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黄金ハンター  作者: 春原 恵志
2/7

始動

 人身事故の翌日だったが、予定通り就職試験のある八王子郊外の会社まで出かけた。その会社に人身事故に遭遇したので、面接をお断りしますなどと言えるわけもない。俺はそこまで非常識ではないのだ。

 八王子と言ってもさらに奥、横浜線に乗って数駅先だ。八王子はとにかく広いのがよく分かる。ちなみに俺の住んでいるアパートも八王子市内である。東京都で言えば奥多摩町の次に広いそうだ。186平方キロメートルという広さだそうで、数字で言ってもよくわからないが、まあとにかく広い。

 就職サイトの情報だと、最寄りの駅から歩いて10分とのことだったが、なんだかものすごい坂道が続いていく。実際、八王子の郊外はこういったところが多い。俺のアパート周辺も坂が多くて、ロードレーサーなどの自転車乗りが颯爽と走る姿をよく見かける。

 俺はまず就職試験に向かう際の服装に嫌悪感がある。恐らくはほとんどの学生が同じ思いだと思う。なぜに背広なのだろう、企業側も普通の格好でとは言っているが、普段着で行くとそれこそほとんどの職種でアウトだろう。就職サイトもスーツを勧める。入社後は普段着となる場合も多いのだから、そういった服装でいいと思うのだが、そうではないようだ。特に俺が行くような中小企業だと、スーツ以外はありえない。

 俺は量販店のリクルートスーツのオールシーズンタイプの型落ちを、なおかつ古着屋で買って着ている。体型的には合ってるはずだが、何かのロボスーツでも着ている気がする。俺にとっては背広自体の拘束感が半端ないのだ。

 そのロボスーツを着たまま、10分のところを20分もかかってその工場にたどり着く。普通の学生は10分で行けるのだろうか、俺はすでに息切れしている。間違ってこんな会社に入った日には毎日、こんな坂道を歩かなくてはならなくなるのか、それだけでもぞっとする。さらにこれから面接をしなければならない。まさに拷問だ。

俺は基本的に初対面の人間と話すのが苦手だ。ちょっと対人恐怖症の気もあるのかもしれない。ましてや歳の離れたおっさんたちと、互いに嘘にまみれた話をしなければならないのだ。歩きながら就職サイトや支援センターから言われた、嘘で塗り固めた面接必須事項とタブー事項を再確認していた。

 工場の前に立って灰色の建物を見る。そこは3階建てで一応、鉄筋のようだ。俺の憂鬱な気持ちもあるのだろうが、何か監獄のように見える。

 門を抜けて工場内に入り、入口にあった受付用電話から連絡すると総務課につながった。3階の面接会場まで来るように言われる。

 昨晩の人身事故の後だったが、この会社についても調べてみた。ここは医療機器の部品を作っているとのことだった。作った部品を大手メーカーに卸しているらしい。ホームページを見たのだが、具体的にどういった医療機器なのかはよくわからなかった。なにせ俺は文学部だ。医学部でも無いし、理工学部でもない。

 3階まで行くと、エレベータの前に小太りの男性が待っていた。歳は20代後半だろうか、それなりの笑顔で迎えてくれた。

「長谷川様ですね」

「はい、そうです。よろしくお願いします」

 男は総務課の渡瀬と名乗った。その後、別室に通され、筆記試験をおこなった。

 その後に役員面接とのことだった。さすがにこの時期に俺以外の学生はいないようで、受けに来たのは俺一人だけだった。総務の人間もそれほど俺に期待していないのがわかる。今頃、のこのこ来る学生は何か問題があってこうなっているのだ。渡瀬はその問題が何かを掴もうとしているのがよくわかる。役員面接前に雑談のように色んな話をされるが、どうして今まで決まらなかったのだの、何かやりたいことがあったのか、などといった内情を探りたいオーラが満載だった。

 俺はたまたまうまくいかなかったという差しさわりのない話をする。一応、出版社を希望したが落ちたといった話もした。渡瀬は口には出さないが、身の程知らずめといった目をしていた。

 そして30分程度待たされて、役員面接が始まる。

 大学の支援センターでも面接の心得は指導されるが、むしろ就職斡旋サイトの指導の方がためになる。扉のノックの仕方や椅子への座り方だの色々指導を受けた。しかし俺が思うに問題なのは面接をおこなう会社側だと思う。今回のような中小企業の役員さんは、そういった世間の就職のあり方をまったく理解していない。大手企業はそれなりに採用試験のマニュアルみたいなものがあるようで、さらに従業員も就職サイト側から指導を受けていたりもする。それでタブーな質問や態度は取らないようになっている。実際、大手出版社はそういった対応がしっかりしていた。然るに今日のような中小企業は、そんなことはどこの世界の話だとばかりに、昭和の香り満載で質問してくる。

 今日の面接担当役員もそういった雰囲気だった。おそらく社長、専務と総務部長が面接担当なのだろうが、その3名が俺の前席にいる。

 真ん中が社長なのだろう、白髪頭で中肉中背、仕事が多忙でとても太れないといった容貌だ。隣の専務は結構年配で、どこかの会社から天下りでもしてきたのだろうか、60歳は越えた感じで態度も横柄だった。総務部長は50歳ぐらいだろうか、二人に比べると小物感がにじみ出ている。中小企業の部長で小物感なので雑魚キャラといったことになる。それと先ほどの総務の若者が俺のわきに座っている。彼は議事録担当のようだ。何か一生懸命ノートに書きこんでいる。

 俺が挨拶して着席すると、早速面接が始まる。

 通常、面接時に学生が名乗った後に、面接官も自己紹介をおこなうのが一般的ではある。ところが中小企業では昔ながらの慣例なのか、面接官の素性を明かさない。いきなり質問を始めるのが常である。就職斡旋サイトなどでは、企業側も自己紹介したほうが学生への受けがいいですよと推奨している。

 厚生労働省が面接で聞いてはいけない質問を定義している。それは学生のプライバシーを守ることや、個人情報保護の観点からもそういった取り決めになっているのだ。ところが中小企業ではそういったことはまったく気にしていない。これまでも色々な会社で同じような扱いを受けてきたが、ここでもいきなりそういった質問が始まる。

「長谷川さんはどこ出身なの?」といきなりタブー質問だ。

 就職サイトや大学でも、学生側もそういった厚労省の取り決めにある質問には答えないようにとあるが、実際、学生が面接の場でそれをやれるわけがない。それこそ一気に入る気ないの?といった雰囲気になってしまう。

「栃木県の小山市です」と素直に答える。

「小山ね。なんか遊園地があったよね」また、この反応か、昭和のおっさんはみんなそうだな。

「小山ゆうえんちですね。もう廃園になりました」

「そうなの、遊んだことある?」

 まさに閉口する質問だ。それに何の意味があるのか、馬鹿なのかとも思うが、適当に答える。実際は生まれた頃に閉園したみたいだ。

「ご家族は?」きたー、またもやタブー質問じゃないか。

「えーと、父がいます」次が来るなと身構える。

「お母さんは?」やはりそう来るよな。

「母は私が子供の頃に亡くなりました」

 爺さん連中が少しの同情と数倍の興味を持って聞いてくる。

「ああ、それは大変だったね。ご病気だったの?」

「いえ、交通事故で亡くなりました」

「そうか、それはご愁傷様。あと、ご兄弟はいるのかな?」

 家族構成など聞いてはだめですよ。脇に座っている先ほどの総務の若者を見るが、さすがに彼だけは少しはわかっているようだ。気を揉んでいるのが分かる。でも意見をするわけではない。役員に文句は言えないといったところだろうか、俺は仕方なく答える。

「いえ、私ひとりです」

「そうなの、で、お父さんはどこで働いてるの?」

「栃木県の工場で働いています」

「どこの?」さすがに総務の若者が止める。

「その辺は個人情報ですので話せないようですよ」

「そうなの・・・」実に残念そうに役員が答える。ここまで聞くと個人情報以前の問題なのだが・・・。

 その後もそういった質問が続いて、いよいよ会社側からの要望に近い質問に移る。だいたいどこの会社も同じだ。

「えーと、残業は出来るのかな?」

「はい、大丈夫です」

「うちは法定限度ギリギリに近いかもしれないけど、大丈夫?」

 まあ、中小企業はだいたいそうだ。実際、俺の親父もそうだが36協定などといったものはあるが、それ通りに仕事をしている気配はない。月の残業も多い。タダ働きを含め、休みも出勤するのがざらだった。

「はい」形ばかりで答える。

「人文学科ってどんな事勉強するの?」

「はい、総合的な勉強になります。企業に入って必要な基礎知識は身に付けていると思います」

「えーと、具体的にはどういった知識?」

 まさに直球で答えたくない質問が来た。

「昔で言うと文学部といった内容ですが、文学だけでなく一般教養も身に付けられるような授業内容になっています」

 面接官がきょとんとしている。そうだよな、それじゃあわからないよな、とは思うもののそれ以上は言えない。言えばどんどんボロが出るからだ。どう答えればいいのか悩んでいると、次の質問が来た。

「英語は出来るの?」

 やはり来たか。これも定番の質問だ。「いえ、英語はちょっと得意ではないです」

「大学ではやらなかったの?」

「英文学の翻訳授業はありましたけど、会話まではやってないです」

「そうか、会社に入ってから英語を勉強する気はある?」

 これもよくある質問だ。「はい、その気は有ります」

 ほんとはないけど、形ばかりで答える。実際は英語には拒否反応が出る。それで外国映画もなるべく吹き替え版を見るようにしている。字幕を追っかけていると内容が入らなくなるのだ。

「希望職種はありますか?」総務部長らしき人物が初めて話す。

「はい、出来れば工場内での仕事に就きたいです。外回りや外部との交流はあまり得意ではないので」

 一応、希望は述べる。すると役員二人はさらに困った顔になって、

「営業職は苦手なのかな?」

「そうですね。できれば内勤の仕事が良いです」

 面接官たちの顔がどんどん曇るのがわかる。企業にとっては外回りをしてガッチリ稼いでくれる営業職の生きのいい人材が欲しいのだ。そしていつもの質問が出る。

「もし、営業職になったらどうしますか?」

 この質問も無駄だと思うんだが、マニュアル通りに答える。

「御社の要望に沿いたいと思います」俺の大ウソつき、自己嫌悪に陥りそうだ。

 そういった面接が約30分以上続いて、ようやく終了となった。

 総務の担当者から交通費といくらかの寸志みたいなものをもらって帰宅の途につく。

「合否については数日のうちに追って連絡いたします」

 総務の渡瀬があなたはだめでしたよといった笑顔で見送る。まあ、だめなんだろうな。手ごたえもないし、こっちとしても入りたいというものでもないのだ。負け惜しみではないが、むしろ入りたくない気持ちが満載だ。


 工場からの帰り道。今度は下り坂になるがそれをとぼとぼ歩きながら考える。人間にとって労働とは何なのだろうか。国民の三大義務、教育、労働、納税って国にとっては必要かもしれないが、俺にはよくわからない。できればぶらぶらしていたいし、引きこもりたい。恐らく相当数の国民がそういった思いを持っていると思う。だが、働かないとならないのはなぜだ。本来の欲望に抗う形で労働に勤しんでいるのだ。安易に犯罪に手を染める気はないが、そういった行動にでる若者については少し同情する面もある。やつらも楽して生きていたいんだ。

 先ほど面接で話の出た親父のことを考える。まさに彼は三大義務を遂行して生きてきた。

 俺が生まれたのは東京だったそうだ。都内のどこかで親父と母親が結婚して俺が生まれた。最初は順調だったらしいが、母は俺が3歳の頃に事故死してしまった。幹線道路で赤信号を渡ったそうで、大型トラックに轢かれたそうだ。よほど疲れていたのだろうか。

 それもあって親父やばあちゃんからは、道路の横断には注意を払うように人一倍言われ続けてきた。

 俺に母親の記憶は全くない。かろうじてどこかのアパートだったか、俺が火の不始末かなんかをして、母が大慌てだったような微かな記憶があるような気がする。まあ、基本的には記憶にないのだ。母の写真は数枚残っている。どこか子供のようなかわいらしい女性で俺の肉親とは思えないほどだ。

 その後、親父は故郷の栃木に戻って、親父の母親、つまりは俺のばあちゃんと暮らすことになった。その頃、すでに祖父は亡くなっていた。俺にとっては祖母が母親代わりだったのかもしれない。ただ、そのばあちゃんも俺が小学5年生の時に亡くなっている。病死だった。ばあちゃんの死は俺にとって相当な衝撃だった。親父は仕事で帰りが遅く、ばあちゃんが俺の面倒を見てくれていたのだ。そういった身近な人間が突然、いなくなるショックたるや、地球の底が抜けたような喪失感があった。

 それからは親父が母親代わりも兼任したと思う。とにかく親父は忙しく、仕事や家事に明け暮れていた。よく俺と心中しなかったとも思う。相当に大変だったはずだ。あの頃はそんなこともわからず、不登校だの、引きこもりだのをやっていて、親父には苦労をかけた。

 とにかく親父は俺の肉親とは思えないほど、我慢強いのだ。仕事もそうだが、子育てだって必死でこなしてきて、俺を大学まで行かせてくれた。この歳になってようやく少しはその大変さが分かる気がする。とても俺には真似ができない。昭和の男子の心意気といったものを感じる。よって親父には尊敬しかない。そんな親父に報いたい気持ちだけで就職するふりをしている。少しでも楽をさせたいとは思っている。思ってはいるが行動が伴わないのだ。まったく困ったものだ。

 さらに、俺はあの人身事故以降どうも調子が出ない。目の前での事故である。目撃もしたし、その時の音や匂いまでもが鮮明に思いだされる。しばらくはトラウマになるだろう。

 事故の後だったが、今村から頼まれていた小説については、その日の夜に彼女に送った。あれから三日近く経つが、返事はない。読む時間がないのか、それともやはり批評にも値しない作品だったのだろうか・・・。

 

 黄金、有史以来人類は金に魅せられてきた。

 メソポタミアの時代、実に紀元前6000年頃より金の存在が記録されている。古代人にとってもあの輝きは魅力的に映ったのだろう。そして中世ヨーロッパでは錬金術なるものが実しやかに言われ、なんとかして金を作り出せないかと人間たちは悪戦苦闘する。それが後の人類の科学の発展にも大きく貢献することとなる。さらには大航海時代、新たな金を求め人類は大海から未知の大陸に航海していく。そしてアメリカ大陸ではゴールドラッシュが起きる。金は人類の発展にとてつもなく貢献している。

 人がこれほどまでに黄金に魅了される理由は何なのだろうか、単なる光り輝く鉱石でしかない金に、これほどまでに執着するのは何故なのだろうか、そして現在になっても金の価格は上がり続け、いまや1グラムでも大金となる時代になってきている。

 世界各地には埋蔵金伝説があり、いまもそれらを発掘しようとする人々が後を絶たない。さらに日本にも埋蔵金伝説が残されている。有名なものは徳川埋蔵金、結城家埋蔵金、豊臣埋蔵金である。これらを称して三大埋蔵金伝説と呼ぶ。

 この物語はその三大埋蔵金を手にしようと活躍する(黄金ハンター)伊瀬知悠いせち ゆうを描く。

 とまあ、これが俺の小説黄金ハンターの冒頭部分である。

 黄金ハンターと称する伊瀬知悠なる女性が日本三大埋蔵金を発掘していくのだ。伊瀬知悠は図抜けた身体能力を持って、あらゆる格闘技に精通している。割と小柄な女性でありかわいらしい容姿をしている。その伊瀬知の相方としていわゆるワトソン役だが大学生が出てくる。これは実は自分をモデルにしている。こいつが伊瀬知と埋蔵金の謎を解いていくのだ。

 話はこの大学生が三大埋蔵金の謎を解くことから始まる。なんとその埋蔵場所を特定できたのだ。それを伊瀬知悠が聞きつけて二人で発掘の旅に向かっていく。さらに世界には黄金を求め暗躍する組織があり、それらが主人公たちを妨害する。伊瀬知悠と大学生の大活躍物語である。

 こういった話で新人賞は落ち、投稿サイトの評価も最低に近かった。それでも希望文庫が出版したいと言ってきたのだった。


 就職試験翌日、俺は卒業の単位は足りているのだが、担当の青山教授が受け持つ一教科の講義だけは受けていた。本日は午前中にその授業があるので大学に出かけた。

 いまや卒論も終わり、週に1回しか通学していない。元々クラブ活動もやっていないのでほとんど行く意味がない。

 ちょうどスマホに連絡が入っていた。今村からで小説の話をしたいとのこと、なんでもメールでは話づらいそうだ。いったい、何事なのか、恐らく批判が多々あるのだろう、話しづらいという気持ちもわかる。授業が終わってから大学のカフェテラスで会うことになった。

 うちの大学は建物にはとにかく気を使っている。早い話が見栄っ張りなのだ。カフェテリアもどこかの有名な建築家に依頼したそうで、多摩地区の広大な土地を有効に使うためか、カフェも壮大で近未来的な建造物となっていた。外周はすべてガラス張りとなっており、当然、周囲は緑に囲まれて、ここは軽井沢なのかといった避暑地の趣がある。

 そのカフェの入口にあまり似つかわしくない俺が立つ。店内を見回すと窓際の席に後光が差すかのように今村澪が座っていた。なんとその今村が俺に手を振ってくれているではないか。こっちも振り返す。まるで何かのCMだ。男役は役不足だが、まさに夢のようだ。

 急いで彼女のテーブルまで走る。

「待ちましたか?」

「大丈夫、今来たところ」近くで見ると増々神々しい。まるで美術館に飾ってある彫刻のような美しさである。美術品として鑑賞したい気持ちになるって俺は変態か・・・。

 今村が言う「わざわざ呼び出すみたいなことしてごめんね」

「え、大丈夫だよ。授業もあったし」小説の評価も聞きたかったというのは胸に収めた。何か催促しているようで気が引けたのだ。

「それで長谷川君の小説なんだけど・・・」少し話しにくそうにしている。やはりひどかったのか。

 今村はそういいながら自分のバッグから紙の束を出してくる。俺の小説だ。印刷して読んでくれたのか、何か申し訳ない気がしてくる。

「小説自体は面白いと思ったんだけど・・・」だけどの後に何かつくんだな。

「長谷川君は小説の勉強ってどうしたの?」

「え、勉強?どういうこと?」

「うん、小説教室とかに通ったりした?」

「ああ、そういう意味ならどこにも行ってない。まったくの我流なんだ」

「そうなんだ。なるほど。じゃあ敢えて言うけど、小説にはルールってあるのよ」

「小説のルール?」

「そう、申し訳ないけど、長谷川君の小説にはそれが無いのよ」

 いきなり何の話なんだろう、小説に法則があるのか?物理もそうだが、法則と名の付くものは昔から苦手だ。俺は途方にくれる。

「まず行頭は一文字開ける」

「行頭?」

「そう、文章が始まるところ、そこは下げて書く。市販の小説を見ればわかるけど、文章の最初の始まりは一文字下げて書きだすでしょ」

「あ、そうなのか、俺は勝手に編集側で下げてくれるのかと思ってた」

「それはないよ。今の新人賞なんかもそれこそ何百何千と送られてくるでしょ。まずはそういった基本ルールに則ってない小説はそれで落とされる」

「まじ?」

「そうだよ。基本を知らないってことだからね。読むに値しないってこと。こいつ何も知らないんだってなる。そうじゃないとしても低くは見られるよね」

「そうなんだ」俺は青くなる。まったく意識していなかった。

「次に文章終わりに句点が入るのは当然なんだけど、会話の閉じカッコの前には句点は付けない」

「あ、そうなのか」俺は自分が持っていた文庫本を見る。たしかにそうなっているのがわかる。今まで気が付かなかった。

「ほんとだ。でもなんでだろう?」

「理由は知らないけど、それがルールみたい」

「そうか」

「あと文章自体はいいんだけど、あえて言うなら登場人物の視点が分かりづらい」

「えーと、どういうこと?」

「主人公視点で書かれている文章なのに突然、わき役の思いが独白されたりするでしょ。作者はそれがわかってるんだけど、読み手には何がなんだかわからなくなるのよ。明らかに視点が変わるんなら、そういった人物描写があってから進めないと読者は面食らう」

「そうか、なんかよくわかった。すごいね。今村さんは」

「教室に通ったこともあるから、基本は抑えたの。でも私には才能は無かった。長谷川君の小説は基本ルールを抜きにすれば面白いと思った。文章自体は読みやすいし、変な修飾語もないからそれはいいと思う」

「そう、素直にうれしいよ」単に難しい語彙が使えないだけなのだが・・・。

「この中に出てくる黄金ハンターの伊瀬知悠ってモデルがいるの?」

 その話で今村が本当に読んでくれたことがわかる。

「いや、まったくの創作なんだ。あえていうならララクロフトかな」

「トゥームレイダーのララクロフトね。じゃあアンジェリーナジョリー?」

「ああ、イメージだけだから、アンジェリーナジョリーとは違う。小柄で爆発的な日本人」

「そうか、でもこの女性は魅力的だね。かっこよくていい感じ」

「そうか、ありがとう素直にうれしいよ」

「主人公の大学生は長谷川君をイメージしたの?」

「いや、それは全然違うよ。あんなにかっこよくない。モデルは特にいないんだ」

 俺は嘘を言う。だってほんとにあそこまでかっこよくない。

「そうか、でも二人の会話はいいね。生き生きしてる」

 あまりの誉め言葉に胸が熱くなる。書いてよかった。

「でも、そうなると気になるのは希望文庫の話だよ。編集がさっき言った小説のルールについて言及しないのはおかしいよ。まずは基本を指摘するだろうし、私が言ったような話は絶対すると思うよ」

「そうか、そうだよね」

「やっぱり何かあるのかもしれないね」

「詐欺なのかな」

「でもその後は何も言われてないんでしょ」

「うん、それどころか、梨のつぶてなんだ」

「これから何かあるのかな?」

「そうかな、でも俺はそろそろ諦めてる。いつまでも期待してもしょうがないもん」

「そうか、でも、もしそんな冷やかしみたいなことだったら、許せないね」

「うん、それはそうだけど」

「長谷川君はこの小説で何作目なの?」

「これは6作目かな」

「新人賞に応募したのも6作目なの?」

「いや、応募したのは3作」

「そうなんだ。じゃあまだまだ諦めるのは早い気がする。これもいい作品だと思ったし、がんばればもっと良くなる気がするな」

「そうかな。俺に才能あるのかな」

「今、デビューしている作家も新人賞からスタートしている人が多いでしょ。一発で受賞している人もいるけど、何回も落ちてる人の方が多いと思うよ。西村京太郎だって数回落っこちてるから」

「へー、あれだけの作家でもそうなんだ」

「そうだよ。あきらめないで書き続けたほうがいい」

「でもアイデアも枯渇するし、ポンポン出てこないんだ」

「それは当たり前だよ。ああ、作家も何度か同じネタを書き直すことがあるみたいだよ。長谷川君も気に入ったテーマだったら書き直してみればいいんだよ」

「でも、出版側で同じものを送っても駄目だ、みたいなことも書いてあるよ」

「つまらなければね。でも自分でこれは面白いと思うんだったら、書き直すことはいいと思うよ。本人の練習にもなるしね」

「そうか」なんか今村さんはすごいと思った。ここまで俺に書く意欲を与えてくれるなんて、彼女は編集者としても適任じゃないかと思う。

「今村さんにそう言われるとやる気になるよ。ありがとう」

「そう、それはよかった」

 宴会の時の話ではないけど、いつかは今村さんが編集者で俺が作家みたいな関係になれれば本当に夢のようだ。まあ、ほとんど望みがない夢だけど。

「話は変わるけど、ゼミの打ち上げの後、人身事故にあったんだよ」

「ああ、あの夜?そういえば事故があったような気がするね。でも人身って下手すれば毎日のように起きてるから」

「確かにそうだね。でも俺の目の前で起きたんだよ。あれにはびっくりした」

「そうなの、それは災難だったね」

「あまりいい経験じゃなかったけど」

 今村さんがスマホを見る。「ああ、私、次の授業があるから行くね」

「うん、色々ありがとうね」

「頑張ってね。また、良い小説が書けたら見せてね」

 そういって女神が去っていく。なんか今村さんのために次の小説を書く意欲が俄然わいてきた。なるほど、なんとなくこうやって古今東西の男どもはやる気を起こしてきたんだろうな、俺は漠然とそう思った。


 今村と別れて、今日はスーパーのバイトもないので、さてどうしたものかとキャンパスを歩く。

 今週末には就職紹介サイトから勧められた次の会社の面接を受けることになっていた。先方に電話を入れたが会社側も期待薄と言った印象だった。大学名と学部を言ったら、来るだけ来てくださいみたいな雰囲気が丸わかりだった。まあ、こっちも行きたいところでもないし、こうなると何か狐とタヌキの化かしあいのようで増々気乗りしない。土台、就職試験とはそういったところが多々ある。いかにして自分の主張を繕うか、会社側の本当の希望を隠していくか、互いの本音を隠しながら就職サイトのお手本通りに進めていくのだ。間違っても本音で御社に入る気がないとか、楽して一生暮らしたいなどとは言ってはいけない。たとえ、休みが多くて気に入った会社だとしても、そんなことを露ほども出してはだめなのだ。会社側も入ったらこき使うぞ、残業多いぞ、メンタル病むかもなどとは口が裂けても言ってはいけないのだ。

 ああ、やだやだ、そう思いながら歩いていると、突然、後ろから呼び止められる。

「長谷川真治さん?」

 俺は振り返って目を疑った。

 なんとそこには俺の小説の主人公がいた。いや、そんなはずはないがそう見える。さっき今村が持っていた小説(黄金ハンター)の主人公、伊瀬知悠その人がいたのだ。

 黄金ハンターは三大埋蔵金の秘密に気が付いた大学生の男に、黄金ハンターである伊瀬知が絡んで宝探しをする物語だ。

 その伊瀬知は28歳のスポーツ万能な女性で、基本はトゥームレイダーのララクロフトを日本人にした、かわいらしいがたくましい女性だ。

 伊瀬知の衣装は黄色のトレーニングウェアに肩と脇、さらにはパンツに黒いラインが入っている。目の前の女性はその衣装のままである。ちなみにこの衣装は伊瀬知が会得している格闘技ジークンドーから来ている。ジークンドーの始祖は映画俳優でもあるブルースリーだ。彼は格闘家としてもその名を知られており、その彼が究極の格闘技として発展させたのがジークンドーだ。映画(死亡遊戯)で彼が来ていた黄色のトレーニングウェアが今、伊瀬知が着ているものだ。

 その伊瀬知が俺の目の前にいて、俺を呼び止めたのだ。呆気に取られて彼女を見る。

「なんか、君ずいぶん、にこにこして歩いてたね」

「え、そうですか」と間抜けな答えをして我に返る。「あの、何か御用ですか?」

「ああ、そうだ。用があるから呼び止めた」こうして彼女の声を聴くと増々俺のイメージの伊瀬知である。

「立ち話もなんだから、食堂でも行くか?飯は食ったのか?」

 伊瀬知にそう言われて食べてないことに気が付く。今村さんとの夢のような逢瀬で食事を忘れていた。

「まだです」

 伊瀬知は俺の答えを聞く前にどんどん食堂の方に進んでいった。彼女の後姿を見て気が付いた、何故か巨大な山岳用のリュックサックを背負っている。これから山登りでもするのだろうか。

 俺は彼女を追いかけ、

「えーと、食堂の場所はわかるんですか?ここの学生ですか?」

「食堂は調べた。学生じゃない」

 振り返りもせずにそれだけ言うと、とにかくどんどん進んでいく。ちなみに食堂はカフェテリアとは違う棟にある。彼女はここの学生でもないのに迷いなくそこに向かって進んでいく。聞きたいことは山ほどあるが、彼女が言うように食べながらということなのだろう。こういった強引なところも伊瀬知悠そのものだ。

 食堂は学生会館の地下にある。

 学生会館はクラブの部室や体育館などもある複合施設で、その地下1階のすべてが食堂になっている。ちなみに星天大学は総合大学で理工系の学部もあり、生徒数は8000人を超える。大学周辺には定食屋などもあるが料金も含め、学食の利用がベストと言える。特に俺のような貧乏学生には学食一択である。

 伊瀬知は本日のランチ、フライ定食とサイドメニューの焼き鳥丼を取っていた。はっきりいってけっこうなボリュームだ。およそ女性の食事ではない。ここの食堂では学生は学生証にICカードが付いており、自動で決済されるが、外部の人間用には現金購入も可能となっている。今は13時過ぎなので食堂も人数はまばらだ。

 伊瀬知が適当なテーブルに食事を置いて座る。俺は彼女の向かいに座る。

 彼女は早速食事を?張りながら話し出す。

「君が言いたいことは、私が何者かってことだろう?」

「そうです」まさに聞きたいことを一発で言ってくれて助かる。

「伊瀬知悠だ」

 俺はびっくりする。「え、なんでその名前を知ってるんですか?」

「まあ、君も食事をしなさい。しかし、君はそんなもので足りるのか?」

 ちなみにおれはきつねうどんに生卵を付けている。

「いつもこんなもんです。あんまりお腹もすいてないし」口が裂けても貧乏だからとは言えない。

「しかしまあ、その若さでじじむさい食事だな。私が君の年頃だったころはもっと食べたぞ」

 もっと食べたって、今だってあなたは相当食べてますよ、とは言わずに俺は頷きながらうどんを啜る。基本、こういった麺類で済ますことが多い。

 伊瀬知は床に置いた彼女のリュックサックから紙の束を出してくる。それを見て俺はハッとする。

「あ、俺の小説」

「そうだ。君の小説(黄金ハンター)だ。ネーミングもださださだな」

 俺は原稿を見る。これは投稿サイトに出した古いものだ。今村に渡した修正版ではない。

「しかしまあ、これはひどいな。およそ小説などと呼べる代物じゃない。サイトでも最低人気だっただろ」

 まさに図星だ。「はあ、まあそんな感じでした」

「これを出版したいなどとあり得ると思うか?」

「なんで知ってるんですか?あなたは何者ですか?」

「私は黄金ハンターだよ。君の言うところのね。まあ、宝探しを趣味にしている」

「まじですか?」

「まじだ。この稚拙な小説にもあるように埋蔵金を発掘してみろ、一生困らない金になる」

「そりゃそうですけど、そんなものあるんですか?」

「君がそれを言うか・・・私はそれで稼いでいる」

 俺は彼女はひょっとすると頭のおかしい人かもしれないと思い出した。

「まあ、そんなことより最近、君の周りでおかしなことが連続して起きてるだろう?」

「ああ、そうなんです」

「まず、どこかの出版社がこの小説を出版したいと言ってきた」

「はい、そうです」なぜ、それを知っているのか。

「それに尾行されているような気がしている」それも図星だ。俺はうなずく。

「さらについ先日、人身事故を見た」

「そうです。なんでそんなことまで知ってるんですか?」

「すべてはこの稚拙な小説から始まってるんだ」

 稚拙稚拙と何度も言われるといい気はしない。

「この小説がそうしたんですか?」

「うむ」伊瀬知は早食いでもう食べ終わっていた。俺はまだ半分も終わっていない。

「実はこの小説の内容が真実を言い当てているんだよ。驚くことにな。しかし、君はこれをどうやって書いたんだ」

「いや、どうやってって適当にネットで情報を漁って、面白おかしく書いたんですけど」

「面白おかしくはない気がするが、ということはたまたま言い当ててしまったということか・・・」

「えーと、どこが当たったんですか? この小説には3つの埋蔵金探しを書いたんですけど」

「そうだな。私もどれが当たったのかまでは知らない。ただ、日本だけではない、世界の黄金ハンターたちがこの埋蔵金探しを行っていたということだ。そしてこの小説のことを知ったものがいたのだ。サイトでも最低ランクで誰も見ていないと思った小説をだな」

 なんか、けなされているようで妙に落ち込んでくる。

「黄金ハンター達はそれなりのネットワークを持っている。私もその一員だが、こういった情報はすぐに流れていく」

「はあ、そうなんですか」

「この小説の中身は事実なんだよ」

「まじですか?」

「まじ、それでまずは小説の公開を阻止すべく、偽の出版社が君に接触したわけだ」

「希望文庫ですか」

 伊瀬知は含み笑いをして、

「大体、そんな出版社聞いたことあるか、ネーミングもダサいし、ありえないだろう」

「まあ、そんな気はしてました」

「普通は気が付くな」少しはフォローしてくれ。

「組織として小説の公開は阻止した。しかし、内容を知ってるやつがいる。つまりは作者である君だ」

「はあ」

「黄金ハンターの中には組織犯罪に手を染めている輩もいるわけだ」

「そうなんですか?」

「そうだ。そいつらが次の行動に移っている」

「次の行動って?」

「作者の抹殺だ」

「え、まじ」

「まじ、先日の人身事故が単なる自殺だとでも思ったのか?」

「違うんですか?」

「そんなわけあるか、あれは君を突き落とそうとしたんだよ」

「うそでしょ」

「うそなもんか、私が君を引っ張ってなければあそこで死んでいた」

 え、じゃあやはり俺を引き倒した人間がいたのか、それが伊瀬知とは。

「君を落とそうとした犯人は、目標を失ってそのまま落下したというわけだ」

 にわかには信じられないが、そう言われると人身事故の中身が見えてきた。なぜ、俺の目の前で自殺などしたのか、そういったことだったのかもしれない。へたをすると俺が突き飛ばされて死んでいたわけだ。

「じゃあ、やっぱり俺のことを尾行していた人間がいるんですね」

「そうだ。今もいないとは限らない。まあ私がいるから近くには寄ってこないだろうがね」

「えーと、あなたは伊瀬知悠ということですが、中身は違うんですよね」

「中身って何だ?」

「ですから、小説の伊瀬知は黄金ハンターでありながら、凄腕の探偵だったりするんです」

「ふむ、君の言いたいことはこれかな」

 伊瀬知はリュックの中身を俺にチラ見せする。俺はぎょっとなる。小説の伊瀬知は自動拳銃のグロック26を持ち歩いている。そして彼女のリュックの中にはそれがあった。

「モデルガン?」

「そんなわけあるか、モノホン」

「うそでしょ!」

「大きな声を出すな。いいか、君の書いた伊瀬知悠が、名前も含めて偶然にも私と一致しているんだ。埋蔵金と言い、探偵業と言い、君に何か超能力でもあるのかといいたいぐらいだ」

「つまり、あなたは28歳独身で世界を股にかける探偵兼黄金ハンターなんですね」

「そうだ。歳は言うな。あとスリーサイズもやめろ」

「いや、それは書いてないです。身長は158㎝です」

「ずばりだな。体重もやめろよ」

 それも当ってるのか、58㎏だけど、しかし、なぜ、こんなことが起きたのか不思議でしょうがない。俺の書いた小説が現実になったということなのか。

「すると黄金ハンターで書いた暗躍する組織もあるってことですか?」

「そうだ。埋蔵金を探している世界的な組織がいる」

 まじか、信じられない。適当に書いた小説がそのまま実現しているとは。

「じゃあ、俺の命が狙われてるってこと?」

「何度も言わせるな。そうだ」

「それで伊瀬知さんは何をするんです。俺を助けてくれるんですか?」

「すでに助けただろ、まあ、君には黄金ハンターとしての私の埋蔵金を探す手助けをしてほしい」

「手助けって・・・」

「いいか、この稚拙な小説では全貌がはっきりしていないだろ、ところどころ意味不明な記述があるし、何かわけがわからない部分がある」

 すいませんね。それは俺に文章力が無いということですね。

「だから、これから本当に埋蔵金を探しに行く。その際に君の助言をくれ」

「つまりはこれからこの小説通りに宝探しをするということですね」

「そうだ。まあよろしく頼む。ああ、それから見つかった埋蔵金は私のものだからな。君の旅費とボディガード代金は無料にしてやる」

 まあ、本当に埋蔵金があるとは思えないのでその提案で構わないが、何か腑に落ちない気もする。なぜ、小説通りに物事が運ぶんだろう。どういうわけだ。

「長谷川、それで早速、宝探しに出かけたいんだが、君の予定はどうなっている?」

「ああ、今週は就職試験があって無理です。とにかく早く就職先を見つけないと」

「はあ?埋蔵金が見つかったら仕事なんかする必要ないだろ。君、知ってるのか、結城家の埋蔵金だけでも380トンはあるぞ、徳川家は72トン、豊臣秀吉はさらに多い。勤め人でどんなに稼いでも、まあ一生かかって3億円はいかないだろ、就職なんてする意味ない」

 トンって言われても、金の値段はうなぎのぼりだから金額がよくわからない。確かにそれだけあれば一生楽は出来るとは思う。

「いや、伊瀬知さん、あなたは俺に埋蔵金は渡さないって言いましたよ。それにそんな眉唾な話を真に受けられません」

「黄金ハンターを甘く見ないほうがいい。みんながこの小説にある埋蔵金の存在を確信しているんだ。さっきの分担の話は言葉の綾だ。金塊20兆円が手に入ったら2億円ぐらいはやるさ」

 何か、この人言うことがせこい気がする。

「期間としても約1カ月ぐらいだ。それぐらい就職試験が遅れても構わんだろう。どうせ、結果的には大した違いにならない。最悪、今のバイトを延長すればいいだろう、確かスーパーマーケット勤務だったよな」

「よく知ってますね。わかりました。じゃあ期間は2週間にしてください。それで埋蔵金探しは終了です」

「いいだろう、それでいこう、じゃあ、早速出かけるか」

「ちょっと待ってください。きょう一杯時間をください。諸々準備させてください。明日からの出発としましょう」

「よし、じゃあ明日の朝の出発にするからな。私が君のアパートまで迎えにいく。朝一だからしっかり起きておくようにな」

「わかりました」

 伊瀬知のまったくもって訳の分からない話だが、本当にそんなことがないとも言えない気がして了承してしまった。まあ、ひょっとすると一生遊んで暮らせるお金が入るかもしれないのだ。引きこもりの願望を叶えられるなら、2週間程度のロスもいいだろう。


 俺はそのまま自分のアパートに戻り、旅行の準備にかかる。

 ちなみに俺のアパートは格安物件で最寄りの駅からも遠い。元々、この周辺は多摩地方の相場から言っても家賃が安いそうだが、それよりもさらに安いものを見つけて借りている。なにせ学費は親から出してもらったが、それ以外はすべて自分で賄っているのだ。今時、珍しい貧乏学生だ。栃木の中小企業の塗装工場で働いている親父が、本人曰く血のにじむような思いをして学費を捻出してくれたのだ。それ以上、仕送りだのなんだのを頼むと下手をすると家から通えと言われそうだった。

 それもあって2万円弱という格安アパートに住んでいる。ひょっとすると事故物件なのかもしれない。借りる時に不動産屋が意味深な笑顔を見せていた。駅から20分山の方に歩くのだが、ああ、実際ここら辺は山しかないけど、たまに霊感の鋭い人間が俺の部屋に来ると、息が詰まるようだった。

 まずは就職斡旋サイトに、今週末の面接は都合が悪くなった旨を連絡した。サイト側も気乗りがしないのかなどと深く勘ぐったりはしない。この時期は学生側からのそういった対応も増えるらしい。つまりは日常茶飯事ということか。

 旅行の準備と言っても下着類と着替えのTシャツを数枚、リュックに入れるだけなのだが、後は持って行くものとしてスマホと少しの現金しかないのだ。そろそろ親父が帰宅しているだろう時間になったので、状況報告を兼ねて実家に電話連絡する。

「それで明日から就職試験でしばらく不在になるから」

『そうか、大変だな。どこまで行くんだ』

「うん、関西方面」方面なのだから場所について嘘は言ってない。

『何とか決まればいいな。がんばれよ』

「うん、それで親父はどうだ?何か問題ないか?」

『大丈夫だ。なんとかやってる』

「歳なんだから無理するなよ」

『そうか、うちの会社じゃ若手のほうだぞ』

 いやいや60歳で若手ってどんな会社だよ。それもまんざら嘘でもないようで恐ろしくなる。今や日本の中小企業は人集めに苦労している。特に親父の行ってるような塗装工場だと若者は敬遠する。有機溶剤を扱っての健康被害だとか、塗装現場の環境も夏は暑く、冬は寒い、早い話が空調などはあってないようなものだ。外国人労働者も多いらしいが、それでも長続きしないそうだ。

「じゃあ、また連絡する」

 実際、親父には感謝しかない。男手ひとつでここまで俺を育ててくれた。若い頃は生まれてきたくなかったとか不平不満を言い、親父を泣かせたこともあった。親父が俺にかけた無償の愛情が億劫に感じたこともある。それでも何とかここまで成長したのだ。少しでも恩返しをしたいとは思う。でも言った事は無いし、基本、楽して生きたいとどこかで思ってしまっている。本心である引きこもりを目指しているなどとは、口が裂けても言えない。そういった意味でも埋蔵金発掘は魅力的な話になる。親父を楽にさせてやることもできるし、俺は引きこもり生活が出来る。

 そもそも、埋蔵金の小説を思いついたのも一攫千金を考えてのことだ。もし、そういった埋蔵金を見つけることが出来れば、一生楽して暮らせるといった思考から発想した。

 また、こういうことを考えている人間は世間には結構多い。たまにテレビでも埋蔵金発掘特集をするが、黄金や埋蔵金にはそういった魅力があるのだ。小判が大量に入った千両箱が見つかるなどといったことが本当に起きれば、世間では核爆弾が投下されたぐらいの驚きになるだろう。それぐらいインパクトは大きい。人間は欲の塊で、海外でも宝くじが当たって億万長者誕生などといった報道がよくある。貧乏な大家族がなけなしの小遣を使ってたまたま買ったら、それがとんでもない金額になったなどといった放送だ。日本でも年末ジャンボなどといった宝くじ報道は必ずある。ここの売り場は大当たりが良く出るだとか、そういった報道だ。よく出るにしても天文学的数値なのだが・・・。基本はみんな一攫千金の夢を持っているのだ。

 そういった夢のような話を作り出すために、日本三大埋蔵金について適当に調べ、有体な推理と解釈を加え、安易な黄金ハンターが活躍する話をでっち上げた。個人的にはそういった読み手の需要もあるだろうと目論んだのだ。インディジョーンズシリーズやロマンシングストーン、ハムナプトラもそういった宝探しの映画で人気がある。

 それなりに出来た話になったと思ったが、伊瀬知が言うように稚拙な文章で新人賞でもネットでもこの体たらくだったわけだ。

 それにしてもあの話が事実だとは驚いた。確かにそれなりに信ぴょう性が無いとつまらないと思い、新たな謎解きをでっち上げたのだが、まさかその通りだったとは・・・、とここで気が付いた。もし、そうだとしたら読んだ人間は俺の小説通りに埋蔵金を発掘すればいい話ではないか、なぜ、それをしないで小説の公開を停止させたり、はたまた俺の命を奪おうとするのだろうか、伊瀬知の言うように俺の稚拙な小説では明らかになっていないものがあるとすれば、俺を殺したらそれがわからなくなってしまうではないか、何か話の辻褄があっていない。どういうことなのだろう、旅行の準備もひとまず止めて、そんな考えに耽る。

 するとおれのスマホが鳴る。相手は臼井だ。

「何だ?」

『まさかと思うが、うわさを聞いた』

「何の?」

『カフェテリアで今村とお茶してなかったか?』

「ああ、その話か、したよ」

『はあ?いったい、どういうことだ。どうしてお前と今村がお茶するような仲になるんだ』

「どういう仲ってそんな関係じゃないぞ。この前、彼女に俺が書いた小説の話をしたんだよ」

『嘘つけ。お前にそんな趣味があるもんか』

「いや、この前の打ち上げでも話しただろ、似非出版社の詐欺事件」

『いや、初耳だ』

 こいつはあの時すでに酔いつぶれていたのか。

「まあいいや、とにかく俺は小説を書くのが趣味と言えば趣味なんだ」

『そんな話、初めて聞いたぞ』

「まあ、あえて言わなかった。なんか恥ずかしいし、わざわざ言う話でもないだろう」

 しかし、臼井の言うことはおかしい気がする。俺たちは3流大学とはいえ、文学部所属だぞ、普通小説ぐらい書いてみようと思うだろ。

『それでどうして今村とお茶することになったんだ』

「彼女が俺が書いた小説を読んでみたいって言うんで見せたんだよ。その批評を聞いただけだよ」

『それだけか?』

「そうだよ。正確に言うとお茶も飲んでない。ただ会っただけ」

『ふーん、なんだそういうことか、で、彼女はなんだって?』

「色々指摘を受けたよ。やっぱり出版社に内定をもらうだけあるな。的確に俺の小説の問題点を言ってくれたよ」

『なるほど、そういうことか、じゃあ、俺も書いてみるかな・・・ああ、あと、それから学食で美女と食事してなかったか?』

 こいつは探偵でも雇ってるのか、どこからそんなくだらない情報を取ってくるのか・・・。

「ああ、それか、彼女は関係ないんだ。なんか俺に聞きたいことがあるって言って話をしただけだ。学生じゃない社会人だよ」この表現が正しいのかはよくわからないが、黄金ハンターは社会人だろう。

『何だ、その女が聞きたいことって?』

「まあ就職がらみの話だよ」

『ああ、就職サイトの人間か、じゃあ俺にも紹介して欲しいな』

「お前はもう内定貰ってるだろ」

『それはそれだ』まったくこいつは何を言ってるのか。

「じゃあ彼女に話はしてみる。それでいいか?」

『絶対だぞ』

「ああ、それから俺は明日から関西の方に出かけてくる。向こうで面接だ」

『ほー、関西か、それはいいような悪いような、旅費は出るんだろ?』

「まあな」ほんとは出ないけど、適当に話を合わせる。

「2週間ぐらいは不在になるから、よろしくな」

『結構長いな。なんかおみあげよろしく』

「了解、じゃあな」

 臼井はいいやつなんだが、欲深さがはんぱない。黄金ハンター騒ぎなど聞きつけた日には俺も参加させろと大騒ぎになるだろう

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