夢か現つか
「そろそろ起きろよ」
最初は何を言っているのだろう、と思った。
「おい、起きろって」
先輩の声だ。
何があったか分からないが、俺は今机に伏している。
「!」
違う! 寝ている場合じゃない。部屋の中に怪物が!
俺は勢いよく立ち上がって、そのせいでキャスターが一部引っかかり、椅子を倒してしまった。
「おいおい…… 完全に熟睡してやがったな」
よく見ると、怪物はいない。
先輩と俺の机、他のメンバーの机も並んでいる。
それは、いつもの見慣れた事務スペースの光景だった。
すると、扉が開いた。
俺は警戒して後ずさった。
入ってきたのは課長だった。
俺が腰を落としているのを見て、課長が訝しげな表情を見せる。
「おい。佐々山、鈴井」
「はい」
先輩は返事をすると立ち上がった。
「ほら、鈴井も。しっかり立て」
「あの、どういうことかわからないです」
「はぁ? 連続夜勤で頭でもおかしくなったか? 考えることもなく、よっぽど暇だったんだな……」
課長の顔は呆れたと言った表情に変わると、続けた。
「宿題にしていた業務の効率化、なんなアイディアあったか?」
「いえ、前回の打ち合わせからは特に変化ないです。この提出する書類が多すぎるから、同じ内容は二度も三度も書かないように……」
先輩が言いかけると、課長はそれを止めた。
「クライアントからの要求で書類があるんだ、そこは必要な業務なんだよ」
「しかし、こっちのフォーマットを受け入れてもらえるようにクライアントと調整してですね」
「鈴井はどうだ」
課長が先輩の話を遮って、俺に話を振ってきた。
この流れに何か、既視感があった。
俺は、とにかく思いつくまま言ってみた。
「サーバー室の巡回ですけど、この手順はなんで同じところを戻ってくるルートになってるんですかね? 一度見たんだから、反対から抜けて通路を戻ってくればいいのに」
「ああ、それか」
課長はまた失望したようだった。
「佐々山、しっかり後輩を教育しておけ。あと、この効率化は一人一つ出すのがノルマだからな、しっかり自分の業務を見つめ直せよ」
課長は、そう言うと挨拶代わりに手を上げて部屋を出ていった。
「おつかれさまでした」
時計を見ると、十一時を過ぎている。
俺は時計についている日付を確認した。これは…… 昨日と同じ日付?
いや、まて、昨日というのはどういうことだ。昨日、俺が全く何もしていなかったように進んでいない。
「なんだよ、それくらいしか思いつかねぇっての」
先輩がぼやくようにそう言った。
流れが昨日と全く同じだ。
「先輩、今日は何日ですか」
「ああ、それか?」
「なんか変なんです、既視感というか」
「当初はそうやってたんだよ。だけど、あの課長がシフト勤務だったとき、ラックの扉の閉め忘れやテープドライブの置き忘れ、そう言ったことを散々やらかしたから、同じルートを戻ってくるようになっちまったんだ。それを業務改善だ、とか言って上にアピールしたから課長だよ。課長になったきっかけの話だから、止めさせたくないんだろ」
先輩は言い終えるとため息をついた。
どういうことだ? 俺の言ったこととは全く無関係なことを言っている。
まるで昨日の繰り返しの中で、俺だけが未来から戻ってきたような違和感。
もしかして、昨日の怪物と出会うことを予知夢で見たのだろうか。
とにかく、俺は時を戻った。そうでなければ、今日あるであろうことの夢を見ていたことになる。
俺は諦めて適当に相槌を打ち、話を進めた。
そんな風に、昨日を同じ先輩と俺とのやりとりが続き、それも終わりの方になっていた。
「……救急車で運ばれる時、うわごとのように言っていたそうだ『メデューサ』って。だから井下さんは『メデューサ』に殺されたって言われてる」
「先輩、そのメデューサって、頭の髪が、イーサネット・ケーブルになっているんじゃないですか?」
「さあな」
俺の『返し』を変えてみたが、変化がない。
昨日のやり取り以外、何も受け付けられないのだ。
おそらくこの後、レイドのトラブルが発生するだろう。
そして、俺はまた一人で巡回することになる。
昨日の流れをよく思い出した。
あの時、巡回ルートを外れ、照明スイッチへと戻らなければ、もしかしたら素直に巡回が終わったかもしれない。
俺はそう思っていた。
今日のサーバールームでの作業者を調べた。
やはり誰もいない。本日の訪問者は誰もいないのだ。
今度こそ、灯りが突然消えても動揺せず、スマフォで照らして巡回を終わらせればいい。まるで何事もなかったように終わるはずだ。
俺はこれから起こることを一つ一つ確認してするように冷静に対処していった。
ついに別れの一言が来た。
「俺はレイドの復旧に行ってくる」
「お願いします」
俺は普段より気合いを入れて、サーバールームの巡回を行った。
何故か知らず俺は時を戻った。一度、この状況を見ているのだ、間違える訳がない。
自分にそう言い聞かせながら、一つ一つの作業を行なっていく。
手元のチェックシートに記録をつけ、三階の端まで終えた。
これからは戻るルートだ。ここが重要になる。
三階は難なく終えて、二階に降りた。
部屋に入ると、消したはずの灯りがついていた。
「あれ、消したはずなのに」
俺はいつものように照明スイッチの上に指を滑らせ、灯りをつけた。
来たルートをなぞるように戻り、再チェックを続ける。
一列めのラックを点検し終えて、次のラックの列に入った時だった。
カチカチとマイクロスイッチを押す音が聞こえ、フロアの灯りが端から消えていく。
「えっ?」
思わず声を出してしまった。
次の瞬間、フロアが真っ暗になる。
「……先輩!? いたずらはやめてくださいよ」
言わないと流れが変わってしまうような気がしていた。
消えた一瞬は、暗闇に見えたが、サーバーやL2スイッチなどの光が、ラックから漏れ出ていて真っ暗闇ではなかった。
俺はスマフォを取り出して、ライトを点けた。
「……」
スマフォの画面を一瞬見た時、何か違和感があったのだ。
俺は暗いサーバー室の中え、もう一度スマフォの画面を見た。
違和感は、何に感じたものなのか、初めは気付かなかった。
何の気なしにいつものニュースアプリを立ち上げた時、更新がかかった。
「!」
サーバールームの空調下で、汗をかくわけがない。
だが、俺は『気づいた事実』に冷や汗が止まらなくなっていた。