第十三海路 4 初めまして、兄さん
「鮫肌さん、この騒ぎは一体」
港に着いた鬼丸達は鮫島の姿を見つけた。鮫島は他の人のようにアロハシャツではなく、マリンスーツを着ていた。
「一応訂正しておくけど、俺は鮫島だ」
クリスタは意図的に、鬼丸はそのクリスタに釣られる形で名前を間違え続けている。鮫島は苦笑いでそれを訂正した。
「丁度いい所に来たな」
その声の主は奥から姿を現す。炎天下だというのに相変わらずのスーツに白衣、眼鏡は多少曇り始めている新井だった。
「本部長、何があったんだ」
クリスタがあたりを見回すと、多くの島民が海を覗きこんでいた。それも皆一点を。
「お前たちの仲間がサルベージ作業中に奇妙な鋼の塊を見つけたらしい。巡行訓練してた俺の部下が報告を受けて俺たちが引っ張て来たんだ」
背中のジッパーを緩めつつ説明する鮫島は海水で濡れていた。ダイシャークは格納庫以外での乗り降りは想定されていないため、それ以外の場所で乗り降りを試みると海水で濡れてしまうことが多い。
接岸をしてから降りることで濡れることはないが、島育ちで漁師の鮫島は濡れることをあまりためらわない。
鮫島が説明しながら島民たちの視線の先を指さした。そこには鋼の塊と呼ぶにふさわしいものがダイシャークに牽引される形で浮いていた。白い塗装の多くは剥がれている。
それは波に合わせて揺れている。その際、唯一原型をとどめている一直線に伸びた部分が見え隠れする。
「浮いている? 鉄? 鋼? って浮くのか」
「流石にないと思うわ」
初めて見る物質に二人は困惑を隠しきれていない。
「鬼丸、クリスタ。調べるぞ」
新井の言葉を合図に三人は慎重に謎の塊に近づく。
それはよく見ると人の形をしていた。
「陸戦か? どう見るクリスタ」
鬼丸はその本質を見抜き、クリスタに問いかける。至るところが破損し、曲がり、原型を留めていないためおおよそでしかわからないがそれは、八型の四分の一と言った大きさである。
「ウヘヘヘ、見たことないタイプ……この鋼も見たことないし」
そこには、緩み切った顔で陸戦であったものを吟味するクリスタの姿があった。
「クリスタ……おい陸戦オタク」
「ハッ、な、何か?」
一瞬にしていつもの引き締まった鋭い顔つきに戻るクリスタに、鬼丸は呆れと畏怖を抱いていた。そのなんとも言えない感情の現れとして、彼の口は塞がらない。目だけが泳いでいる。
「見たとこ八型と少し似ているようね。でも大きさは全然」
真面目な顔をしながら機体表面をなぞり分析を行うクリスタ。後方では新井がバランスを崩し、間一髪のところで踏ん張っている。
「お前ってすごいよな、イロイロ」
勿論皮肉だ。鬼丸もクリスタを真似て機体表面に注目する。そこで他の部分とは異なる深い溝を見つける。それを不審に思った鬼丸はその溝を中腰の姿勢のまま指でたどる。
すると突然その陸戦は光を放ち動き始める。その溝が緑色に発光したかと思うと、そこを境にゆっくりと分離を始めた。
「つかまれクリスタ!」
四つん這いになり隙間に手を入れ姿勢を安定させた鬼丸が倒れたクリスタの手を掴む。
「フォローサンキュー。何が起きているの?」
鬼丸の手に掴まれて、何とか落水を免れたクリスタが聞く。
「きっとハッチだ。ここはハッチの真上だったんだ」
やがてその溝の広がりは落ち着き、二人はゆっくりと立ち上がる。溝の中は暗く、何があるのかさえ把握できない。
クリスタはいつも以上に顔を引き締めその暗闇に近づく。
「ちょっとまてクリスタ。危なくないか? ほらよく言うだろ。新聞を覗くとき、貴様も新聞に覗かれるって」
手を斜め下に出しクリスタを背中で制する鬼丸。
「ここは俺がまず入る。お前はここで待ってろ」
突発的な出来事への対処が苦手なクリスタより自分が行ったほうが安全、こんな理論的な考えが突発的に出来るほど、鬼丸は出来上がっていない。
そしてそのことを理解できないほどの思考回路であれば、クリスタは鬼丸の視界には映っていなかっただろう。
「貴方、どちら様?」
その透き通る目で鬼丸を見つめ、彼女はその優しさに首をかしげる。
「わかった上でやってんだろお前。趣味悪いぞ」
目を細めてクリスタを見る鬼丸には、そのまま行かせていればよかったという後悔の念が残る。
「どうだか」
彼女はイタズラに舌を出す。
後方ではバランスを保ちきれずに盛大に落水する新井と、その様子を笑いものにする島民たちが沸いている。
「誰、誰かいるの?」
突如、舌足らずな声が割れた闇から響く。その声は鬼丸とクリスタにのみ届いているようで、島民たちは新井水没事件に首ったけだ。
二人は身構えながらその声の方向を凝視する。自然と鬼丸の腕がクリスタをかばう。
「何か、出てくる」
一歩、また一歩。二人は呼吸を合わせながら後退していく。
その暗闇はゆっくりと盛り上がり、人の形をとった。赤く燃える太陽が闇を照らし、その姿が露わになる。
「女……」
そこには一人の女性がいた。日光に照らされ、波の音だけが彼女のミステリアスな雰囲気を物語る。その虚ろな瞳と小さな唇は透き通っているようで、どこか幻影のように儚い。
眩しい日差しと雄大な海。この大自然に、神秘的な彼女の存在は似合わない。
「髪……鬼丸と似ている」
似合わない、と言えばこの水色の髪もだ。人間離れした色をしている。彼女はそれを後ろで一つに結んでいる。
三人の間に、突如風が吹く。その風は後ろで一つに縛った彼女の髪を捲りあげた。そこには鮮やかな、クリスタのものと似た紅の髪が隠れていた。
「メッシュっていうのか? あの髪色」
あまりにも不思議な光景に、鬼丸は身動きが取れなくなる。
「インナーカラー、だったかしら、正しくは」
あまりにも理解出来ない出来事が波のように押し寄せてくる。しかしそれは序章に過ぎない。
その神秘的な少女は風に煽られ目を瞑る。ゆっくりと視界を開き、少し上を向いていた顎を引く。
真っ白なマリンスーツのようなものを身に纏った彼女。しかしそれは鮫島の着ていたものより光沢があり、所々機械的だ。何本かのコードのようなものが、光に照らされたコックピットだった所から伸びている。
一つ、また一つ。彼女が自身の手を前に差し出す動作に連動し抜けていく。
すべてのコードから解放された彼女は、口を開く。
「初めまして、兄さん」




