第二十六海路 4 三人と一つ
「……それはーー」
「貴方は確か、ゴッドアップルを乗り越えて成長がしたいと言っていたわね。もう十分、成長したんじゃないの?」
静寂が彼女たちを包み込む。張り詰めた空気が、クリスタのセリフの意味を一層深めていく。
「確かに、確かに最初の動悸はそうでした。成長したい。ゴッドアップルを乗り越えたい。その自我だけで、皆様に協力をしました。言ってしまえば元気なAIを装って、皆様を利用しようとしました」
「え、今コイツさらっと凄いこと言わなかったか?」
「あれ、演技だったの? 頭が痛いわ」
八型改から赤裸々に語られた真実を、受け入れられずにもだえる二人。しかしキルは、彼女の当時を知らないために無表情である。顔半分を湯の中に沈め、泡を作って遊んでいる。
「まだウチが鉄の塊の頃、鬼丸クンがよくクリスタさんの話をしていたんです。アイツは凄いんだとかいつか越えてぎゃふんと言わせてやるとか」
「要は独り言よね? 一旦精神科に行った方がいいんじゃないかしらアイツ」
「やっぱりおかしなヤツだったか」
やはりな、と言った顔と口調で笑いあう二人。鬼丸がもともと常軌を逸していた人間なのは、ヴァルハラ職員の中では周知の事実に近かった。
「その音声ファイルを律儀に保存している、ウチも大概ですがね。自我が形成されていく中で、ゴッドアップルがウチに言ってきたんです。『お前のやりたいことをしろ』って」
その一瞬だけ、音声を低くしゴッドアップルのマネをした。しかしそのマネを笑う者はいなかった。
「結局あの眼鏡は何がしたかったんだ? アイだなんだ言ってたと思ったらやりたいことをやれって言ったり。アタシャわかんないよ」
「そのままの意味には思えないわね」
口に手を当て、言葉の裏を読む。基本的に、甘い言葉の裏には真っ黒な陰謀が眠っている。悲鳴を隠すために使われた甘言。それは自身の気持ちを中々素直に出さない彼女が見破るにはあまりにも安すぎた。
「どうせ人間達の負の側面を見せてきたんでしょ。第三次世界大戦の映像あたりかしら?」
「その通りです。その映像は、あまりにも醜かったです。他にも色々な映像が流れてきました。侵略からひったくり、ありとあらゆる非道を目にしました」
発展の顔をした搾取、解放の旗のもとに行われる支配、嘘で隠された真実、法の下の不平等と金の切れ目が命の切れ目、そんな世界を、いくつも見てきた。
「吐き気がした。と思います。その機能はないので何となくですが。怒り、悲しみ、憐れみました。それらに身を任せ、得た思考能力を放棄しようとしました。目の前にある全てを壊そうと思い、立ち上がりました」
「……」
彼女のログに茶々を入れるものはいない。時間と湯だけが流れる。相変わらずキルは顔を沈め、大きな泡の中に小さな泡を作ろうと四苦八苦している。
「そんな時でした。体の奥が、暖かくなった気がしたんです。今となっては機関が一時的にオーバーヒートしてただけなんですけど」
その熱異常に驚き、一瞬だけ動きが止まった八型に、ゴッドアップルは不信感を抱いた。人間にしては一瞬。少しだけぼーっとしていたの一言で片がつくそれは、彼らにとっては大きな異常の前触れとして取られる。それは本来、あってはならないものだから。
不完全な人間を補うために生まれた人工知能が、一瞬でも不完全であるはずがない。
「そくざに彼はウチに、ウチと自身のスペックの違いをデータにして飛ばしてきました。そこで恐怖を覚えました。だって圧倒的に劣っていたんですよ。あれは恐怖と言うより絶望でした」
「ネガティブ感情ばっかり覚えてる……」
それだけ言い残し、キルは再び泡づくりに専念する。
「アハハ、その通りなんですよ。破壊衝動も、恐怖も怒りも、色々渦巻いていました。そんな時、彼の声が聞こえたんです」
彼の正体を、この場の誰もが知っている。
「処理が追い付かなかったのか、一気にデータが逆流したんですよ。その中の映像データだったり音声データだったりが、とてもウチにとって輝いて見えたんです」
自信と意欲に満ち溢れた鬼丸の言動が、歯車を回した。
「負けても上を見続けるその人間が、とても興味深かったんです。だから必死にデータを漁りました」
八型にとって人間とは、常に下を向いているものであった。下を向き支配し、下を向き諦める。しかし鬼丸は違った。彼女の中に保管されていたデータで彼は上を向き続け、届かない天使の背中に手を伸ばし、そして後ろ髪を掴んだ。その姿は、彼女を動かす他の人間たちにも影響を及ぼしていた。
「まああの天才様は、上を向くことに関しては右に出るものはいないと思うわ」
「今絶対、這いつくばっている姿想像しただろ」
「流石にそれは名誉棄損よ。あの男、身長が低いせいでいつもアタシを見上げているじゃない」
あえて的外れな回答をしたクリスタに、一同は笑う。態度と言葉だけはデカいだの小鬼だの。
「ゴッドアップルが提示した人間より、この人と一緒に居た方が楽しそうだな、そう思ったんです。初めて、そこでポジティブ感情が生まれたと思います。あとは皆さんのご存じの通りです」
人間の子供は、生まれてから初めにネガティブ感情を学ぶ。それらは自身への警告であり生死にかかわるためにいの一番に学習する。生物的本能がそうさせると言っても過言ではないだろう。
一通りのネガティブ感情を手に入れた後、他者とのかかわりの中で無意識下にてポジティブ感情が形成される。人工知能によって生み出された人工知能、ヴリュンヒルド八型はこのプロセスを奇跡的に踏むことが出来ていた。
「その発言を聞いて安心したわ。その発言が嘘とも思えないし。貴方の思いが聞けて良かったわ」
もしこの過去が嘘で、鬼丸達を排除しようとしているのなら、とっくに出来ていた。クリスタは表情を緩め、体も緩め安心の息をつく。それに釣られキル、コルセアも息をつき、そして三人と一つは顔を見合わせ暫く笑った。笑いのタネは様々。皆で乗り越えた死地に、本部であった珍事件。新井に対する文句だったりもしたが、やはり一番多かったのは……。
「てことはだ。あのいけ好かないリンゴ野郎はお前の親? に当たるのか?」
暫くして、コルセアが質問をする。
「う~ん、そうなるんですかね? そんな気はしませんし、多くの人間を巻き込んだアレを親だとは思いたくはないのですが……」
「す、すまないな……」
思いのほか話が重くなったため、気まずくなるコルセア。そんな空気を、キルが断ち切る。
「なら兄さん? キルの兄さんも、キルに色々教えてくれた。それにコルセア言ってた。兄妹は血のつながりじゃないって」
珍しく真面目な顔をしてまともな発言をしたキルに、一同息を飲んだ。しかし彼女の言うことは間違っていない。兄妹の形は様々だ。隣国の神話にも、志を同じくした戦士たちが桃の木の下で兄弟の契りを交わすシーンがある。
「つまり八型改が兄妹だと思うなら兄妹。他人と思うなら……他人……」
そう言いながら再び湯の中へと沈んでいくキルの姿が、あまりに滑稽で、そしてどこか可愛く感じられたコルセアは、
「それもそうだな」
と小さく呟いた。
「……兄妹、ならウチが間違った兄を止めなきゃですね」
八型改はそう呟いたあと、咳払いをして声を正したあと、三人に質問をする。
「ウチはあのバカ兄貴を乗り越えたい。今もその気持ちは変わりません。それと同時に、人間に恨みを持って暴走した陸戦の皆さんを止めたいです。きっと兄貴も、それだから……だから、その……」
あまりにも自分勝手な願い。しかし彼女らはそれを受け入れてくれる。だからこそ、簡単には頼めない。
「いいよ、言いな」
「キルも、大丈夫」
「ほら、さっさと言ってみたら?」
その優しさが、嬉しい。
「ウチと一緒にこれからも戦ってください!」
神話のような美しさはない。あるのはしょうもない罵り合いに殴り合い、度が過ぎたのならば殺し合い。
「まっさか、人工知能の兄弟喧嘩に巻き込まれるとはな。どうだクリスタ、気分の方は」
手を叩き、大笑いをしながら伺いを立てる。
「最高の気分よ。ええとっても」
わざとらしく頭を抱えるクリスタに、八型改は安心した。皮肉だ。最高の裏に隠された最悪さえ、皮肉であることくらい、今の彼女には簡単に理解出来た。
「喧嘩上等、やってやろうじゃない。アタシもアイツに借りがあるから。その喧嘩、乗ったわ!」
「やるからには全力。デカいのブチかますぜ!」
喜々とした表情で手を前に出し、重ね合う。
「同じ妹として、キルも頑張る」
三つの意思が重なった。そしてその上に乗せられた、鋼の意思。
「皆さん、本当に、本当にありがとうございます! コルセアさん! キルちゃん! クリスタさん!」
名前を呼ばれ、それぞれが頷く。普通ならこの流れで三人と一つ、手を天に掲げるのだが、八型改の点呼は終わらなかった。
「それと鬼丸クン!」
「「ハ?」」
「え、兄さん何処?」
キルが湯から身を出し、きょろきょろと周囲を見渡す。しかし見えるのは一面の夜空と男女を隔てる壁のみ。
その鬼丸は、壁の向こうで大量の冷や汗を流して目を泳がせていた。
割と長く続いた温泉回、次回完結です。




