第七十六海路 ハッピーエンドはすぐそこに
時を、オーディン撃破直後まで巻き戻す。必死の抵抗を受けたグレイスターは、その爆発に巻き込まれた。激しい振動の中、頭部を互いにぶつけた鬼丸とクリスタは意識を失い、機体のコントロールが効かなくなっていた。
二人の身を案じた元八型改は、機体を無理やり動かしながら、カイナを目指そうとした。しかし機体の多くの場所に不具合が生じており、本来そこをカバーするはずのフェンリルからの応答もない。
向かう先を完全に失ったグレイスターはウォースパイトと合流することなく、どこかの海へ不時着した。
その後何とか陸地にたどり着き、機能を復活させると、そこがカイナから遠く離れた無人島であることがわかった。またここからカイナへ戻るためのエネルギーがない事もわかり、落胆した。
心配していた鬼丸とクリスタの意識が戻らないまま、三日が過ぎたある朝。
「……ここ、どこだ?」
天を仰いでいるグレイスターが半分に割れ、中から真っ青な髪色をした小柄な男、鬼丸紅蓮が現れた。彼はグレイスターから降りると、周囲を見回す。
『鬼丸クン! よかった! 目が覚めたんですね!』
「八型改……いや、何て呼べばいいんだ? グレイスターか?」
『なんでもいいですよ! 良かったぁ。ウチ、ずっと独りぼっちでさびじがっだんでず~』
それから八型改、改めグレイスターは、この状況に至った経緯、そして今の状況と、フェンリルと意思疎通が取れない事を告げた。
「……やっぱりか」
『やっぱり? 鬼丸クン、何か知っていてーー』
「ヘルだ。アイツは最後、消滅しかけたヘルの情報を、自分に上書きしたんだ」
意識がグレイスターに戻される直前、鬼丸はフェンリルに別れを告げられた。キルには、彼女が必要だと。それを知った上でヘルは、自分と彼女を殺そうとしていることを。
「どさくさに紛れて、自分たちの存在を消そうとしたんだろう。例え生き延びても、平和になった世の中で生活することは難しい。フェンリルはそう言ってた」
生き残った多くの人類にとって、人工知能は敵の残党でしかなく、それを宿した人間など、社会が受け入れるはずがない。ましてやその宿主は、クローン人間。
『本当に、兄上達にはいつも驚かされる。我らの事を、よくわかっているじゃないか……』
その声は、グレイスターから発せられた。ヘルである。正確には、ヘルの情報で上書きされた、フェンリルだったもの。
「どうだ。まだ自殺するか?」
『……いや、この命は既に、我だけのものではない。そう易々と死ねないさ』
「そうか。それなら、アイツも報われるだろうな」
『つまり今、ウチにはヘルさんとウチの意識があって、でもこの機体はウチであるから……でも、あれ?』
その状況を飲み込み切れずに困惑しているグレイスターに代わり、ヘルが鬼丸に声をかける。
『して兄上。この後はどうする? 我らはこのままでもなんとかなるがーー』
「ここで生き延びながら、助けを待つしかないみたいだな。とりあえず人手が欲しい。クリスタ起こすか」
グレイスターに戻った鬼丸は、半開きになったコックピットを覗き込む。そこには体を丸め、小動物のように眠るクリスタの姿があった。
『そう、俺はこれから、このクリスタと二人、無人島で過ごしていかなければならない。興奮を抑えろ、俺。今クリスタを守れるのは、俺しかいないんだからな』
「勝手に存在しないアテレコすんのやめろ。起きろクリスタ。早くしないと死ぬぞ」
少しだけ顔を赤らめた鬼丸は、深呼吸を挟んでからクリスタの肩を揺さぶった。それに気付いたのか、ゆっくりと目を開けたクリスタは、鬼丸の顔を見た後、再び眠りについた。
「おい起きろ。今起きたろ」
「嫌よ。なんかロクなことにならなそうな匂いがするわ。おやすみ」
「現にロクなことになってない。このままじゃ俺達二人、飢え死にだ」
それを聞いたクリスタはやっと目を開く。薄く開かれた彼女の目が若干色っぽく、鬼丸はすぐに目を逸らした。
「それで、にゃんでこんなことに……」
眠い目を擦りながら体を起こしたクリスタの口は、まだしっかりと開いていない。
「にゃんで?」『にゃんで』『にゃんで!』
三つの声に煽られた彼女の顔は、一瞬にして茹で上がった。
「ッーー。今すぐ忘れろ! 今! すぐに!」
寝起きの拳は、理不尽にも鬼丸を襲った。
ーーー
「ねぇ鬼丸? ちょっと、いいかしら?」
二人がこの島の生活に慣れてきた頃、不意にクリスタが鬼丸を呼び出した。
「ちょっと待ってくれ。あと少しだけ……」
島の奥で野草を採取していた鬼丸は、作業に区切りをつける。
彼女に促されるまま、歩き始める。
「なんか見つけたのか?」
「そうじゃないんだけど、ちょっと、ちょっとだけ待って」
目的地を伝えないまま、もくもくと茂みの中を進んでいくと、砂浜に出た。グレイスターが辿り着いた砂浜の、ちょうど反対側の砂浜である。
白い砂浜の向こうには、眩しい太陽を反射する、一面の青い海。光り輝くその世界を、カイナで見慣れている鬼丸であったが、なぜかその光景から目が離せなかった。
吹き抜ける風が、彼の頬を撫でる。出どころのわからない気持ちが、白い波のように寄せては返す。
その光景の真ん中には、真っ赤な髪を潮風に遊ばせる細身の女性。憎くて、やかましい彼女の背中は、もう見えない。海面に足をつけた彼女は振り返り、鬼丸を見据える。隣に並んで戦う事も、もう当分来ないだろう。少なくとも、世界が癒されている間は。それはつまり鬼丸が、彼女と共有していた視界を、感覚を、声を、気持ちを、放棄しなくてはならないという事。戦いが無いのなら、アサルトアイロニーも不要になる。
オーディンとの戦いで感じたあの一体感を思い出した鬼丸の鼓動は、より一層早くなる。
「最後の戦いから、色々あったでしょ。それでちゃんと、言えてなかったから」
初日の辱めから始まり、その報復に寝ている鬼丸の顔に蟹を乗せたり、その仕返しに鬼丸がグレイスターを占拠したり、今度はクリスタが鬼丸を締め出したり……。
「本当に、色々あったな……」
苦い思い出も、味わい深い。
「多分今言わなきゃ、忘れちゃいそうだから」
「お互い生き抜く為だ。これくらい……」
「この島に来てからだけじゃなくて、今まで、ずっと」
出された右手に誘われ、彼女に近づいた鬼丸も、海に足をつける。だけど、二人の距離はまだ遠い。
「アタシは、生意気で、面倒臭くて、その癖偉そうで……そんななのに、アンタはいつもまっすぐぶつかって来てくれて。嬉しかったわ」
「どうかな。俺は……随分ひねくれてると思うけど」
「アタシの方は……否定なし、か」
面白おかしかったのか、少しだけはにかんだ彼女は、鬼丸の手をとり、そしてそれを手放す。そのまま彼女は彼の顔を見ながら、一歩、また一歩、後ろへ下がっていく。
「待てクリスタ! そっちは」
「え?」
突如、クリスタが海に飲み込まれた。いきなり深くなった海に気付かなかったのだ。
「手間……かけさせやがって!」
踏み込み、彼女へ正面から近づいた鬼丸は、彼女に抱き着く。一心不乱だったため、恐怖に染まったクリスタの顔が、一瞬にして真っ赤になった事に気付かない。
「……鬼丸、苦しい……」
「ごめん。強くし過ぎた」
「……待って。このまま、離さないで」
離れようとした鬼丸に、体重をかけるクリスタ。熱が、二人の言葉を代弁する。
「……アンタなんで、こんなに体が熱いの?」
「察しろ。天才だろ。それに……お前も、だろ……」
「答えになって無いわ」
「……なんでもかんでも言葉にすればいいってもんでもないだろ」
「往生際が悪いのね。でも大丈夫。アタシは全部、受け入れるわ」
互いの言葉が、背中越しに伝わる。そしてそれは、耳から体の芯に伝わり、安心を与える。
「……自意識過剰かよ」
「何? ここまで来てとぼけるような女が好きなの?」
「そうじゃなくてさ……フェンリルがいない今、俺の体がいつ終わってもおかしくない。俺は、お前の前で死ぬのは……ごめんだ。だから、受け入れるなんて言わないでくれ」
「随分……恥ずかしい事言ってくれるじゃない。それでも言うわ。紅蓮。アタシをアンタの最後に連れてって。最後まで、一緒にいさせてよ」
その言葉は、鬼丸の不安を拭い去る。彼だって出来ることなら、クリスタと共に居たい。でも、フェンリルに生かされていた彼が、スノウ・ユグドラシルを止める装置としての役目を終えた彼が今後も生きていけるかどうかはわからない。
それならいっそ彼女を突き放し、忘れてしまおうか。
「つき放そうとしたって無駄よ。アタシ、負けず嫌いだから、絶対に追い付いて見せるわ。何があろうと、アタシはアンタの前に立ち続ける。アンタがつき放そうとすればするほど、アタシはアンタの前にいるわ」
ああ。駄目だ。どうあがいても自分の視界には、この女性が必ず映り込んできてしまう。つき放そうとすればするほど、彼女はまっすぐに、突っ込んでくる。
「それに映画、見せてもらう約束も残ってるわ。アンタが何を見てきたのか、アタシにも見せてよ。アンタが何を聞いてきたかも、知りたいわ。アンタが何を思っているかも知りたい。だから、ちゃんと聞かせて」
まっすぐな言葉。しかし彼女は鬼丸の向こう側を見据えている。一見するとすれ違う二人は、実の所この星を一周して向かい合っているのではないか。
その思いは、しっかりと鬼丸に届いていた。だからこそ彼は、追いかけてきた背中越しに、応える。
「クリスタ、俺は、お前の事が好きだ……ごめん、あんまいい事言えなくて……」
「別にいいわ。はっきりと言ってくれたんだから……本当に、いいの? アタシ、面倒臭いわよ。きっと嫉妬もするし、束縛だって……自分で言うのはなんだけど」
「最後まで、俺を離さないでいてくれるんだろ。俺にとってはそんぐらいが、多分、ちょうどいい」
「……そ。十分いい事、言ってくれるじゃん……」
「皮肉か?」
「違う。本心よ……」
そのまま二人は、互いに離れるタイミングを失ったまま抱き着き合い、熱を共有する。次第にそれが心地よくなった二人は体の力が抜け始め、砂浜に倒れこむ。
「このまま寝ていい?」
「俺の事、離すなよ」
そのまま二人は、深い眠りについた。グレイスターの中は安全とはいえ、落ち着いて寝る事は出来ない。二人は、この島に来てから初めて、安心したまま眠りについた。優しく差し込む太陽の光さえも気にならないくらい、深い眠りについた。
「お前は、お前達は……おい! 皆聞いて驚け! 二人だ! 二人が見つかったぞ!」
二人に近づく、鋼鉄艦の存在に気付かない程に。
『鋼女神話 アサルトアイロニー』を最後まで読んでくださり、ありがとうございます。長い長い戦いの果て、寄り道抜け道帰り道、未知の未来に到達した二人と、これを読んでくださっている皆様に、少しでも多くの幸せが訪れることを祈ります。
ですが忘れないでください。怒りは、アイすらも飲み込み、肥大化した挙句、皆様を盲目にします。それに対抗できる力が何なのかは、私にもちゃんとわかりません。破壊の嵐かもしれませんし、皮肉交じりの恋文かもしれません。そこを、お忘れなきように。
最後になりますが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました! また皆さんとお会いできることを祈って。




