サーバールーム:二階
振り返った先にいたのは、佐々山先輩だった。
俺は笑顔を作ってみせた。
「どうした?」
「いえ、別に」
「何か隠しているとか」
佐々山先輩の声に、俺は完全にビビってしまっていた。
笑い顔を続けてはいたが、後退りしてしまう。
「何も」
「聞こえたんだがな」
どこかから聞いていた? 『隠してますよね!』と言ったことだろうか、それとももっと前の『石化皮膚症』のところだろうか。
いや、こっちから聞き返すのはまずい。
「な、何がですか?」
佐々山先輩は目を細めて、疑っている様子だった。
「何もないなら、仕事しろよ」
「あ、ああそうですね。勤務時間中でした」
「どうした? 勤務時間中なんだから、こっちきて座れよ」
先輩の手が届く範囲には行きたくない。
「何か調べてたな」
「!」
ひたすら笑い、誤魔化そうとした。
「笑っても無駄だ。保管庫の鍵、閉め忘れていたぜ」
そう言うなり、今度は佐々山先輩が笑った。
「疑いをかけたわけだ。こんなにレイド障害が起こるわけがない、って」
俺が開いていたノートPCに、佐々山先輩が指を走らせる。
幾度かエンターキーを押した後、俺の方に顔を向けた。
「なら、もっと早く逃げておくべきだったな」
「す、スクリプトなら、証拠としてコピーを取りましたから。内容もほぼ分かった。時間になるとスクリプトが起動し、管理システム側のDBにレイドディスクの異常を書き込む。そして管理システム自体を再起動させるんだ。本来、起動中の管理システムはサーバーから通信でレイドの異常を受けるんだが、管理システムの再起動時は、DBに入っている未復旧の異常を表示する。突然レイドの異常が多発したのはそのためだ」
「けど、実際にサーバーを回った時にLEDが赤点灯してたろう」
後ろに下がりながら、俺は言う。
「実機のLEDを点灯させる方が簡単ですよ。各サーバーにLEDテスト信号を送ればいいんだから。おそらく、そのスクリプトもノートの中に残っているはずです」
「鈴井、勉強したんだな。今日でいなくなるには惜しい人材だ」
「……」
俺は部屋の端に達した。
背中に回した手で扉のレバーを下げる。
「!」
ガッツリと固い手応え。
俺の顔を見てか、佐々山先輩が声を出して笑った。
「さっき何をしたのか分かってなかったのか」
「PCからこの扉、施錠したんですね」
「分かりきったことを言い直さなくてもいいんだよ。もうお前の負けなんだから」
ゆっくりとこっちに迫ってくる。
先輩を中心に見据えながら、視野の端で鍵を選っていた。
「その鍵束じゃ、大した場所を開けられないから、どこにも逃げれんぞ」
佐々山先輩と組む、もう一人の夜勤がくるはずだ。そこまで耐えられれば……
「何で人殺しなんかしたんですか」
「観念したのか? 観念したなら教えてやる」
聞くべきなのか、それとも聞かない方がいいのか。
俺は迷ったまま答えることが出来なかった。
「そうだな。聞かない方が賢明だろうな。聞き終わったら殺されてるんだから」
先輩は威嚇するように急に体を動かした。
「相当、ビビってんな」
俺は課長の椅子に手を掛けた。
「おっ、やるきか?」
椅子を持ち上げると、椅子の足を先輩の方へ向ける。
このまま押し切るか、振りかぶって椅子で殴りつけるか。
「あのな、そんなことして、こっちが傷付けば、立場が悪くなるのはお前だぞ。レイドの障害の証拠は掴んだかもしれないが、だからどうした? 皆、病気で亡くなっているんだぞ」
「……」
確かに、先輩が噛んでいるのは間違いないはずだ。だが、本当に死んだ原因が何なのか。それを見極めない限り、この事件は解決しない。
「ほら、椅子を置けよ」
先輩がゆっくり近づいてくる。
この人が『メデューサ』としか思えない。
もしそうなら、この椅子で殴っても問題ないはずだ。
距離が縮まる度、繰り返しその思考が強化されていく。
手を伸ばせば触れることが出来る距離に入った時、俺は椅子を振り上げていた。
鈍い音がして、先輩が倒れていた。
「ご、ごめんなさい」
「痛ってぇ」
椅子を丁寧に課長の席に戻すと、俺は先輩を迂回して事務スペースを出た。
「警備の人、鈴井捕まえて!」
頭を抑えた先輩が叫んだ。
頭から血が流れていて、それが流れ込むせいか片目を閉じている。
声に反応して、警備室から人が出てきた。
警備員が外へ抜ける通路を塞いだ。
俺は反射的に二階へ上がる方へ逃げた。
後ろで声がする。
「佐々山さん、血が出てるじゃないですか? 何があったんですか」
「鈴井にやられた」
「救急車、いや、警察も呼びましょう」
警備員は慌てた調子でそう言った。
「待って、警備の人は、鈴井が出ないようにここを見張ってて」
「どうするんですか? そんな体で」
「鈴井と話し合ってくる。反省してるなら大ごとにせず、許そうと思ってるから。だから警察や救急車は呼ばないで」
話し合う? 信じられない。多くの同僚が亡くなっているのに……
俺の説明を警備員に聞いてもらって、どっちが正しいかを分かってもらおう。
上がりかけた階段を数段降りると、階下には血を流した先輩がやって来て言った。
「警備員はこっちの味方だ」
血だらけなのに、先輩は、弱っているようには見えない。
殺気なのか、そんな、オーラのようなものを先輩から感じる。
全身が感じている。『捕まったら処理される』と。
俺は階段を駆け上がった。
三階へ入り、そのままサーバールームへ入った。
だめだ。逃げれない。時間を稼ごう。
俺はまずマイクロスイッチの上に、指を滑らせると、三階のサーバールームの全照明を点けた。
そして反対側の扉を通って出て、階段で二階に降りる。
今度は灯りをつけずに、サーバー室の中に隠れておけば、俺の姿を見ている先輩は、まず三階のサーバールームを確認をするだろう。その間に、俺は二階で警察か、しかるべき機関に連絡を取れば逆転できる。
計画の通りに俺は二階におり、サーバールームに入ると、灯りを消したままサーバーラックの中に入った。
レバーが飛び出しているのはこの際仕方ない。
いや、そうか。
俺はサーバーラックを一旦出ると、ラックの鍵を端から開けまくった。
急げ。先輩が、三階を調べている間にやるんだ。
全てのラックのレバーを飛び出した状態にしてから、ある空のラックに入った。
これならどこに入ったかわからないだろう。
よし。
俺はラックの中でスマフォを取り出した。
掛けようとして様子がおかしいことに気づく。
「えっ?」
圏外表示だった。
いや、先週は使えた。だから俺はラックの中から警備室に電話出来たんだ。
スマフォを画面を見ながら、高さや左右の位置を変えて電波を捉えるかを確認する。
しかし使える場所がない。
「携帯で連絡しようとしているのか? 少しは使える奴かと思ったが、やっぱりバカだな」
先輩の声だ。もう三階を見てきたのか?
「もしかして、この建物内で携帯電話が使える仕組みを知らないのか。そのそも窓のないこの建物に携帯電波が通る方がおかしいんだ。室内側に携帯のアンテナがあるんだよ。俺は慎重だからな。それを切ってきたのさ」
言い終わると、『バチン』とラックのレバーの音がする。
「あとはこのラック、一つ一つ、確かめるだけだな」
また『バチン』と音がしてラックのレバーが収まる。
どうする。
俺は考えた。
このままスマフォを握りしめたまま何もできずに死ぬか、それとも出ていって戦うか。
ラックの扉、上下に伸びるデッドボルトに指を掛けた時だった。
「!」
頭髪代りのイーサネットケーブル。
様々な原色で塗られていて、一つ一つが蠢いている。
顔に鼻や口はなく、鼻があるような位置に大きな目が一つあった。
気づかないのか、俺の前を通り過ぎていく。
いや。
俺の呼吸の乱れを感じ取ったのか、俺の前で立ち止まった。
ゆっくり右を、つまり俺の方を、振り返る。
見つかったのか? 俺は息をのむ。そして、俺がまた子供のように目を閉じることで、相手からも見えないのではないか、とばかりに目を閉じた。