第二十六海路 2 カナヅチとビート版
「見てください鬼丸クン! 湯気に隠れた月が綺麗ですよ」
鬼丸が扉をスライドさせると、冷たい風が流れ込む。室内の湯舟を堪能した後、彼は外にある露天風呂に入ることにした。
「お前結局カメラ点けてるんじゃないか」
「細かいことはどうだっていいじゃないですか! ほら、早く行きましょうよ!」
はやるヴリュンヒルド八型改を抑えながら、鬼丸は手すりを掴み階段を下りる。
空にのぼった三日月は、雲と湯気に隠れて古代の巻物に描かれたワンシーンのようだった。
少し身を乗り出すと、竹柵の外には一面、海が広がっていた。波の音と潮風が、疲れた体に癒しを与える。
「このちょっと肌寒い感じが、露天風呂の醍醐味なのか。俺露天風呂って初めてなんだよ」
肩まで湯に浸かる鬼丸。彼の隣には、桶の中から月を仰ぎ見る通信端末。
「その感覚はウチにはわかりませんが、こうやって見る月が綺麗なことはわかります」
鬼丸が自身の体を芯から温めているその頃、女湯では……。
「そういうことだ。慌てず、浮遊物に掴りな。体力の消耗が一番の敵だからな」
コルセアによる、海上漂流講座が始まっていた。
「わかった。キルが漂流したらクリスタに掴る。そして兄さんに岸まで運んでもらう」
至って真面目な顔で講座を纏めるキル。しかしいつもならそれにツッコミを入れるべき漂流物が、そこにはいなかった。
「……ツッコミ不在って恐ろしいな。いいかキル。確かにクリスタはお前と違って真っ平でビート版みたいだがああ見えてカナヅチだ。最初から鬼丸にしておけ」
「わかった」
そのクリスタは講座が始まるや否や、コルセアが提示するシチュエーションに耐え切れなくなりその場を後にした。
(何となく名誉毀損された気がするわ。明日あたり、この島の弁護士を調べておく必要がありそうね)
彼女は外にも風呂があることに気付き、戸に手をかけ、開ける。暗闇と月の光、そして身を切るような寒さが流れ込む。
「寒い寒い。早く入るべきね」
彼女は足早に階段を下る。向かう先は、黒く、重そうな見た目をした釜がいくつか。なんでも大昔、とある罪人の処刑に使われたことから、その男の名前がついたらしい。
(処刑場にまで自身の名前がつくなんて、天下無双の大泥棒様は相当の切れ者らしいわね)
そう思いながら、自身の体を釜の中へと入れる。体の芯から温まり、自身の体積相当の湯が外へと流れ込む。
小さな軒下のようになっている場所にその風呂、五右衛門風呂はあるため、雨が降っていても問題はなさそうだ。
「で……が……」
「ですがそれは……」
(声? 右の方から聞こえるわね。あっちにも風呂があるのかしら。後で行ってみよう)
気が緩み切ったクリスタには、その声の片方が低く、そしてもう一方が機械的だったなんて気づいてはいない。
「ん? 今向こうで……」
どうやら向こうもこちらに気付いたようだ。にしても、あの声、何処かで……。
「返事、ありませんね。気のせいじゃないですか?」
その声が気になり過ぎて、クリスタは二つの湯を隔てる壁に耳を当てる。その時初めて、向こう側が男湯であることに気付き、一人赤面した。
「急だな。まあわかった。行ってきな」
片方の声は風呂を上がるらしい。そのことを告げる会話がなされていない以上、もう片方はジェスチャーでも使ったのだろう。
話し相手が上がってしまっては、これ以上彼が喋ることはなく、声からの特定は不可能になる。そう考えたクリスタは湯へと戻る。
先ほど入っていた釜に戻ろうとすると、手前の釜から気配を感じた。
「やはりビート版にしか見えんぞ隻眼。これで浮かないとはこれ如何にといった所だ」
「まあそう言うな。確かにお前は色々と凄いが、ナンバーワンよりオンリーワンだぞ」
声の主はキルとコルセアだった。キルの纏め上げられた髪は、黒みがかった赤色をしていた。
「ちょっとそれどういうことかしら?」
「いやなに。隻眼の言う通りだ。皆違って皆いいではないか。胸がまな板でもビート版でもグランドキャニオンでも」
見せびらかすように立ち上がり、そしてクリスタの体を一直線に凝視するキル。
確かにクリスタは等速直線運動が出来そうな綺麗な体つきをしている。
「それでカナヅチとはあまりに哀れだとな。そこの隻眼と語っていたのだ」
「あ、てめぇキル巻き込みやがったな」
その会話の中で、クリスタは自身の笑顔を一切崩さない。その為逆に、コルセアにはそれが恐怖に感じられた。
「あ、いや違うんだクリスタ。これは言葉の綾というか……」
「なに怯えているの? アタシは一切怒っていないわよ」
その一言に、コルセアは安堵する。しかし騙されてはいけない。本音と建て前、嘘から出た誠、言葉の綾、皮肉。言葉は時に真実を隠す蓑となる。
「脂肪の塊が何言おうが、アタシには関係ないわ」
「やっぱり怒ってる!」
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