最終話
アルラトゥの牙がローデに迫る。躱しきれずに左腕の肉を裂かれた。ほとばしる鮮血。ローデは反射的に、首が退くタイミングで両手に持った戦鎚を横殴りに振るった。当たったのはたまたまだ。だが、予想外の手ごたえだった。その巨体ゆえにドラゴンは頭を殴られることに馴れていないのかもしれない。アルラトゥはよろめき、動きが止まった。それはおそらくほんの一瞬のことだっただろう。だが、ローデにはその一瞬で十分だった。
ローデは殴った反動で振りかぶった戦鎚を、今度は斜め前方に振り上げた。それはほぼ正確にアルラトゥの首に突き刺さったままの剣の柄に命中する。アルラトゥは大きくのけぞり、洞窟に響き渡るうめき声をあげた。その一撃によってイクレイプシスはアルラトゥの喉に深々と刺さった。
戦鎚を投げすてたローデは、そのままアルラトゥの首に飛びついてイクレイプシスを強引に引き抜くと、暴れ狂うアルラトゥの首から飛び降りた。ドラゴンの首から大量の血液が落ちて洞窟の床を染めあげる。
ここでアルラトゥは最後の抵抗を見せる。炎を吐く体勢になる。ローデは慌てて穴に飛び込んだ。間一髪だった。アルラトゥは洞窟の外に向けて、あらんかぎりの力で火炎を吐き切ると、断末魔の声をあげて体が崩れ落ちた。
「やっと終わった」
ローデは大きく息を吐いた。縦穴の中でふたりはひどい体勢だった。ペイディアスと顔を見合わせて笑った。落ち着いてからふたりは穴から出る。動かなくなったアルラトゥは一回り小さく見えた。洞窟の出口のほうに目を向けると、外はもう完全に明るくなっていた。
あの一瞬、アルラトゥの首に刺さっていた剣の柄頭を戦鎚で叩こうと思ったのは、 洞窟に残されていた柄の頭の部分がひどくすり減っていたことが印象に残っていたからだ。もしかしたらゼウクシスも似たようなやり方でドラゴンを倒したのかもしれない。
アルラトゥの喉の傷口からは、楕円形の石がはみ出ていた。ドラゴンストーンである。ローデはそれを掴み取り用意していた布で血を拭くと、複雑な色彩を見せる美しい石の表面があらわになった。
老人たちの中には大蛇がドラゴンストーンを飲み込むとドラゴンに変身すると信じている者もいる。実際のところどうかはわからない。ひとつわかっていることは、今まで誰もドラゴンの子供を見たことがないということだけだ。
「先生、手当しないと血が……」
ペイディアスはローデの左腕の怪我を気にしていたが、ローデは興奮のせいかほとんど痛みを感じていなかった。指摘されると痛くなってきた。ペイディアスが黄花アザミの傷薬と包帯で応急処置をする。それはかつてローデが教えたことだった。
「先生」
「なんだ?」
「前に生意気言ってすみませんでした」
「かまわんさ。あの時、俺が何もできなかったのは事実だ」
「先生には偉そうに言っておいて、俺は逃げた」
「怪我したんだから仕方ないだろ」
「ほんとのこと言います。俺は穴に落ちた時の怪我は大したことなかったんです。だから戦おうと思えば戦えた」
「……」
「でも恐ろしくて穴から出て再びアルラトゥと向き合う勇気がありませんでした。怪我を言い訳に俺は、仲間がやられてる時にも穴の中でひとり息をひそめていたんです」
「そうか……」
その気持ちはローデにも十分すぎるほどわかった。
「先生はアルラトゥの恐怖を初めて目前にした時も決して目を閉じなかった。だからこそもう一度戦って倒せたのだと思います。
それに比べて俺はあの時、何も出来ず、恐ろしさと罪悪感から目も耳もふさいでいた。富も名声も信頼も地元の仲間も全部失ってもいいから、とにかくここから帰してくれってだけ思っていたんです」
ペイディアスの瞳に涙が浮かぶ。
俺は彼の肩に手を添えると、指先で涙を払って言った。
「ペイディアス。お前がいないと今日、アルラトゥは倒せなかった。昨晩は逃げたのかもしれんが、今朝、お前は確かに俺と一緒にアルラトゥを倒したんだ。それはまぎれもない事実だ」
§
二日後、ミデア市にペイディアスたちの討伐団がアルラトゥによって返り討ちにされたという報告が届いた。数年にわたりドラゴンの他にも疫病やエルフ族との争いにも悩まされているミデア市民たちにとって、ミデアの冒険者のうちの最強メンバーを集めた討伐団は希望の星であった。それがなすすべなく敗れたとあって、ミデア市は暗澹とした雰囲気に包まれた。
しかしその翌日になって突然、何者かによってアルラトゥが倒されたという報告がミデアにもたらされた。情報は交錯し、市民は疑心暗鬼に陥る。
本当であればいったい誰が? 討伐団は全滅したと聞いたが……。ミデア市民は確実な情報を求めて、街に、広場にあふれた。
市民の耳にアルラトゥを倒したのはどうやらあのローデらしい、という情報が入ったのはさらに半日後のことだった。それはまったく予想外のことだった。ミデア市民にとっては、アルラトゥに敗れた後のローデの無気力さはよく知られていた。完全に終わった人と思われていたのだ。
アルラトゥがローデに倒されたのが事実であることが確定すると、人々は長い冬が終わった日のように、仕事を中断して街にくりだして歓声を上げ、酒を飲み、ローデの名を絶叫した。その瞬間から街は祭りとなった。
のちにミデア市はローデがアルラトゥを倒した日を祝日と決めた。その祝日はミデア市の後継であるペリボイア市に今にも受け継がれている。
§
ローデはアルラトゥを倒した後、怪我の療養のためにイデュイア山の麓にある温泉に滞在してからミデアに帰ることにしたが、結局ペイディアスと共に十日ほども滞在し、帰りもふたりで各地を観光しながら歩いたので、ローデがミデアに帰り着いたのは一か月も後のことになった。
数日後、ローデはアルラトゥを倒した功で、月の女神の巫女イオナによりトゥリアの神聖王権を授与された。
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