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白塚小夜子2

『では、土曜日、午後一時に現地集合という事で。よろしくお願い致します』

 琴平ことひらさんとの、次のアルバイト日時を連絡する電話。不思議な事に、いつも食事も風呂も終えた自由時間にかかって来る。メモを取りながら、その日の私はふと琴平さんを呼び止めた。

「今って、お時間ありますか?」

『ええ、問題ありませんが。何か?』

「いえその、ちょっと興味が湧きまして。無駄話なんですけど」

『はい』

「琴平さんって、いつから小夜子さよこさんのお家に勤めていらっしゃるんですか?」

 小夜子さんと行動を共にするようになってからほぼ毎日、琴平さんとも会って言葉を交わしている訳だが、今まで一度も交流らしい交流がなかった。何より個人的に、お嬢様学校に入学してから本当に実在したんだ! と気になっていたリアルメイドさんのお話が聞きたくて仕方なかったのだ。

『そうですね…お嬢様が小学五年生の頃からなので、五年近くになりますかね』

「へぇ、小学生の小夜子さんってどんな感じだったんですか? やっぱり今と……」

『今より酷かったですね、当時のお嬢様は大層荒れておられましたので』

「えっ」

 今より酷いって……どういうベクトルかにもよるが、今より酷いって……。

『初めてお会いした時、お嬢様は自棄になっておられました。度重なるメイドの交代でお疲れだったのでしょう。お勉強を放り出して脱走、学校をサボって脱走、食事も摂らずに脱走、脱走脱走脱走祭りで、それはもうメイド長に叱られたものです』

「えぇ……」

『ですがお嬢様は言って聞くような方ではないので、試しに家を出てどこへ行っているのか後を付けてみたのです。

 すると、日中は川で河童釣りを、暗くなると心霊スポット周辺をうろつく生活をしていらっしゃいました。なので、翌日きゅうりと良い釣り竿をお部屋に持って行きました。お嬢様は大変驚かれまして。それ以降、私にのみ行き先を伝えて脱走するようになりました』

 脱走はしてるんかい。それにしても、思っていたよりもアクティブだ、良いとこのお嬢様の行動とは思えない。確かに今より酷いかもしれない。

『私も叱られるのが嫌なので、お嬢様を追いかけてこっそりとお屋敷を出まして。流石に夜は危ないので、お嬢様と共に行動するようにしまして。そのうちお嬢様も私の意見を聞き入れてくれるようになり、家の者が見回りにくる時間は部屋でずっと勉強していたように偽装工作をしようと話を付けました』

 琴平さんはまともだと思っていたのに……。

『やがてお嬢様もずる賢くなり、それなりに良い素行をしていれば監視の目が緩む事に気付かれまして、表面上は大人しくなっていったのですが、性根だけは変えられないようで。私も年を取りましたし、廃墟探検に連れ回されるのは中々辛くなっていたので、旭日あさひ様の存在には大変助けられております』

 ちなみに、琴平さんの私への名前呼びは、小夜子さんがそう呼び始めて直ぐからだ。

「いえ、こちらこそ、色々助かってるんで……って、琴平さんの話を聞こうとしていたのに、小夜子さんの話がメインになってますね」

『私のメイドとしての人生はほとんどお嬢様と共にありますからね。私はお嬢様に拾い上げてもらったも同然ですから。

 お気付きだと思いますが、私、メイドとしてはあり得ない態度でしょう?』

「ええと……私は一般的なメイドさんがどんな感じなのか知らないので……」

『まあ、とにかく私は落ちこぼれでして。白塚しらつか家をクビになったらもう行く場所がない状況でした。

 ある日、お嬢様との数々の悪行がメイド長と旦那様にバレまして。私が監督不行き届きで解任されそうになったのですが、お嬢様が必死に食い止めて下さったのです。琴平が止めたら、自分の世話をするメイドはどこにいるのだ、と。悲しい話ですがもうその頃にはお嬢様の付き人をしたがる使用人は屋敷にいなかったので、私はお嬢様専任メイドとして解雇を免れたのです。

 ですから私は、この恩をお返しする為、お嬢様が私を捨てるまで付き従おうと決めました。……一人で出来る事には限界がありますけれどね』

 その限界の一つが、心霊探索か。私が小夜子さんと行動を共にしている間、琴平さんはGPSで小夜子さんの居場所を確認しつつ、部屋の掃除や買い出しをしているらしい。確かに、二十四時間危なっかしい小夜子さんの見張りをしろと言われたら、私も完全週休二日か確認するだろう。

「メイドさんって、大変なんですね……」

『かなり特殊な事例なので、一般的なものだとは思わないで下さいね?』

「その特殊な事例を五年もやっている琴平さんが凄いんですよ……」

 褒める、というより、同情の念を込めてそう言うと、『い、いえ、その、大した事では……』と恥ずかしそうな声が聞こえた。

『で、では、後日、その前に明日ですね。よろしくお願い致します』

「はい、貴重なお話聞かせていただきありがとうございました」

 ピッ、と通話が切れる。慌てた様子の琴平さんと、小学生の小夜子さんの話、大変興味深い雑談だった。

 小さな小夜子さんと琴平さんがきゅうりの付いた釣り竿を持つ姿を想像しながら、その日は眠りに就いた。



「河童釣り……」

 小夜子さんを見るなり、いや見る前から、何故か河童釣りというワードが頭から離れなくなっていた。お弁当にもきゅうりスティックが入っている。無意識に入れていた。

 朝、「ごきげんよう」と挨拶に来た小夜子さんに、思わずぼそりと呟いた。慌てて「ごきげんよう」と返すが、もう遅い。

「懐かしい単語ですね。……本日の活動はそれにしましょうか」

 やらかした、と思った時には、小夜子さんはにこにこ笑って自席に着いていた。もう考えは覆せそうにない。

 こうして私は、釣れないものを釣りに行く事になった。


 裏門で送迎のロールスロイスに乗る。小夜子さんが運転手に行き先を告げ、車が走り出す。ちょっとした避暑地と知られる川へ向かうようだ。

流川ながれがわは、過去に河童の目撃情報があった場所なのですよ。……六十年も前ではありますが」

 商店街の東を流れる川の支流で、少し山に入る。町から自転車をかっ飛ばせば行ける場所でありながら、蛍が出る程水質が良い。水量がそれ程多くない為、夏場になると上流の河原で水遊びする子供が絶えない川だ。

「わたくしの秘密の釣りスポットへご案内します。人がほとんど来ない穴場があるのです」

 車が停まった場所は、山へ入ってすぐ、川の中流。河川敷がなく、土手の真下が少し深い川なので、遊んでいる子供はいない。が、見える範囲に駐車場スペースがあり、私達が停まった場所の下流で釣りをしている人影がある。

「この辺りは知る人ぞ知る釣りスポット、普通の餌を付ければ川魚がかかるでしょう。しかし、わたくし達が探しているのは魚ではありません」

 琴平さんがトランクを開ける。ロールスロイスから釣り竿とバケツに入ったきゅうりが出てきた。

「魚が間違ってかからないように、きゅうりは大きめに割ります。河童を傷付けてはいけないので、釣り針は使わずに。きゅうりが外れないように紐でしっかりと結びます。釣り方にもコツがあります、きゅうりを括った紐が水中に入らないように、きゅうりの半分は水面に出しておく事。これが正しい河童の釣り方です」

 そんな作法があるのか、と驚きつつ、手渡された竿を握る。釣り自体は何度かやった事がある――今晩のおかずの為というやるせない事情でだが――ので、触感だけで使った事のない良い釣り竿である事がわかった。これなら河童ではなく、普通に魚を釣ってみたい……。

 残念、当然ながら餌はきゅうりしか用意されていなかったので、渋々紐の先にきゅうりを括りつける。釣り糸ではない、紐だ。謎の魔改造が施されている。

 小夜子さんは土手に置いたアウトドアチェアに座り、既にきゅうりを水面に垂らして当たりを待っていた。私も同じくきゅうりを投げ入れ、琴平さんが出してくれた椅子に腰かける。このチェアも無駄に座り心地が良い……。

「河童の正体としてよく挙げられるのが『カワウソ説』です。各地で河童のミイラとされる水かきの付いた手がDNA解析によりかつて各地に分布した絶滅種ニホンカワウソのものだと判明しています。水面から出した頭が光の反射で白く見え『皿』があると思われた、と言うのもあり得る話です。が、地方によっては河童の大きさや、相撲を取った等カワウソでは説明できない伝承もあります。

 次に有力とされるのが、『捨て子説』。口減らしの為に川に捨てられた子供を河童と言い、そうでない子供達に悟られないようにした、というものです。残酷ですが、各地で供養地蔵が建てられる程に、確かに実在した風習なのです。これは河童が子供のように遊びに加わる事への強い理由付けになります。

 また、河童は人を川底に引きずり込み、尻子玉を抜くと言われていますが、これは水死体の肛門の括約筋が緩んだ様子から来ているとされ、川に近付くとどざえもんになるぞ、と暗に言い聞かせる意味があったと考えられます。

 総じて、河童というものは川に住む者、川の脅威の偶像化なのです」

「……という事は、現代には実在しない、と考えていいんですかね?」

「いる事を期待しています。否定も肯定もしません。ですからこうして釣りをしているのです」

 確かに、付いてきただけの私と主導している小夜子さんでは考え方が違うだろう。いないと思っているものに対して、他人を巻き込んでまで花の高校生の放課後一日分を費やすなんて事は考えられない。そういえば、人魚の時も似たようなやり取りをしたなあ。

「それにしても、河童にも詳しいんですね。妖怪と幽霊は別物では?」

「わたくし、元々は『妖怪博士』だったのですよ。中学生までは妖怪一途でした。大きくなるにつれて、妖怪は科学が未発達だった時代に自然現象を擬人化し名付けたものだとわかり、あまり興味を惹かれなくなったのです」

 正体がわかったから、興味をなくした、と。それに対し幽霊はまだ正体不明だから惹かれる、という事だろうか。しかし、今までの口ぶりからすると妖怪に対する思いも完全に消えたわけではないのだろう。正体は明かされたけれど、実在してほしい、難しい感情だ。

 一向に波に揺れる以外の動きをしない竿先を見つめ、しばらく無言の時間が流れた。使ったきゅうりはどうするのだろう、清流で冷やしたのだからさぞかし美味しいだろうなあ、晩ご飯何にしようかなあ、等と考えていると。

「あら、河童……ではありませんね、人が流れてきました」

「えっ!?」

 小夜子さんの声に、急いで上流を見る。水面でバタバタする手足、半分しか出ていないが、間違いなく人の頭部、子供、男の子。

「大変……助けなきゃ!」

「慌てないで下さい、絶対に飛び込んではいけませんよ。流水は膝上以上の深さがあると、いくら泳ぎが得意でも間違いなく流されます、ここの水深では二重事故になるだけです。

 まず人手を集めましょう。わたくし達だけでは引き上げられないかもしれないので、琴平と洗井あらいを呼びます。下流の釣り人様にもお声掛けしましょう。琴平には119へ連絡してもらって。

 旭日さん、丁度ここに良い紐があるではありませんか。これを少年の手が届く場所へ投げ入れてください」

「……わかりました!」

 川の流れは、深い場所は思っているよりも早い。少年が流されているのはそういった場所だ。だが、川岸近くは緩く、少年を飛び越えそこへ紐先を投げ込めば流されづらく捕まえやすい筈。

「キミ! ロープ! 掴んで!」

 叫びながら、一度引き上げたきゅうりを少年の頭上少し下流目がけて投げる。よし、目標の位置に届いた。

 少年はパニック状態のようだったが、バタバタと動かしていた手が紐に当たり、奇跡的に絡まった。その感触で少し冷静になったのか、離れる前にしっかりと両手で紐を掴み直した。

「そのまま離さないで下さい! 暴れないで、落ち着いて、仰向けになって、紐を掴んだまま手を胸の位置へ!」

 琴平さんと洗井さんを呼び戻って来た小夜子さんが、大声でそう伝える。少年は言われるがままのポーズを取り、ぷかぷかと水面に半身を浮かべた。

 下流の釣り人も加わり、大の大人の力で少年を引き上げる。上流の河原で遊んでいたら、足を滑らせ流されたらしい。上流側から少年の友人三人が走ってきて、無事を確認し大泣きしていた。幸い怪我はないようだったが、念の為到着した救急車に後を任せる。少年は笑顔でこちらに手を振って、病院へ運ばれていった。

「河童の川流れではなく、人間の川流れでしたね」

「良かったなぁで終われるところになんて事を」

「河童だったらわたくしも良かったなぁだったのですが」

 その後、助かったとはいえ人が流れた川で釣りを続ける訳にもいかず、余ったきゅうりを持って帰宅となった。タダでたくさん譲って貰ったので、当分の食事はきゅうり三昧だ。

 「きゅうりってほぼ水分で栄養がない野菜なのですよ」と言われたが、我が家では野菜! ビタミン! で押し通している。

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