3
目が覚めた時、俺は見知らぬベッドに寝ていた。
部屋中が白く見える。手に管がついていて、周囲をカーテンで囲まれていた。
「病院?」
俺は助かったのだろうか。どこの病院だろうか。どうやって助かったのだろうか。
ぼんやりと天井を見ながら、別のベッドの患者に声を掛けている看護師に呼びかけた。
「すみません」
「はい。少し待ってください」
看護師は別のベッドの患者の処置が終わると、俺のベッドのカーテンを開けて入ってきた。
「気が付かれましたか」
俺は数多くの疑問を、戸惑う看護師に向けて畳みかけるように問いかけた。
今は何月何日なのか。ここはどこなのか。俺は何か病気なのか、怪我をしているのか。俺はどこで発見されたのか。どうやってここに運ばれたのか。佐々木さんと恵比寿さんはどうしているのか。看護師さんは答えられる限りを教えてくれた。
今は、地下鉄に入った日の夕方だった。ここは駅の近くの病院だった。見てわかるような病気や怪我はなかった。しかし、極端な疲労があったので点滴をしているそうだ。地下鉄の会社の人が線路脇の『通路』で俺を発見して、救急車を呼んだらしい。おそらく、恵比寿さん、あるいは探しに来た鈴木さんに違いない。俺のスマフォや持ち物の事を聞くと、ベッド脇に固めて置いてあるものを示された。
「とりあえず、何があるかわかりませんから、今日はゆっくりしてください」
俺は看護師の言葉に従うことにした。
スマフォの充電が半分ほど終わると、俺はそれをもって、点滴と共に病棟の中の電話が使えるエリアに移動した。
恵比寿さんからの留守番電話が残っていた。
『多分、これを聞くのは病院の中だろう。経緯を言っておくと、佐々木さんと俺は鈴木に助けられた後、大手町へ戻る途中で、線路脇の通路に寝ているお前を発見した。これがどういうことかは分からない。避難路のどこがそこに通じているのか。後日保線会社でこのエリアは調査することになるだろう。今回の避難路の事は記事にしないようにお願いする』
あの巨大な闇を動いているうちに、線路脇の通路に出た、というのは話が出来すぎている。誰かが俺を運び出して、そこに寝かしたのではないだろうか。だとすると、今度は恵比寿さんや佐々木さんに目撃されずにそこに運びだす方法が必要になる。そうだとすれば、あの闇の大空間はいくつかの道で地下鉄とつながっているということになる。だいたい、あの巨大な地下空間をつくる連中は何の目的で作って、何のためにあの『ヒルコ』や『お召列車』を入れているのだろうか。
俺はスマフォを操作して、動画が残っているかを確認した。
サムネイル上、真っ黒な動画が二本ある。おそらく、記録時刻が後になっている、こっち側だ、と俺は思った。
しかし、再生のボタンを押そうとして、指が止まった。
もし映っていたらどうなのだろう。超超超巨大なナメクジにしか見えないヒルコ。映っていたら、これをアップロードしたら。俺は正気でいられるだろうか。そして、国家の機密事項のような『核攻撃から逃げる為のお召列車』や『怪生物ヒルコ』のことを公開したら、俺はどうなるだろうか。国に雇われた何者かに命をねらわれないだろうか。そんな様々な不安が俺の心を襲った。
逆に、映っていなかったらどうか。やっぱり俺は正気でいられないだろう。どうしてもバズる記事を書きたい、生活費を稼ぎたい一心で、頭の中で架空の出来事を思い描き、まるで目の前にいるかのような独り芝居が、動画として残っているとしたら。つまり、自分が『狂っている』ことに気付いたら、もう二度とまともに記事など書けないだろう。頭の中だけの出来事と、現実の区別がつかないことになるのだから。
様々な思いが交錯して、俺は再生ボタンに向かっていた指を下げた。
『ピリリリリリ!』
スマフォが鳴った。この着信音は…… 画面には俺が記事を書いている『サイトの主催者』の名前が表示されている。
再び指を画面に持っていき、戸惑いながらも着信した。
『おい。明日中に記事をアップしろ。じゃなきゃ、先に払った取材費を返してもらう』
「あの…… 俺、今入院」
『明日中だ』
通話が切れた。と同時にスマフォを持っている手が震えた。
「明日……」
そもそもこの病院の支払いだって出来るのかどうか。しかしこの点滴の外し方も分からない。付けたままでこっそり抜け出すのは止めよう。
とにかくこの場である程度記事を形作らなければ……
俺は携帯電話が使えるスペースにギリギリまでいて、スマフォで記事を作り始めた。
翌日、午前中に診察を行い退院となった。
診察などを含めた一泊の入院費で二万円ちかくかかった。急いで近くの駅から電車に乗り、自分のアパートに戻る。
電車に乗っている間も記事を作っていたのだが、踏み込めない部分があった。
俺は撮った動画を見れていないのだ。それと記事に合わせて動画をアップするかも悩んでいる。
『ピリリリリリ!』
俺の悩みを見透かしたようにスマフォが鳴った。サイト主催者からの電話だった。
『ネタだけでも言えよ』
「えっ…… ち、地下鉄の取材をして、大手町と神保町の間に不思議な駅を見つけた話です」
『はぁ? お前頭湧いてんのか? 駅を見つけた? 馬鹿言ってるんじゃない』
そんな…… 信じてくれ、俺を、信じて……
「動画があります。とにかく送りますから、見てください」
完全に開き直っていた。これであの謎の駅や、ヒルコが映っていなかったらおしまいだ。俺はサイト主催者が何か言いかけているのも構わず電話を切った。
スマフォの動画を開き、再生ボタンを押す。
音を目いっぱい大きくする。
スマフォが映し出す暗闇の中に、白い蛍光を放つ子供が立っている。
『もう一度聞くよ。君は国の歴史に詳しいかい?』
これだ、この光景は覚えている。
『そうか、それじゃあまり面白くないな。まあ、歩きながら話そう』
この学生服の子供自体、夢か幻だと思っていた。これが映っているとすれば、このさきの『ヒルコ』も映っているはず。俺は確信した。
スライダを操作して先の映像へと進める。
『さて、正解は……』
ドラムロールが聞こえてくる。これも、奇妙だと思っていた。現地にいた時の恐怖が蘇ってきた。
『生まれたのはヒルコというものだよ。ちゃんとした人の形をしていない、化け物だ』
映っている子供の体から白い蛍光がさらに強くなって、周りがぼんやり映し出されている。
「ここだ。この後ろ」
背後にある大きなものが映っている。
『はは、わかるかな。僕の後ろにいるもの……』
子供の光が、波打つよう点滅を繰り返している。
かすかに見えていたその背後の大きなものが、反応して明るくなる。
山のような物体のナメクジのような湿った肌が、不気味に波打っているのが映像でも分かる。
『これがヒルコ。人になれなかった神の子だよ』
子供の目が、大きく見開かれると、ヒルコの肌が呼応するように真横に『パックリ』と割れる。
『キシャーァ』
俺は再生を一時停止した。
この後、この子供がナメクジ状の生物に飲み込まれてしまう。インパクトはあるだろうが、衝撃的すぎる。この時点でもかなり不思議な映像だが、これ以上続けると合成だと思われてしまうだろう。ここら辺で切って、この直後、俺は逃げたとする方が良さそうだ。
俺はそんな様々なことを考えながら、サムネを作り、文字を入れたりした。
電話があってからの午後の時間を使って、映像の編集や記事の作成を行った。
昼も夜も食べず、サイト主催者に言われた『本日中』に間に合わせる為作成し続けた。
日付が変わる五分前というところで、ようやく記事と動画をアップした。
俺は載せたということをサイト主催者にメッセージで入れてから、コンビニに買い出しに出た。
近くのコンビニに行って帰ってくる時、俺はアクセス数を確認した。
「バズったか」
人通りが少ない住宅街の小道で、俺はそう声に出していた。
明らかにアタリの記事をアップ出来た時のアクセス数の入り方だった。公開して一時間もしないうちにコメントも何件か来ている。コメントが入るのは良い、悪いは別にして、興味を持ってもらった証拠だ。これだけアクセスを稼げば、俺がサイトから追い出されることはないだろう。首の皮一枚でつながったと思って安心した。
『ピリリリリリ!』
サイト主催者からの電話だった。だが、もうビビる必要はない。俺はすぐに応答した。
『おい、何やってくれたんだ』
俺は『褒める意味で』そう言ったんだと考え、明るい声で答えた。
「結構、反響あるみたいですね」
『バカかお前は! すぐ記事と動画を削除しろ。クビだ。それどころか、この件でサイトが潰れたら、損害賠償を請求するぞ』
「な、なに言ってるんですか?」
俺は戸惑った。確かに一つ引っかかっている点があった。
『いいから、さっさと削除…… ちょっとまて』
電話の先で、サイト主催者のガラケーが鳴っているのが聞こえる。『君が代』の着信音。
「あっ……」
俺は以前、サイト主催者と直接話していた時のことを思いだした。
ファミレスでサイトの記事について、いろいろと話をしている際、やっぱりこんな感じにガラケーの着信音がなった。俺の言葉を遮り、サイト主催者はそのガラケーに急いで応答した。なにやら街宣車を回してどうこうと言ったことを話している。その時、俺はラノベの長いタイトルのようなものを思い浮かんだ『彼女のガラケーの着信音が君が代なのは右翼だからでしょうか』。いや、サイト主催者は男で、おっさんなのだが。
『おい。聞こえるか?』
「は、はい」
『さっさとアップした記事を消せ。動画もだ。お前はもうウチのサイトとは関係ない。いいな』
「理由だけでも」
『あっち方面からこっち方面までの人々に『睨まれた』ってことだ。もし元のファイルとかが残っていたら、消して置くんだ。残していたら酷い目にあうぞ』
「……」
記事や動画の中の『皇居の下と思われる位置に存在する巨大な地下空間』や『謎の駅に到着したお召列車』とか『イザナギ、イザナミ』などの単語が、そう言った団体を怒らせたに違いない。サイト主催者さんにも迷惑をかけてしまう。
『早くするんだ』
「はい」
俺がそう返事をするとほぼ同時通話が切れた。
「変な団体からクレームってことか」
俺は急いで部屋に戻って、サイトから記事を消した。
動画サイトは個人投稿だったから、動画を削除するのと同時に、アカウントを抹消した。
消してからサイト主催者に電話したが、つながらない。何回かけ直しても通話中だった。とりいそぎ、メッセージで消去したとだけ入れて、おしまいにした。こんなに必死に書いた記事でクビ。本当に経験したことをまとめた記事で首になるなんて、ショックが大きすぎる。けれど、何か別の仕事を探さないと。俺はそう思いながら、部屋の電気を消して布団にもぐりこんだ。
「忘れよう」
疲れていたのか、あっという間に眠りに落ちていた。
外が騒がしくて目が覚めた。
スマフォを見るとまだ夜が明けてない時間帯だった。
「うるさいなぁ」
布団を被って少し考えると、俺は急に眼が冴えてきた。違う。うるさいといってここでじっとしていたら駄目だ。例の団体の連中が、ここを探しに来ているんだ。俺はそう思って、窓を少し開けて周囲を確認した。連中は、俺が部屋を出るのを待ち構えているのだろうか。スマフォの灯りなどを利用して、部屋の灯りを点けず、俺は支度を整える。
少しネットの状況を調べた。
俺がアップしたサイトの記事は消してあって、動画も消えていたのだが、証拠を残そうとする連中が、スクショや動画のコピーを別のサイトに残しているようだった。掲示板が荒れ、ヘイトだ、侮辱だ、と記事を書いた人間、つまり俺を非難していた。
サイト主催者に電話がつながらないわけだ、と俺は思った。そして、今、サイト主催者が危険な目に合っているとすると、やっぱり外で待っている連中は俺を……
俺は玄関から靴を取り、部屋の中で履いた。そして、窓を開け、手すりを乗り越えて下のブロック塀の上に飛び降りた。
塀の上を伝って家と家の隙間を進めば、アパート正面の道ではなく、裏側の道に抜けることが出来るはずだ。
俺は慎重に壁の上を歩きながら、裏側の道に降りた。
「!」
壁から道に降りた時に、着地の音で何人かの男がこっちに回ってくる音が聞こえる。俺は見つからないよう塀の角に隠れ、声が出そうになるのを必死に手で口を押えて我慢した。
じっとして連中をやり過ごすと、俺は駅に走った。
走っている間に考える。安く遠くに逃げよう。もうこの街には戻れない。
「ほら、そろそろ次の葬儀があるから、二番に火を入れる準備しときな」
俺はうなずいた。
「どうした? 本当に最近返事がないな。まあ、ちゃんとやってくれっから問題はないけどさ。もしかして新型コロナとかって、そんなに怖がってるのか? いっつもいっつもマスクして、手袋して。こんな田舎じゃ、感染者いねぇって」
「……」
俺は何度も頷いた。会話がほとんど必要ない、単純な仕事にありつけて本当に良かった。俺はそう思いながら、二番の火葬場に火を入れる準備をした。
この田舎街で暮らして二年ほどだろうか。つまり、ヒルコを見た事件から二年になろうとしているということだ。
俺がマスクと手袋を付け始めたのは理由があった。
数か月前、誰も連絡が取れないだろうと思っていた俺のもとに一通の手紙が届いた。
手紙は透明なビニールで包まれていた。雨が降っている日で、郵便局もそういうサービスをしてくれるのか、と思いながら手紙を眺めた。
暗い部屋に戻り、部屋の灯りを点けると、手紙をテーブルに置いて座った。
差出人はなく、裏に『菊花紋章』のような蝋封がしてあった。思えばそこで気が付くべきだったが、一年ちょっと過ぎていた為、当事者感が薄れていたのだ。
とりあえず内容を確認しようと、ビニールを破り、手で手紙を開いた。
中に入っている便せんには、こう書いてあった。
『他人を傷つける、事実無根の噂話をしてはいけません』
それだけ? いや、ちょっとまて。俺はその時初めて手紙が『宮内庁』から送られてきたのではないかと考えた。
「佐々木のおじいさんが言っていたのは……」
その時、雷の音がして、部屋の灯りが消えた。
「あっ……」
俺は思わず手で口を押えた。これ以上大声を出してはいけない、そう思った。
便せんも、手紙の封筒も、あの時の『ヒルコ』のように白い蛍光を放ったのだ。
封筒には、より強く光るものが『うごめいていた』。
テーブルに出してみるか、このまま便せんと一緒に見ずに破棄するか……
破棄したところで、ごみ箱から這い出て来るかもしれない。
停電が回復して、部屋の灯りが点くと、俺は鍋を持ってきて、手紙の封筒を揺すって中にいる『何か』を鍋に入れた。
「うっ……」
鍋の底で、ちいさなナメクジのようなものがうごめいている。
そして、小さく横に口が開くと鳴いた。聞き覚えのある声だった。
俺は恐怖で大声を出しそうになり、再び口を手で押さえていた。
便せんを鍋に入れ、台所に行ってコンロに火をつける。封筒を直接コンロの火に当て、燃え上がったところで鍋に入れた。
「キシャ―ア」
俺ははっきりとその鳴き声を聞いた。
声が響かないように、強く口に手を当てていた。
鍋の中で燃え上がる封筒と便せんは、中の生き物もろともすべて黒い炭になった。
俺はそれで終わったと思って、黒い炭を流して捨てた。
翌朝、起きると口の周りに違和感があった。仕事にいくので、顔を洗ったり、髭を剃ったりする為に洗面所に行くと、口の違和感の理由が分かった。
「……」
叫びたかった。思わず手で口を押えたが、その手にも異常があった。
俺はその場でしゃがみ込み、自らの過去の行動を呪った。
気持ちが落ち着いてから、あらためて立ち上がり、鏡を見た。
口は上唇と下唇がはれ上がり、上と下がくっついている状態だった。赤いはずの肌も土色で、ブツブツと黒い染みがついていた。
まるで別の生き物だ、と俺は思った。うまく口が開閉出来ない。そこにあるコップを使うと、水は飲めそうだった。歯ブラシは入って、小さいものであれば食べ物も、なんとか食べることが出来そうだった。
手は水かきのように指と指の間に膜が張っていた。そして唇と同じようにブツブツと黒い染みが出来ている。
俺はやっとわかった。手紙がビニール袋に入っていたのは、雨の日に配達した時のサービスではない。ヒルコのことを話さないようにする為、手と口を不自由にする為に、封筒や便せんに何か、菌のようなものを着けていたに違いない。そして、小さい生きたヒルコは、俺を驚かせ、手で口を触ることを計算に入れた上で、加えていたのかもしれない。そう言う理由から、手紙そのものがビニールで覆ってあったのだ。
これは病院に行ってみてもらう訳にはいかない。この未知の病気を医者にうつしてしまうことになる。
つまり、これは俺だけの秘密にしろというメッセージなのだ。
俺は焼き場の準備を終えると、ミトンをした手でおじさんの肩を叩いた。
おじさんは振り返ると言った。
「ん、準備出来たか?」
俺はうなずいた。
新型コロナでマスクや手袋が世間に定着したのは、俺にとっては不幸中の幸いだった。
俺はこうしてマスクと手袋をし、田舎で生きていくのだ。
おしまい