デザイナーズマンション
螺旋状の非常階段を上りながら、小夜子さんは嬉々として語る。
「ここが『よく落ちるマンション』と呼ばれている理由ですが、やたらと飛び降り自殺が多い事に加え、受験生が住むと必ず浪人する、とか、落下物が異様に多い、といった事があるからです。
実際には、自殺者数は名所と言われるようになってから少し増えたものの、全国のその他名所と比べ少ない方。問題なく受験に成功した方もいらっしゃいますし、落下物が多いのは立地の関係で高層階に強風が吹きつける為、ベランダに置いた物が飛ばされやすいのです。
心霊スポットというよりも、総合的に『落ちる』現象が多発している、という認識が正しいですね」
「では、何故ここを探索しようと?」
小夜子さんの目的は、幽霊を見る事。心霊スポットと呼べない場所に行くというのはあり得ない。ここにも、もっと何かがあるはずだ。
多少先行していた小夜子さんが、踊り場でくるりと回りこちらを向く。学校では見せない満面の笑みで、ガラスの壁を指差した。
「それがですね、このマンションの住人にとっては、ここは間違いなく心霊スポットなのです。近隣住民とは別の意味を持って、皆さん『よく落ちるマンション』と呼びます。その原因が、ここ、ガラス張りの非常階段です。
旭日さん、自殺者って、どこから飛び降りると思います?」
黒い外壁、アルミフレームの縁取り、大きな窓ガラス。建築当時は最先端だっただろうデザイナーズマンション。私は外から見た限りの間取りしか分からないが、飛び降りるなら屋上から……屋上の位置、は、
「……非常階段の、真上」
いや、冷静に考えて、屋上の面積は非常階段よりも広い。多少ズレた位置から落ちる事もあるはずだ。そのはずなのだが。
「屋上はマンション最上階の三分の一を使用しています。ぐるりと三方向を柵で囲われていますが、大人なら乗り越える事も可能な作り。ですが、一つ不思議な事が起こりました。
何処から飛び降りてもいいはずなのに、何故か皆さん、わざわざ非常階段の上から落ちるのです」
「………」
ぞわっ、と背筋が凍る。まだ、この話には続きがある。小夜子さんが語り口を止めないからだ。
「実際の自殺者数はさほど多くありません。しかし毎月、マンション住民からの110番が必ず入るのです。死体が見つからない、誤報が。
飛び降り自殺は、地面に落ちて死亡する前に、本人は気を失ってしまうと言われています。それ故に、自分が死んだ事に気付かず、この世を彷徨い続けるのだとか。
この非常階段を通ると、よくガラスに映るのだそうです。
死んだ事に気付いていない自殺者が、また飛び降りた姿が!」
恋する乙女の憧れに満ちた表情で、祈る様に手を組みガラスを見つめる小夜子さん。
私は呼吸を整えて、今日のバイト内容を思い返す。
非常階段の一階から屋上までを往復。管理人と約束した時間的に一回だけ。このマンションは六階建て、プラス屋上階。
十二階分の階段昇降の間に何も起きなければいいだけだ、うん。これでお給料が貰えるのだから、易い易い。
「時間が限られているんですから、早く上りましょう」
おそらく引きつっているだろう笑顔で、小夜子さんを促す。そうですね、と軽やかな足取りで再び階段を上る小夜子さんだが、まだ口は止まらない。
「何でも、マンションが建つ前ここは空き地だったのですが、その以前は墓地だったそうでして。別の場所に移設する事になり更地に、工事にも特に何も問題はなかったのですが、丁度この非常階段の辺りに立っていたのが戦国武将の慰霊碑だったとか。怨念の一部が供養されずに残っていて、生者を道連れにしようとしているのでは、なんて言われています」
「……何時もの、現実的な解説はないんですか。その話、根拠ないですよね?」
「はい、残念ながら只の噂です。皆同じ場所から飛び降りるというのも、そこだけ設備不良があり柵を乗り越え易いとか、噂が広まってからはそれに感化されて無意識に同じ場所から落ちようとするのだと思われます。飛び降り自殺する幽霊の話も、このマンションが名所として有名になってから出始めたものです。集団ヒステリーによる幻覚の可能性は捨てきれません。
ですので、こうしてこの目で確かめに来たわけです」
自分の目で見たものしか信じない。小夜子さんの信条で、彼女を心霊スポット巡りに駆り立てる理由だ。
白塚小夜子は、『幽霊の存在を科学的に証明したいオカルトマニア』である。
そして私、黒檀旭日は、彼女に雇われ幽霊探しのアルバイトをしている。今のところ心霊現象には遭遇していないが――小夜子さんはそう思っているので私もそう思いたい――現状の通り、なかなかに肝が冷える仕事だ。
カン、カン、カン、カ、カン……。鉄階段を踏みしめる二人分の足音が響く。はしゃいだ子供の様な足取りの小夜子さんと、急ぎたいものの気が進まない私の足取りは、殆ど同じくらい。窓ガラスばかり眺めて、時々踏み外しそうになる小夜子さんを支えながら、『4F』と書かれた扉の前を通り過ぎる。
空は赤く焼け、東の端は夜に染まり始める。マンションの影で暗くなったので、持ってきたペンライトを点け、小夜子さんに注意を促しながら、何気なく周囲を確認して。
窓の外を、人台の大きさの影が落ちて行った。
「………!」
動けない私の横で、小夜子さんは小走りでガラスへ飛びつく。下をじっくりと眺めた後、落胆して溜め息を吐いた。
「何だ、本物じゃないですか……。旭日さん、110番、お願いします」
「……え。本物、って」
「あ、見ない方が良いですよ、結構ショッキングな光景だと思うので」
「………」
言われるがままにスマートフォンを取り出し、緊急連絡に掛ける。マンションの住所と人が落ちた事を伝えると、「今警官が向かっていますので」と言われた。他の目撃者が通報したのだろうと思うが、嫌に手慣れた対応だった。
「現場検証が行われるでしょうから、今日は屋上の視察は無しですね。事情聴取されなければいけませんし、もう下りましょうか」
「……そう、ですね」
まだ混乱していた。あの影が人間だった事を認識したせいで、先程の映像が鮮明になってフラッシュバックする。スーツを着た、成人男性の背中だった。
それより、それよりも小夜子さんだ! この人は、目の前で人が死んだというのに、何故こんなにも冷静でいられる!? 私の方がおかしいのか!?
多少ふらつきながらも、ペンライトの灯りを待ち立ち止まる小夜子さんを追いかけ、上ってきたばかりの階段を下る。
……そうだ。嫌な事は、考えるのを止めよう。考えなければ平静でいられる。
三回、深呼吸して、何もなかった様に小夜子さんの隣へ駆け寄り、ペースを合わせて歩き出す。
「あ、そういえば」
途中、何でもない世間話の口調で小夜子さんが言った。
「旭日さん、飛び降りた人と目が合いましたか?」
「……いいえ、背中を向いていましたよ」
「それは良かったです。実は、自殺者と最後に目が合った人は憑りつかれる、という話がありまして。
本当に死を間際に感じた時、たとえ自分で選んだものだとしても、最後には生き物の本能として『死にたくない』と思うのでしょう。それで、その時目が合った人に、死後も助けを求めてしまう。
この非常階段の目の前に飛び降りるのも、誰かに気付いてほしい、助けてほしいという気持ちの表れなのかもしれませんね」
暗くて表情は見えないが、優しく、切ない声が響く。
……いや。いやいやいや。何を良い話みたいなトーンで語ってるんですか!? こちとら心臓バクバクですよ! ちょっとでも角度が違ってたら憑りつかれてたかもとか洒落になりませんよ!? よくそんな事目撃したばかりの人に話せますね!?
小刻みに震える足元のライトを見て、小夜子さんがクスリと笑った。
「……ふふっ、冗談ですよ。何の根拠もない話です。ショック体験によって目撃者側が何か不都合があると憑りつかれたせいだと思い込んだ、という説が有力でしょう。気にしなければ何も起きないはずですよ」
「気にするなっていうのも無理な話だと思いますが……」
前から時々人間味がない人だとは思っていたが、今よくわかった。
幽霊より、小夜子さんが怖い。色んな意味で。
「きゃっ」
小さな悲鳴と共に斜めに崩れた彼女の体を抱き留める。ちゃんと足元見てください、と注意しても、小夜子さんの目線はチラチラと窓ガラスに注がれる。本当に危なっかしい。
私が側にいなければ、と思う様になったのは何時からだろうか。
怖い小夜子さんから離れる、という発想がない自分が、もしかしたら一番怖いのかもしれない。