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通学路〜玄関〈2〉

 生き返りチャレンジ、実施中。



 スピードが早過ぎて運転手の姿は見えなかったが、一回目の車を躱して、植木鉢を避ける事にも成功した。

 さて、ここからが問題だ。

 僕は足を速めながら、これから起こるであろう二回目の事故について考える。

 前回よりも時間には余裕があるのだけど、それでも百パーセント大丈夫だとは言い切れない。

 とにかく、信号に捕まっちゃいけない。やり直しの効く安い命とはいえ、死ぬのは嫌だ。勿論、遅刻するのも嫌だ。

「ま、このペースなら余裕でしょ」

 僕は歌を口ずさみたくなるのを我慢しながら一つ目の信号を越える。

 二つ目の信号が見えてきた。大丈夫、焦るな、焦るな。まだ青になったばかりだ。

 けど、僕の心とは裏腹に心臓は高鳴る。鼓動は早まる。

 信号の前に着いたと同時、青色が点滅を始めた。

 ドクン、と。心臓が一際強く動きだす。が、僕は平静を装いながら信号を渡り切る事に成功した。

「……ふう」

 思わず安堵の息が零れる。近くにいた下級生らしき女の子が不思議そうにこちらを見ていた。そりゃそうだろう。信号を渡るだけで、地獄から生還したような雰囲気を醸し出す奴がいるのだから。そんな奴、僕なら気持ち悪くて見たくもない。

 でも、許して。良いじゃない。今回は車に轢かれなくて済んだのだからさ。

 とか思ってたら、道路の向こう側からこちらにやってくる憎き車が見えた。見たくもない。僕は足早に校門を潜り抜けていく。何はともあれ、生き返りチャレンジで初めて、いや二回も校内に入れた。

 ……これを小さな一歩と捉えるか、大きな一歩と捉えるかは意見が分かれそうではあるのだけど。



 そして、僕は玄関に到着する。

 二回目の到着。何だか感慨深いな。

 さて、こっからが本番。気を引き締めていかなくちゃ。

「ありゃ、朝から気合入ってるね?」

「そうかな?」

「あは、いきなりだったのに驚かないんだね」

 振り返れば、見覚えのある女の子がいた。

 くりくりっとした大きな目。明るい茶髪、ちょっと短い髪の毛。社交的、活発的な雰囲気を持ち合わせているような、そんな子だ。僕とは性別から何まで真逆の位置に存在している。

 新学期がスタートして一ヵ月ちょっと。ゴールデンウィークを過ぎて、仲の良いクラスメートの顔と名前が完全に一致する時期。

 残念ながら、僕はまだクラスの半分どころか、四分の一程度しか把握していなかったりする。そして目の前の彼女の名前を、僕は最初の一文字だって知らなかった、筈だった。

「まあね」

 僕は曖昧にして笑っておく。まあ、二回目ですから。

 しかしループと言っても、僕以外の人間もやっぱり言動が少しは変わるんだな。

「それじゃ行こうか」

「え、え? あ、まっ、待ってよー!」

 靴箱まで足早に進むと、女の子は慌てて追いかけてくる。

「ね、ねえっ、あたしの名前は知ってるよね!?」

「知ってるってば」

 僕は、スチール製の中棚が付いたシューズボックスの前に立った。一般的な、どこにでもある靴箱である。そこの、自分のネームプレートが差してある扉から上靴を取り出して、運動靴と履き変えた。

 そうしている間も、名前を呼んでだとか、教室まで一緒に行こうだとか喚いている。女の子は実にかしましい。朝一番からコンタクトを取るには遠慮したいタイプである。

 いつもの僕なら、それじゃあね、なんて言いつつ軽く無視して行くのだが。

「早く履き替えて教室に行こうよ、舞子さん」

「ふえっ?」

 女の子改め、舞子さんはまん丸の目を見開かせ、僕を穴が空くほど見つめていた。

「名前、覚えててくれたの?」

「クラスメートじゃないか」

 さも当然だよと言わんばかりに心にもない事を言う僕。ごめんなさい、知ったのついさっきです。

「あは、ちょっと嬉しいかも。だって君、全然人の名前覚えないんだもん」

 良く分かってらっしゃる。興味がなかったからなあ。こんな事にでもならない限り、舞子眞惟子の名前は僕の脳にインプットされなかっただろう。

「ちょっと待ってね、靴履き替えるから」

 僕は黙って頷く。

 見ると、舞子さんは素早い動きで運動靴の紐を解き、上履きの紐を結んでいた。

 視線を玄関口に移すと見覚えのある坊主頭が目に入る。多分、ここで大立ち回りを演じる片割れの丸坊主と出会うんだろうな。なんて名前だったっけ、確か、えーと。何か二人ともパン屋みたいな名前だったような気がする。

「終わったー!」

「ん」

 舞子さんは楽しそうに立ち上がった。何が彼女を楽しくさせているのか、僕には分からない。

「じゃ、行こう」

「うんうんっ」

 こうして、僕はこの後に起こるであろう少年バット事件(今、命名してみた)から逃れる事に成功した。



 僕が今回新たに行なった事は、蓋を開ければ拍子抜けするほどに簡単なものだった。

 それは、『舞子さんの名前を呼ぶ』だけ。

 本当にこれだけ。

 僕は生き返りチャレンジの狂っている間といえど、なるべく穏便に事を済ませたいのだ。玄関で舞子さんに絡まれたのなら、出来るだけ彼女の気分を害さないように接したい。具体的に言えば、陰口を叩かれない程度に。今後僕が学校生活を送るにおいて障害とならない程度に。

 と言う訳で、僕は野球部の喧嘩に巻き込まれず、舞子さんの恨みを買わずに一刻も早く教室に向かいたかった。

 その為には僕が迅速な行動を取るよりも、舞子さんがスピーディに動いてくれる方が助かるのである。

 しかし、彼女はどうにも効率や、時間を度外視している節があった。遅刻を恐れていないのだろうか。靴紐を一々解いたり、物好きにも喧嘩を眺めたり。靴云々はともかく、好奇心は何とかして欲しい。僕は猫じゃないけど、舞子さんの旺盛なそれによって命を落としたようなものなのだから。

 まあ、そこで僕が選んだのは、舞子さんの名前を呼ぶと言う事。

 前回気付いたのだが、どうやら本当にそれだけで舞子さんは靴を履き替える作業を早めてくれるようだった。理屈は分からないし、彼女の意図は掴み辛いのだが、効果は覿面。僕はこうして新たな一歩を踏み出せている訳、なのである。



「ねっ、ねっ、昨日のドラマ見た?」

「ドラマ?」

 階段を並んで上りながら、舞子さんは学校特有の、朝の喧騒にも負けない声を張り上げる。

「僕、あんまりテレビは見ないんだよ」

「あは、そうなの? すっごく面白いんだけどなー、来週から見てみなよ!」

 そう言われても、僕の部屋にはテレビがあるんだけど滅多に見ないんだよな。リビングで見ても良いんだけど、見なくても良い訳で。

「んー、どんなストーリーなの?」

 でも、話には乗っておく。面白そうだったら見てみようかな、みたいなニュアンスで。

「えーとね、推理ものなんだけど、昨日で犯人が分かったんだよー」

「へえ、そうなんだ」

 絶対見ない。ミステリーで犯人が分かってるなんて僕の中では有り得ない。

「それじゃあ、今から見ても面白みが半減しちゃうね」

「あは、そうかも。でも今までに犯人が出てくる度に死んじゃってるんだよねー、五人くらい」

 もうギャグに近いな、それ。

 って、こっちに来る度に死んでる僕の台詞じゃないか。



 三階に着き、教室を二つ通り抜けて二年三組、即ち僕らの教室にまで辿り着いた。

 やった、やったぞ……!

 ここまで来れば後は楽勝過ぎる。いつも通りに気配を薄めて授業をまともに聞いていれば、とりあえずは何も起こらないだろう。

「ありゃ、ご機嫌だね?」

「そうかな」

 僕はクールな奴を装って自分の席に着いた。鞄から、今日の授業に使う教科書を机の中にしまい込み、筆箱を机の上に置く。ついでに一時間目の古典の教科書を開いて予習に取り掛かった。

「おー、準備万端だねー」

「舞子さんは予習しないの?」

 舞子さんは困ったように笑い、

「あは、あたし勉強って苦手でさー。椅子に座ったら、何だか落ち着かないんだー」

 そんな事を言った。

 まあ、そんな気はしていたところである。かくいう僕も予習なんぞをしているが、学校の成績はそうでもない。中の下の中といったところだ。

「特に古典って難しいよねー、日本語なのに日本語じゃないみたい」

 彼女の言いたい事は僕にも分かった。そもそも、現代ですら田舎に行けば現地以外の人には判別出来ない方言が飛びかっている。同じ国と言えど、違う言語を扱っているような島国だから、仕方のない話だろう。

「慣れれば簡単だよ。そうだな、英語と同じかも。文法なんかはパターン化されてるから覚えれば意外といけるよ」

「あは、あたし英語も苦手かもー」

「……ちなみに好きな教科ってある?」

「ドッヂボール!」

 元気いっぱい小学生か。

 そうして舞子さんと愉快な会話を交わしていると、予鈴が鳴った。

 教室には自分の席に戻る人たちが増え始める。四十人程度の二年三組は、ほぼ全ての席が埋まりつつあった。

「今日も皆出席だねー」

 三組には不登校児、不良なんてステレオタイプの問題児はいない。ま、僕はそういう方面に明るくないけど漫画やアニメみたいにゃならないよな。

「……ありゃ、敷島君と山崎君がいないね」

 誰だ、それ。良くもまあ、ここにはいない人間の顔とか、名前とか席が一致するものである。

「あは、野球部の二人だよー。おかしいな、いつもは朝練終わったらすぐ来るのに」

 ああ、あの二人か。ふうん、舞子さん、抜けてるように見えて意外と周りを見ているんだな。僕にはとても出来ないや。

「うーん、今日は来なかったりしてね」

「そうなの?」

「そうかも」

 今頃は二人でチャンバラに興じているだろうからね。その後、この教室に戻ってこられる可能性は限りなく低い。もう少ししたら現場に急行するであろう先生の内の誰かに生徒指導室まで連れて行かれるだろう。

 ちょっといい気味。

「……っと、先生が来たね」

「あは、本当だー。じゃあまたねー」

 舞子さんは笑顔を絶やさぬままに自分の席に帰っていく。手を振られたので、ぎこちなく返しておいた。恥ずかしい。



 先生が教室に入ってくると、クラスの人たちはお喋りを止めて前を向く。

 僕もそれに倣い、予習の手を止めて先生の顔を見た。

 先生は出席簿を教卓の上に広げて、教室の様子を窺っている。

「……今日も全員出席か?」

 自主性を重んじているようで重んじていない高等学校の生徒は誰も先生の問い掛けに答えない。

 あの、うるさくて仕方がない舞子さんも、そんなものどこ吹く風で廊下に目を向けていたり。

「ん、ああ、野球部がいないな」

 恐らくあの二人の事だろう。って言うか、教師が自分のクラスの生徒を一括りにするのはどうだろうか。良いのだろうか。

「……まあ良い。今朝は伝えるべき事項もない。それではホームルームは終わりだ」

 職務怠慢とも思える短さで朝礼を済ませると、先生は出席簿を畳んで教室を足早に出て行った。

 僕は再び古典の教科書に目を落として、予習を続ける。

 ――ガシャーンッ!

「きゃあっ!」

 誰かが叫んだ。僕びっくり。何だ、新手の敵襲か!?

「いやあああっ!」

 ガラスでも割れたのだろう――――か、あ?



 目を開ければ、そこに広がっていたのはもはや見慣れた、一面真っ白の世界だった。

「お帰りー」

「ただいま……って、僕の居場所はここじゃないです」

 つい返事してしまったが、僕にはちゃんと帰る場所がある。

「そんな事言うなよ。半ばここがお前の家じゃんよー」

「家にしちゃ何もないですよね、ここ」

「超美人な姉ちゃんがいんだろーがよ」

 僕の目にはそんな人映らないぞ。

「……それより、今回はどうして死んだんですか僕」

「あー? えー、と。くっ、ひひっ……ぎゃははは!」

 死神さん、ノートを放り出して腹を抱えて笑い出す。不愉快極まりない。

「何で笑ってるんですか……?」

「いや、ぎゃはっ、悪い悪い。ひひっ、ついな……」

 死神さんはまだ笑っていたが、僕に向き直って口を開く。

「今回お前を殺したのは……ボールだ」

「ボ、ボール?」

 ボールって、あの、丸い奴だよな?

 確か前回がバット、今回がボール。

「飛んできた球がガラス突き破ってお前に激突したんだよ。お前さー、野球の神様に嫌われてんじゃねーの」

「何だか、僕もそんな気がしてきました」

 バットとボールに殺されるとか、僕は一体野球部に何をしたって言うんだ。

「まあ過ぎた事は仕方ありません。でも、あのボールはどこから来たんですか?」

「外からだろ。位置的に運動場じゃねーの」

「くそー、誰がボールで遊んでたんだ……」

「あー、お前をバットで殺した奴らだよ」

 はっ? どういう、意味だ?

「おいおい、鳩と豆と顔を食ってんじゃねーよ」

 食ってねーし。馬鹿過ぎて突っ込む気にもなれなかった。一生間違えておけば良いと思います。

「だからよ、あいつらちょっとエキサイトしちゃったらしいな。ほら、開放的な気分になったら海とか山とか、開放的な場所に行きたくなるだろ?」

「つまり……あの二人は運動場にまで喧嘩しに行ったって事ですか」

「そういう事だろうな。そんでもって何を思ったかは知らねーけどよ、バットでボール打ちまくってた。アレじゃね? 飛び道具の代わりとか、そんな感じ」

 そんな話があるか。

 どうして上手くいかないんだ。

 一日を何事もなく過ごす、それだけの事じゃないか! どうして僕の邪魔をするんだよ!

 僕はふらふらと上半身だけを起こし、両の拳を地面に叩き付けた。

「おー、怒ってんのか? 止めとけ止めとけ、人生なんて不条理で理不尽な事が付き物なんだよ。ストレスで寿命が縮んじまうぜ、マッハにな」

 もう死んでますから。

「に、二度も僕を……! あいつら二回も僕を殺してるんですよ!」

 幾ら相手に悪意や殺意がないとは言え、しかも僕を殺した事なんか忘れてる、と言うか記憶にある筈もない、とは言え、こっちは覚えてるんだ。

「んー、そーだな。けどよ、仕方ないじゃん。元を正せば死んだのはお前のせいだし、今回だってお前の不注意で死んだんだろうが。あんだよ、飛んできたボールぐらい避けてオレに魅せろよ。そもそも、打ち所が悪いか知んねーけどさ、頭やーらか過ぎ」

「どこから来るのか、いつ来るのか分からない物を避けられる筈がありません」

「常に周囲に気を配ってりゃ、あんな情けない真似はしなくて済んだ筈だぜ?」

「……だったらあんたがやってみせろよ」

 僕は激情に駆られ、つい、ぼそりと毒を吐いてしまう。

 死神さんは腕を組んで座り込み、ノートを髪の毛にしまい込んだ。

 怒って、いるのかな。

「オレが、か? お前はお前の事をオレにやれって、そう言ってんのか?」

 彼女の声には、研ぎ澄まされた怒気が見え隠れしている。

 いつもは馬鹿みたいに明るいのに、怒った時はこうだから、嫌になってしまう。

「いや、すみません。言い過ぎました」

「簡単に謝ってんじゃねーよ。お前が生き返りたいなんて言いやがるから、こっちは世界中巻き込んで時間を巻き戻してやってんだぜ、甘えた事言ってんな、馬鹿が」

 死神さんは僕を突き放すように、どこまでも冷たい口調だった。

 何で、僕はこんな事をしているんだろう。

 何で、こんな人に謝らなきゃいけないんだろう。

 もう、良いかな。

「じゃあ、諦めます。僕を地獄でも天国でも良い、送ってください。半年でも一年でも、何百年だって待ちます。だから……」

 もう、こんな気持ちは味わいたくない。変だ。嫌だ。怖い、怖くてたまらないんだ。今までに感じた事のないモノが僕を押し潰し、飲み込み、噛み砕いて溶かして、姿を変えていく。

 だから、生き返りチャレンジはもう終わり。ギブアップだ。



 今日は、いや、今回は目覚まし時計が鳴った。鳴ってしまった。

 僕はとても嫌な気分で、目覚めたばかりだというのに凄く疲れている。

 だから、もう一度目を瞑って全てを忘れようと努めた。

 何だか、目を覚ます前の僕には気持ちの悪い事ばかり起こって、気持ちが悪いと思っていたような、そんな気がする。

 夢なら覚めているのに、終わっているのに。この気持ちには終わりがない。まるで、続いているみたいだ。嫌だ。嫌だ。

 こんな気持ちは嫌だ。こんな気持ちになっている僕はもっと嫌だ。僕をこんな気持ちにさせているこの世界はもっともっと嫌だ。

 終わってくれ。早く終わってくれ。頼むから早く終わってくれ。

 寝付けないまま、一時間か二時間は過ぎたろうか。

「――ッ!?」

 僕の胸に激痛が走った。

 経験した事のない痛みに、僕の全身は警鐘を鳴らして走って回る。

 ベッドから転がり落ち、床に這い蹲って手足を伸ばしていた。それでも、胸を突き刺す痛みは消えない。消えない。ずっと痛い。

「か、はっ……」

 息が出来なくなってきて、意識が徐々に遠のいていく。

 やがて、視界がぶれ始め、黒い点が僕の視界を埋め尽くしていった。



 目を開けると、また、白い世界。それと金色の女。

 そこで僕は、またチャレンジを受けさせられたんだなと理解出来た。尤も、失敗したけどね。と言うか、今回は成功しようとも思わなかった。

「…………今回、お前は心臓病で死んだ」

 誰が、心臓病で死んだって?

「突発性だとか、そんな事は書いてあるけどよ。病名を見てもオレは医者じゃねーから詳しい事は言えねー」

 そうか。突発性なのか。だからいきなりだったのか。あはははははははははははははは。

 ははっ、そっかそっか。あ、はははっ!

 どうでも良い。

「おい、やる気ねーのか? てめー寝たまま動かなかったろ。……おい、聞いてんのか屑鉄」

「……言ったでしょう。じゃあ、諦めるって」

 言った。僕は確かに言った。絶対に言った。

 もう疲れた。嫌だ。苦しい。

 死にたい。だけど、死ねない。

「――じゃあ、って言ったよな? お前さっき、言ったよな」

 立ち上がった死神さんは、僕の制服の襟を掴み上げた。シャツに皺が寄るけど、もう良い。

「じゃあって何だよ? 諦めるって何だよ?」

「……疲れたんです」

 目の奥が光った。

 そう認識した時には、僕は再び地面に転がっている。

 どうやら、死神さんに殴られてしまったらしい。彼女の表情は髪の毛に隠れていて見えないけれど、きっと般若みたいな顔になっているんだろうな。

「痛い」

 僕は呟き、殴られたほっぺたを摩る。あー、そうか。死んでいても、痛いものは痛いんだったっけな。

「そりゃそうだ。三十パーセントの力で殴ってやったからな」

 そうか、死神さんはまだ七割も力を残しているのか。くそー、心底どうでも良いけど、女性から食らったパンチとは思えないぞ。パンチって誰でもこんなに良いもの放てるのか?

「良いからやれって言ってんだ。お前には天国地獄閻魔神様悪魔天使死神のメンツが掛かってんだぞ。生き返るって言ったんなら、もっと気張りやがれ」

「僕の、知った事じゃありません」

「うるせー! やれ! オレがやれって言ってんだ!」

 死神さんは倒れている僕に馬乗りになる。彼女は意外と、重くなかった。だが、長い髪の毛が僕の顔にも垂れていて、実にくすぐったい。

「どうして、そんなに僕に構うんですか?」

「ああ?」

「だって僕以外にも失敗した人や、諦めた人はいるんでしょう? だったら良いじゃないですか、ギブアップさせてくださいよ」

「駄目だ。許さねー。って言うかな、馬鹿だろお前。お前の為? はん、舐めた口利いてんじゃねーぞ」

 ならば、誰の為の生き返りチャレンジだと言うのだろう。

「あんな、オレはただの派遣社員だ。いつ首切られてもおかしかねーんだよ」

「そりゃご愁傷様です」

「おい、良く聞けよクソ野郎。お前にはチャレンジに成功してもらう。絶対にだ。そーすりゃ、オレは認められるかもしんねー。こんな馬鹿げた、相対性理論よりも難しい挑戦を成功させたヤツとして、オレは一躍時の人になるんだ。派遣なんて呼ばせねー、正社員に雇用されたら、今まで馬鹿にしてた奴ら皆馬鹿にしてやるんだからよ」

 その言葉に、あまりにも切羽詰った彼女の口調に。

 僕は、思わず吹き出していた。殴られても構わず、喉の奥で笑い続けていた。

「……あ、ははっ。そうですか。そうだったんですか。良い、良いですね、それ」

「何笑ってやがる。オレは真剣なんだよ」

「真剣だから笑ってたんですよ。そうか、あなたは僕を立身の道具として使おうと思っていたんですね」

「悪いかよ」

 いや、これっぽっちも。一寸の曇りなく。

 全くもって悪いとは思えない。言ったじゃないか、僕は死神さん、あなたの意図が実に良いと言ったんだ。

「僕が生き返りの為にあなたを利用していたように、あなたも僕を利用していた。それだけの事でしょう。う、ふふっ、いや、良かった。死神なんて言ってたから、あなたの人間臭いところが見れて嬉しい。とても喜ばしい」

「オレ、殴り過ぎちまったか?」

 なあんだ。結局そんなものなんだ。皆が皆、死んでも死ななくても、そんな事ばっかり考えてるんだ。

 いやあ、最高にくだらない。最悪なまでにつまらない。

 ずるいなあ。今までの人生がもったいなかったよ。混ぜろってんだ。

 だったら僕も、そんな事に付き合おうじゃないか。

「僕、死神さんの事が好きかもしれません」

「はあ?」

 僕は困惑する死神さんをよそに、次回のチャレンジと、前回のチャレンジについて考え始める。

「死神さん、相対性理論は難しいものじゃありませんよ」

「……なあ、さっきからお前何言ってんだ?」

 分からないなら、無視すれば良い。除外すれば良い。そもそも、分かろうとしなければ良い。

 僕は生き返りチャレンジを成功させる事だけに全力を注ごうと決めた。

 僕が諦めない限り終わらない一日、僕が飽きない限り繰り返される二十四時間。

 良いぜ、乗り越えてやろうじゃないか。

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