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 扉を開けると、何も見えなかった。


 正確に言うと、扉の周囲と、床は照らされ、そこはふつうの床に見えた。


 天井も、反対側の壁も相当な距離、離れているのだろう。広がる闇は、そう考えるしかなかった。


 俺はまず受け取った紙を何十にも折って、ドアストッパー替わりに扉の下に挟み込んだ。


 何度かズレるので、その度に紙を深く蹴りこんでいくと、扉がぴたりと止まった。


 恵比寿さんと佐々木さんがこっちを見ているのに気づいて、手を振った。


「気をつけろ」


 つぶやくような佐々木のおじいさんの声が聞こえた。


 無言でうなずいて、扉の外の闇に出た。


 俺はまず左右を確認した。左の壁を伝うか、右の壁沿いに進むかを考えた末、元に戻る方向の左ではなく、先に進み右側の壁を追って進むことにした。常に壁沿いに進めばもとに戻ってこれるはずだ。俺はそう考えたのだ。


 しばらく進んだ後、俺は恵比寿さんたちに声が届くか試してみた。


「恵比寿さん!」


 扉は開け放していたはずだ。聞こえれば返事ぐらい返ってくるだろう。


 俺はもう一度叫ぶ。


「佐々木さん!」


 恵比寿さんの声も、佐々木さんの声も返ってこない。ただの闇のせいで、どれくらい離れてしまったのかが分からない。しかし、声が届かないほど離れてしまったのだ、と俺は考えた。


 そのまま右の壁沿いに進んでいくと、床が濡れているのに気づいた。


 滑らないように歩幅を小さくした。


 ここにきても闇はまだ広がっている。手の折れている壁と反対方向、および天井方向に広がっている。この広い空間が何のために用意されたものか、理由がわからなかった。


「何もないけど……」


 ヘルメットの明かりで何も映らないが、スマフォのカメラの機能『ナイトモード』で撮影すれば何か映るだろうか。俺は取り出してみて、何もない暗闇に向かってスマフォを構え、撮影した。


 撮影された画像を、目を凝らしてみてみる。


 やはり高性能なカメラでも光が足りなければ闇が映るだけなのだろうか。俺は癖で画像の編集をしていた。黒く沈んでいる部分を浮き上がらせる為にいくつかのパラメータを操作した。すると、ぼんやりとだが何か映っていることが分かった。


「なんだろう」


 写真にはずっと進んだ奥に、台のようなものが映っている。その大きさやどこまで離れているのかは、目の前の闇のせいで見当がつかなかった。


 しかし、何かがあるのなら、その方向に行って、それが何なのかを確かめたい。俺はそう考えた。本当にこれが普通の避難路の作りかもしれないが、避難路に初めて入った俺には判断しようがない。


 さらに奥へと進むと、沿って歩いていた壁がなくなっていた。なくなっていたというか、急角度でさらに右へ折れ曲がっていた。壁沿いに進むと、この写真に映っている台のようなものから遠ざかってしまうことになる。回り道をしてでも壁沿いに、迷わないように進むか、目的に向かって最短ルートを通るか、俺は悩んだ。


 佐々木さんから電話が入ったら、俺はすぐに戻らなければならない。そうしないと、一生この空間から出れないかもしれない。だとしたら、迷っている時間はなかった。壁を離れ、まっすぐこの映像が示す先に行くべきだ。俺は壁沿いを進むのをやめ、正面と信じる方向へ進み始めた。


 少し進んだところで、俺は後悔した。


 右も左も、まったくわからなくなっていたのだ。三百六十度、どちらを向いても返ってくる光がない。ただ闇のなかで迷子になっている状態だった。なんとなくの感覚で、スマフォを闇に向け、写真を撮る。出来上がる闇の映像を、補正して何かが映っていないか確認する。


 何度か繰り返して、ようやく最初に目標にしていた台状のものを見つけた。今度の写真をよく見ると、台状のものの横、床の部分に二本の筋状の線が伸びているのが見えた。さっきまで映ってもいないものが映ったのだとしたら、着実に近づいているのだ。俺は勇気をもって進み始めた。


 進んでは写真を撮り、方向を修正して進む。何度か繰り返していると、床に二本の筋状のものが見えてきた。


「レールだ」


 俺は一人で声に出して言った。


 レール。こんなところに車両基地があるわけがない。方向を正しく把握していないが、こんな地下に大規模な車両基地があるのなら、もっと知れ渡っているに違いない。だから、ここは……


「天皇が東京への核攻撃から免れるための地下ドーム。それといよいよとなった時に逃げるための専用列車なのでは?」


 恵比寿さんが言っていたやつだ。天皇専用地下鉄……


 いや、ちょっと待て。このままこの先に進んで、俺はどうなるんだ。さっき佐々木のおじいさんが言っていたように宮内庁の人間が来て、何もしゃべれないように……


 体が寒気を感じて震えた。


 勇気を出して、前に進まなければ…… このままでは何も記事になるものもないまま手ぶらで帰ることになる。佐々木のおじいさんが言っていた、行方不明になった人の話は、おそらくその人が勝手に引っ越しただけで、死んだわけでも、ましてや宮内庁の人間に殺されたわけではない。俺は勝手にそう思っていた。圧力をかけられれば、誰だって逃げ出したくなる。政府が噂をしただけの罪もない人間を殺すわけはないだろう。たまたま仕事がいやになった時と、宮内庁の人間が来たタイミングが一致したとか、そういう偶然だろう。


 俺はスマフォで動画の撮影を始めた。


「ここは、半蔵門線の大手町から神保町に向かっている途中の、避難路の先にある空間です」


 そして、床にあるレールを映す。


「なんと、地下鉄の保線員も知らない巨大な地下空間が広がっていて、その中には、このようにレールも敷かれていたのです」


 とりあえず動画をいったん止め、レールに沿って進んでいく。レールは路面電車のそれのように、レールの間も両脇も同じ高さに埋めてあって歩きやすかった。しばらくレールに沿って進むと、ようやく目指していたものが見えてきた。


「プラットフォームだ」


 プラットフォーム、つまり列車に乗降する為の台状のものだ。ホームと発音し駅そのものをそう呼称することもある。


 とにかくスマフォを使って写真を撮った。


 一般的な地下鉄のホームと同じぐらいの高さだった。


 いや、そんなことより、つまりここは……


「天皇の為の駅?」


 佐々木のおじいさんが言っていたことを思い出して、また寒気がした。


 ここが、天皇が核攻撃から非難するための地下ドームで、レールは脱出用の軌道だとしたら…… ここに遺体があるということも本当の話なのかもしれない。


 俺は手をついてプラットフォームの上に上がった。


 上がって、ホームの先を向いたまま固まってしまった。


 最初は怪獣の声がする地下鉄の謎、を取材するつもりだった。もしここで天皇専用の駅のことを記事にしたら、行方不明になった男と同じ目に合うのかもしれない。このままこの駅のことを調べ続けていいのだろうか。安全なのだろうか。ホームの上に上がってしまったが、ここに皇族以外のものが上がっていいのだろうか。監視カメラに映って、射殺されるのではないか。様々な考えや憶測、混乱した思考が絡みあって、動けなくなっていた。


『タタン…… タタン……』


 耳に入る音を聞いて、俺はさらに体が硬直した。音がさらに近づいてくると、このまま突っ立っているのが危険だと思った。とにかく身を隠せる場所を探して、近づいてくる音の正体を見極めることにした。


 聞こえてくる音と反対の方向にホームを進むと、駅員が立哨する為のボックスを見つけた。俺はそこに身を隠すことにした。走ってボックスの陰にはいると、俺はヘルメットのライトを消し、目を凝らした。


『タタン…… タ、タ、タン……』


 音からすると、軌道の上を入線してくる電車の音に聞こえた。しかし、核攻撃後の脱出用だとすれば、架線を使った平時の電力システムで動く電車は役に立たないだろう。停電時でも動くようにディーゼル車両、あるいは蒸気機関車ではないのか。


 次第に音が大きくなっていよいよ車両の姿が見えてきた。


 暗くてぼんやりとではあるが、姿形はまさに電車だった。その電車は、車内はおろか、進行方向のライトすらつけていない。さらに電車の形ではあるもののパンタグラフがなく、どこから電力をとっているかわからない。不思議なことだらけだった。


「まさか…… バッテリーで動く電車?」


 思わず口にしてしまって、俺は慌てて口を手で押さえた。


 まずい。動いているのだから、暗闇の中とは言え、無人の訳がない。声に気づかれたかもしれない。俺はボックスにぴったりと背をつけて、息を潜めた。


 車両は、スピードが殆ど無いにも関わらず、大きなブレーキ音を立てて車両が止まった。


 そのまま空気が抜けるような音がして、車両の扉が開くような音が聞こえた。しかし、ホームの明かりも何一つ点いていない。


「誰?」


 人の声だった。


 思わず声を上げそうになった俺は、必死に口を手で押さえ、息を殺した。


「黙ってたってだめだよ」


 その声は、口調も合わせ子供のようだった。


「ほら、立ちなよ」


 正面に子供の姿が見えていた。詰襟の学生服に学生の帽子。まるで白黒の写真から抜け出たかのような古めかしい恰好だった。そして全身は青白い蛍光で光っているように感じる。


 俺は必要以上に強く口を抑え、声を押し殺しなら立ち上がった。


 いろいろな感情があふれて混乱し、涙が落ちた。


「君は何しにここに来たの? 電車に乗りたかったの?」


 俺は口を押えている手を離すことが出来なかった。震えながら首を振った。


「まあ、いいや、気に行ったから君にこの『お召列車』を見せてあげるよ。ついておいで」


 学生服の子供は、俺の空いている右手を取って引っ張った。冷たい。最初の印象はそんな感じだった。生きている人間の手だろうか、と俺は考えた。手は冷たいことに加え、すべらかで整っていた。手を引かれるまま、進むとホームに止まった電車の先頭に立っていた。


「ほら、このままでは君には見えないだろうから、そのライトを点けなよ」


 確かにぼんやりとした大きな黒い塊にしか見えなかった。俺は離された右手で、ヘルメットのライトのスイッチを入れた。


 パッとライトが照らしたのは、重なる二本の国旗と菊花紋章だった。それは『お召列車』つまり天皇を乗せる車両、その先頭についているもののようだった。


 先頭部分は新幹線のN700系まで長くはないものの、カモノハシの口のように丸みを帯びて突き出ていた。古い流線形のEF55を彷彿させるようなイメージだ。車両全体の塗装は、茶色く見える。旧国鉄の電気機関車の色のようだった。


「すごいだろ? 積み込んだ大型のリチュウムイオン・バッテリーで動くんだ」


 俺は電車よりも、学生服の子供の後ろ姿が気になってしまった。


 ヘルメットのライトで、学生服の子供の姿がはっきりするのではなく、逆に薄くボケているように見える。ホログラフのような、何かぼんやりとした感じだ。


「すごいだろ?」


 俺が返事をしないせいで、学生服の子供は怒ったように振り返った。


 左手を何とか口から離して、声を出した。


「すごいです」


「そうだろう、この二両編成の電車は、最大時速200キロを超えて走行可能なんだ」


「……すごいです」


 いや、どうなんだろう。リチュウムイオンは最近の技術だが、このイマイチな流線形のデザインとかは時代遅れな感じがする。200キロ超の最大速度も微妙だった。


 俺の表情を読み取ったのか、また子供は怒ったような声を出した。


「本当にそう思ってんのか?」


 自然と左手が口元に戻り、ぎゅっと口を抑え込んでいた。


 ゆっくりと頭を縦に振って見せた。


「本当だな?」


 俺はしっかりわかるように素早く首を縦に振ってみせた。


「乗りたいか?」


「……」


 足が震えた。乗ってはいけない。全身がそう反応している。この子供自体、人ではない何かに違いない。ここで乗ったら、生きて帰れない。俺はそう思った。


乗りたいだろう(・・・・・・・)?」


 乗らなければどうなるかわかってるか、とでも言いたげだった。この状態で乗らないことも危険だった。少しでも生き延びる可能性がある方に掛けた。


「は…… い」


 どういう操作をしたのか、学生服を着た子供はその茶色い電車のドアを開けた。


 車両の端は通路として使われていて、仕切りがあって天皇のご一行がなかでくつろげるようになっていた。


 子供はそんな場所のことについて、一言も言わず通路を進んで運転席がある扉を開けた。


「見せたいのはこっちだ」


「運転席?」


「そうだ。興味あるだろう?」


 子供は自らの興味をこちらに押し付けてきて、関心がない、興味がないような返事をすれば怒りだしてしまう。


「興味があります」


 子供に続いて運転席があるはずの空間に入るが、真っ暗で何も見えなかった。俺はヘルメットのライトがオンになっているかを確認するために頭に手を上げると、自分の手がライトに照らされた。


 ライトはついている。しかし周囲は真っ暗だ。


 子供は俺の後ろに立っている。


 白い蛍光に包まれたその子の体は、この運転席の暗闇の空間にボォっと浮いているように見える。


「そのヘルメットのライトを消せ」


 子供の口元が少し笑っていた。


 俺はもう一度頭に手をやって、ヘルメットのライトを消した。


「!」


 大きな電子音が響くと、広い闇の空間に、インジケーターのように直線的に伸びていく光が点いた。そしてその光が進んでいくと、周囲の丸い計器類も光を放ち、中にある針が値をさししめした。


 しかし計器と計器の間の闇は深く、光を一切反射しないかのように深かった。ういている計器の上に立っているような感覚になる。


「著名な漫画家にデザインさせた機関室だ」


「機関室? 運転席では?」


「こい。運転席は、この先にある」


 手を引かれて機関室の先の扉を開くと、座席があって外が見えていた。


「これがマスター・コントローラー」


 子供が手で座席の方をしめした。


 俺は運転席よりも正面のガラス窓の先にある光景に興味を持った。俺は無意識に窓のそばに近づいていた。


「……」


 子供は俺の様子が気になったようだった。


 俺は窓から見える風景に、震えた。


 この見える光は、星…… なのか……


「そう。これは銀河鉄道」


「やめてくれ!」


 俺はそう言って子供の言葉を遮り、それ以上聞き入れないとばかりに、自分の耳をふさいだ。


 もし見ているものが本物の銀河で、この車両が宇宙を航行しているとしたら…… 相対性理論から導かれるウラシマ効果で俺は元の時空に戻れないことになる。俺は漠然とした不安感で、胸が苦しくなっていた。


 いや、そんなはずはない。こんなガラス一枚で宇宙空間と宇宙船内が仕切られているわけがない。いや、この場合銀可鉄道なのだから、正確に言うなら船内ではなく車内か。そんなことはどうでもいい。


 ありえないと否定する気持ちと、ここにずっといたら元の世界に戻れないという恐怖が、こころの中でせめぎあい、呼吸にすら影響が出ていた。


 苦しい。息苦しい、心臓が激しく動きすぎる……


 しばらくして、俺は子供に肩をたたかれた。


「大丈夫だ。電車の鼻先だけが別の空間に突っ込んでいるだけのことだ」


「いやだ、帰りたい」


 俺は子供の言葉が理解できないでいた。


 そのあとも数回肩を叩かれたが、気持ちが整理できないでいた。


「ほら、そんなに怖いなら電車から降りよう」


 子供に手を引かれるまま立ち上がると、著名漫画家のデザインの機関室を抜け、通路を通って電車を降りた。


 さっきまでは不安だった真っ暗なホームに戻ってきただけなのだが、俺は少し安心していた。


 俺の様子を眺めていた子供は、


「君はこの声『キシャーァ』という声の正体を探しに来たんだろう?」


「!」


「お見通しだよ」


 光が届ないことは分かっていたが、俺は慌ててヘルメットのライトを点け、周りを見回した。


 深い闇。もしここに人がある前提なら、どこかに明かりを置こうとするだろう。しかし、この駅や駅の周囲に電灯など、欠片も存在していない。ぼんやりとしたこの空間自体が『怪獣』しかも最悪なことにその怪獣の胃袋の中…… ではないかと俺は思った。それであれば巨大な闇としてこの空間が存在しても不都合はないように思える。


「見たいんだね」


 首を横に振るか、縦に振るか悩んだ末、縦に振った。ここが胃袋のなかだとしたら、助からない。せめて真実を知ってから死にたい。その程度の理由だった。


「君のそれ、ほら、それで録画しなよ」


 学生服を着た子供が俺のポケットをさして、そう言った。


 俺はポケットに手を入れてスマフォを取り出して構えた。しかし、手は震えてばかりいて、録画スタートのボタンが押せなかった。


「君は国の歴史には詳しいか?」


 まだ録画ボタンが押せずに震えていて、子供が話した言葉があまり理解できていなかった。


「待っててやるよ」


 しばらくすると子供自体が発行しているような、白く、ぼんやりとした蛍光が、弱くなり暗くなった。


 その時、俺はようやく録画ボタンが押せた。


 子供はその蛍光が弱くなっているだけではなく、目を閉じて眠りそうな様子だった。


「で、できました」


「!」


 ビクンと声に反応し、子供は体を伸ばして目を開けた。同時に、体から発している白い蛍光が強く戻った。


「もう一度聞くよ。君は国の歴史に詳しいかい?」


 俺は首を横に振った。


「そうか、それじゃあまり面白くないな。まあ、歩きながら話そう」


 子供は『ヒョイ』と軽い感じプラットフォームから降りた。


 俺もスマフォを構えながら、後を追ってホームから降りた。


 子供は止まっている車両と反対の方向にそのまま歩き続けた。


別天津神(ことあまつかみ)はイザナギ、イザナミに海に大地をつくれと命じ、天沼矛(あめのぬぼこ)を渡す。その矛を海に突っ込んでかき混ぜると、大地が出来たんだ。これがオノゴロ島というところ。ここにイザナギ、イザナミは降りて、夫婦になるんだね」


 俺はこの話で何を伝えようとしているのかがわからなかった。ただ必死にこの白い蛍光を放つ、学生服を着た子供を撮影し続けていた。


「二人は夫婦になり、交わった。それで子供ができるわけだが」


 くるり、と子供は俺の方に向き直り、後ろ向きに進みながら言った。


「君はさっき国の歴史に詳しくないと言っていた。この話の続きはわかるかな?」


 俺は知らないと首を横に振った。


「そうか。じゃあ、子供はどうなったと思う?」


「……」


 その二人が神だとして、神が人を生んだ、というのだろうか。


「それが『人』になったんですか?」


「ふふ、それが君の答えかい? ひとつヒントをやろう。イザナギとイザナミは交わるときに一つ間違いを犯していた。さあ、これでどうだ」


 俺の方を向きながら、後ろ向きにどんどん歩いていく。子供のスピードとは思えない。俺も必死に追いつこうとして、歩くスピードを上げた。


「ごめんなさい。それ以外、ちょっと思いつきません」


「はい。じゃあ、答え」


 そう言うと子供が俺の方に近寄ってきて、頭を下げろと手で合図する。頭を下げると、ヘルメットのライトのスイッチを切ってしまった。


 スマフォのかすかな明かりと、子供が放つ白い蛍光だけが闇をかすかに照らす光だった。


「さて、正解は……」


 どこからともなくドラムロールが聞こえてくる。


 ドラムロール。テレビのような悪趣味な演出だと俺は思った。


 しかし、その音がどこから聞こえてくるのかわからず、俺はそのドラムロールで恐怖が増していた。


「生まれたのはヒルコというものだよ。ちゃんとした人の形をしていない、化け物だ」


「えっ……」


 子供の体から発している白い蛍光がさらに強くなって、周りが見えてくる。


 子供の背中の先に、何か大きなものが横たわっているのがわかる。


「はは、わかるかな。僕の後ろにいるもの……」


 子供の光が、強く光ったり、光が弱まったりするようになり、波打つような周期で繰り返した。


 すると、かすかに見えていたその背後の大きなものが、子供の蛍光に呼応するかのように光を放ち始めた。


 強く、そして弱く、次はさらに強く、弱く、その次はもっと強い光になっていた。


 次第にわかってくるその山のような物体は、ナメクジのような湿った肌を持つ生き物だった。その湿ったように見える肌が、不気味に波打っている。


 それは生き物と思われるもののだが、動物園や動物図鑑、テレビの番組や動画サイト、どんなものでも見たことがなかった。ただ姿形だけからすればナメクジ、しかも超がいくつも付くほど巨大な、ナメクジだった。


「これがヒルコ。人になれなかった神の子だよ」


 ヒルコ。神が生んだ人の形をしていない、化け物。


 その化け物の前に立っている学生服を着た子供の目が、大きく見開かれると、同時に背後の山のような物体(ヒルコ)の肌が真横に『パックリ』と割れる。


「キシャーァ」


 その亀裂のような部分から声がした。


 これだった……


 声の主は……


 ヒル……


 コ……


 俺は様々な思いで立って入れなくなり、しりもちをついてしまった。


 その瞬間、ヒルコの真横に割れた口からさらに小さな口が付いた舌のようなものが沢山出現すると、それらは一瞬で子供を包み込んで、飲み込んだ。


 口のような切れ目はどこにあるのかすら、わからないほど、きれいに消えていた。


 白い蛍光を放つ山のようなナメクジ状の生物の体表が、今飲み込んだものを『消化するかのように』波打った。


 『ズルッ』と音がして、生物が波打つと、すこし近づいていた。


 逃げろ! と心の中の声が何度も繰り返され、その感情が心臓をドンドンと繰り返し叩いている。


 スマフォを握る手に力が入りすぎていて、痺れて白くなっていた。


 俺は尻を床について、膝を立てた状態で失禁していた。目の前の巨大な恐怖に、理性が耐えられなかったのだ。


 失禁したせいで、重くなっているズボンを引きずるようにしてなんとか立ち上がると、暗闇に振り返り、走った。


 『ズルッ』という音が、繰り返し聞こえる。


 聞こえる度、後ろを振り向く。そこには白い蛍光で光るナメクジが見えた。


 走って、走って、走って、走って、を繰り返した。


 しかし、いつまでついても、どこにもたどり着かない。空間が広すぎるのだ。あるいは方向が分からない為に、グルグルと同じ場所を回っているのかも知れない。


 俺は息が切れ、ゼイゼイとのどを鳴らしながらもとにかく進んだ。


 真っ暗なことに気が付いて、ヘルメットのライトを点けたが、電池がなくなったのか、数秒も持たずに消えてしまった。


 疲労の為か、俺は足がもつれ、レールに足を挟んでしまった。


 闇の中で体が床に、強く叩きつけられる。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 痛みに耐える為と、ここまで走った為に、呼吸が激しく乱れていた。


「痛っ!」


 足首に触れただけで、激痛が走った。立ち上がろうとしても、痛みで足に体重をかけれない。


 俺は仰向けに寝転がり、助けを呼ぼうと、スマフォを開いた。録画状態のままだったスマフォを慌てて録画を止めた。しかし、アンテナは圏外、バッテリーも限界近くになっていた。


 着信履歴を調べても、恵比寿さん、佐々木さんからの連絡は残っていない。もしかしたら連絡してくれていたのかも知れないが、アンテナが圏外を示しているのだから、残るはずもなかった。


 白い蛍光を放つヒルコも、銀河を走るお召列車も、もうどちらもここには存在しないようだった。


 その意味では助かったが、かと言って、俺にこの闇を脱する(すべ)はなかった。


 スマフォが低電力モードすら維持できなくなり、画面が消えた。


「……」


 俺は闇の中で意識を失っていた。




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