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九州大学文藝部・2023年度・新入生歓迎号

親の心子知らず、子の心親知らず

作者: 日向澪

 理屈なく「親のようになりたい」と言うこと。

 理屈なく「親のようになりたくない」と言うこと。

 理屈あって「親のようになりたい」と言うこと。

 理屈あって「親のようになりたくない」と言うこと。

 どれもがどれも、子から親に言うにはいささか問題のありそうな言葉である。

 ではあえて、この四つの言葉の問題度の低さ、あるいは高さというものを考えていくとするならば、どうだろうか。

 恐らく十人いればいるうちの九人が、百人いればいるうちの九十九人が、千人いれば……いやいや、こいつはくどすぎる。まあ、それはさておき、だ。きっと多くの人が「理屈あって親のようになりたい」ということが比較的問題のない言葉だと言うのではないだろうか。

 他者の言葉を代弁しようとするだなんて、あんまりにもあんまりな傲慢さだと笑われるのではないかなんてことを小心者のわたしは考えてしまうわけだけれど、これこそそれはさておき、だ。

 ここから先の、残りの三つの問題度ってものは個々人によって変わってくるものだろう。いやいや待ってほしい。ついさっき「他人の言葉を云々」とか言い放った舌の根も乾かぬうちに何を言っているんだと思うのかもしれないが、これは純然たる事実だ。

 何故そう言い切れるのか。

 答えは単純。適当に友達数人に冒頭の四つの言葉を挙げて「この四つを、あなたが『最も問題がない』もしくは『最も妥当である』と思う順番に並べてください」という質問を投げかけてみたら、みんながみんな「最も問題がない」のは「理屈あって親のようになりたいと言う」と答えたものの、残り三つの回答に関してはいい感じにバラけたからだ。

 数人、なのでさすがに三つの選択肢×三つの枠=九通りの答えを得ることはできなかったけれど、それでも何種類かの答えを得ることはできた。

 例えば「理屈なく親のようになりたい」が二番のやつだったら、「親のようになりたいのはいい事なんじゃないかしら?」という意見だったり。

 例えば「理屈なく親のようになりたくない」が二番のやつだったら「己は己の道を行く。うむ、俺もそうありたいものだ」という意見だったり。

 例えば「理屈あって親のようになりたくない」が二番のやつだったら「そいつはある意味親のことをしっかり見てる、ってことだよな。憧れるぜ」という意見だったり。

 なんだろうな、意外とみんないろいろ考えているんだなって思わされたよ、いやほんと。あいつら、ゴーイングマイウェイっていうか、強引グマイウェーイっていうか、そういうやつらに見えてたから。

 案外、ちゃんと見てなかったのはわたしの方なのかもね。なんて考えさせられたり。

 いや嘘。全然そんなこと思いもしなかったわ。こいつらもそんなこと考えるぐらいの頭はあったんだな、とは思ってた。というか面と向かって言ってやった。まあこれも嘘で思わずぽろっと漏れてしまった、っていうのが一番正しい、もしくは状況に即した、あるいは第三者に伝えるにあたって誤解の生じない表現なのかもしれない。

 閑話休題。

 話を戻しはしないけれど、きちんと話を進めよう。まあ要するにわたしがそんなこと言ったらどうなったか、というお話なわけだけど。

 結論は簡潔にいこう。

 きちんとキレられた。

 『傍から見て一番そう見えそうなおまえに言われたくねぇ!』って。

 三人が三人とも同じことを言うもんだから、一度目は困惑、二度目は呆れ、三度目では笑いが出てしまった。三人目にはそれも併せてキレられてしまったけれど。

 失礼な、わたしはこんなにも言葉を尽くして他者と話すことを信条としている、どこにでもいるような一般通過女子高校生だというのに。

 まぁまぁ、なにはともあれ、だ。

 冒頭に挙げた四つの言葉。

 わたしがわたしなりに順番をつけるのなら、という話もきちんとしておくべきだろう。他者に何かをさせるのならば、自分だってそれに見合う何かをするべきだろう。形のあるものでも、ないものでも。まあこれは八割ぐらい冗談だ。もしかしたら九割ぐらいが冗談かもしれないし、なんなら全部本心なのかもしれない。本心なんてもの一番あてにならないものだってことぐらい、まだ人生五分の一も終わっていないような子供のわたしでも気が付いているのだ。

 まあ節穴なわたしの目をもってすれば何かを見通すなんてことはありえないのだけれど。

 またまた話が脇道に逸れている。方向音痴のように話が迷子になっている。自慢じゃないがわたしはこれでもどこにいたって東西南北がわかるぐらいのスキルはあるのだ。

 閑話休題。

 そろそろ本当に話を戻そう。何の話だっけ、ああ、冒頭四つの、私なりの順番か。

 わたしなら、「理屈あって親のようになりたい」「理屈なしに親のようになりたい」「理屈あって親のようになりたくない」「理屈なしに親のようになりたくない」という順番で、問題はない、と考えている。

 まあこの問題には正答なんてないのだし、誰もが誰も自分の答えを誇っていい。なぜならそれは、自分で自分のことをきちんと考えた、という証左になるのだから。

 証左。証拠。根拠。

 多くの場合において、求められることの多いものだ。あればいいのかと聞かれればそんなことはないと思うのだけれど、あればあるだけ自分の言葉が誰かに支持されるような気持ちになれる。

 支持されるような。

 指示されるような。

 支え持たれるのか、指し示されるのか。

 どっちにしたってそこには「わたし」以外の誰かの存在を認めなければならないわけだけれど、人間活動なんて大抵がそんなもんだ。

 誰かの存在を認めなければ生きられない。

 言葉にしてみると何とも言えない息苦しさを感じてしまうけれど、生き苦しさを感じてしまうかもしれないけれど、よくよく思い返してほしい。

 あなたの生活において、どれだけ他の人の存在を感じるか。

 全く感じないって人は、山奥とか、海の底とか、未開の地に一人暮らしでもしているのだろうか?

 おっと、笑えないジョークだったかな、申し訳ない。切った後の捨てる爪ぐらいには罪悪感を覚えているよ。

 さてさて、はてさて。

 ここまでも、そしてここからもジョークなわけだけれど、さすがにそれは話としてどうかと思うから、箸休めに一つ真面目な話でもしようか。

 親の存在意義、って何だと思う?

 わたしもそろそろ進路を考えなくてはいけない時期になってしまうわけだけれど、個人的にはぼんやりと考えてはいるので焦るなんてことはない。ただどうしても、どの進路を選んでも親元を離れなくてはいけなくなる。

 一人暮らし、ってやつだね。

 寮暮らしも考えたけど、自慢じゃないが集団生活ってやつがわたしは死ぬほどニガテでね。いらない軋轢を生むよりは、ってことで一人暮らしを選択せざるを得ないわけだ。

 もちろん、親の同意はすでに得ている。さすがにどんな部屋に住むのか、なんてのはあまりにも時期尚早だからわからないけれど、多分普通のアパートとかに住むだろうね。

 さてそこで、だ。

 親元を離れてこそ、親の存在というものを強く感じてしまうことだろう。

 親がいなくて寂しいのか、親がいなくてせいせいするのか。

 どっちにしたって、「親」というものを意識していることには違いない。

 そんなときこそ、考えてみるべきなのではないかな?

 親の存在意義というやつを。自分の人生において親という存在がどういう存在であるのかを。親と自分という人間の間に存在するどうしようもなく埋まらない溝に、どのようにして折り合いをつけるのかを。

 …………どうだろう、少しは真面目な気分になれたかな?

 これを聞いている、見ている、読んでいるあなたが真面目な気分になっていてもなっていなくてもわたしは勝手に話を進めるわけだけど、一応は形としてでも気にしている風を出しておくものさ。

 ちょっとしたテクニックってやつだよ。

 嘘だけど。

 さてこれで真面目な雰囲気に馬鹿なことを突っ込んでいい具合に雰囲気をぶち壊しにできたわけだけど。

 いよいよ最後の質問だ。

 自分が親になったとき、子供に自分のようになってほしいと思うかい?

 おや、真面目な話だと思ったかい?

 ははは、質問自体は最初からずっと真面目なものだったはずだぜ。わたしがジョークだと言ったから最初の質問もふざけたものだと思っていたのかい?

 そいつはあまりにナンセンスだ。わたしの語り口がふざけている自覚は勿論あるし、なんならここからもふざけるつもりだけど、質問自体はきちんと考えておいて損はないと思うぜ。

 さて、ちょっとマジになりすぎたかな。アツくなるのは良いけれど、それでつまんなくなるのは良くないよな。反省反省、ってね。

 さてさて、気を取り直して質問の話をしよう。

 まあ最初にぶっちゃけるとわたし自身には結婚願望も子供が欲しいという思いも一切合切、一ミクロンも存在していないわけなのだけれど。

 少子化が叫ばれる昨今、子供に関する話はいくらだってしていいはずだ。違うかい?

 …………もしここで「確かにな」なんて頷いたんなら、悪いことは言わない、ネットを扱うときはもっと慎重になって考えた方がいい。「子供に関する話」とか当たり判定大きすぎだろ。主語が大きいのは良くないよね、なんて今時ギャグでしか使わな……いこともないな、うん。結構いるもんだよね、主語の大きい人。

 なんでふざけようとしてるのに真面目なフォローをしなきゃならんのだ。

 まあもちろんこれもパフォーマンスなわけだけど。

 だってそうだろう?

 考えを促すために、一人ピエロがいるだけでも思ったよりも話は回るものさ。まあリーダーになりたいならおすすめはしないかな。王様になりたいなら別だけど。

 ちょっと解りづらかったかい?

 大いに結構。むしろこんなジョークは解りづらいぐらいでちょうどいいのさ。持論にすぎないけどね。

 さて、ここまで無駄話をきちんとしてきたんだ。そろそろ答えも出たんじゃないかい?

 まだかな。じゃあもうちょっと無駄話を続けようか。

 そうだね……親の背中を見て子供は育つ、なんて言うけれど、あれって要するに子供に目を向けていないとも取れるよね。まあもちろん本意としては、人の振り見て我が振り直せ、ってのに繋がる話だとは思うけれど、それはそれとしてやっぱり親ってのは子供にとっての第一の規範になるわけだ。

 規範。規則。ルール。

 思ったよりも責任重大だね。だって人ひとりの人生における、ある意味では根幹ともいえる考えを与えるわけだから。

 おっと、そんな風に考えるべきかな、なんて考えを持つのは悪くないぜ。だってこれはあくまで一つの論だからな。でも思い当たることが一つもない、なんてことはないと思うぜ。

 親が何かをしていたから。

 親が何かをしていなかったから。

 自分はこのようにして生きている。

 どうかな、もしかしたら無意識かもしれないし、ちょっとは思い当たる節があったんじゃないかな?

 少しでも引っかかってくれれば重畳だ。少しでも引っかかれば、その疑問は重なるものだろう。塵も積もればなんとやら、だ。

 そう、別にここでこうやってわたしが話している内容なんて、畢竟読み飛ばして、スキップして、無視してしまってもいいものなんだ。

 だってこれはあくまで問題提起。

 ここから先はあなたたちのお仕事だ。

 あなたの人生はあなたのものだし、わたしの人生はわたしのものだ。

 当たり前すぎて鼻で笑いたくなるような戯言だけど、結局のところはそういうありきたりな結論に落ち着くものなのだ。

 落ち着いてしまうものなのだ。

 言ったはずだよ、これはジョークだ。感想なんて「つまんねぇ」とか「説教くさいな」とかでいいんだよ。

 まあ、下らないものだと笑い飛ばせるぐらいになればきっと悩まなくなれるよ。

 …………ちょっとまだ真面目な雰囲気が抜けきれないね。

 まあ真面目にならざるを得ない話運びをしているのはわたしなわけだけど。

 真面目ついでに。

 親だから、という理由でそこにいる人間を尊敬するのが当たり前みたいな風潮があるけれど、実際のところはどうなんだろうね。

 尊敬できる人間は、という質問をそこら辺にいる人に唐突に投げかけたとき、偉人や有名人を挙げる人もいるだろうけど、案外「親」を回答にする人もいそうなものだよな。

 もちろんそういう人たちのことを馬鹿にするつもりなんて一切ないし、きっと素晴らしい親御さんなんだろうなと思うけれど、はてさて。

 目に見えているものが一体どういうものなのか、きちんと把握しておくことが大事だなんて言いたいところだけれど、そいつは理想論だし綺麗事だ。

 たまには馬鹿になったって、盲目的になったって、目を逸らしたっていいじゃないか。

 どうせ「私」のことなんて誰もきちんとは見てくれないもんだぜ。

 そのぐらい斜に構えて生きていこうじゃあないか、なぁ。

 ところで、そろそろ答えは出せたかな?

 あ、そうだ。

 別にこいつにも正解なんてないし、シンプルな二択でもその理由は千差万別だろうさ。もしかしたら三択目とか四択目とか出してくる人もいるかもしれないけどそれはそれで。

 うん、そろそろいい時間かな。

 ここまでに三つの質問があったわけだけど、感覚的に年齢が分かれていたのは意識できていたかな?

 親の背中を追うかどうか。

 親の存在意義を考えよ。

 親の自分を子供に見せられるか。

 それぞれ思春期、一人暮らし、親になって、といった感じで考えていたわけだけれど、あなたはここまで考えてきてどうだったかな。

 するすると、つるつると、滑るように流れるように生きられるようなこの世の中で、わざわざこんなことを考えるのはある意味で酔狂と言えるかもしれないけれど。

 だとしても。

 親のことを考えてみるのもまた、一つの「親孝行」なんじゃないのかな。

 なんて、心にもないのだけれど、ね。

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