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通学路〈2〉

「もはやギャグだな」

 死後の世界に戻ってきた制服姿――死んだ時の格好――の僕は目を開けられないでいた。

 死神さんが僕を罵り続けている。言い返せない。僕のせいじゃない筈なのに。

「車を避けたのは良いけどよ、お前、何で死んでる訳?」

 僕が聞きたい。おかしい。こんなのおかしい。

 死神さんはノートをパラパラとめくり、げらげらと笑い出した。

「……何が面白いんですか」

「お前だよお前。車の次は植木鉢に殺されてやんの」

 植木鉢、ですと?

「そんな物、一体どこから」

「上を向いて歩こうぜ。ほら、角を曲がったすぐ傍にマンションがあったろ」

「マンション?」

 言われて、僕は記憶を引っ張り出す。えーと、ああ、確かに。僕と同じ高校に通う生徒の何人かが住んでいる、あの大きなマンションの事か。

「そっから落っこちてきたんだよ。陶器で出来た植木鉢だからな、ま、お前の頭じゃ耐え切れなかったってこった」

「そんな馬鹿な……」

 落ちてきた植木鉢に頭ぶつけて死ぬなんて、有り得るのか。

「しっかし、運が悪いなあお前。見てる方は楽しいけどよ、ぎゃははは」

「折角車の事を思い出したのに……」

「次は植木鉢に気を付けてれば済む話じゃねーか。よーし四回目行ってみようか」

「ちょ、ちょっと待ってください! 何かおかしいですって! こうも都合良く(?)僕に災難が降りかかるなんてどうかしてます!」

 死神さんは僕の話など聞いちゃいなかった。

 かくして僕は、生き返りチャレンジ四回目に突入させられてしまう。



 目覚まし時計の鳴る五分前に目が覚める。いつもの事だ。

 でも、何だかいつもと違う気もしていた。

 僕はゆっくりと身を起こし、布団を跳ね除けベッドから立ち上がる。何とはなしに部屋をぐるりと見渡してみた。

 ポスターも貼られていない、カレンダーも掛けられていない白い壁。本棚が二つ、一つは中身が空っぽ。捨てるのも面倒だからそのまま置いてある物だ。あとは、タンスと小学校からの勉強机。テレビはあるが滅多に見ない。テレビゲームも携帯ゲームもやらない。音楽も聞かないから、CDの一枚だって部屋にはない。

 ……我ながら、殺風景な部屋だと思う。

 高校二年生の部屋とは思えないよな、やっぱり。

 だけど、そう思うだけで実のところ、僕はそんなに困っちゃいない。娯楽に興味がないからだ。と言うより、あまり物事に対して興味が沸かないのだ。多分、生きる事に対しても執着はしていない。死んだら死んだで構わない。

 何もない。

 この部屋は、僕その物なんだろう。



 顔を洗って、制服に袖を通して階下のリビングに行く。

 僕、母、父の三人家族だが、僕が高校に入学してから家族との会話は殆どない。別段、僕が反抗期という訳じゃない。単に生活のリズムが合わないだけなのだ。父も母も朝早くから仕事に行き、夜遅くに帰ってくる。僕はと言えば、学校が近いから始業のギリギリまで家に居られるという訳だ。おまけに寝るのが早いから、両親のどちらかが帰って来る頃には寝息を立てている次第である。その気になれば会話ぐらい出来るのだけど、その気になる必要も今のところ、特にない。今のご時勢、携帯で連絡ぐらい取れるし。

 だからこうして、独りでトーストを齧る作業も苦ではない。かと言って独りで居るのが楽って話でもないんだけどね。

 まあ、慣れってのは良くも悪くも素晴らしい。

 


 八時十分。

 ニュース番組を流し見てから、僕は家中の戸締りを確認する。窓の傍に立つと春の陽光が瞼に降り注いだ。うーん、少し眠たい。どうしようかな、学校行かないで眠っておこうかな。

 けど、悩むだけ悩んで結局家を出る。いつもの事だ。

 靴を履き、玄関の鏡で身嗜みを確認して、ドアを開ける。眩しい。

 学校まではゆっくり歩いても五分前に到着出来る余裕がある。焦らなくて良いのは実に良い。中学の時とはえらい違いだ。

 この先の角を曲がって、信号を二つ渡れば校門が見えてくる。

 うん、今日も平和だ。尤も、僕に取っちゃ平和じゃなくても良いんだろうけど。

 そして僕は角を曲がり、曲がった所で車に轢かれて死んだ。



 真っ白い世界に戻ってきた僕は死神さんにボコられていた。

 蹲る僕の背中にキックの嵐が襲い掛かっている。

「てめえはっ、なんでっ、死んでるんだよっ、さっきはっ、車っ、避けたじゃっ、ねえかっ」

 痛い、痛い痛い痛い。

 僕は大声でごめんなさいと謝って、何とか嵐を退ける事に成功した。

「……で? 何で車に轢かれてるんだよ、お前は」

「や、植木鉢の事を考えてたら、車の事忘れちゃってて」

「鳥かお前は!」

 コケコッコー。

「でも、厄介な事になりましたね」

「厄介なのはお前の頭だよ。一個覚えたら一個忘れるとか、ところてんじゃん、もう」

「どうしましょう」

 助けてください。



 僕と死神さんは向かい合って、今後の対策を話し合っていた。

「なあ、オレ帰って良いか?」

「僕のモノローグ無視してないで、ちゃんと話し合いましょうよ」

「だってよ、幾ら話し合いしても無駄だって。お前トコトン駄目な、ホント」

 その点は僕も重々承知しています。まさか、僕がこんなに低スペックだったなんて。

「何か秘策みたいなのありませんか」

「秘策だあ?」

 死神さんはごろりと寝転がる。髪の毛を指で弄りながら、ちらちらと僕を観察していた。

「……あったらとっくに授けてるよ」

 だろうなあ。うーん、何か良い案はないものか。

 ん、待てよ。

「あの、ここってどういう世界なんですか?」

「どうもこうもねーよ、死んだ奴の為の死後の世界、の入り口ってところだな。天国と地獄の一歩手前、待合室みたいなもんって言わなかったか?」

「そりゃ何となく分かるんですけど、僕は今どんな状態でここにいるんでしょう」

「どんな状態?」

 僕は大きく頷いて見せた。

「ここにいる間、僕は肉体を持っているんですか? それとも、その、精神とか心とか、そういうものだけ、だったりします?」

「ああ、そういう事か。うーん、ちょい難しいな」

「はあ」

「この世界と、現世ってのは全く違う軸に位置してる訳よ。干渉し合えないのさ。ここで何が起こっても、向こうの奴らは死なない限りこっちに来れない。逆に、向こうの奴らが何をしようと、オレたちは向こうにゃ基本的に行けねーんだ」

 そうだったのか。何だろう。言うなれば、パラレルワールド? いや、違うな。あくまで違う世界なんだ。隣り合ってるだけで、交わらない世界。本当なら、知る筈のない世界。

「お前は特殊なケースだからな、こうやって融通してやってんだ。感謝しろよ」

 僕は曖昧に頷いておいた。

「んで、向こうの奴らがこっちに来る時なんだけどよ。そうだな、お前の場合で言うと……まず、お前は車で轢かれただろ、そいで死ぬ。あっけなく死ぬ。で、現世じゃお前の時間はそこで完全にストップすんだ。お前が抜けた体は腐ったりもするが、お前はもうそこに入ってないから、関係ない」

「なら、僕は一体どうやってこの世界で動いてるんですか? やっぱり、心って奴ですか」

「うーん。違うかな、体とか心とかじゃなくて、お前だよ」

「僕?」

 哲学めいた答えに僕は戸惑ってしまう。体でも心でもなければ、何なんだ?

「心だとか肉体だとか、全部引っ括めたもんだよ。えーと、確か死んだ奴はここに来るまでの過程で、肉体や感情、心。現世で持っていたものを再構築されるんだ」

「なら、現世で死んでる僕の体はどうなってるんですか?」

「ああ、時間巻き戻してねーからそのままだ。車に轢かれてぐちゃぐちゃになってるよ」

 つまり、こっちに僕。現世には僕だったものがあるのか。何だか空恐ろしい。

「再構築って言うか、コピーみたいなもんですかね?」

「うーん。コピーか、間違いじゃないけど、うーん。……誤解の無いよう言っとくけど、お前はお前だからな。再構築とかコピーとか言ってるけど、今ここにいるお前は、間違いなくオリジナルなんだよ」

「……続いてるって事で良いんですかね」

「続き?」

「現世の僕は死んでしまって時間が止まった。で、次にこっちに来て時間が動きだした。間には僕を死ぬ前の姿に再構築する作業があるとしても、一応、僕は続いてるって事ですよね?」

 感覚的には、死んで目を開けたらここにいるのだから確かめようがないけど。

「続いてるか、ま、そういう捉え方もアリっちゃアリだな。けどよ、あんまし深く考えないのがコツだぜ」

「うーん?」

「ちなみに、時間を巻き戻せば、現世に残ったままのてめえの死体は当たり前だが消えるぜ。お前が死んだあとも向こうの世界は何の滞りもなく続くがよ、巻き戻せば元も子もなくなるからな」

 何回も死んでこの世界に来ている僕だが、未だに付いていけない部分もあった。

 けど、信じるしかないんだろうなあ。

「で? それがどうしたよ?」

「ああ、えーと、僕は同じ一日をループしてるって事ですよね?」

「おう」

「全く同じ一日なんですよね?」

 死神さんは首を傾げる。っておい。

「えーと。僕の、今の体、仕組みとしてはどうなってるんですかね」

「……あ? 話が見えねーんだけど?」

「ちょっと説明し辛いんですけど、僕、死にますよね。それで生き返る為に時間を巻き戻してもらいます。ここまでは分かります」

 僕は一度言葉を区切り咳払いをした。

「でも、ここで死神さんとの前回の会話を、今の僕が覚えてるのは何故なんでしょうか。記憶ってのは脳にあるんでしょう? なら、体が死んだら記憶も一緒に死ぬ筈ですよ」

「お前、自分で言ったじゃん。続いているってな。そうだよ、続いてるんだ。再構築はコピーを作り出すんじゃない。お前、お前そのものオリジナルを作るんだ。いや、呼び出すって言った方が正しいのかな」

 まずい。頭が混乱してきた。僕ファンタジーやミステリなら何となくは好きなんだけど、SFなんかは苦手だな。

「分かってねー顔してんなあ」

「残念ながら」

「んー。記憶も肉体もちゃんと受け継がれてるんだよ。……お前さ、体のどっか痛むか?」

 誰かさんに蹴られた背中が痛いです。

「や、特には」

「だろ? オレらは死ぬ直前のお前を持ってきてるからな。こっちに来て怪我とか、血ぃだらだら流されてても困るし」

「……病気の人だったらどのタイミングで呼ばれるんですか?」

「そりゃ病気なる前の状態だろ。ま、時々によるな。こっちも仕事だかんな、めんどいけど一人一人色々変えてるぜ」

 適当なのか丁寧なのか分からないな。

 しかし、死ぬ直前か。あ、そういや車に轢かれる寸前に思った事をこっちでも覚えてたっけ。うーん、走馬灯は見えなかったけど、その辺がギリギリのラインなのかな。

「なんとなくは理解出来るんですけど、もっと分かりやすく教えてもらえませんか?」

 死神さんは思い切り不服そうな顔を作る。

「充分分かりやすいじゃーん。これ以上何を言えってんのさー」

「……なら質問に答えてもらいます。今の僕って、一番最初に死んだ状態の僕なんですか?」

「あー、そうだよ。んで現世の時間巻き戻してお前を送り込んでる訳」

 そうか。あくまで繰り返されているのは世界なんだ。僕だけがこうして続いている。

 ゲームはやらないから詳しくないのだけど、生き返りチャレンジの時、世界はリセットに近い状態なのだろう。差し詰め、僕はコンティニューか。

「つまり、僕は一度完全に死んでこっちに来て。チャレンジで死ぬ度に、死の直前で呼び戻されるって事なんですね」

「厳密に言えば違うんだけど、概ねそんな感じ」

 難しい。頭が混乱しそう、って言うかしてます。

「……オレが言うのもなんだけどよ、時間を巻き戻したり、死んだ奴を生き返らすなんてイカれてんだ」

 ……えー。

「今のお前は、んー、出来の悪い奴が編集した、またはする前の映画みたいな。とにかく、おかしい。だからよ、理屈や道理がおかしくなるのは必然なんだと思うぜ。ハナっから壊れてんだからな。だから、オレらはお前に早いとこクリアするかリタイアして欲しいんだ。そうすりゃ世界はまた元通りになんだからな」

 まるで厄介者だな。いや、まるで、じゃなくてそのもの、か。

「あの、向こうで付いた傷は消えるんですよね?」

「……いや、掠り傷程度なら消えないな。死に繋がる何かじゃないと無理だ。オレらは医者じゃねーから、詳しくは分かんないけどよ」

「じゃあ、こっちで僕に付いたモノはどうなるんですか?」

「んなもん試してねーし、前例も資料もいまいち揃ってないから分からん。……だけど、大したモノじゃないならそのまま向こうに送られると思うぜ」

 僕は腕を組んで唸った。

「それじゃ、僕が着てる服はどうなってるんでしょう。今は制服を着ていますけど、向こうに着いたらちゃんと寝間着になってるんですよ」

「身に付けてるものはこっちのサービスだよ。向こうでお前が死ぬ前に着てたもんを作ってやってるんだ。何、次は全裸が良いのか?」

 なるほど。やっぱり続くのは僕だけで、僕が身に付けてるものは駄目なのか。

「……何か、紙でも持ち込めるなら良かったんですけどね」

「カンペたあ卑怯じゃねーのかよ?」

「時と場合によりますよ」

 特に僕の場合。

「でも、出来ないんじゃあ意味がないですね。あくまで続いてるのは僕の体だけなんですから」

「……出来ない事はないぜ」

「え?」

 死神さんは頼もしげに言い放つと、僕に近付いてきて、僕のシャツを捲った。

「きゃあっ!」

 思わず叫んでしまう。死神さんのひんやりとした指が、僕のお腹を這ったのだ。ひいい。

「肉付いてんなー、ぷにぷにしてらあ」

「何するんですかっ?」

「つーか今の悲鳴は止めろよ。女みてーだったぞ」

 ほっとけ!

「だからよ、てめーの体以外に持ってけるもんがないなら、てめーの体に細工すりゃ良いんだよ」

「はあ、でもどうやって?」

 死神さんは僕から、何故だか名残惜しそうに離れて腕を組む。

「これを見ろ」

 そして、彼女は埒外に長い髪の毛から一冊のノートを取り出して見せた。

「えーと、それは? ノート、ですよね?」

「そう、ノートデス。この真っ白な世界、何も無いと思ってるだろ? だがな、ノートがあるって事はここには書く物があるんだよ」

 そりゃそうだろう。鉛筆なりシャープペンシルなり筆なり。

「……つまり?」

「察しが悪いな。ほれ」

 死神さんは再び髪の毛に手を突っ込んで、そこからあるものを取り出す。

 太い、マジックペンだ。

 ああ、なるほど。そこでようやく僕も合点が行く。

「僕の体に直接ヒントを書くって事ですね」

「おー、そうだよ。これなら大丈夫だろ。落書き程度なら死に至らないし、掠り傷とも見なされないからな。よし、ほれほれ、どこに書いて欲しいんだ?」

「え、と? いや、自分で書きますから」

「遠慮すんなって、な?」

 何が、『な?』 ですか。何だか死神さんから不穏な気配が漂っている気がする。

「自分で書けないところに書いてもらっても、向こうで確認のしようがないでしょう?」

「鏡で見りゃいーじゃんか」

「わざわざ鏡使わなくても……」

 にじり寄ってくる死神さん。何だか、彼女の姿は往年のホラー映画を彷彿とさせていた。

「良いからもう黙って服脱げって。見やすいトコに書いてやっから。腹とか、へその辺り」

「手の甲とかの方が分かりやすいでしょ!」



 すったもんだの挙句(何だこの言い回し)、ヒントを書いた場所は何とか手の甲に収まった。

「ヒントは二つだけで良かったのか?」

「ええ、向こうで一つ思い出せば、連鎖的に全部思い出せますから」

 僕が書いたのは二つ。

 一つは『青い車に轢かれる』。

 もう一つは『植木鉢に気を付ける』。

 多分、普通なら何の事だか分からないな、これだと。

「……まあ、お前の記憶力が普通ならこんな事せずに済んだんだけどな。……何だろな、向こうに送る時、衝撃でも掛かってんのか?」

「さあ? 僕には全く分かりませんね」

「他人事みてーに言うよなあ」

 かもしれない。

 僕は人知れず(死神さんしかいないけど)苦笑して、目を瞑る。

「とりあえず、やってみます。お願い出来ますか?」

「任された。おっしゃ、次はもうちょい頑張れよ」

 まだ、疑問はある。疑念はある。

 この死神と名乗る女の人も、生き返りチャレンジとやらも、自分が死んだ事ですら、僕はまだ手放しで信じちゃいない。

 それでも良いさ。

 退屈だった日々が今は懐かしく思える。

 ああ、僕はこんなにもワクワクしているんだ。



 目覚まし時計の鳴る五分前に目が覚める。いつもの事だ。

 僕はゆっくりと身を起こし、布団を跳ね除けベッドから立ち上がる。何とはなしに部屋をぐるりと見渡してみた。

 ポスターも貼られていない、カレンダーも掛けられていない白い壁。本棚が二つ、一つは中身が空っぽ。捨てるのも面倒だからそのまま置いてある物だ。あとは、タンスと小学校からの勉強机。テレビはあるが滅多に見ない。テレビゲームも携帯ゲームもやらない。音楽も聞かないから、CDの一枚だって部屋にはない。

 ……我ながら、殺風景な部屋だと思う。

 高校二年生の部屋とは思えないよな、やっぱり。

 だけど、そう思うだけで実のところ、僕はそんなに困っちゃいない。娯楽に興味がないからだ。と言うより、あまり物事に対して興味が沸かないのだ。多分、生きる事に対しても執着はしていない。死んだら死んだで構わない。

 何もない。

 この部屋は、僕その物なんだろう。



 顔を洗う前になって、僕はある変化に気付いた。

「んん?」

 手の甲に何か書いてある。何だか、頭の悪そうな字だな。僕の字じゃない。なら、誰がこんなところにこんな言葉を書いたのだろう?

 青い車に轢かれる、と、植木鉢に気を付ける。

 不吉極まりないな。

 しかし植木鉢に気を付けろとはなんだろう。まあ、考えても仕方ないな。お腹空いたし、ご飯を食べながら考えよう。

 僕はとりあえず落書きは消さずに顔を洗った。そして制服に袖を通してから階下のリビングに行く。

 僕、母、父の三人家族だが、僕が高校に入学してから家族との会話は殆どない。別段、僕が反抗期という訳じゃない。単に生活のリズムが合わないだけなのだ。父も母も朝早くから仕事に行き、夜遅くに帰ってくる。僕はと言えば、学校が近いから始業のギリギリまで家に居られるという訳だ。おまけに寝るのが早いから、両親のどちらかが帰って来る頃には寝息を立てている次第である。その気になれば会話ぐらい出来るのだけど、その気になる必要も今のところ、特にない。今のご時勢、携帯で連絡ぐらい取れるし。

 だからこうして、独りでトーストを齧る作業も苦ではない。かと言って独りで居るのが楽って話でもないんだけどね。

 まあ、慣れってのは良くも悪くも素晴らしい。

 


 八時十分。

 ニュース番組を流し見てから、僕は家中の戸締りを確認する。窓の傍に立つと春の陽光が瞼に降り注いだ。うーん、少し眠たい。どうしようかな、学校行かないで眠っておこうかな。

 けど、悩むだけ悩んで結局家を出る。いつもの事だ。

 靴を履き、玄関の鏡で身嗜みを確認して、っと。忘れてた、落書きがあるんだっけ。

 ……うーん?

 青い車? 僕の家には白い軽自動車しかないしなあ。植木鉢に至っては、皆無である。

 僕は疑問を心の片隅に置いたままドアを開ける。眩しい。

 学校まではゆっくり歩いても五分前に到着出来る余裕がある。焦らなくて良いのは実に良い。中学の時とはえらい違いだ。

 この先の角を曲がって、信号を二つ渡れば校門が見えてくる。

 うん、今日も平和だ。尤も、僕に取っちゃ平和じゃなくても良いんだろうけど。

「……って、ああ」

 思い出した。

 僕馬鹿じゃないのか。今は生き返りチャレンジの真っ最中だぞ。しかし、危なかったなあ。そうだよ、このまま進んだら車に轢かれちゃうんだった。

 僕は件の角の前でしばらく待つ。青い車はかなりの速度で目の前を突っ切っていった。

 まずは一つ目の車を回避。

 そして、この先には――。

 僕は角を曲がらず顔を上げる。視線の先には背の高いマンション。ここから植木鉢が降ってくるんだ。僕は間抜けにも、それの着地点に頭を置いていたらしい。

「……とんでもないな」

 マンションをぼんやりと見上げていると、風に乗って誰かの叫びが聞こえてきた。やってしまった! そんな焦りを感じさせる情けない声である。

 そのまま目を凝らしていると、上空に黒い点が見えた。やがてその点は大きくなっていき、

「あっ」と思った時には、

 ――ガシャンッ

 と、威勢の良い破裂音を響かせた。

 僕はその音に耳を塞ぎ、降ってきた物の正体を確かめる。

「マジですか……」

 僕以外に誰もいなかったのが落とし主にとっては不幸中の幸いだろう。

 原型こそ留めていなかったけど、道路に散らばる破片と土、それから、そこに植えられていたであろう球根の付いた花を見れば一目瞭然だった。落ちてきたのは陶器で出来た植木鉢。当たると、痛そう。こんなものが空から降ってきて誰かの頭にぶつかれば一たまりもないな。

 実際、一たまりもなかった訳ですが。

 ま、まあ、何はともあれ二つ目の植木鉢をクリアだ。これで僕の生き返りチャレンジもどうにかなるだろう。やれやれ、最初はどうなるかと思ったけど、死神さんのアドバイスでクリアする事が出来た。

 あ、しまったなあ。手の甲にヒントを書いたままだ。洗って消しておけば良かった、はーあ。誰かに見られたら恥ずかし過ぎる。

 って、そろそろ学校始まっちゃうじゃないか。急ごう。あとはダラダラと一日を過ごせば終わりなんだから。

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