ハイペース
その日のサーバールーム巡回は何事もなく終わった。
俺は勤務を終えると、急いで家に帰った。
夜勤上がりの為、家は明るい。
食事をとってから、寝るために厚いカーテンを引いた。
「……」
寝るまでの間、俺は先輩とのやりとりを思い出していた。
『いや、こんな着ぐるみで騙されるわけないでしょ? このイーサネット・ケーブルが蛇みたいに動いてましたよ?」
先輩は取り出した肉襦袢に手を突っ込むと、何か起動音がした。
『お前、今時のオモチャの性能を知らなすぎるだろ』
今度はスマフォを取り出し、先輩はアプリをタップして何か操作をしているようだった。
『ほら、しっかりみてろ』
ごく小さなモーター音が聞こえてくる。
幾つのかのイーサネット・ケーブルが蛇のように左右に波打った。
さらに先輩がタップすると、蛇の鎌首のようにプラグ部分を持ち上げた。
『今は簡単に見せるために数本を選んで、手操作でやってるが、当然プログラミングしておけば全部同時に動く』
『……』
このイーサネット・ケーブル程度の細さにどれくらいの機構が仕込まれているのか、想像出来なかったが、想像できないからと言って、目の前で見せられた事を全否定は出来なかった。
『納得したか? もう脅かさないから、いちいち騒ぐなよ』
話の全てを納得した訳ではないが、怪物は実在しない、いや逆か、怪物は先輩だったと言うことがはっきりしたことで、俺と先輩の間の『この変な騒ぎ』を終わりにすることにしたのだ。
「けど……」
何か納得いかないこともあった。
考えても考えても、その溝は埋まらなかった。
俺は考え疲れて寝てしまった。
一週間ほど何事もなく過ごし、俺はデーターセンターで日中の勤務をしていた。
課長が立ち上がると言った。
「おい、鈴井、今日は帰らないから、昼の巡回しっかり頼むぞ」
「そんな予定でしたっけ?」
「急に支社に戻って、面接することになった」
課長は机の書類をいくつかピックアップしてバッグに詰め込んでいる。
「面接…… ですか」
「ここで働く人材だよ。お前が二十四時間、四十八時間とか、そういう勤務とかすれば、不要なんだが、そうもいかんだろう」
「それなら、ファミレスの『猫ちゃんロボット』みたいのを入れればいいんですよ。あれが色々補助してくれれば、二人で巡回する必要ないじゃないですか」
課長は『白けた』と言った感じに、手を広げた。
「『猫ちゃんロボット』が階段の上り下りと、テープデバイスの交換対応が出来るようになったら、考えんでもないがな…… とにかく、行ってくる」
「けど、今から行って帰らないって」
「なにしろ、今日だけで十五人、面接するからな」
今日だけで、と言っている。一体、全体で何人採用するんだろう。確かに人では不足していたが…… と俺は思った。
課長が部屋を出ていくと、俺は改めて勤務表を見て驚いた。
氏名の左端に『バツ印』がついている。
日勤夜勤と交代で勤務する監視要員が、ほぼ半減していた。
バツ印が『退職』を示すなら、示し合わせた異常なハイペースで退職していることになる。
「野川もバツだ」
野川は数少ない同期で、友人だった。
思い出した。最近、奴は夜勤が辛くて『辞める辞める』と言っていた。
そうか、本当にやめたんだ。勤務表のバツを見て、まずそう考えた。
だが、何かひとことあっても良いのに、と俺は首を傾げた。
向こうからすれば、俺はその程度の友達だったのだ。
「おっと」
PCにアラートが出て、サーバー巡回の時間を知らせた。
課長とやるはずの巡回を、俺は一人で実施した。
昼間といっても、窓もない室内の巡回で夜間やっていることと何も変わらない。
俺は順調にサーバーを点検して、同じルートを通って事務スペースに戻ってきた。
チェックシートを課長の書類入れに置くと、管理Webにも同じような項目に対して結果を記載して、送信した。
ルーチンワークが終わると、机の端にあった日誌が目に入った。
「……」
この日誌は、俺たちのような日程勤務の人間は、同じ職場にいるが、なかなかコミュニケーションが取れない事を考えて、置かれているものだ。
ペンションやロッジ、ゲストハウスや観光地で見かけるこういったノートに対して、俺は興味を持ったことが無かった。
興味を持ったことがない、と言うのは言い過ぎかもしれない。パラパラとページをめくって見たことはあったからだ。だが、それ以上の感情、書き込む気も、読む気もしなかった。
だが、俺はこの時、この『職場の同僚』が書いたものを見よう、と考えた。
ノートに手を伸ばし、触れた時、嫌な予感がした。
しばらく固まったように同じ格好で止まっていが、意を決してノートを手に取った。
予感に反して、書かれている内容は凡庸だった。
眠い、とか、疲れたとか、またあのサーバーだけ変な音がする、とか。
当時のアニメか、漫画を絵を落書きレベルで描いなものもあった。
やはり見る価値はなかった、そう思っていた。
日付が、最近になった時、ある記述を見つけた。
『井下さんの映像は後で作られたものだ』
井下さんは佐々山先輩よりも入社も年齢も上の人だった。
そして、このサーバー巡回中亡くなったのだ。
監視カメラで転倒検知をしているはずなのに、検知できず、別の巡回員がサーバールームに入るまで、倒れたまま放置されていた。
朝方発見され、救急車で運ばれたが、遅かった。
井下さんは亡くなってしまった。
『課長は井下はいくつか成人病があったんじゃないか、と言っていたが、井下さんに成人病の気や基礎疾患はない』
また別の書き込みで、
『この日、ありえないほどのレイドの異常があった』
これらも井下さんの映像が『後で作られたものだ』と書いた字と筆跡が似ていた。正確に筆跡鑑定出来る訳じゃないが、おそらく同じ人が書いたのだろう。
井下さんが倒れた時、一人がレイドの異常に対応していたという意味だろうか。
確かにそれなら朝まで発見が遅れたことも納得がいく。
それらに関しては、はっきり日時が書かれておらず、記述が同じ日の出来事なのかは分からなかった。
またページを進めていくと、レイド異常の書き込みがあった。
レイド異常は繰り返し起こっているのだな、と何気なく思いながら進めていく。
「あれっ、この日って確か…… 待て、こっちもだ」
俺は日誌にマークを書き込んだ。
パソコンでメッセージアプリを開き、その履歴を確認した。
「……」
日付を確認していくうち、俺は寒気がした。