ゴカイ
俺はサーバーラックの前で固まってしまった。
俺は同じ一日を繰り返している、あるいは今日の出来事の夢を見ていた、と勝手に考えていた。そして、実際は日付が進んでいることに気がつき、汗をかいていた。
さらに疑わしいことがある。本当にこの暗闇の中、ルートさえ守っていれば何事も起こらないのだろうか。
それとなぜ、事務室の時計は昨日の日付を表示していた?
さっきまで操作していたパソコンで、日付を確認するべきだった、と後悔した。
事務室の時計に細工した人間は、なぜ、俺に昨日と同じだと思わせたいのか?
そもそも誰がやった? まさか先輩? いや、課長も同じことを言っていた。
それならば、二人ともグルなのだろうか。
時を戻るなんて、とんでもないことを信じてしまったのか。
ラノベ脳と言われても仕方ない、自分の馬鹿げた思い込みを、激しく後悔した。
いや待て、もっとまともに考えろ。時を戻ってない、予知夢でもない、とするなら、事務スペースにケーブルを口から突っ込まれた警備員がいなくなっている事はどうやって説明する? 俺はやはり判断できず、動けなかった。
しばらくの間、同じ思考をぐるぐると繰り返していた。
ようやく、俺は一つやることを思いついた。
「電話だ。警備室に電話」
警備会社への発信が履歴に残っている。
俺は履歴を選択して発信した。
『こちらXCC警備室、立原です』
「私、長澤データ管理株の鈴井です」
『ああ、サーバー監視している方ですよね。わざわざ外線でどうなされました?』
ちょっと声が違う。イントネーションもだ。
「えっと、タテハラさん、昨日も勤務なさってましたよね?」
『ああ、もう一人のタテハラと間違えてませんか』
そんな…… まさか、そのタテハラさんはどうなってる?
「た、タテハラさんって、二人いらっしゃるんですか?」
『舘原は体調不良で昨日、夜中にタクシーで帰ったとか』
「昨日、電話した時は元気だったので、心配です。どんな様子なんですか?」
『それが細かいことは何も説明がなくて。LINKでメッセージは返してくるですがね…… あ、すみません、コンプラの問題があるかもなので、今の聞かなかったことにしてもらっていいですか?』
状況を確認すればするほど、怪しい感じが漂ってくる。
何者かが、昨日あった事実を隠蔽しようとしているのではないか、とさえ思える。
『で、ご用件は?』
俺は訊ねることに関して、何も用意していなかった。
「そ、そうだ、二階のサーバールーム、監視カメラに何か映ってないですか?」
『あれ、鈴井さん、どちらからお電話いただいてますか?』
「二階のサーバールームからです」
しばらくの間。
おそらく監視カメラを操作しているのだろう。
『嘘を言ったらだめですよ』
「いますよ、よく見てください」
『サーバールーム、真っ暗じゃないですか』
「あっ……」
まさか、あのカメラは暗視カメラではないのか。
俺は少しスマフォと顔の距離を作って、画面表示を切り替えた。
「確かに今、灯りは消えてますが、ほら、スマフォの光見えませんか?」
かなり明るいはずで、カメラから見えても良さそうだった。
『いいえ? からかわないでください』
これで見えないなら、事務スペースの時計の日付が狂っていたように、カメラにも細工された可能性がある。
「失礼しました」
誰かがそう言うと、俺のスマフォの通話終了ボタンが押されてしまった。
そこに俺の手を握った人物がいる。
「せ、先輩!?」
スマフォの光に照らされ、佐々山先輩の顔がぼんやり見える。
「いてて」
先輩が腕を捻ってきた。
そのまま強引にスマフォを取り上げられてしまった。
「全く余計なことを」
スマフォは、床に叩きつけられ、壁まで滑っていった。
「……」
「また警備が来たら面倒なことになるだろう」
「ど、どういうことですか!?」
まさか先輩があの怪物の仲間? それどころか怪物そのものの可能性すら……
「どういうこと?」
サーバーのLEDで照らされた先輩の顔に、うっすら笑みが浮かんだ。
「鈴井はどういうことだと思う? 思いついたことを言ってみな」
「……いえ」
「何が『いえ』なんだ?」
どちらにせよ、何か言った瞬間に俺は終わる気がしていた。
だが、言わなくても終わるだろう。
意を決して口を開いた。
「先輩が『メデューサ』ですね」
「……」
一瞬、先輩の顔が『真顔』になった。
黙ったまま、じっと俺を見つめている。
「ハハハハッ!」
突然、破顔したかと思うと、笑い続けたまま、床に尻をつけ、激しく足をバタバタさせた。
俺はこの状況に対応できなかった。
ズバリを言われて笑っているのか、考えてもいないことを言われて笑っているのか、どちらか判断が出来なかった。
これ以上ない、というほど笑った後、腹を押さえたまま先輩が立ち上がる。
「『メデューサ』って、信じたんだ、俺の言ったこと!」
「ええ、昨日はっきりみました。そして、さっき警備室の人がタテハラさんと連絡取れないって言ってました。きっとタテハラさんは亡くなって」
先輩はさらに笑った。
「全く、妄想もそこまでいくと笑っちゃうな。ちゃんと確かめてもいないことを事実のように言うんだから」
「えっ、でもさっき電話で、電話に出ないって」
「昨日、舘原さんは体調不良で、夜中タクシーを呼んで帰ったって聞いてる。それって警備室の人には伝わってなかったのかな? 後で監視室で外を映したカメラ映像見せて貰えば? 舘原さんがそこのロータリーでタクシー乗って帰っていく姿、映っているはずだから」
先輩は笑いを堪えているようだった。
「ラックの鍵、貸せ」
先輩はそう言うと、俺からサーバーラックの鍵を奪った。
そしてラック番号を確認すると、ラックの扉を開ける。
ラックの下段に頭を突っ込むと、床下のスペースに手を差し入れた。
何かを引っ張り上げているようだった。
肌色の肉襦袢が出てきた。
先端にはイーサネット・ケーブルがいくつも繋がっている。
「お前がみたってやつ、これだろ?」
取り出された肉襦袢は、着ぐるみのように頭まで着れるようになっている。
背中側にはチャックがしっかりついていた。
「着るのに時間かかるからやらねぇけど、お前と警備のタテハラさんがみたのはこれだよ。いたずらでやってることに、警備の人巻き込んだら怒られるから、二度と呼ぶなよ」
「……」
その説明が頭に入るまで、固まったように動けなかった。