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妹の婚約者

 その日の城中は、朝から慌ただしかった。


 一週間をかけたヴィアリアス国王子、ガンジュンの誕生祭一日目。


 今日は前夜祭の様なもので、城下は出店や出し物によって、早い時間から賑わっており、城中では明日からの来賓を招く為の準備が行われている。


 使用人たちが忙しそうに駆け回る中、ガンジュンは物陰からそっと顔を覗かせていた。


 ガンジュンの視線の先に映るのは、身なりの良い黒髪の男性。


 明らかに上流階級のオーラを放つ彼は、傍らの従者と言葉を交わしているようだったが、この距離からでは内容を聞き取ることはできない。


「ガンジュンさま、あそこにいらっしゃるのが、カロア国第一王子のセノア様です」


 ガンジュンの後ろに控えていたライルが、声を潜めて説明をする。


 ちなみに、この場にはライルの他にメイル、ターガ、ベリィの三人もおり、朝から全員でこそこそと偵察に来ていた。


 何の偵察かと言うと、メイルの婚約者候補の偵察である。


「カロア国・・・・かなりの大国じゃないの」


 ガンジュンは視線を逸らすことなく、そう言って唸る。


 メイルの婚約者候補の相手は、隣国のカロア国第一王子。


 カロア国はヴィアリアス国の三倍ほどはある領土を持ち、軍事力に長けている国。


 今回の婚約の話、小国で資源に満ちたヴィアリアス国としては、他国からの侵略を防ぐために是が非でも繋がりを持ちたいという思いが透けて見える。

 

 一方でカロア国としても、資源を豊富に持つヴィアリアス国と良い関係を築きたいのだろうが。


 メイルとカロア国第一王子との婚約は、両国にとって重要なこと。


 顔合わせとなる今回がうまくいくかどうかで、今後の流れを大きく左右されることになるのだ。


 つまり、国の命運が、メイルもとい、ガンジュンにかかっているということである。


 ガンジュンは、メイルの婚約者候補であるセノアを隅から隅まで凝視した。


 スタイルの良さは着衣の上からでも判断できる。闇を思わせる黒髪は美しく、ヴィアリアス国では珍しい色。


 黒曜石を思わせる瞳は、優しい光を放っている。


「舞踏会ではさぞ、女性たちの目をひいてきたことでしょうね」

「素直に男前だと褒めれば良いのに。ガンジュン様って、たまに面倒くさいですよね」


 じぃっとセノアを見つめるガンジュンの後ろで、ターガがやれやれと首を振る。


 今日もターガはうるさい。じと目でターガを睨むガンジュンの横から、すっとメイルが顔を出した。


 ガンジュンと同じ金色の瞳に、婚約者候補の姿が映る。


「それで、何故我々はこんな隅で、こそこそとしているのですか?」

「だから、偵察よ」

 

 答えるガンジュンは、さっとセノアに視線を戻す。


 セノアはこんなにも見つめられているとは気づかず、城の案内の者と会話をしている様だった。


 ちなみに、隣国からの来賓は基本的に明日からなのだが、セノアは国王のいらない配慮によって、誕生祭初日から招かれている。


「メイルだって遠目でも、相手の方の顔を見ておいた方が良いでしょう?」

「普通に会いに行けばいいのでは・・・・?」


 ごもっともな妹の指摘は聞こえないフリをして、ガンジュンはすっと手を挙げてライルを手招く。


「その前に、どんな方なのか確認をしませんと。ライル!」

「はい、ガンジュン様」


 ガンジュンに絶対忠実なライルが、どこから取り出したのか、分厚いファイルの頁をめくる。


「カロア国第一王子、セノア様は文武両道、頭脳明晰。人当たりも良いと評判のお方です」

「非の打ちどころがない方ということね」


 どうやら、婚約者候補の情報を集めたものらしい。


 ライルの後ろに立ったターガがそれを覗き込んで、うわぁと顔を引き攣らせたので、かなり詳細に調べ上げられていると見える。


「カロア国自体は、軍事力に優れており、各国への影響力は絶大。しかしながら、国内の貧富の差が激しく、国の大きな課題の一つとなっています」

「成程?」


 大国の課題として、貧富の差はありがちだ。


 比べ物にならないほどの国土しか持たないヴィアリアス国でさえ、少なからずそういった側面での課題を抱えている。


「それを改善しようと、セノア様は国内の視察を自ら行い、国民に寄り添い、改革を行っている様です」

「若いのに、素晴らしい方なのね」

「・・・・もう、直接聞いたほうが良いんじゃないですかぁ?」


 そろそろこの偵察状態に飽きてきたターガが、乱暴に赤い髪をかき回す。


 飽き性な使用人は置いておくとして、ガンジュンは記憶の片隅で眠っている思い出をたたき起こした。


「そういえば、カロア国の王子といえば。小さい頃に会ったような覚えがあるわ」


 薄い色をした記憶の着色を試みて、ガンジュンは瞳を瞑った。


 しかし、暗闇では色濃く思い出すことができずに眉間へと皺を寄せる。


 例のファイルを閉じたライルが、怪訝な顔をして口を開けた。


「おかしいですね。ガンジュン様はカロア国に行ったことはないはずですし、セノア様がヴィアリアス国に来られた記録もございません」

「あら、そうなの?」


 世界一信頼のおける側近の言葉に、ガンジュンはあれ、と首を傾げる。


 会ったことのある様な気がしていたのだが、勘違いだったのだろうか。


 そこを深く考えても意味がないので、ガンジュンは早々に思い出すことを諦めた。


「あとは、何度か舞踏会ではご一緒していると思うけれど、わたくし踊れないし。あまり印象はないわ」

「まあ、今のガンジュン様では難しいですもんね」


 いくら表向き、魂が入れ替わっているとなっているとしても、流石に王子の形でドレスを着るわけにはいかない。


 かといって、中身が王女であるはずのガンジュンが王子として踊るわけにもいかず。舞踏会やパーティなどでは、顔は出すが挨拶をするだけということが常となっていたのである。


「だから今日からの一週間は、じっくり見極めさせて頂くわ」

「それなら、早く会いに行けばいいのに・・・・」


 鋭くセノアを見つめるガンジュンの背中に向かって、ターガが小声でぼやく。


 勿論、それを聞き入れるガンジュンではない。


 この大人数で固まっていれば、いずれセノアにもばれてしまいそうだ。そんなことをメイルが思っていると、それまで静かに事の成り行きを見守っていたベリィが遠慮がちに声を上げた。


「あ、メイル様。そろそろご準備の時間ですよ」

「・・・・もうそんな時間か」


 メイルは内ポケットに忍ばせていた懐中時計を取り出して、時刻を確認した。


 そろそろ、今日の予定である国王への挨拶をする為、着替えをしなければならない時間だ。


 この一週間、主役であるガンジュンは幾つもの衣装替えを行わなければならない。最後の祈りと、誕生日翌日のパレード以外は、全てメイルがガンジュン役を担うことになっている。


 メイル役のガンジュンもそれなりに衣装替えが必要だが、主役程ではない。それに、ガンジュンは様々な服を着ることができるのを、密かに楽しみにしているぐらいには苦痛を感じていない。


 逆に着飾ることがあまり好きではないメイルは、小さなため息を吐いた。


 妹への申し訳なさに、ガンジュンはぎゅっと肩を竦める。


「が、頑張ってね、メイル」

「ええ、兄上も」


 すぐににこりと笑うメイルは、あきらかに兄を気遣わせない様にしている。


 申し訳なさにガンジュンは身を小さくしたまま、一行と共に場所を移動した。



***



 それぞれの支度を終えて再び合流すると、ガンジュンは妹の姿に感嘆の声を上げた。


「とっても似合っているわ、メイル」

「ありがとうございます」


 いつもは黒を好んで着用しているメイルが、今日は見た目も華やかなシルバーのタキシード姿。

 

 装飾も煌びやかで、主役に相応しい出で立ちだ。


 うっとりと見つめるガンジュンに、メイルは「兄上も」と目を細める。


「よくお似合いです」

「あら、ありがとう」


 ガンジュンはいつも通り白いジャケット姿だが、細かな金の刺繍が豪華で美しい。動くたびに、光に反射してきらきらと煌めいていた。


 表向き王女の魂が入っているガンジュンだが、王子の姿でドレスを着るわけにもいかない。


 ガンジュンとしては、ドレスへの憧れがあるので着てみたい願望がある。


 しかし、そこまで我が儘を言える立場に居ないので、泣く泣くいつもより少しだけ細工の凝ったジャケットを着用しているという訳だ。


「では、私は父上に挨拶をして参ります」

「いってらっしゃい」


 ガンジュンに見送られて、メイルはくるりと背を向けてきた。


 その彼女の後を、当然の様にベリィが付いて行こうとしたので、それを慌ててライルが呼び止める。


「ベリィ。君はガンジュン様に付くんだぞ」

「はっ・・・・そうでした、申し訳ございません!」


 びくっと体を震わせて、ベリィはあたふたと頭を下げる。

 

 通常、ベリィはメイル付きの侍女。しかし・・・・いや、だからと言うべきか、今日からの誕生祭の期間はメイルの魂が入っているとされているガンジュンと行動を共にすることになっていた。代わりに、メイルにはライルとターガが付き添う。


 打ち合わせでもその話はずっとしていたのだが、ベリィはいつもの癖でメイルの後を追ってしまったようである。

 

 平謝りするベリィを、その場の全員でフォローしていると、後方から聞き慣れない声がかかった。


「ガンジュン王子!」

「?」


 呼びかけに、ガンジュンは不用意にも振り向いた。


 いつもの城の中ということもあり、油断していたのだ。


 振り向いた先にいた人物を認識したガンジュンは、しまったと顔を引き攣らせた。


「せ、セノア王子っ」


 切羽詰まったガンジュンの声に、その場の空気がぴんと張り詰めた。


 勿論、張り詰めたのはガンジュンたち側のみの話。声をかけてきたセノアは、特にこちらの空気の変化を感じた様子もなく、従者を二人引き連れてこちらまで歩み寄ってきた。


 目の前まで来たセノアを、ガンジュンは改めて観察してみた。


 容姿に関しては、遠くで見た時よりも美形に見える。背はガンジュンの頭一つ分ほど大きく、体躯も軍事力の長けた国の王子らしく逞しい。


 思わずガンジュンが見惚れていると、セノアが小さく頭を下げた。


「呼び止めて申し訳ない。城内を案内してもらっていたら、偶然みかけたもので。ご挨拶をと」

「そ、そうでございますか」


 漆黒の髪が珍しく、ガンジュンが放心状態で頷く。頷いてから、今の自分は王女メイルを装わねばならないことに気が付いて、しまったと口に手を当てた。


 メイル達四人からも、咎める様な視線が突き刺さって、ガンジュンは泣きそうに顔を歪める。



 もう無理かもしれない!わたくし、嘘を吐くの向いてない!



 胸中で早々に嘆くガンジュンだったが、頭を下げていたセノアは、さして気にしていない様だった。


 セノアがすっと顔を上げて微笑むので、メイルが誤魔化すように一歩前に出る。


「この度はお越し頂き、誠にありがとうございます。こちらからご挨拶に伺えず、申し訳ない」

 

 きびきびとしたメイルの対応は、とても王子を装っている王女とは思えない。


 流石わたくしの妹とガンジュンが感心していると、堅苦しい口調のメイルを、セノアが爽やかに笑った。


「ここは公の場ではないし、私とガンジュン殿は年も同じ。少し気楽にお話ししませんか?」


 どうやら、セノアはかなり気さくな人物であるらしい。


 先ほど遠くで観察していた時も、従者と思われる人物と和やかに会話をしているように見えた。


 俄然セノアという人物に興味が湧いてくる。


 ボロが出ない様にと黙っているガンジュンとは対照的に優秀なメイルが、ふっと笑みを零した。


「セノア殿が、それで宜しければ」

「ああ、勿論良いに決まっている。堅苦しいのは苦手だと言うと、父上に睨まれてしまうが」


 承諾を得て、早速くだけた調子で喋るセノアに、ガンジュンとメイルが笑う。


 彼が話すと、ぱっと華やぐ様だった。


 もう一言二言言葉を交わしたところで、ライルのわざとらしい咳払いが割って入る。


 そろそろ時間だと、その目が言っている。


「セノア殿。貴殿とはいろいろ話したいことがあるのだが、今は時間がない」

「ああ、主役を引き留めてしまって悪かった。私のことは気にせず、行ってくれ」


 メイルがそう言うと、セノアは察した様子で素直に送り出してくれた。



 空気も読めるとは、本当に指摘するところがないではないか。



 メイルは、セノアのハイスペックさに唖然としているガンジュンをちらりと横目で見てから、すっと視線をセノアに戻した。


「セノア殿のお相手は、妹のメイルが致します。城内外、どこでも好きにお連れください」

「え!?」


 妹の発言に驚愕して、ガンジュンはぐりんと首を回してメイルを見つめた。


「あ、兄上!?」

「では、私はこれで。頼んだぞ“メイル”」



 待って、急に二人にしないで!



 心の中で叫んでみるも、当然聞き入れてもらうことなどできない。


 手を振って笑うメイルが、初めて憎らしく思えた。


「いっちゃった・・・・」


 ライルとターガを従えて、メイルが颯爽と去っていく。ガンジュンとセノア、それぞれの従者がその場に残された。


 彼女の背中が見えなくなるまで立ち尽くしたガンジュンだったが、当初の目的を思い出して、ぱっと頭を切り替えた。



 妹の婚約者候補であるセノアがどんな人物であるか、調査しなければ。



 ガンジュンは後ろ向きになりそうになる自分を奮い立たせ、笑顔でセノアと向き合った。


「セノア様とは、きちんとご挨拶するのは初めてですね」

「はい」


 短い返事で返され、ガンジュンはあれ、と小さく首を傾げた。


 会話が続かず、耐えがたい程の沈黙が降り立つ。


「「・・・・・・」」



 あれ、セノア様ってもう少し気さくに話して下さる方だと思っていたけれど、意外と静か?こういう場面は、殿方からリードしてくれるものではないの?ああ、でも性別上はわたくしも男性だから、どっちがリード役でも良いのかしら?いや、今のわたくしは表向きメイルなわけで・・・・



 頭の中では考えが巡りすぎて、ショート寸前。


「セノア様は・・・・」

「はい」


 続く言葉を、ガンジュンは準備していなかった。


 まっすぐセノアに見つめられ、その漆黒の瞳に吸い込まれそうになる。


「セ、セノア様は、ヴィアリアスは初めてでしたかしら?」

「はい」


 とってつけたようなガンジュンの質問にも、セノアは淡々と頷くのみ。


 そろそろ心が折れそうだ。


「ええと・・・・もし、セノア様さえ宜しければ、城内をご案内させて頂きますが・・・・」

「はい」


 苦し紛れの提案を、これまたセノアが短く答えて頷く。


 まさか話に乗ってくるとは思っていなかったガンジュンは、失礼にも訝し気な顔をセノアに向けた。


「・・・・え?」

「はい、是非お願い致します」

 

 そう言われてしまえば、話を持ち掛けたガンジュンに突っぱねる権利はない。


 セノアは近くに控えていた従者を振り返った。


「メイル殿に城内を案内してもらうから、君たちは下がっていてくれて良いよ。カレンにもそう言っておいてくれ」


 セノアが従者を下げさせたので、ガンジュンもベリィに待機を命じた。


 正直、二人きりは気まずい。ベリィには付いて来て欲しい気持ちでいっぱいだったが、そういう訳にもいかず、ガンジュンは意を決する。




 そうして、ガンジュンによる城内案内がスタートした。




「こちらが舞踏会場。あちらが拝殿になっています」

「そうですか」


「あそこではよくメイ・・・・兄上が剣術の稽古をしております」

「そうですか」


「この先の花園は、ベリィが中心になって管理してくれているんです」

「そうですか」




 どこへ案内しても、何を言っても、セノアは短く頷くだけ。


 興味がないのか、ガンジュン扮するメイルとの交流がめんどうなのか。いずれにせよ、セノアは今回の婚約話をあまりよく思っていないと見える。


「あ、あの、セノア様」

「はい?」


 急に立ち止まって呼びかけるガンジュンを、セノアが少し通り越したところで振り返る。


 セノアの瞳に自身が映ったところで、ガンジュンは勢いよく頭を下げた。


「ごめんなさい!」

「えっ?」


 唐突な謝罪は、セノアを困惑させるのには十分だった。


 ガンジュンは焦りながら言葉を続ける。


「あの、その、わたくしとの会話、楽しくないですよね?」

「何故?」



 何故って、何故?



「何故って・・・・先程から『そうですか』と『はい』しか言って下さらないので」


 メイル扮するガンジュンとは楽しそうに会話をしていたセノアが、今は全く楽しそうではない。


「わたくしとの婚約の話、お嫌なのでしょう?」


 当然だろう。


 嘘とはいえ、魂の入れ替わりなどという奇想天外な状況下に置かれている王女を婚約者とするリスクは高い。


 いくらヴィアリアス国の資源が魅力的だとして、大国のカロア国であれば、そんな不確定要素のある小国と繋がるのに、わざわざ大切な王子を差し出す必要はない。



 それこそ、大国の軍事力をもってしてヴィアリアス国を制することだって可能なのだ。


 そんなことをぐるぐると考えるガンジュンに見つめられたセノアは、きょとんとしか顔をした後「とんでもないです」と言って首を左右に振った。


「すみません、態度が悪いように見えていましたよね?本当に申し訳ない」


 頭を垂れる姿は、誠実な青年を思わせた。


 ガンジュンの視線の高さまで降りてきたセノアの黒髪が、緩やかな風に吹かれて靡く。


「あの、ちょっと緊張してしまって」

「緊張?」


 顔を上げたセノアは、どこか照れくさそうに頬を紅潮させていた。


 その様子に、何故かガンジュンにまで緊張が及ぶ。


「メイル殿に、緊張していました。その・・・・いつも舞踏会でお見掛けしていて、それで・・・・」


 言葉の歯切れが悪い。


 先ほどガンジュンに扮したメイルに挨拶した人物と同一人物とは、とても思い難い。


 あまりにもどかしく、ガンジュンは痺れを切らした。


「・・・・それで、なんですの?」


 聞きながらも、自身の鼓動が高鳴っていくのを全身で感じた。


「えと、その、メイル殿に一目惚れをして・・・」

「!?」


 まさかのカミングアウトに、ガンジュンは驚愕から言葉を失った。


 ガンジュンがフリーズしてしまったので、セノアが慌てて説明を付け足してくる。


「一目惚れと言うと、ガンジュン王子の見た目に惚れたみたいに聞こえますか? そうではなくって、その何というか、居ずまいというか、立ち振る舞いというか・・・・」


 何故か全力で弁明をするセノアの様子を見ていると、逆に少しだけ冷静になれた気がした。


 気づかれぬように、静かに深呼吸を繰り返す。


「すみません、うまく説明ができなくて」

「い、いいえ。何となく、わかりましたわ」


 項垂れた様子のセノアを気遣う様にして、ガンジュンは細かく頷いて見せた。


 急な展開にどぎまぎしてしまったが、セノアの本心を知ることができたのは収穫である。


 今日も温室で開かれる報告会で、メイルに伝えなければ。


 一人そんなことを思うガンジュンに向かって、セノアは再び頭を下げてきた。


「どんな理由であれ、メイル殿に気を遣わせてしまい、申し訳ありませんでした」

「いいえ、頭を上げてくださいセノア様」


 そう何度も頭を下げるものではないと、ガンジュンアは焦ってセノアの顔を覗き込んだ。


 美しい黒曜石の瞳と目が合う。


 ガンジュンは、音を立てる脈に自身の動揺を感じて、咄嗟に視線を逸らした。


 今まで感じたことのない種類の動揺。頭の奥がくらくらする。


 一体、自分はどうしてしまったのか。


 漸く頭を上げてくれたセノアは、それからふわりと表情を和らげた。


「今回のお話を聞いた時、驚くと同時に、とても嬉しくなりました」


 話すセノアの声はどこまでも柔らかく、耳に心地よい。


 真摯に紡がれるセノアの言葉を、ガンジュンはじっと聞いていた。


「立場上、結婚は国の為になる様にしなければなりません。その相手がメイル殿という奇跡に感謝します」

「・・・・・」


 心の底からの言葉だと思えた。


 そして、そんな彼の言葉を、どちらかといえば嬉しい気持ちで受け取る自分がいることにガンジュンは気が付いていた。


 黙ったままのガンジュンを心配して、セノアが探る様な視線を向けてきた。


「・・・・引きました?」

「いいえ!」


 そこだけは全力で否定すると、セノアは少し驚いた後、目を線にして笑った。


「だから先ほど、メイル殿に『ごめんなさい』と言われた時は肝が冷えました」

「え?」

 

 頭を搔きながら笑うセノアは、好きな人を前にした好青年そのもの。


「今回の婚約の話、断られたのかと思いました。違って良かったです」


 爽やかな笑顔が眩しく、ガンジュンはすっと目を眇めた。


 きらきらとしたものが、セノアの周りに舞い散って見える。


 これは幻覚だろうか。慣れないことをした所為で、キャパシティを超えてしまったのかもしれない。


 ガンジュンはふるふると頭を振ってから、自分は妹の婚約者候補を見定める使命を負っているのだと自身に言い聞かせた。


「あの、セノア様」

「はい、何でしょう」


 ガンジュンからの呼びかけに、セノアは期待の籠った瞳をこちらに向けてくる。


 ガンジュンは平静を装いながら口を開いた。


「セノア様は信じておられますか?・・・・その、わたくしたち兄妹の噂のこと」

 

 常人ならとても信じることはできないであろう“魂の入れ替わり”という噂。


 何故か国民と隣国には決して疑われることなく受け入れられているが、セノアはどう思っているのか、これはどうしても聞きたいと思っていたのだ。


 ガンジュンのここ一番質問に、セノアは実にあっさり「勿論」と即答した。


「初めて聞いた時は信じられませんでしたが、お二人を見ていたら、本当なんだと思えましたよ」

「そうですか・・・・」

 

 セノアの言葉が、ぐさりとガンジュンの心に突き刺さる。


 騙しているという罪悪感が一気に押し寄せてきて、目の前が眩んだ。



 こんなにも誠実そうな人に、嘘をついているなんて。


 そう思ったが、今に始まったことではないのだと急に思い出してすっと頭が冷えた。


 セノアだけじゃない。国民にも友人も散々騙してきたではないか。


 あと少しで終わるのだ。この夢の時間は。


 その後は、自分だけに嘘をついて生きて行けばいい。



 その方がずっと楽に生きられると、ガンジュンは自嘲気味に笑ってから目を伏せた。


「ほっと致しましたわ」

「え?」


 たっぷり間を空けた後のガンジュンの呟きに、セノアは緊張の面持ちで続く言葉を待った。

 

「セノア様は、今回のその・・・・婚約の話が気に入らないのかと思っていましたので」


 もしそうなら、この話はなかったことにしなければならない。


 どうやって反故にしようかと、昨日の夜から考えていたのだ。


 実はそうなることを心の内で密かに望んでいた自分がいたことは、記憶の隅に強く押しやった。


 一呼吸置いた後、ガンジュンは「セノア様」と優しく呼びかけて、ゆっくりと微笑んで見せた。


「明日のご予定は、もう決まっておりますか?」


 唐突なガンジュンの話の切り替えに、セノアは虚を突かれてちょっとの間戸惑ったようだった。


「明日ですか?午前中は国王陛下と挨拶がありますが、午後は特に」


 セノアの回答を聞いて、ガンジュンは自分でも気が付かぬうちに顔を綻ばせていた。

「それでしたらあの、わたくしに付き合って頂けませんか?」

「え」


 どきどきしながら、ガンジュンは言葉を紡いでいく。


 まるで告白でもするような緊張感が漂った。


「是非、セノア様にヴィアリアス国を案内させて頂きたいのです」


 ガンジュンの申し出に、セノアは黒曜石の瞳を煌めかせた。


「メイル殿が案内して下さるのですか?是非お願いしたいです」


 セノアの浮かべる笑顔が少年の様にあどけなく、うっかり絆されてしまいそうになる。



 いけない、いけない。彼は妹の婚約者候補なのだから。もっと見極めなければ。



 城下を案内するというのも、もっとセノアのことを知る為に必要な手段に過ぎない。他意は一切ない。


 はずだ。


「そ、それと、一つお願いがっ」


 いちいち声を詰まらせるガンジュンにも、セノアは嫌な顔一つせずに「はい」と笑顔を向けてくれる。



 わたくしって、こんなに話すのが下手だったかしら?



「その、わたくしとも、兄上と同じ様に話して頂けませんか?」

「ガンジュン王子と?」


 くだらないお願いだと、呆れられただろうか。


 ガンジュンはセノアの顔を見られず、ぎゅっと瞳を瞑って俯いた。


「難しいでしょうか・・・・?」


 この消え入りそうな声を、従者たちが聞いたのなら腰を抜かすだろう。


 いつものガンジュンからは想像できない萎らしい声色に、セノアは爽やかな笑顔を返してくれた。


「じゃあ明日、よろしく頼むね、メイル殿」

「お任せください!」


 ガンジュンが自信満々に胸を張る。


 お願いを聞いてもらえたことで、気持ちが高揚していた。


 既に頭の中は明日の計画を描いていて、ガンジュンは幸せな笑みを浮かべたのだった。



***



 その日の報告会をするべく、いつものメンバーが夜な夜な温室に集まった。


 ライル以外の全員が着席し、一通り今日のお互いの行動を報告し合う。ついでに、明日の予定もみっちり予習した。


 明日の予定を確認し終えたところで、メイルが愁いを帯びた息を漏らす。


「明日は来賓が多いから、どっと疲れそうね・・・・メイルが」


 忙しさはメイルの方が圧倒的だ。申し訳なさに押しつぶされて落ち込むガンジュンを、メイルが笑顔で励ます。


「兄上はお気になさらず。セノア殿のお相手をお願いしますね」

「ははは・・・・」


 ガンジュンとしては、笑うしかない。


 今日の出来事の仔細をこの場で話すのは、なんとなく照れくさい。


「そういえば、どんな方でした? セノア様は」


 遠慮のないターガの問いかけに、その場にいた全員の視線がガンジュンに集まる。


 ガンジュンは急にどぎまぎとして、言葉の歯切れを悪くした。


「まあ、悪い人ではなさそうね。でも今日はあまりお話しできなかったから。明、日城下を案内しながら探ってみるわ」

「え、なんか報告の内容が薄すぎません?」


 ガンジュンの実のない報告を、立場を弁えないターガが軽く指摘する。


 しかし、それで動揺するガンジュンではない。


「うるさいわね。だから明日、ちゃんと報告できるようにしてくるわよ」


 ずずっと音を立てて、用意されていた紅茶を飲み干す。後ろに控えていたライルが、すかさず空になったカップへと紅茶を注いだ。


 綺麗な琥珀色の波に、ガンジュンの顔が映る。


 口の端がにやけているのに気が付いて、ガンジュンは慌てて「とにかく」と話を強制終了させた。


「今日の報告会は終わり!明日も宜しく、解散っ」


 ついでにこの会も終了させて、ガンジュンは椅子からすくっと立ち上がる。


 逃げるようにして温室を後にしようとするガンジュンに、メイルがそっと声をかけた。


「おやすみなさい、兄上」

「ええ、おやすみ」


 顔だけ振り返って、笑顔で返事をするガンジュンの後を、当然の様にさっとライルが付いていこうとした。


 それを、ガンジュンがやんわりと制止する。


「後は湯に浸かって、寝るだけだから」

「はい、知っておりますが」


 それが何か?という顔で、ライルは変わらずガンジュンの後を付いてこようとする。


 いつも察しの良いライルは、こういう時に限って融通が利かない。


 どうしたものかとガンジュンが困っていると、ターガが満面の笑みでライルの背中に飛びついてきた。


「ライルさん、ちょっとは空気読んでくださいよ。そのうち、ストーカー扱いされちゃいますよ?」

「はァ?」


 要らない言葉を添えたターガを、ライルが低い声と共にギロリと睨む。


 ガンジュンは対照的な従者二人の姿に、小さくため息を吐き出した。


 ターガの気遣いはありがたいが、やり方が雑過ぎる。より面倒にしてどうする。


「・・・・少し、一人になりたいの。良いでしょう?」

「・・・・承知致しました」


 伏せ目がちのガンジュンにそこまで言われれば、反発することはできない。


 ライルはまだ納得していない様子だったが、渋々承諾してくれたので、これ以上余計なことは言わずにおく。


 その代わり、


「だから、その後ろの粗野な男を、よおく教育しておいて頂戴」

「承知致しました」

「ええ!?何で!」


 今度こそ潔く頷くライルと、驚愕の声を上げて喚くターガ。


 二人のいざこざを止めようかどうしようかと迷うベリィと、その様子を愛おしそうに眺めるメイル。


 皆本当に対照的だと、ガンジュンは可笑しくなって笑った。

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