第十三海路 2 青い空に映る赤い月
「こちら鬼丸。一面青ですドウゾ」
「こちらクリスタ……ねえ鬼丸。これって」
背中合わせの二人の前は、一面の青であった。二人は新井から受け取った通信端末の性能を確認している。今現在わかったことは、それぞれ固有の番号を入力することにより、相手との通信が可能だということだ。
「よし、じゃあ距離をとるぞ」
そう言った鬼丸は、一歩、また一歩、クリスタの背中から離れていく。溜息をこぼしたクリスタが少し遅れて反対に歩き、距離をとる。
「どうだ。聞こえてるか」
「聞こえてるわよ。これ、旧型といっても十分な性能よ」
このテストまで苦節三十分。その間、鬼丸は手当たり次第にボタンを押しそれに怯え絶叫するクリスタ、といったやり取りが繰り返された。
そんなクリスタが、何かを思いついたような顔をする。しかしその顔は背中合わせのため鬼丸には見えていない。
「ねえ鬼丸」
鬼丸の耳に届くその声は、少し曇っていたが、空は今日も快晴だ。
「散歩、しない?」
二人は風に誘われ趣くままに足を運ぶ。目的のない旅。それは二人にとって、未知の旅であった。
今まで二人には毎日毎秒、綿密なスケジュールが組まれていた。(多少の自由時間はあったものの)その時間一つ一つに目的、目標、意味があった。それは人類が時を過ごすという行動において、もっとも完成されたものであった。
「あ、イルカじゃないかあれ」
そうすることによって、短期間で優秀な陸戦乗りを育成することが可能となり、それこそ人類が無意味な時間を消費出来るような世界を早急に取り戻せる。
「本当に居たのね。初めて見たわ」
何も疑わず、当たり前のように過ごしてきた。しかしここには、何のしがらみもない。
鬼丸の視線に、一匹の赤い海月が映る。
「おいクリスタ。足元……」
その銀河は、蒼く染まり輝いていた。海の青を映したそれは、一点を見つめ、また別の一点を見つめ。その表情は先日の海賊達を見る目と違い、とても光に満ちていた。
鬼丸はその顔を見て、何を思ったのだろう。ただ一言、その銀河に吸い込まれた意識は役に立たない。体は無重力に漂い、意識が漂流する。
これから彼が放つ一言に限って、正真正銘、一人の人間、鬼丸紅蓮のものだった。
「……綺麗」
何が、とは言わない。言えない。彼自身、理解をしていないためである。
透き通った海の青に反射する太陽。その光に照らされたクリスタが呟く。
「本当に綺麗ね」
何が、とは言わない。言えない。目に映る全てを肯定してしまうと、それまでの人生を否定されてしまうような気がしたのか、はたまた……。
「ねえ見て鬼丸。赤いクラゲよ」
「そうだな」
足元に目をやる二人。二人の足場を支えている柱は海中に伸びている。その境界に映る赤い海月と青い空。
「そういえばお前、腰は大丈夫か」
自身の腰をさすりながら鬼丸が聞く。ここ数日の機内睡眠により、鬼丸の体はバキバキである。
「かなりキツイ。正直今夜が山場かもしれないわね」
クリスタも鬼丸のマネをして腰をさする。しかし当の鬼丸はその発言に不信感を抱いていた。
(コイツぐっすり寝てたくせに。俺も人のこと言えないがな)
そんな二人の肩を、思わぬ人物が叩く。
「よ、お二人さん。昨日は助かったぜ」
二人よりも高い位置にあるその顔は、シャークフォース隊長鮫島のものであった。先日のマリンスーツとは異なり、胸元が緩んだ陽気なアロハシャツを着ている。白に紺のラインが入った制服を着た二人とは対照的である。
「アンタは確か……」
「大見得を切った割に早い段階で撃沈されたシャークフォースの……」
クリスタは身内には遠慮がないことが多い。しかも今回の場合、結局はバレていたとは言え鬼丸に恥ずかしい一面を見られるきっかけを作った相手であるため、手加減はない。
表情一つ変えず冷たい目線で肩に置かれた手を指す。どかせ、鮫島にはその目がそう言っているように感じられ、即座に両手を引いて降服のポーズをとった。
「鮫肌さん。でしたっけ? 一体何の用で」
先ほどより声のトーンを落としたクリスタが聞く。
「手厳しいな君達は。特に用はないがそれらしい後ろ姿を見つけたからな」
苦笑いでお茶を濁す鮫島。
「二人そろって何してたんだ? この島のことならなんでも聞いてくれ」
表情を戻して胸に拳を当てた鮫島が言う。その拳には多くのタコが出来ており、とてもごつごつとした頼りがいのあるものであった。
「朝っぱらから何もせずにぶらぶらしている人間に聞くことはありませんので」
「おいクリスタ、ちょっと待てよ。鮫肌さん、今なんでもって言ったよな? 」
クリスタを制した鬼丸は鮫島に詰め寄る。二人の身長差がより強調されていることに鬼丸は気付かず、更に距離を詰める。
「た、確かに言ったが……」
数分後、二人は北の島、通称キノ島の北部、いうなればカイナ島最北端に来ていた。そこには沢山の木々が生い茂っており、小さな森のようになっていた。
「こんなもんでいいだろう」
額の汗を拭う鬼丸の頭にはタオルが巻かれていた。
寝床問題を鮫島に相談した鬼丸たちは彼の紹介でキノ島の伐採作業のバイトに参加した。報酬の代わりに伐採した木材の一部をもらう契約の短時間労働だ。
「本土から軍人さんが来たって聞いてびっくりしたけど、そんなに怖くないのね」
この森を管理している老人が、鮫島と言葉を交わす。
「いい奴らですよ。アイツらは。見ず知らずの俺らのために命張ってくれたんですから」
二人の男は森の木々の倒れる様子を遠くから見ている。
「ねえ鬼丸、アンタ、少し筋トレしたくない?」
クリスタの顔は真上に登った太陽と同じ色をしていた。
昼時になったため報酬の木材を受け取り一度腕寿司まで戻る二人。鮫島の計画では、この後いくつかの素材を集めてそれらを使い簡易的なハンモックを作ることを最終的な目標としている。
「十分間に合ってるから大丈夫だ。それよりお前こそ少しは体力付けたらどうだ? 顔が真っ赤だぞ」
対して鬼丸は涼しい顔をしていた。クリスタの力がないわけではなく、鬼丸の力が人間離れしていることに、二人は気がついていない。
先を歩く鬼丸は、片足で腕寿司の扉を開く。
「ひゃ~涼しい!」
昼間になるとこの腕寿司はエアコンの効いた快適空間となる。炎天下で肉体労働をしていた二人にとってはオアシスだ。
「これがないとやっていけないわよ」
後から入ってきたクリスタの顔が少しずつ色を戻す。店の端に木材を置いたクリスタは、今朝と同じ位置に着く。その間に鬼丸は奥にいるであろう大将に声をかけに行く。
「大将……いないのか?」
いつも大将が座っている椅子に、彼の姿はない。鬼丸は代わりに置いてある一枚の紙きれを見つける。
「そういえば隼人もいないし……なんだこれ」
そこにはお世辞にも綺麗とは言えない書きなぐった字で、新井に呼ばれて店を開ける旨の内容が書いてあった。
「防犯概念がないのかよ。ん、更になんかあるな」
追伸。メシは冷蔵庫の中身使って適当にやってくれ。
「嘘……だろ」




