佐々山と怪物
俺は空のサーバーラックの中で、目を閉じて震えていた。
「鈴井! どこだ!」
声が回って聞こえてきた。
先輩の声を警戒するかのように、目の前にいる怪物がヒタヒタと移動していく。
「確か、このあたりに空のサーバーラックがあったよな」
サーバーや空調のファンの音に紛れて、足音が近づいてくる。
「確か……」
通り過ぎてくれ。
俺はまた目を閉じてしまった。
薄目を開けて確認すると、先輩は通り過ぎようというところだった。
「バーカ。知ってるよ。ここだよな」
そう言うと、行きかけた歩みを、一歩戻した。
血で汚れていない右目で、覗き込んでくる。
「出たくないなら、閉じ込めてやる」
先輩の手で『バチン』とレバーハンドルが押し込められた。
レバーが収まってしまうと、内側から上下に伸びたデッドボルトを操作しようとしても一切動かない。扉や、このロックの機構を壊す以外に出ることができなくなってしまった。
いや、そんなことより。
佐々山先輩、イコール『メデューサ』だと思っていた俺は、完全にアテが外れていた。
人間の形をしている先輩にダメージを与えれば、メデューサとの戦いにも有利に働くと思っていたのだ。
「先輩、先輩は一体何者なんですか?」
「?」
「何者かわからず椅子で殴ったのか。この後生きていたとしても、残りの人生、棒に振ったな。まあ、お前、今、ここで死ぬからおんなじ事だけどな」
そこまで言うと、先輩は腹を手で押さえた。
「何だ、何しやがる」
掻きむしるように腹、胸、と次第に上の方に手が動く。
そして白目を剥いたかと思うと、口を大きく開けた。
「うわっ!」
先輩の体液が口から吹き出した。
サーバーラックの扉、網目を通って、少なからず俺はその液体を浴びた。
指で、目を拭って見ると、先輩の口からイーサネットケーブルの塊が飛び出ている。
蟹か蜘蛛の足のようにイーサーネットケーブルが動くと、先輩の口から『こぶし』大の生き物が姿を現した。
「蜘蛛?」
口から出てきたイーサネットケーブルを足のように使う生き物は、先輩の顔を這って頭上に上がった。
先輩は、さらに体液を口から吐き、膝をついた。
頭に乗っていた蜘蛛のようなものは、先輩が膝をつくと逃げるように走り去った。
膝をついた先輩は、そのままサーバーにもたれかかるようにして倒れてしまう。
「ど、どういうこと?」
床に倒れている先輩の体に、どこからか伸びてきたイーサネットケーブルが絡まる。
そして勢いよくどこかに引きずりさられてしまった。
「先輩!」
まさか、先輩は味方だったのか?
俺は何もわからないまま、ラックから外を見ていた。
すると、固いものが砕ける音がした。
金属ではない。これは骨の音だ、何者かが先輩の血肉を食らっているのだ。
俺は想像した。顔の正面に口のない『メデューサ』口があるとしたら、どこだろうか、頭だろうか?
その疑問は、すぐに解決された。
サーバーラックの前に、再びメデューサが現れた。
髪代りのイーサネットケーブルが器用に頭上で動き回っている。
俺はそのイーサネットケーブルが、先輩の靴や、靴下をつまみ出したのを見た。
この怪物は頭頂部に口のような開口を持っているに違いない。
大きな、まゆもない瞳が俺の方を見ている。
イーサネットケーブルが、一本、また一本と俺の正面の扉の穴に、入ろうと試みてくる。
「だ、誰か!」
内側からは開けられない。もう逃げる場所は……
俺は、足元に大きな穴が開いているを見つけた。
そうだデーターセンターの床、ここはフリーアクセスのために下に空間がある。
潜り込もうと足を下ろしかけた時、俺は背中に寒い物を感じた。
下の、暗い空間からイーサネット・ケーブルがRJ45のプラグを鎌首のように持ち上げて出てきた。
正面のメデューサの足元にも、床が開いている。
そうか。
やつのイーサネットケーブルが床下を回り込んできたのだ。
俺は逆にラックを登ろうと足をかけるが、ラックに逃げ切れるほどの高さがある訳ではない。
あっというまに俺の体にケーブルが絡まってきた。
俺は引きずり下ろされ、いくつもケーブルが巻き付いてきて、身動きが取れなくなった。
次から次へと這い上がってくるケーブルが、俺の体の、穴という穴に入ってくる。
メデューサは一つの大きな目を開いて、じっと、こっちを見ている。
口に、鼻に、と入ってきたケーブルで、呼吸が困難になった俺は、ついに意識を失ってしまった。
「あれ? 鈴井さん、お一人ですか?」
事務スペースに入るなり森河はそう言った。
「ああ、佐々山さん、今日具合が悪いって帰った」
頭の隅に、血を吐く佐々山の顔がチラつく。
ロボット掃除機が動き回り、床を綺麗にしている映像が、頭の片隅に送られてくる。
「鈴井さんも顔色悪いですけど、大丈夫ですか?」
「アア、オレハダイジョウブ」
まるで知らない誰かが言っているような感覚。
「まさか、今日、俺一人ですか?」
森河のその問いに、鈴井は答える。
「今日は臨時で俺が残る」
「ああ、よかった、このところレイドの異常が続いてて」
「そうらしいな。俺も交換作業ぐらいは出来るから安心しろ」
佐々山の作ったスクリプトを、タスクスケジューラに設定する画面が脳裏を過ぎる。
頭の奥の、大きなスクリーンに、次に言うべき台詞が表示される。
「森河、お前、サーバールーム巡回の規則知ってるよな?」
森河はノートPCを操作しながら頷いた。
「特に帰り道が重要だ」
「なぜですか?」
死んでいる。死んでいる。俺は死んでいる。
どこかで『俺』がそう叫んでいる。
しかし、その言葉が口をついて出てくることはない。
再び何かの指示がやってくる。
「井下先輩って知ってるか?」
「その先輩がどうかしたんですか?」
「その先輩の話をしてやろう。帰りのルートの規則を破ると、酷い目に遭うという、その一例として」
早く休憩支度で帰り道を守らなかった井下が、怪物に遭ってしまう話だ。
そうだ。あの時の佐々山も、こうやって同じ指示をもらったに過ぎない。
「井下先輩は、さっさと事務室戻って、休憩したかったらしいんだな。だから、帰りのルートを省略したんだ。そして、そのルートを外れた場所で『出会って』しまったらしいんだよ」
「何と『出会ってしまった』んですか。なんか勿体ぶってないで、はっきり言ってくださいよ」
森河の興味なさそうな返事。
鈴井は真剣な表情を作ってみせる。
「このデーターセンターには、何かいるらしいんだよ」
「何か、って例えば『幽霊』とか、そういう類ですか?」
鈴井は頬を舌で押したのか、急に左頬が飛び出した。
そうかと思うと、今度は右頬が盛り上がる。
いつの間にか、鈴井は白目を剥いていた。
「……ふざけてます?」
何も反応がない。
森河は呆れた顔をして、大きく伸びをする。
そして目を閉じ、あくびをした。
その瞬間、鈴井の目は正常に戻り、口の中に指をいれると、何かを奥に押し込んだ。
森河がしっかり聞いてくれるよう、さらに間を空け、ゆっくりと、相手の記憶に残るように言う。
「いいか。ここにいるのはな、メデューサだよ。メデューサ」
「バカバカしい。そんなの信じるわけないでしょ」
「信じる信じないは別として『規則は破らない』ことだ」
鈴井は、突然立ち上がると、トイレに向かった。
トイレの個室に入ると、スマフォを自分の方に向けてインカメラを起動する。
口を大きく開けると、スマフォの角度を変えながら、何かを確認していた。
喉の奥から、口の方に出ている青いイーサネットケーブル。
鈴井は持っていた歯ブラシでそれを押し込んだ。
彼のスマフォに、歪な笑顔が映っていた。
おしまい




