赤かぶ白かぶ
「お姉ちゃん、怖い話探してるんだっけ?」
カーペットの上でごろごろしていた妹が、突然話しだした。
「私じゃないよ、それは友達が……」
「最近噂になってる怪談があるんだけどさ、結構遭遇率高いらしくて」
妹、晴日はむくりと起き上がり、注目せよと人差し指を立てる。聞かない選択肢はないらしい。
「夕方、商店街近くの橋の下に、怪しい老婆が立っていた。傍を通り過ぎようとしたら、ぶつぶつと何か呟いているので、聞き耳を立ててみた。
『……赤いかぶ……白いかぶ……』
声が小さくて聞こえないので、近付いてみると、突然老婆が大声で叫んだ。
『赤いかぶと白いかぶ、どっちにしますかーい!』
驚いてとっさに白を選んだツレは、血を抜かれてカラッカラの死体に。オレは赤を選ぶと、身体中から血が噴き出し真っ赤な死体になった……」
「語り手死んでるならどうやって書き込んだんだよパターン」
「まぁまぁ、内容はさておき、この赤かぶ白かぶ婆が、ほんとに何人にも目撃されてるんだよ。クラスでも見た人いてさ、怖くて話しかけた人はいないみたいだけど。お姉ちゃんも行ってみなよ」
「えぇ……」
いかにも創作臭い話を聞かされて、行こうという気になるのは難しいだろう。いくら小夜子さんだって……。
「では、本日はその噂を検証しましょうか」
妹から聞いた胡散臭い怪談をそのまま話したところ、返って来た一言目がこれだった。
「本気ですか? どう考えても作り話じゃないですか」
「そのお話はわたくしも聞き及んでいまして、物語形式ではなく、単純に『不気味なお婆さんが立っている、幽霊ではないか?』という噂が出所であると認識しています。調査優先順位は低めだったのですが、旭日さんに届く程にまで広まっているのでしたら、良い機会かもしれません」
常々不思議に思っているのだが、一体小夜子さんはどんなネットワークからこういった話を仕入れてくるのだろう。まだ、近所の小中学生が面白がって噂している程度の怪談のはずなのだが。
「妹さんから橋の場所はお聞きになっていますか? 自力では四ヶ所までしか絞れなかったので、もう少し情報があるとよいのですが……」
「多分あそこだなって場所はありますね……」
「では、案内をお願いします」
鞄を持ち、小夜子さんはにっこりと微笑んだ。
件の商店街の近くには、三つの橋がある。その中で、妹が通う中学校に近いのが西側の橋だ。土日に毎回帰って来るので忘れがちになるが、妹の学校は全寮制。門限を考えると出歩ける範囲はそんなに広くない、クラスメイトが目撃したというのならここが有力だと思われる。
近くで車から降ろしてもらい、徒歩で橋の傍へ。小さな川で、夏には浅瀬で水遊びする子供を見かけるが、中央は人が流される事故が起きた程深い。幸い死人は出ていない為、河川敷へ降りる道が封鎖される事はなく、橋梁は落書きだらけになっている。
「階段、急なので気を付けてください」
「水の傍へ行くと冬の様な寒さになりますねえ……」
手をさする小夜子さん。もうそんな季節か、と思うと同時に、小夜子さんと出会ってからまだそれしか経っていないのか、と驚きもする。夏、秋とそれはもう数々の心霊スポットに連れていかれたものだ。
階段を降り、慣れない砂利道にふらつく小夜子さんを支えながら、薄紫の空を見る。時間は良い頃合いだろう。
「橋の下ってこんなに暗いのですね、もっと近付かないと、人がいても見えませんね」
夕暮れ時という時間帯は、下手に周りが明るいせいで、陰になった場所は暗黒といっていい程に暗く見える。小夜子さんの言う通り、橋の下は人がいるのかいないのかさえ確認できない。
ツヤツヤのローファーに泥を付けながら進む。小夜子さんはこうなると足元を見ないし、多分家には靴を磨いてくれる使用人がいるからいいのだろうが、自分で磨いている私としては少々心臓に悪いものがある。
「うわぁー本当にいたー!」
突然叫び声がして、暗闇の中から小学生らしき男の子が三人飛び出して来た。脇目もくれず、私達の横を走り去り、わーきゃー言いながら階段を駆け上がっていく。
どうやら、いるらしい。
「さ、小夜子さん……」
何かあったら困るので、先行しないよう呼び止めたが、既に彼女は橋の影の中。迷いない足取りで橋梁の一つへ向かっていく。
急いで後を追う。暗闇に目が慣れた時、彼女の目の前に別の人影を見つけた。
ぼさぼさの白髪、ヨレヨレでシミだらけの服、酷く曲がった腰。髪の隙間から、ギラリと目が光った。
「……赤いかぶがええかい、白いかぶがええかい……」
間違いない、噂の通りの、不気味なお婆さん。
「小夜子さん、離れて――」
「おばあ様、お家はどちらかわかりますか?」
小夜子さんは平然とした様子で、お婆さんの前にしゃがみ込み話しかけていた。
「赤いかぶと、白いかぶ、どっちがええんだい……」
「かぶはおばあ様がお作りになったの?」
「そうさ…うちの畑でなぁ…丹精込めて作ったんさ……」
「でしたら、両方頂こうかしら」
「したら四百円だなぁ……」
何やら会話が通じている。小夜子さんが失血したり、出血したりする様子はない。そして、お婆さんが何かを持ち上げ渡す動きをしているが、その手にも足元にも、何もない。
「あら、お安いのですね…困りました、今手元に小銭がなくて……あ、旭日さん、お電話お持ちでしたよね、こちらに連絡して頂きたいのですが」
私を手招きして、お婆さんの足を指差す。そこには何か書かれたカードが……首から下がっていた。腰が曲がっているせいでこんなに下になっているようだ。
『平井知代子 〒○○○-○○○○ TEL○○○-○○○-○○○』
これは……迷子札?
言われるがまま、書いてある番号に電話を掛ける。その間も、小夜子さんはお婆さんと雑談していた。
いきなり知らない番号から電話が掛かってくるのは怖くないだろうか、とコールしてから思ったが、相手の男性は非常に焦った様子で開口一番『うちの母がご迷惑をおかけしましたか!?』と言った。
「おばあ様、もう直ぐご家族が迎えにいらっしゃいますからね」
「んまいかぶじゃ、生で食ってもええし、煮てもええからな」
「はい、シェフに伝えておきます」
星がチラチラと輝き始める。近くで車が停車する音がして、スーツ姿の男性が階段を下りてきた。
「すみません! 母を保護して頂いて……!」
「いえ、お話していただけで、大した事はしていませんから」
「本当にご迷惑をおかけしました! ほら、母さん、帰るよ!」
「……あの、少々よろしいですか?」
お婆さんの身体を押して連れて行こうとする息子さんを、小夜子さんが呼び止める。
「見たところお仕事をされている様ですが、その間おばあ様はお一人でお家にいらっしゃるのですか?」
「え、ええ。鍵を掛けてはいるんですけど、いつの間にか出歩いてて。ホント、困っちゃいますよ」
「介護士さんを自宅に呼んだり、施設に預けたりなさっては?」
「……母を見つけて頂いた事はありがとうございます。ですが、これは家の問題ですので」
「イライラしながら家族に介護されるよりも、整った施設で暮らす方が本人も気が楽だとは思いませんか?」
「小夜子さん、そんな言い方は……」
「認知症の患者にも、意識はあるのです。かつて出来ていた事が出来なくなった苦しみが、家族に迷惑をかけているという認識があるのです。お互いの為に、世間に助けを求めるべきだとは思いませんか?」
「……世間ってのはね、無責任なんですよ。こっちが苦労してるのを見れば、施設に入れたら、なんて言って。本当にその通りにしたら、息子さんに見捨てられて可哀そうね、って言いだすに決まってる。世の中そんなもんなんですよ」
「家の問題だと、ご自分でおっしゃったではありませんか。でしたら、世間の声など気にせずに、自分たちの幸せを優先するべきでは?」
「……失礼します。ご迷惑をおかけしました」
軽く礼をして、それ以上息子さんはこちらを向く事はなく、お婆さんを連れて立ち去った。
「おばあ様、昔は自分の畑で作ったかぶを売り歩いていたそうです。日差しの熱い日は、ここで休憩をするのが決まりだったと。
それにしても、冷静に見れば生者だとわかるのに、一体どこで尾ひれが付いたのでしょうね」
「いやぁ……子供って結構残酷ですからね……」
蓋を開けてみれば、身なりの乱れたお婆さんが立っていただけの話。しかし今回は、何もなかったとは言えなかった。
頻繁にズレる会話を根気よく続ける小夜子さんの姿を思い起こす。お婆さんを力づくで連れて行った息子さんを思い出す。
「小夜子さんは、自分の親が認知症になったらどうするんですか?」
「地上に出ている働きアリって、皆年寄りなのですよ。何故なら、踏まれたり襲われたり、死亡するリスクが高いから、残りの寿命が短い者がその役目を負うのが効率的なのです。
結論を言いますと、働けるまで働かせて、邪魔になったら施設に入れます」
「血も涙もありませんね!?」
「家族なんて、血が繋がっているだけの他人ですよ? 他人に自分の幸せを邪魔されたくはありませんから」
「うわぁ……」
相変わらず人間味がない答えだ。だがこの問題は、私自身も、何が正しいのかわからない。
実際そうなった時、こんなにきっぱりと判断を下す事が出来るだろうか。
「悩むのは、それが現実に起こった時でいいではないですか。旭日さん、冷えてきましたし、帰りま……っくしゅっ!」
おっと、まずい。風邪をひかれては私の監督責任になってしまう。
少しでも温めようと小夜子さんの手を握り、足元に注意を促しながら来た道を戻った。
一年後、お婆さんから施設で育てたかぶが届くのは、また別の話。