ニューチャレンジャー〈2〉
僕は滅多に怒らない。怒りと言うのは生きていく上で、上を目指す上で非常に重要な原動力だと思ってはいる。
怒りは人間を変える。
強くもさせる。脆くもさせる。
だけど、僕は滅多に怒らない。
変わる事に何一つとして魅力を感じないし、何より怒るってのは、疲れるのだ。
「ふざけないでください」
思っていたよりも、自分の声は低かった。
怒らない。だけど、見過ごせない場面もある。怒りを露わにしなくてはならない局面もある。それも、僕の今後に関わるのなら怒らない筈がない。
「あー? 何キレてんだよ? んなギラギラすんなって。どうせギンギラギンになるならさー、もっとこうさり気なく……」
「茶化さないでください」
明石さんも七篠も口を挟まない。僕と死神さんの一対一。
「七篠が嫌いなら、どうして僕に連れてこさせたんですか。僕は、チャレンジをクリア出来るから、そうした方が良いとあなたに言われて、自分でもそう思っていたから実行に移したんです」
「おー、そーだったな」
怒りを鎮めろ。押し留めろ。ここで無茶苦茶に暴れるのは簡単だ。でも、意味はない。せめて、死神さんから真意を問い質すまでは我慢しろ。
「少なくとも、あなたは七篠を連れてくる事に掛けては好意的だった」
「あー、間違いねーよ。オレは、このチビをここに連れてこさせたかった」
「だったら……!」
「チャレンジを受けさせるつもりはなかったけどな」
頭が真っ白になる。足元から、立っていると言う感覚が消えていく。
「オレの目的は、チャレンジの邪魔をしてたチビを連れてくる事にあったんだよ。お前は馬鹿だから気付いてなかったみてーだけどな」
やばい。まずい。意味が分からない。
「忘れたとは言わせねーぞ。オレたちは、チャレンジをクリアするんだ。しねーとダメなんだ」
「忘れては、いません。だけど……」
辛うじて機能している思考回路。
忘れる筈がない。
僕がチャレンジをクリアして生き返れるように、死神さんはチャレンジをクリアさせて、死後の世界での地位を向上させる。
忘れる筈がない。だけど。だけどっ。
「あなたは、僕を裏切った」
「あー? 裏切ってねーよ。つーかさあ、こうなったのはお前があまりにもダラダラしてたからだろ。オレはだな、お前の為を思って動いてやったんだぜ」
「僕に断りもなく。確認もせず、ですか。悪いけど、僕にはあなたが自分の利を追求して動いたのだとしか思えない」
「……ガタガタうるせー奴だな。なんだよ、お前だって望んでたんじゃねーのか?」
何? 僕が何を望んでいたって?
「そこのチビはチャレンジの邪魔をする。少なくとも、お前が生き返る上でな。どーやら、どこかの誰かさんは外道に堕ちたってのに、外道になり切れないでやがる。だからよ、オレが背中を押してやったんだ」
反論は出来なかった。無意味だと思えてしまったからである。
そうだ。
確かに、七篠は邪魔なのだ。僕の邪魔をする。
「だからこそ、チャレンジに参加してもらって……」
「無理だ」
きっぱりと、はっきりと、そう宣言してから、死神さんはこれ見よがしにノートをひらひらと振った。
「チャレンジに参加するにはポイントがいる。知ってるよな? あー、なら、オレが何を言いたいか分かるよな?」
生き返りチャレンジを受けられる者は決して多くない。死んだ際に、その人がどんな生き方をしたかで点数が授けられるのだが、チャレンジを受けるには百点必要なのだ。百点は満点じゃないが、易々と取れる点数でもない。
「七篠は点数が足りてないって事ですか」
しかし、彼女の点数がゼロだとして、僕の残り点数は三百。明石さんの時みたいに分け与えればチャレンジは受けられる筈だ。
「足りてないってレベルじゃねーんだ。こいつはな、やば過ぎてマイナスになってんだよ。言っちまえば、犯罪者のレベルって感じ」
「犯罪者……?」
「おー、そーだよ。前にも言ったけどよ、オレは悪い奴が死ぬほど嫌いだ。この手で裁きまくって罰しまくって地獄に送りまくりたい。チャレンジをクリアする上でチビは邪魔だ。オレはこいつを消せる。お前は邪魔な奴を殺せる。おら、どーだよ、一挙両国じゃねーか」
死神さんには、その力がある。
でも。
「僕は……」
「あー、そっから後はお前らで決めろ。だけどな、チビを引き入れた瞬間、チャレンジでの選択肢は大幅に狭められると思えよ」
「……七篠の持ち点は、どのくらいあるんですか?」
「百五十。ああ、マイナスだけどな」
七篠歩。
僕の幼馴染で、同じ学校の後輩で、妹みたいな奴で、死神に嫌われた犯罪者予備軍。
彼女は僕に似ている。そう思っていた。だから、チャレンジにも問題はないとも踏んでいたのである。
だってそうだろ。僕に似ているって事は、生活だって生き方だって似ているって事だ。点数だってそれなりにあると、そう思うのが自然じゃないか。
しかし、類似ってのは同一の存在じゃない。僅かだろうと差異がある。僕も七篠も同じ人間だけど、同じ人物じゃないんだ。修正出来ない誤差、訂正出来ないずれが生じている。
歪みは、思っていたよりも酷かった。
笑ってしまう。僕は彼女の事を、ちっとも理解していなかった。
死神さんを除いた三人で話し合うと、そう思っても、誰かに言われたとしても、すぐには無理だった。突き付けられた衝撃が大き過ぎて、あの明石さんですら口を開こうとしていない。七篠はずっと俯いたままである。僕だって何もしたくないよ。
「七篠、当たり前だけど咎めるつもりはないし、お前を悪く言うつもりもないよ。とりあえず顔を上げてくれないか」
じゃないと、まともに話が進みそうにない。
「……先輩、私……」
「良いよ、気にするなって」
実際あまり気にしてないし。
さて、七篠に、と言うより僕たちに用意された選択肢を整理しておこう。
まず、当初の計画通り七篠をチャレンジに巻き込むのが一つ。ただしこれは、今後チャレンジを進行させる上で邪魔な人間を参加させられない。巻き込めないのを意味している。
何故なら、僕には残り三百点しかない。が、七篠をチャレンジへ参加させるには二百五十点必要なのだ。マイナスを帳消しに百五十。チャレンジ参加にプラス百。計、二百五十。
彼女を巻き込んだ瞬間、持ち点は五十にまで下がる。もう誰も救えない。ここから先、誰かが行き詰まれば、その誰かを見捨てるしかない。
もう一つ。七篠を死神さんの思惑通り見殺しにする。この場合、彼女はここで天国か地獄かが空くまで過ごさなければならない。死ぬ為に、待ち続けなければならない。
しかし、現世で七篠歩という存在が消えてしまう訳ではないらしい。
明石さんがここにやってきた時に聞き齧った知識、ではあるのだが。どうやら、世界を無理矢理に捻じ曲げているチャレンジの歪み、後遺症に近いものがあるようだ。ただ、中身は違う。まるで別人になる。七篠をここで完全に殺せば、少なくとも、僕の知る彼女は死ぬ。今後現世で出会う七篠は脱け殻みたいなものだろう。新しい七篠がオリジナルの七篠と同じ行動を取るかどうかは聞いていない。だけど、僕はその七篠を見殺すだろう。一度殺したのなら、割り切り易くなっているのだろうから。
うん。話は意外と早い。要は七篠を殺すか、殺さないかの二択なのである。そして、彼女を殺すつもりはない。何の為に苦労したって言うんだ。
うん、決まり。後は死神さんが頷いてくれるかどうかに限る。
「明石さん」
明石さんは僕の顔を見た後、「勝手にすれば」と、ぞんざいな口調で突き放してくれた。ありがたい。やり易いや。
マイナス百五十点。
明石さんですらマイナスには達していなかった。
七篠は一体何をしたと言うのだろう。
明石さんと七篠から離れたところで、僕は死神さんに交渉を持ち掛けた。
「お前とチビは似てねーんだよ」
「……はい?」
僕と、七篠が? 馬鹿な。僕らは同じじゃなくても、似ている。そうに決まっている。
「性格も生き方もってか? は、違うな。あいつはな、お前を真似てるだけなんだよ。確かに外面だけはそっくりだけどな。その実、中身は全然別物だ」
嘲るように、心底から憎しみを搾り出すように死神さんは話を続けた。
「尤も、オレにはそんなの関係ねーけど。大事なんは、あいつが地獄行き確定のカスだって事だけだ」
「カスって、そんな……」
「ポイントを見ろよ。ここじゃあこのノートに書かれた事が物を言うんだ。マイナス百五十。お前がそう思ってないってのは、あのチビよっぽど腹が黒いんだろーぜ」
七篠が犯罪に手を染めるなんて考えられない。ポイントがマイナスになるほど、死神に嫌われてしまうほどの失態を彼女が犯したなんて、僕には到底考えられない。
だけど、死後の世界では現世の常識が通用しない。
例えば、明石さんのポイントがゼロだった理由だ。彼女は、自分を隠して、他人を偽り、欺き、騙していた。猫を被るだけで、ここじゃ犯罪者扱いなのである。
だとすれば、七篠も猫を……?
「わりーけど、ノートの中身をお前らには見せられねー。が、オレは嘘はつかねーぜ」
「七篠は、どうしてポイントがマイナスに?」
死神さんはノートを髪の毛の奥にしまってから、指を立てた。
「お前、親は好きか?」
「……いいえ」
「嫌いか?」
「好きでも嫌いでもありません。産んでくれた事に対しては、そうですね、感謝も迷惑も感じていません」
なんだって言うんだろう、こんな質問。
「友達は欲しいか?」
「…………いいえ。欲しいとも、要らないとも思った事は」
滅多にない。現に、この十数年間で困ったためしがない。強がりと、笑わば笑え。笑ってくれ。
「あっちの世界に不満はあるか?」
「特には」
「自分以外の人間に死んで欲しいと思った事は?」
「ないですね。生きて欲しいとも思った事ありませんし」
何度も言うが、僕は基本的に何とも思わない。今更何を質問されたって、詰問されたって尋問されたって思えないんじゃなくて、思わない。興味を持たない。何もしない。誰の味方にも敵にも回らない。だからこそ、五百なんて埒外の点数を獲得出来たんだ。
僕を真似ていたと言うのなら、七篠だって数百点は持っていておかしくはないだろうに。
「アンケートにご協力ありがとよ。抽選で粗品を送っとくぜ。ま、つまりだ。お前は何に対しても興味を覚えない。誰に対しても何の気持ちも抱かない。物質的にはそーはいかねーけど、本質的に、てめーだけの世界で暮らしてたって訳だ。そりゃ揉め事もクソも何も起こらねーよ」
「それが何か?」
「いや、ただの確認。問題なのはあのチビだ。お前、チビと自分は似てると言ったな? 違うんだよ。お前の思考は真似てるかもしれないけど、あのチビは自分の考えで動いてやがる」
うーん? 改めてそう言われてもなあ。第一、自分の考えがないより、ある方が健康的と言うか、正しい気がするぞ。
「お前、まだ何も分かっちゃいねーな? ああ? オレはな、他人を馬鹿にする奴が嫌いなら、猫を被る奴も嫌いで、中身空っぽの奴なんてもっと嫌いだ。けどな、何が一番嫌いかって言うと、自分以外の奴なんてどうでも良いと思ってるクズヤローだよ」
酷い言い草だ。だが、クズとやらが七篠を指しているのは間違いない。一体、彼女は何をやらかしたって言うんだ。
「知りてーか? 知りてーよなあ? いーぜ、察しの良いお前の事だ。気付いてるとは思うけど教えてやるよ」
「僕は別に……」
「要するにだ、ナナフシアユムは欲が深い。それを満たす為なら他人を食い物にするのは当たり前と思ってやがる。あいつはな、自分以外のものを見下してんだ。馬鹿にしてるし、死んじまえとも思ってる。そこが、お前と根本的に違ってんだよ」
ナナフシじゃない。と、突っ込むのも馬鹿らしい。
「そこまでしてあいつが欲しいものって……?」
「お前本当に気付いてねーのか?」
七篠の欲しているものなんか知らないし、別段知りたいとも思わないんだけど。
「お前だよ」
僕は思わず聞き返した。僕が、なんだって?
「だーかーらー、チビが欲しいのはお前なんだよ」
指を差されても良い気はしない。
「欲しいって、どういう意味ですか?」
「がーっ! どこまで鈍いんだっ、向こうでもチビが言ってたし、お前は言われてただろうがボケっ、耳ねーのかてめーはっ、あぁん!?」
ああ。
――お父さんもお母さんもいらない! 私以外の女の子なんかいらないっ、先輩以外の男の子なんか必要ない! 私たち以外のものは、全部なくなっても――!
言っていたっけ。
と、すると、だ。つまり、で、ある。
七篠の行動原理は全て、僕に基づいているって事なのか。
「やーっと分かったか。そーゆー事だよ」
「どういう事ですか」
「はっきり言うとだな、チビ助は他人を悪く言い過ぎたし、悪く思い過ぎたんだ。すれ違う奴を無視出来ずに、いなくなれとか、死んじまえなんて思ってやがった」
信じられない。なんだってそんな無意味な事を。
「それだけお前の事が好きで、お前の事以外は嫌いだったんだろーよ」
「言っちゃなんですけど、歪んでる」
僕がそう言うと、死神さんは大口を開けて笑った。
「そーだな。だからこそのマイナス百五十点って訳だ」
しかし、未だにポイントの基準が分からないな。他人を悪く思ったり猫を被ったりするのはともかく(基準としては厳しい気もするけど)、引き篭もるのはセーフどころか褒められるんだから。
「で、オレんところに来たって事は、考えは纏まったって事で良いんだな?」
「ええ。七篠を巻き込みます」
これ見よがしに溜め息を吐くと、死神さんは僕に向き直る。
「分かってんだろーけど、聞いとくぜ。チビを見殺さず引き入れるってのは、もう誰もチャレンジに巻き込めねーって事だ。ここで、お前らの選択肢は消えちまう。もしかしたら、ここでお前らのクリアは無理になっちまうかもしんねー。少なくとも、誰かの犠牲なしにはな」
「分かっています」
だけど、僕は目先の事物を優先したいんだ。チャレンジが始まってしまえば一秒先は闇の世界。刹那的でも構わない。その一秒、喉から手が出るほどに欲しい。
「ちっ、どーなっても知らねーかんな。お前はもう五十点しか持ってない。もうポイントには頼れねーぞ」
「大丈夫ですよ。とりあえず、クリアするだけなら目処が立っています」
「あ? どーいう意味だよそりゃ。テロリストを何とかしねー限り、お前らに明日はこねーんだぞ」
「……まあ、何とかなりますよ」
僕は笑った。はぐらかしてやった。
納得はしていないだろう。
だけど、死神さんはノートを開いてくれた。嫌な顔を隠そうともしなかったけど、僕たちに応えてくれた。
「これでクリア出来なくても、オレを恨むんじゃねーぞ」
分かっています。そっちこそ、僕らを恨まないでくださいよ。
「自信があるみてーだけどよ。テロリスト、本当にどーにか出来んのか?」
「出来ると言うより、どうにかなるって言い方が正しいかもしれないですね」
「ああ? 回りくどいヤローだぜ。ま、どーにかなるんならそれでも良い。頼んだぜ」
頼む。
その言葉に、明石さんたちは違和を覚えていたようだが、僕だけはしっかりと頷く。
安心して欲しい。長かったテロリストとのいざこざももうすぐ終わる。終わらせる。
今までに出揃ったもの。これから揃えるべきもの。
欲しかったもの、欲しがっていたもの全てが一同に会した時、物語の幕はあっけなく切れるだろう。それはそれは、意図もしないで、あっけなく。肩を落としてがっかりしてしまうかもしれない。
でも、良いんだ。
確かに、テロリストには煮え湯を飲まされているが、言ってしまえば僕らの目的はテロリスト相手に勝利を収めることじゃない。第一、勝利の定義が曖昧だ。
勝利。勝つとはなんだ。誰に勝てば良いんだ。テロリスト? 違う。世界だ。
生き返りチャレンジをクリアする事こそが、勝利なんだ。
だから、テロリストを無視しても構わない。無視出来ないなら、テロリストなんて存在、最初からなかった事にしてしまえば良い。
ずさんな襲撃。不揃いのマスク。携帯電話。消えた教師。体育館に集められた生徒。
残っているのはこんなところか。今考えれば、充分に過ぎる。
これだけあればテロリストたちの骨格ぐらいは掴める筈だ。何が原因で何が起こったのかは、その後で考えれば良い。
そう、僕は前提から間違えていたんだ。テロリストには勝利するのでもなければ無視するのでもない。阻止すれば済む話だったのである。
次で札を揃える。その次に、札を突き付ける。
死神さんは見ていてつまらないと言うだろう。明石さんだって七篠だってつまらないと言うだろう。
は、ざまあみろ、だ。