第二十七海路 3 どんな時でも腹はヘル
「そ、そういえばあの後、コハクはどうなった?」
「アンタが触った瞬間、回路だけが壊れたわよ。覚えてないの?」
首を振り否定する。コハクと言えば……。
「アイツの体、妙に溶接部が多くなかったか?」
「そうだけど、それがどうかした?」
やはりあの記憶は、コハクのものだったか。だとしたら俺は、コハクの半生を追体験していたことになるのか?
「本部長は何処だ? 今すぐ話がしたい」
この力、そして雪の大樹、スノウ・ユグドラシル。コハクの記憶から色々わかったことがある。それをいち早く報告しなくては。
「ああ、あの人なら多分今日はやめておいた方がいいわ」
何か後ろめたさを含め、申し訳なさそうにしゃべるクリスタに不信感はあったが、彼女がしょうもない嘘をつかないことを知っている。
彼女は否定出来るか出来ないかのギリギリを攻めてくるため、とても厄介だ。
「なら明日にするか」
「どこ行くの?」
「色々わかったことがあるから、忘れないようにメモしようかと」
その後鬼丸はサイドテーブルを使い、引き出しから拝借してきたメモに筆を走らせながら、自身が見た夢の内容をクリスタに話す。
常夜灯の光が、メモを風化したもののように見せる。
「スノウ・ユグドラシル。神を名乗るなんて随分恐れ知らずのようね」
「信じてくれるのか?」
正直言って、自分の妄想でカタがついても仕方ないと思っていたため、鬼丸はとても驚愕した。
「アンタがそんなしょうもない嘘つかないこと位はわかるわ」
自分と同じ考えを彼女が持っていたことに対して、驚きはしなかった。
(コイツの方が兄妹っぽいんだよ。キルには悪いけど)
そんなことを思ったタイミングで、ヘルの存在を思い出した。
「ヘル……上級人工知能って名乗っていたな」
「ちょっと役者が多すぎるわ。一旦整理しましょう」
そこで二人はメモを捲り、白紙にした。そこに先ほど鬼丸が見た人工知能を整理する。
「まずは功夫壱式とキッド・カーリー。これはコハクの元になっていた陸戦とそれらに搭載されていた人工知能ね。二種類の人工知能を合わせるなんて、正気じゃないわね」
「次にゴッドアップル。インテリか。形がどうあれアイツがまだ存在していたことは、喜んでいいだろ。色々聞きたいこともあるしな」
時刻は深夜三時を回っていた。静かな波の音が、焦る二人を抑えているため、比較的冷静に状況を纏められている。
「この流れで行くと、スノウ・ユグドラシルとヘルは人工知能ってことで話を進めた方が良さそうね。超級の話は覚えてる?」
「カミカゼとかだろ。たしかユグドラシルって……」
超級人工知能。それは不可能を可能にする、いわば神の領域に近い力を持つ人工知能。その多くは世界の共有財産とされているが、大半が第三次世界大戦半ばで通信が途絶した。
「そう。用途は確か食料管理だったかしら。スノウの部分が引っかかるけど。ゴッドアップルが一緒に居たって言うんなら、陸戦の暴走に少なくとも関与はしていることになる。理由はわからないけど注意が必要ね」
「超級の多くは自律していて、その本体が何処にあるのか誰にもわからない。超級の強みが仇になったな」
強大な力を持つ超級人工知能は、それらが特定の集団に確保され利用されないよう自律行動をしている。その為本体が今何処にあるのかは、誰にもわからない。データのみが、天啓のように各国に伝わるだけである。
「それで最後にヘルだけど、これに関してはお手上げね。聞いたことが無いわ。何か知らない?」
捲って白紙になったメモ上にカタカナでヘルの二文字を書き、何度もそれをペンで囲う。
「強いて言えば、キルに似ていた。口調が変な時の……そういやキルは?」
クリスタは顔を上げ、彼が腰かけているベッドの方を顎で指す。指示された方向を見ると、シーツが異常に膨れ上がり、小刻みに上下していた。
「アンタが運ばれてきた瞬間、スルっと潜り込んできたの。躊躇とかが感じられなくて、注意する気も失せたわ」
「アレッサンドロの時もそうだったが、もしかしてヘルって……」
「人工知能が人間に化けていた前例もあるし、警戒が必要そうね」
その前例とは、勿論ゴッドアップルのことである。あの戦いの後、本部は爆発に呑まれ通信が不可能となった。
ヴァルハラは情報が洩れることを警戒し、本部の詳しい所在を明かしていない。それはそこで生活をしていた鬼丸たちも同様に知らされていない。知っている人間は、ゴッドアップルが起こした爆発で全員、灰となった。
クリスタは赤いペンを持ち出し、ヘルの名の近くに『警戒』や『キル?』という文字を殴り書きした。
「てことは今すぐに起こせる行動はないってことか。歯がゆいな」
「仕方ないわ。あくまでアタシ達は人間。もし相手が本当に超級なら、もっと多くの準備が必要よ。焦らずに、一歩ずつ行きましょう」
そうすまし顔で告げ、ペンの尻を押し、机に置いた瞬間、クリスタの腹が独特な鳴き声を発生させた。
話声が途切れた瞬間だったため、その音は鬼丸にも、そしてクリスタ自身にもはっきりと聞こえていた。
「……聞こえた? なら忘れなさい」
顔を少し赤く染め、目をそらす。その音の正体を瞬時に判別した鬼丸は、口角を少し上げ、好機とばかりに仕掛ける。
「別に? 俺はエリート様のお腹がギュ~なんて可愛い音奏でたなんて聞こえてませんよ」
「聞こえているじゃない。ねえ鬼丸? もう少しアタシと、おはなし、する? それとも一緒に寝る? 首くらいなら寝相ついでに締めてあげるわよ?」
おはなし、の部分を強く発音することで意味を含ませ脅す。しかしその行動が、彼女を苦しめる。
「いや別に。ただ俺は小腹が空いたから奥の台所を漁るつもりだ。そう、腹が減ったからな。お前も来るか?」
挑発的に、挑戦的に問いかける。少しの唸り声がした後、奥の台所で二つの影がうごめき始める。
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