聞いてなんとなく筋書きがわかった。それで少し調べてみたんだ」
「調べたって何を?」
「うん、ロバートのその後だ」
「ロバートって俺の製造元?」
「なんだ、それは?」
「あ、そうだ。母も有名私大でロバートも留学生なんだから、俺の頭が悪いのはおかしくないか?親父の子供だと聞いた方が納得いくよ」
「はあ、なんの話だ。まあ、お前の出来がいまいちなのは遺伝だけじゃないってことじゃないのか、その後の環境だとか持って生まれたものとか、鷹がトンビを生んだってことかもしれない」何だ、そのことわざは。「まあいい、とにかくロバートはお前の遺伝学上の父親になる。それでその後の話がある」
親父は再び缶ビールを開ける。
「あんまり飲まないほうがよくないか」
「うん、そうだけどな。それでロバートは病気みたいだ」
「病気?」
「そうらしい。今回気になって連絡を取ってみたんだ。それでわかった」
「どんな病気なんだ?」
「うん・・・それでな。今回の小説騒ぎを含め、お前に会って欲しい人がいる。口下手な俺が話すより、むしろそっちの方が話が早い」
「誰と?」
「うん・・・」なんか親父の目がとろんとしてきた。いやいや飲み過ぎだろ。
「親父、誰と会うんだよ」
「明日にしよう、うん、明日明日・・・」
そういいながら親父は酔いつぶれて寝てしまった。だから、大事な話をするときに飲みすぎるなって・・・。そう思ったが親父の気持ちもわからんでもない。今まで秘密にしてきた話を、こうしてしなければならない度胸がなかったのかもしれない。口下手だしな。やっぱり俺と血がつながってる気がする。
俺は親父を布団に寝かせる。
そして部屋の片づけをして自分のベッドに入る。当然、いろいろな事を考える。
親父は何を言おうとしたのか、ロバートは病気らしい。だが、それが俺とどう関係するのか、大体、俺の素性については亡くなった母と親父だけの秘密だという。ロバートは無関係だ。さらには黄金ハンターがそれにどう絡むのか、伊瀬知悠は何者なのか・・・。今村に振られた夜に次から次へと事件が起きて、頭がパンクしそうだ。
そんなことを考えていたら、そのうち寝てしまった。やはり俺は親父と血が繋がってると思う。
4
そして翌朝、俺が目覚めると親父はもう起きていた。ぼんやりと部屋の窓から外を眺めていた。
「おはよう、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。すまんちょっと飲み過ぎたな」
「うん、歳なんだからほどほどにね」
親父はうなずく。そして俺に言う。
「朝飯食ったら出かけるぞ」
「出かけるって、どこへ?」
「うん、約束がある。多分、迎えが来ているはずだ」
俺は一向に要領を得ないが、親父に言われるがままに、朝食を取ると服を着替えてアパートから外に出る。
「あ、いた」
アパートの前にスイフトスポーツと伊瀬知悠がいた。
彼女はいつもの黄色いジャージでさすがに大きなリュックは背負っていないが、車の前で腕組をして待っていた。
「おはようございます。さあ乗ってください。彼がお待ちかねです」
いやいやこんな慇懃な伊瀬知を見るのは初めてだ。親父と俺は車に乗り込む。
「どこに行くんですか?」
「真治君、それはこれからのお楽しみだよ」伊瀬知がウインクする。
「なんですか、それは?」
伊瀬知は答えず、車を猛発進させる。こういうところはいつもの伊瀬知だ。
車は中央高速から首都高を抜けて、都心に入る。皇居や東京駅が見えてくる。まさに日本の中心地だ。高速を降りて日比谷通りを走り、そしてあろうことか帝国ホテルに入っていくではないか。
「まじですか?」
「まじ」そう言いながら伊瀬知は車を駐車場に入れる。
「日本のホテルはクロークが運んでくれないから面倒だな。アメリカじゃあ有り得ない」
「伊瀬知さんアメリカに行った事あるんですか?」
「ああ、そうだな、それも秘密だった。これからわかる」
駐車場に車を停めて、そこからは歩いて帝国ホテルの本館に入って行く。エレベータに乗り、伊瀬知は迷わず14階を押す。
俺は14階に誰がいるのかと思う。伊瀬知に聞いても教えてくれないだろうし、親父も緊張しているのか先ほどからほとんど無言だ。仕方なく黙って伊瀬知に付いていく。
ああ、なるほどこのパターンは黄金ハンターの時と同じだな。また、組織の人間が出てくるのかなどと要らぬ心配をする。
14階に着いて、うちのアパートの廊下とは段違いの豪華な廊下を進んでいく。さすがは帝国ホテル。内装も普通のホテルとは全く違う。と言ってもそんな高級ホテルに泊まった経験は無いが・・・。
そしてある部屋の前まで来る。
伊瀬知がノックする。するとしばらく待って扉が開くと男が出てきた。
その男を見て俺は驚く。
なんとその男はインチキ編集者、大村敦だった。
「どうもご無沙汰しております。大村敦ことマイケル鈴木と申します」
はあ、なんだマイケルって、またふざけてるのか。しかし伊瀬知は大村ことマイケルとは顔見知りのようで、普通に部屋に入って行く。
「まあ中に入って話をさせてください」マイケルが笑顔で言う。
俺は狐につままれた顔をして、そのおそらくスイートルームに入る。何せスイートルームなどに入ったことはない。なので多分、これがそうなのだろうと思う。その帝国ホテルのスイートはとんでもなく広い。俺の部屋どころかアパートごと入ってしまいそうだ。
「ソファにおかけください」
そういう大村は前回会った時とは様相が違う。服装もいかにも高級そうなスーツだし、髪型もすっきりとしており、くたびれた感じの編集者の面影がまるでない。いわば、みるからにお金持ちといった雰囲気だった。
マーブル調のローテーブルが真ん中にあり、ソファがL字型に配置してある。俺と親父が二人してソファに座り、もう片側のソファに伊瀬知とマイケルが座る。
テーブルの上にはワインか何かのボトル、それと炭酸水のボトルがあり、マイケルが俺たちにそれを勧める。
そして、マイケルが満面の笑みを持って俺たちに話しかける。
「この度は長谷川真治様には大変ご迷惑をおかけしました。こころよりお詫び申し上げます」
何事だ。この男は何について謝っているのか。親父はそれとなくわかっているようでマイケルに手をかざして、「いえ、事情はお察ししますので」と映画で見たような応対をする。
「意味が分からないです」俺が率直な感想を述べる。
「はい、そうですね。これから順番にお話しします。えーとどこから始めましょうか・・・。そうですね、事の起こりはもう10年ほど昔になりますかね。ああ、そうそうまず私の自己紹介から始めます」
マイケルは名刺を差し出す。親父はすでにもう会っているようで俺だけに渡す。
「日本風に名刺を作ってみました。希望文庫の名刺ではありませんよ。本当の名刺です。まあ、実際アメリカにはそういった文化はありませんがね」
名刺、いやいや俺は英語はダメなんだって、なんかそこには横文字が続いていた。伊瀬知が言う。
「マイケル、真治は英語がまるでダメなんだ。そこいらの小学生以下だ」
随分、ひどい言い方だが、当たってるだけに文句も言えない。
「ああ、そうでしたか、私はロバートの秘書をしております。秘書と言っても昔からの知り合いでして、日本語で言うと竹馬の友、親友といったところでしょうか」
「日本語、お上手ですね」
「そうですね。マイケルと言う名前でありながら、私は両親が日本人です。ただ、アメリカ生まれでずっと向こうにいるので、国籍はアメリカの日本人です」
「そうなんですか」俺の頭では少し整理しないと理解できないが、確かにどこから見ても疑いがない日本人だと思った。「伊瀬知さんもそうなんですか?」
「彼女は違います」
「え、彼女は日本人じゃないんですか?」
「米国人です」伊瀬知が言う。
どうみても日本人に見える。伊瀬知もアメリカ人ということは、俺の小説の設定と違ってくる。
「では、順に話をしますね」
そういってマイケルが話し出す。
今から10年ほど前の話である。
アメリカに戻ってグレンの仕事を引き継いだロバートは、最初は慣れないことに戸惑い、トラブルも抱えながらの会社経営だった。だが、それを何とか乗り越えることにも成功し、その後順調に会社を大きくしていった。元々マネジメント能力には長けており、その有能さとリーダーシップを持ってさらに業績も上げていった。結果としてロバートが引き継いだことで会社は増々大きくなったのだった。そんな話を聞くとどう考えても俺の血続きとは思えない。
ロバートにとって気がかりだったのは、日本に残してきた最愛の希(母親)のことだった。米国で結婚はしたものの、ロバートにとって生涯最愛の女性は希だけだったのである。それ故、仕事も一段落した頃になると、気になるのは希のその後であった。そしてついに彼女のその後を調べることにしたのだった。そういった仕事は秘書のマイケルが担当することになる。
まずは調査会社を通じてその後の希について調べると、残念ながら彼女はすでに亡くなっていたことを知る。さらにはロバートと別れた後、別の男性と結婚したことも知る。
亡くなったことを聞いた瞬間は絶望感でいっぱいだったが、やはり希が幸せな結婚生活を送っていればそれでよかったと思うようにした。ところがその調査報告書には気になる点があったのだ。
「それがあなた、真治さんです」マイケルが俺をじっと見つめて言う。
「ロバートは真治さんが自分の子供ではないかと疑惑を持ちました。生まれた時期がちょうどお付き合いをしていた頃と重なるからです」
確かにそうだろうな。話を聞いてると、母は二股が出来るような人間じゃないしな。なるほど、ロバートにはそういった人を見る目はあるんだな。
「それでまことに失礼ながら、長谷川さんに問いあわせをしました。こちらの亘輝さんにです」
親父が会話に加わる。
「俺は当然、真治は俺の子供だって話をした。時期が重なっているがそれは間違いないって念も推した」
「ええ、そうです。まあこちらもそれで了承したんです。ロバートもあえて疑うようなこともしなかった。さらにお父様からは、けっしてこれ以上の詮索や真治へのアプローチをしないようにと念を押されました」
親父はうなずく。
「それでこちらも納得せざるを得ませんでした。実際、もし真治さんがロバートの子供となると、それはそれで別の意味で大変な騒ぎになりますので・・・」
「どういうことですか?」俺は素直に質問する。
「ええ、実はロバートには子供がおりません」
なんとなく話が見えてきたぞ。俺はとんでもないことに巻き込まれていたということか。
「そのため、もしロバートに隠し子がいたとなると、彼の財産贈与の問題が出てきます」
実にきな臭い話になって来た。
「ロバートの奥様はイザベラさんと言って、元は資産家のお嬢さんでした。もし隠し子がいたとなると財産もそうですが、過去のことでも許さないといった嫉妬深さがある女性です」
俺は期せずして冷や汗を流す。
「そういったこともあって、ロバートもこの話は無かったものとして納得しました。まあそうせざるを得なかったんですね。これでこの話は終わったはずでした」
マイケルはテーブルの上の飲み物を飲んでのどを湿らす。
「ところがロバートが病に倒れました。ちょうど3年前のことです」
「3年間も・・・」俺はロバートの闘病生活を思って素直に同情する。
「癌でした。もちろん常に定期検診や検査をしていたのですが、スキルス性のがんだった。それも急性で悪性でした。もちろん最高の医療スタッフと最新のがん治療を施しました。それにより少しづつ治って行ったのです。寛解したと思ったのですが敵もさるもの、さらなる癌がロバートの体を蝕んでいきます」
資産家であっても病と言うやつは平等なんだな、俺は単純にそう思う。ばあちゃんも癌で亡くなった。彼女に最高の医療スタッフはついていなかったけど。
「治療もむなしく、死を目前としたそんなロバートにとって、最後に気がかりだったのは、やはり息子かもしれない真治さんのことだったようです。それで私に真治さんについて調べるように言ってきました。私も彼の最後の希望をかなえてあげたかった。それで昨年、極秘に来日し調査をしました。しかし調査をするまでもなかったのですよ」
そう言ってマイケルが何かの写真を出してきた。
「これがロバートです」
マイケルが差し出した写真に写っていたのは、・・・俺だった。いや正確には俺が歳をとったらこんな顔になるだろうといった顔だ。
「疑いようがないのです。真治さんはロバートの子供です」
どうりで俺の顔は坊ちゃん坊ちゃんしていたのか、こういった金持ち顔から来ていたのだ。俺もその写真を見て間違いないだろうと思ってしまう。隣にいる親父には悪いがロバートと俺は瓜二つだ。
「それでさらに調査しました。一応、DNAも確認させていただきましたが、間違いなかった。それと残念ながら真治さんはあまり裕福ではないこともわかりました。さらに大学もそれなりで・・・」いやいやはっきりと三流大学と言ってもいいんですよ。
「その上就職も決まっていない。これは困ったことになったと思いました」
「いや、俺自身はそんなに困ってなかったですよ」
「そういった向上心の無さにも困ったのです」他人にズバリ言われると余計落ち込む。
「ロバートに話をすると何とかしてやりたいとのことでした。ロバートが遺言を残し、財産贈与をすれば済む話かもしれませんが、果たしてそれで済むのかといった懸念があります」
俺は難しい話になってきたのでよくわからなくなる。法学部ではない、文学部なのであある。財産贈与の件は専門外だ。
「まずはお父様、こちらの亘輝様が了承しないというか、真治さんとロバートが関係を持つことを良しとしないだろうということ。以前もそういったお話でしたし、それよりも先ほどの嫉妬深い奥様イザベラさんの問題があります。素直に財産贈与に応じるとはとても思えないのです。それよりもそうなった場合、真治さんの身に危険が及ぶだろうとも思いました」
俺はここで気付く。ひょっとして俺の命の危険ってそういうことだったのか。
「それで私たちが考え出したのが、今回の黄金ハンター騒ぎになります」
「ひょっとして今回の事件はすべてあなたが仕組んだんですか?」
「そうです。真治さんが小説を書いていることを知り、それを利用することを思いつきました。私とロバートで考え出しました」
「えー、どこまでやったんですか?」
「どこまでって、ほぼ全部です」
「ちょっと待ってください。じゃあ俺の命を狙った組織って何ですか?」
「あれは奥様が雇った殺し屋です」
「じゃあ、ただ単に俺の命を奪いに来たんですか?」
「そうです。実はあなたは1年前から命を狙われていたんですよ。ちっとも気が付いていませんでしたが・・・」
「いやいや、まじですか?」
「まじです。まあ私の方でボディガードも用意しましたが、真治さんも運がいい人間でした」
俺は母親の事故死もあって、子供の頃から周囲に気を配ることだけは徹底されていた。親父もばあちゃんもそこだけは注意していたのだ。無事だったのはそれもあったのかもしれない。
「私たちが考えたのは小説黄金ハンターを実際に起こして、真治さんに埋蔵金を発掘してもらう。そうすることで財産贈与を秘密裏に行ってしまおうというのが作戦でした。それならばお父様も気づかないし、イザベラもなんとか騙せるかもしれないと思ったのです」
親父は騙せるかもしれないが、後者はだいぶ無理があると思う。
「じゃあ、ここにいる伊瀬知はどういうこと人なんですか?彼女は俺の小説のままですよ」
「そうですか、実は彼女は米国の民間エージェントです」
「なんですか、それは?」
「ミッションインポッシブルみたいなものです」はあ?随分簡単に説明するな。
ここで伊瀬知が話し出す。
「我々のエージェントは海外における色々な活動、いわゆるスパイ行為や著名人のボディガード、また、大きな声では言えないが破壊工作も含めたあらゆる仕事を請け負っている民間の会社だ。今回もマイケルから依頼を受けて、私は真治の小説にある伊瀬知悠になりきったんだよ。ずいぶんわかりづらい文章だったが、なんとかイメージ通りに伊瀬知悠を演じられたはずだ。もちろんその演技料もいただいたのだがね」
「でも見た目もイメージそのままでしたよ」
「それはたまたまだな。君の拙い文章ではイメージまでは私にはわからなかったからな。ただ、ジークンドーやら格闘技については訓練したよ。私の出身はグリーンベレーでマーシャルアーツはやっていたが、ジークンドーは未体験だった。そういう意味ではなかなか面白かったよ」
「日本語もまるで日本人ですよ」
「日本語だけじゃない。私は英語、スペイン語、ロシア語もネイティブに話せる。エージェントだからな」
そうか、たまに変な日本語になるのはそういったことだったのか、相手の会話に引きづられるということか、俺は少しだけ思い当たる。そして話を元に戻す。
「話を戻します。つまりマイケルさんは俺に埋蔵金だと言って、財産贈与をするつもりだったんですか?」
「そうです。素直に事情もわからずお金を受け取ってもらうためには、それが最適だと思ったわけです。ロバートの個人資産は200兆円もありませんが、凡そ5兆円はあるはずです。全額と言うわけにはいきませんが、おそらくその半分程度は貴方に贈与できる手筈でした」
ああ、そういうことか、最初から伊瀬知が2億円とか言っていたのはまんざら嘘ではなかったわけだ。桁が違ってるけど・・・。伊瀬知が話す。
「それとうちのエージェントが君の警護をするようになって1年だが、イザベラ側はもう少し前から活動していたと思われる」
「え、まじ?」
「まじ。君は命を狙われていたはずなんだが、やつらは何故か失敗している」
俺は全く思い当たることがない。そんなに前から狙われていたのか・・・。
「そうなんだ。何か君はそういったことに、運を使い果たしているのかもしれない」
いやいや、だから他がうまくいかないとでもいうんですか。
「俺の警護をしていたのは伊瀬知さんだけじゃないんですね」
「そのとおりだ。まあ主に私だったが、他に3名が交代で警護していた」
まじか、全く気が付かなかった。そんなにたくさんのボディガードがいたのか。
「マイケルさんが希望文庫と名乗って、出版の話を言ってきたのはどういう意図ですか?」
「ええ、まずは真治さんと直接、お話がしたかったのです。調査会社からの報告書はありましたが、実際、会ってどういった人物か確かめたかった。また、それ以降もあなたの動向を探ることもできます」
そういう意味なのか、それで出版希望だと言って近づいたのか。
「それとDNAも再確認させていただきました。ファミレスで会った際にね」
「ああ、ストローですか?」
「ええ、それだけではないですが、一応、間違いがないようにと思いましてね」
「あとですね。黄金ハンターのウェブサイトからの公開停止には意味があったんですか?」
「ああ、それですね。ほとんど読まれてはいませんでしたが、ひょっとしてあれをそのまま確認しようとする人間が出ないとも限りません」
「世の中には変な人間もいるからな」伊瀬知が追い打ちをかける。
「ええ、一人でも確認しようとすると、埋蔵金の下準備が出来なくなります」
みんなが俺の読者数の少なさを卑下している気がする。
「現場では下準備が必要でしたので、なるべく人目に付かないようにしたかったのです」
なるほどそういうことかと納得する。
「マイケルさんが小説の直しを依頼した理由は何ですか?必要ありましたかね」
「真治さんとの交流を続けたかったのと、埋蔵金の下準備の時間を確保するためです。いい加減な依頼でご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
そういうことか、仕方がないとは思えないが、いまさら文句を言っても始まらない。
俺は親父の顔を見る。親父は俺と違ってこれまでの話を平然と聞いていた。なるほど親父はこのことを知っていたのか、そして今回の顛末も、俺が小山に帰った時に気が付いていたんだな。
俺はもっとも聞きたかったことをマイケルに質問する。
「マイケルさん、小説黄金ハンターと今回の埋蔵金騒ぎの真実を知りたいです」
「ええ、いいですよ」
「最初から話してもいいですか?」マイケルはうなずく。
「じゃあ、まずは徳川埋蔵金です。伊豆大島という設定でした。そして実際に(石の反り橋)近くに千両箱が出てきました。あれはどうしたんですか?」
「はい、小説にあったのは(石の反り橋)の近くを掘るが何も出てこなかったという話でしたよね」
「そうです。冒頭の埋蔵金なので何も出なくていいのかなと思いました」
「なるほど、ただそれだとインパクトが小さいですよね。何か埋蔵金があったのではと思わせるような仕掛けが欲しいです」この人、小説の編集者みたいなことを言ってる。「それで千両箱の残骸が見つかるという話に変更しました。こっちのほうが今後の興味がわくでしょ。あれ?黄金ハンターってやるな、といった雰囲気が出ます」
「なるほど、確かにそうですね」
「それであのアイデアを思いつきました。ただ(石の反り橋)付近は観光客も通るのでそこからさらに奥に位置を変えました」
「ああ、でもあの場所に俺が行くという形にはならないかもしれないじゃないですか?今回はたまたま行きましたけど・・・」
「どうですかね。真治さんはあの現場に初めて行ったと聞いています。私もあそこに行ったときに、ここじゃないなと思いましたよ。そしてだったらどこかなと考えると反り橋に向かってさらに奥だと考えるのではと推測したんです」
「なるほど」確かにあの現場に行ったときにここじゃないなと思った。でもあそこから100mぐらい先だと俺が言い当てたのは不思議だ。
「でも位置もあの時俺が想定した場所とほぼ同じでした」
「概ね人間はそのぐらいを考えるものです。もしそこに気が付かなかった場合は伊瀬知に誘導させるつもりでした」
それについて伊瀬知がフォローする。
「そうだ。でもあの時、真治はあっさりとあの場所を指定したな。まあその後は私についてきたから適当に言ってもあそこになるんだがね」
そうだった。たしかに俺は伊瀬知を追いかけて行っただけだった。100mも測ったわけじゃないし、そういうことか。
「なるほど、そしてあの場所に千両箱を置いたということですね」
「そうです。一応、あの時代だと思えるように作ってもらいました。もちろんフェイクです」
なるほど、そうだったのか。さらに俺は質問する。
「次は結城埋蔵金です。あれはどこまでがフェイクなんですか?」
「和歌の謎解きですね。あれはなかなか面白いアイデアでしたね」
「けっこう考えたんです。子供の頃から山門の和歌は見ていましたし、アナグラムに気が付いた時は興奮しました」
「あれはまず小説通りに掘ってみました。同じ場所です」
「畑ですよね」
「そうです。すると本当に何か出てきたんですよ」
「マジですか?」
「ええ、まじです。ただ、何かの壷のようなもので残念ながら中身は腐ちていました。和紙のようなものでしたので金塊ではなかったのです。だからアナグラムはいい線いっていたのかもしれませんね。それでさらに筒と柱を作りました」
「後鳥羽上皇の和歌ですね」
「ええ、あそこは小説の肝ですから、何か和歌を残そうと考えました。真治さんの小説だと何かはわからないものだったですよね」
「ええ、でも和歌がいいとは思ったんです。そういう意味では後鳥羽上皇はピッタリです」
「ええ、ロバートと頭をひねって考えましたよ。日本の和歌も勉強しました」
「それであの和歌ですね」
「ええ、でも伊瀬知からアナグラムの話も聞きました。さすがは真治さんだと思いましたよ」
そうだったのか、でも何か残骸があったということは、和歌も当っていたのかもしれない。少し自慢したくなるな。
「では、最後の秀吉の埋蔵金です。あれはどこまでやったんですか?」
「あれが今回は一番大変でした。実際、あの仕掛けを作るのに半年は費やしましたよ」
「え、じゃあほとんど作ったんですか?」
「そうです。真田の抜け穴はあの石の部分で終わっています。おそらくあの穴自体が元々フェイクだったのかもしれませんね。それでそれ以降を掘っていきました」
「それ以降って全部ですか?」
「そうです。それも大阪府に内緒です」まさに違法行為だな。
「それは大変でしたね」
「まあ小型のシールドマシンを特注で作らせまして、神社側に気づかれないように深夜を中心に掘り進めました。その後の真田丸の部分も自作です」
「じゃあトンネル部分は全部フェイクということですね」
「ええ、そうです。そこから最後の秀吉の埋蔵金の隠し場所も自作になります」
「あの石に偽造した金塊もそうですか?」
「ええ、実際に金を埋めた石を作りました。まあ一個だけですけどね」
「それ以外の石室の石はどうしたんですか?」
「あれは単なる石のパネルです。一個だけが金塊でした」
「あと、あの時の倖田社長は偽物ですか?」
「ああ、あの社長は本物です。胡散臭い人物でしたが、金属探知機を作る技能は本物です。あれがないと目標の金塊の1個を探せなくなります」
「そうですね。確かにそうか・・・」
これですべてがはっきりした。すべてがフェイクだったのか。
「でも私も秀吉の埋蔵金の話を調べましたが、やはり大阪城説に賛同しますよ。日本政府が大阪城の地下を本格的に再調査することには意味があると思います。ただ、やはり埋蔵金は残っていれば誰かが使ってしまうものですよね。そのまま残すなんてことは後の世のロマンでしかないのかもしれません」
このマイケルの言葉がすべてを言い当てていると思った。埋蔵金は後の世のロマンだ。世界各地にそういったロマンがあふれていて、どうこう考えていくことが楽しいのだ。そして万が一見つかった場合の高揚感たるや、言葉では言い尽くせないものなのだ。俺も大阪城でそれを疑似体験している。
マイケルが話す。
「真治さん、そういうわけです。こういう結果になりましたが、貴方にロバートの財産を贈与します」
いやいや2兆円って見当つかないよ。
「でも俺がもらうとイザベラさんはどうなるんですか?」
「彼女にも財産は贈与されますよ。遺言書にも明記されていますし、適法に処理されます」
俺は無い頭で考える。帝国ホテルのスイートルームに泊まれる生活。外を見ると日比谷公園が見通せるではないか、まさに王様気分だ。金持ちって素晴らしい。そしてその生活が手に入る。そしてすべてが意のままになる。
「マイケルさん財産は要りません」
マイケルが心底驚いた顔をする。「どうしてです?」
「うーん、なんか違う気がします」
「一緒に旅をした時も思ったが、やっぱり君は変わってるな」伊瀬知が真顔で言う。
「欲と言うものが無いし、希望もない気がした」
「失礼な。希望はありますよ。それだけは見つかった気がします。今回の黄金ハンター騒ぎは、それはそれでよかったんです」
「何も要らないのですか?」マイケルが不思議そうな顔で聞く。
「あ、ひとつだけあります」
「何でしょうか?」
「アメリカ行きの旅費全般を持ってくれますか?それでロバートさんに会いに行きます。俺から話をさせてください」
マイケルは驚いたが、その後に心底うれしそうな顔をして、「そうですか、わかりました。それはこちらからもお願いします。ロバートが喜びます」としんみりと話した。
やはりこの人はロバートの心の友なのだ。
俺は親父の様子をうかがう。親父は当然だろうといった顔をしていた。さすがは俺の親父だ。人間が出来ている。
「父さんそういうわけだから」
親父はうなずく。
マイケルとの打ち合わせを終えて、俺と親父、それと伊瀬知が帝国ホテルを後にする。
親父はエレベータに乗ると、
「真治、俺はこのまま小山に帰るから、あとはよろしくな」とぽつんと言う。
「ああ、ほんとにありがとう」
親父は少し怪訝そうな顔をするが、「気にすることじゃない。当然のことだ」と少し笑顔を見せる。
「うん」
俺は何と言っていいかよくわからない。遺伝学上の父親に会いに行くことに抵抗はあるだろうとは思う。でも俺の親父は親父だけなんだと言いたかった。
エレベータが1階に着いて本館の入り口まで歩いて行く。
親父はここで俺たちとは別行動となる。「真治、またな」それだけ言うとそのまま駅に歩いて行った。
俺たちは駐車場まで歩いて行く。
伊瀬知がぽつんと言う。「君の親父さんはかっこいいな」俺は伊瀬知の顔を見る。「日本人の男はああでなくちゃいかんな」そして車にどんどん歩いて行く。
俺は後ろから追いかけながら言う。
「俺の親父はあの人しかいません」
伊瀬知はうなずく。
「そう言えばあなたの本名はなんて言うんですか?」
伊瀬知は振りかえらないで、「それは秘密だ。エージェントとはそういうものだよ」
「なるほど、じゃあ日系人でもないんですか?」
「どうかな、君に中国人と韓国人の区別はつかないだろう、さらには東南アジアにも日本人のルーツはあるからな。まあそこも謎にしとこう」
「さすが伊瀬知悠ですね」
伊瀬知は初めて振り返ってにやりと笑う。そしてサムアップする。
「もう君と会うことは無いかもしれない。最後に行っておくよ」
俺は伊瀬知の真剣な顔に身構える。
「私も最初は素人だったよ。恥ずかしいぐらいのな・・・。アパートまで送るよ。トップスピードでね」