▼6階・エレベーター前
▼6階・エレベーター前
舜平がエレベーターの下降ボタンを押す。ドア上部に並んだ階数表示を見ると、『1』の数字が点灯していた。上昇してくるまで少々時間がある。なんとはなしに辺りに首をめぐらせると、近くの休憩所に自販機が設置されてあるのを見つけた。ジュースでも買って飲みながら帰ろうぜ、と、傍らでスマホをいじっている正則を誘おうとしたが、「あのさー」と先に口を開かれる。
「……僕はやっぱり階段で降りよっかな」
正則は眉根をよせて顔をすこし伏せた。今の今まで陽気だった雰囲気が、なぜかすっかりしぼんでしまっている。肘をさすりだし、落ち着きがなくバツが悪そうにしている。加えて、エレベーターのドアをちらちら横目にしていた。
「エレベーターがどうかしたか?」
「病院から帰るときのエレベーターって、危ないって言うでしょ?」
さも当然というように同意を求められるが、舜平は意図することがよくわからず、「危ない?」とオウム返しで説明をうながすにとどまる。正則はまじめくさった目つきで、「こういう話聞いたことない?」と前置きし、スマホをポケットにしまってじっくり語りだした。
「病院で死んで成仏することなく彷徨っているレイがいて、エレベーターに乗るときに一緒に入り込んで取り憑いてしまう。それで、もしもレイをそのまま家に招き入れちゃったりすると、お持ち帰った人をはじめ、住んでいる人みんなに様々な厄災がもたらされてしまうって話」
あまりに真剣な様子だったので思わず聞き耳を立てていた舜平だったけれど、深々と嘆息した。物理的な事故に関することかと思えば、まるで見当違い。なんともスピリチュアルである。まさか正則はその手のデタラメを信じているのだろうか。
「えっと……〝レイ〟って幽霊の〝霊〟ってことか?」一応、確認のために訊く。
「そう! 霊だよ、幽霊! 危ないんだよ!」
正則はこぶしを熱く握りしめていた。ナーバス状態から一転し、興奮した状態で詰めよってくる。鼻息が荒く、生息が頬をなで抜けるまでに急接近。舜平は勢いにうろたえて、身を退かせながら「わかった、わかった」と両手を伸ばして距離を置く。どうやら冗談で口にしているのではないらしい。本気で訴えているように見えた。その相貌がとても滑稽に映り、こらえきれずに吹き出してしまう。
「なあ正則、お前ってさ、そういうオカルトな話とか信じる人だった?」
「ううん、全然。信じないよ」真顔で返答。
「……はあ?」
「信じないけど、不安になるでしょ?」
「んん? どういうことだ?」と、舜平は一転して困惑の面持ち。
「もしかしたら……って思うと、不安になるよね。僕は霊感なんて無いからさ、実際、幽霊なんてモノが存在して、それが憑いてきたとしても、全然感じたりできないんだろうけど、そのあとに何か嫌だったり不運な出来事なんかがあっちゃうと、もしかしてあの時エレベーターに乗ったせいで……とか考えちゃって、不安になっちゃって、どうもダメなんだよ。わかる? だからね、そういう話を耳にしたら、胡散臭くて笑い話のような事でも、避けられる状況ならばなるべく回避することにしてるんだよ」
平然と言葉をかさねる正則に、舜平の顔がさらに険しくなる。
「……それって、つまるところオカルトを信じてるってことだよな? 信じる心があるから疑って不安になるんだろう?」
「いや、信じてないよ」と、正則はふたたびキッパリと否定。
「いやいや、信じてるだろ、馬鹿か?」舜平は額の青筋をひくつかせ苦笑い。「信じないっつゥーんならエレベーターに乗れよ。ほら、もう6階に着くぞ」
「信じないけど乗らないよ、僕はもちろん階段を使うから。舜平くんは当然、エレベーターに乗るんだよね?」
「当たり前だろ。俺はそんな馬鹿げたオカルトなんて、これっぽちも信じてないからな」
「だーかーらー、僕も信じてないよ、オカルトなんて」
「じゃあ、おま……チッ、ああもう! だいたいエレベーターが危険ってなんだよそれ。どうしてエレベーターに限るんだよ、乗った時点で憑いたり憑かれたりしなきゃならないんだよ、どこだっていいだろ。それにどうして帰りのエレベーターなんだ? 行きのエレベーターで憑かれないっていう保証はあるのかよ、えェ?」
「それは……だから――」
――チンッ。
二人が醜い言い争いをしているところに、エレベーターが悠然と到着。二枚の扉からなる両開き式のドアが、中央から両端へと収容されるように開いていく。薄暗く黄ばんだ天井灯に照らされている内部に、人はひとりも乗っていない。空箱である。
「ほら、エレベーター来たよ。じゃあ、僕は階段で降りるから、エレベーターで来てよ。一階で合流ね。階段使ったらヘタレだから! ゴミムシ確定だから!」
「ヘタレはお前だろ!?」
引き止める間もなく、正則はエレベーター脇にある階段をさっさと降り始めてしまう。
舜平は頭をかきながらエレベーターの中へ足を踏み入れた。