テロリスト〈1〉
目覚まし時計の鳴る五分前に目が覚める。いつもの事だ。
僕はゆっくりと身を起こし、布団を跳ね除けベッドから立ち上がる。
「さて」
今回からはテロリストに襲われるって分かっていて尚、学校に留まる事を選んだ。
顔を洗って、制服に袖を通して階下のリビングに行く。
朝食を食べ終わって、八時十分。
靴を履き、玄関の鏡で身嗜みを確認して、ドアを開ける。眩しい。
ああ、いつもと同じ、僕の朝。
七篠とは会わなかった。会えなかったんじゃない。会わなかっただけである。
玄関に着くと舞子さんと出会えた。彼女を見ていると、何故だろうか癒されてしまう。
「あは、どうしたの?」
「……いや、なんでもないよ」
生き返りチャレンジとは大よそ無縁な(そりゃそうだろうけど)、ともすれば能天気な舞子さんの笑顔が酷く眩しく映っていた。裏で色々と考えている自分がゲスな人間だと、嫌でも分からされてしまう。
僕は、こんなに嫌な人間だったっけ。
教室に着き、ホームルームが始まり、ボールを避けたところで一時間目が始まる。
明石さんは僕の方に机を寄せ、声を潜めて話し掛けてきた。
「で、どうするつもりよ?」
議題は勿論、これから起こるであろうテロリストの事である。
「とりあえず逃げるのは駄目だろうね」
二時二十分。僕らが死ぬ時間で、これは五時間目が終わる時間でもあった。
生き返りチャレンジには恐らく、かなり高い確率で時間制限が用意されている。時間内に、何かアクションを起こさなければならない。そして今回定められた条件は、テロリストに関して、だろう。
「テロリストに対してどう動けば良いのかは分からないけど、それでも動かざるを得ないんだろうね」
「まさか、戦うとか言うんじゃないでしょうね?」
それこそ、まさかだ。
相手は銃器を持ち、こちらには何もない。よしんば武器を取り上げたとしても、学校を襲撃するような頭のおかしい大人を相手に、喧嘩の一つもした事のない高校生風情が立ち向かった程度じゃ勝負は見えている。
「戦うにしたって、ここに留まるしかないんだ。幸いチャンスは何度でもあるんだし、様子見ってのはどうかな?」
「様子見って、ただ流されてるだけじゃないの」
鋭いご指摘ありがとう。
「だけど、下手に動いたら殺されちゃうと思うよ」
「……でもさあ」
第一、生徒を殺すのが目的なら明石さんたちもとっくに殺されていただろう。僕が殺されたのは教室にいなかったから、テロリストにとってイレギュラーな存在になり得るだろうから。大人しくしていれば案外何もされないで済むんじゃないのかな。
「明石さん、もしかして戦いたいとか思ってるんじゃないだろうね?」
嫌な予感がしたので、釘だけは刺しておく。
「や、やあね、何言ってんのあんた。ば、バッカじゃないの?」
釘跳ね返ってきた。
うわ。うっわー。多分、明石さん開き直ってるっぽいな。どうせ逃げても駄目なら好きなようにやっちゃえって感じがぷんぷんしてる。
「好きにすれば良いんじゃない」
今までの経験からして彼女を止める事は不可能に近い。どうせ、銃を持ったテロリストを目の前にしたら恐怖で動けなくなっちゃいそうだし。大丈夫だろう。
三時間目もいつも通り途中で抜け出し、明石さんが中華さんをビンタして、四時間目が始まる。
「あわわわわー!」
舞子さんはシャーレを三枚も割っていた。
さて、どうしよう。
悩んでいるのは、七篠と会うかどうか、である。
最近はあいつとばっかり昼食を食べている気がしていて、マンネリ気味だったのだ。まあ、七篠は食堂が混んでいてもマサイ人もびっくりなジャンプ力でご飯を届けてくれるのだが。いや、そもそも七篠と話しているからこそ食堂が混んじゃうんじゃないのか。一人でさっさと行っちゃえば、比較的空いてるだろうし。
悩んで、僕はさっさと食堂へ向かった。七篠へのお礼も充分に済んだろうし、第一、今回は彼女を怒らせていない。一緒にご飯を食べる理由はないと言える。
そんな訳で、僕は何の苦労もなく昼食にありつけた。
肉の壁が形成される前に滑り込み、食堂の一番隅に席を取る。人が増えてきたところで、こっそりとドアの鍵は閉めておいた。犬怖い。
「……おお」
うん、美味しそう。ラーメンと親子丼は食べたから、今日はカレーにしておいた。今になって気付いたのだが、生き返りチャレンジは朝食に厳しいけど昼食には寛容らしい。今のところはどのメニューを選んでも何も起こらない。よきかなよきかな。しかし、学食のメニューは割りと豊富だと言え、チャレンジが失敗続きだと全メニューを制覇してしまう勢いである。
「あは、カレーだ」
「へっ?」
顔を上げると、舞子さんがトレイを持って突っ立っていた。
「おいしそう。あたしもカレーにしておけば良かったかなー」
カレーを物欲しそうに見つめる彼女の昼食は、ラーメン、らしい。
「あ、良かったら少し食べる?」
居た堪れなくなったので思わずそんな事を言ってしまう。
「あ、あは、冗談だから」
「そう?」
そりゃ良かった。
「あのさ、君って一人?」
「うん。そう言う舞子さんこそ一人?」
舞子さんは僅かに顔を綻ばせる。
「お弁当を忘れちゃってさー。いつもはお弁当組の一員なんだけど、今日は学食組なのでした」
「ああ、それで」
やっぱり僕とは違うなあ。
でも、お弁当か。学食のメニューに飽きたらアリかもしれない。尤も、朝から料理を満足に行えるかどうかは怪しいところだけど。
「ね、ね、あたしも一緒して良いかな?」
ありゃ。新しい展開である。
うーん、ここで拒んで僕の悪評を流布されても嫌だし、何より拒む理由はないな。
「うん、どうぞ」
「あは、ありがとっ」
舞子さんはニコニコと笑い、対面の椅子を引く。
こうして見ると、ラーメンも美味しそうだった。隣の芝生は青く見えると言うけれど。
「ねねね、カレーってさ、どうしてカレーって言うのかな?」
「……えーと」
キラキラしてる! すっごいキラキラしてる!
「なんでかなー」
すっごいキラキラした目をしている舞子さんの期待に答えてあげなければと思ってしまった。
と言うか、唐突だなあ。
「むー。やっぱり辛いからカレーって言うのかな」
「それは違うんじゃないのかな……」
なんだろう。カレー、カレー、カレー。確か、僕が今食べているカレーはカレーライスであって、本来のカレーではない。と言う事は……。
「やっぱりインドの人って毎日カレーなのかなー」
ああっ、話が変わってしまった。折角色々と考えていたのに。もう、舞子さんってば飽きるの早いよ。
「流石に毎日だと飽きちゃうんじゃないかな」
「でも、あたしは毎日お米食べてるけど飽きないよ?」
それは主食だからじゃないのかな。日本人の主食は米だから、飽きないようにプログラミングされてるんだと思う。遺伝子レベルとか、そういった次元の話で。
「じゃあインドの人は主食がカレーだから飽きないんじゃないのかなー、やっぱり」
「うーん。インドの主食ってカレーじゃなくて、ナンじゃないの?」
主食って炭水化物やデンプンを含んでるのが殆どじゃなかったっけ。カレーじゃ厳しいものがありそう。
「え? 何が?」
「いや、だからインド人の主食はナンだって話だよ」
「それを考えてるんじゃないの?」
「考えて言ったんだけど」
「何て言ったっけ?」
「うん、ナンって言ったよ」
「あれ? あは、あたしがちゃんと聞いてなかったのかな。インドの人の主食は何だって聞いたんだけどー」
「だから、ナンだってば」
「な、なん、何て?」
「ナンだよ」
「な、何だよとは何だよー!」
何だってんだよ! どうして怒られなきゃならないんだ。
「……そうじゃなくて、ナンって食べ物。知らない?」
舞子さんは割り箸を持ったまま立ち上がっている。エキサイトし過ぎ。
「あ、そっちのナンもあったっけ」
後はどっちのナンがあるか聞くのが怖い。
「うー、叫んだらお腹がもっと減っちゃった。背中とくっ付いちゃいそう」
「ラーメン、伸びちゃってるかもよ」
「あは、大丈夫だよー」
しかし舞子さんは割り箸で麺を掴んだまま、微動だにしなかった。どうしたんだろう、スイッチがオフになったのかな。それとも充電が切れたとか。
「ねねね、ラーメンのメンは麺の麺だよね。そしたらさ、ラーってなんだろ、ラーって」
なるほど、彼女は僕に挑戦をしているって訳か。
「ごちそうさまでしたー」
僕と舞子さんは声を合わせて食堂のおばさんに食器を渡した。
「あは、久しぶりに学食で食べたけど、おいしかったねー」
「うん、そうだね」
くそっ、カレーの語源はおろかラーメンに関してすら何も浮かばない。
「そいじゃあたしは教室に戻ろっかな。君はどうする?」
「……あ、僕は図書室に行くよ」
「んっ、じゃあまたあとでねー」
舞子さんはぶんぶんと元気一杯に手を振りながら駆けて行く。流石に、手を振り返すのは恥ずかしかったので、曖昧に笑っておいた。
この後はどうせ授業に出るのだし、時間が空くなあ。かと言って屋上前のスペースで寝るのも危ないだろう。良し、図書室で本でも読むか。
断じて、カレーやラーメンの語源が気になっている訳じゃない。
僕の通う学校の図書室に特筆すべき箇所はない。
図書室は特別教室が並ぶ棟の最上階、即ち四階の奥まった場所にある。入り口を開ければ本の貸し借りを申し込むカウンター、その向かい側には司書室に繋がる扉があった。
蔵書数も座席数も単純な広さでさえ把握してはいないが、そこらにある高等学校の図書館と同じような感じだろう。強いてあげるなら、テスト前でもないこの時期の昼休みでも利用者が多い事だろうか。
僕も図書室を週に一度か二度は利用するので、席がないのはいつもの事だと諦めている。そもそも、決まった本を読まないのだ。借りるのも面倒だし、返すのはもっと面倒。その上、今日読んだ本は明日になったら忘れているだろうし。
だからこうして、書架と書架、本棚と本棚の間を適当にぶらつき、目に付いたタイトルのものを適当にめくっていれば、いつの間にか昼休みの終わる鐘の音を聞いている、という次第であった。
さて、今日は何を読もうかな。
「あら、奇遇ね」
本に没頭していた僕は顔を上げなかった。
呼ばれたのが自分とは限らないし、何より読書中に声を掛けられるのは好きじゃない。
「……返事ぐらいしたらどうなの?」
「こんにちは、明石さん」
不機嫌そうな声の主はスーパー委員長こと、明石つみきさんである。
「感情が籠もってないわよ。もっと嬉しそうに、豚のように喜びなさい」
「本当に無礼な人だな。君が男ならブレーメンと名付けたいぐらいだよ」
そこらの音楽隊よりうるさそうだし。
「どうせならシンデレラにしてくれないかしら」
図々しい。灰かぶりの姉が似合いそうなほどに。
「それより、こんなところに何しに来たの。ここは一定の偏差値を超えた者しか入室を許されていないのよ」
「バスケットボールをしに来たように見えるなら眼科をお勧めするけど」
と言うか選民思考はやめた方が良い気がする。
「口が達者になってきたわね。これも私の調教の賜物かしら」
「……否定出来ないのが悲しいよ。明石さんこそ図書室まで何の用? まさか僕をいじめに来たんじゃあるまいし」
「あら、もしそうならどうするの?」
納得する。
僕の反応に気を良くしたのだろうか、明石さんはふっと口元に微笑を湛えた。
「冗談よ。暇だから図書委員の手伝いに来たの」
「へえ、そりゃまたご苦労さまです」
「……ちょっと、『ご苦労さま』ってのは目上の人間が下の人間に言う言葉よ。愚鈍ね。自分の立場を弁えてからもう一度、さん、にい、いち、はい」
いつの間に僕の立場が下になったのだろう。
「時間切れー、正解は『つみき様、今日も話し掛けてくださってありがとうございます』でした」
はいはい、お疲れさまです。
「ん、ところであんた、何の本読んでんの?」
言われて、僕は持っていた本を咄嗟に隠してしまった。
にやり。
そう聞こえるかと思わせる笑みを浮かべると、明石さんは僕の手から本を奪い取る。
「あれ、エロ本じゃない」
「学校でそんなの読む奴がいる筈ないだろ」
「家では読むの?」
読みません。持っていません。あれだけ僕の部屋を引っ掻き回したんだから、それくらい把握してる筈なのに。本当に意地が悪い人である。
「……んー? インド文化? 何よ、あんたヨガにでも興味あったの?」
「ないけど、今は悟りを開いて火ぐらい吹きたい気分だよ」
手足は伸びたら気持ち悪い。一切ヨガとは、いやインドとも関係ないけど。
「だったら私はワープしたいわね。……で、これで何を知りたかったの?」
「別に? カレーとか全然興味ないよ」
「は、カレー? カレーが食べたいの?」
しまった、墓穴を掘った。
「ま、良いけどね。それよりもっと良い本読みなさいよ」
「例えば?」
「猿でも分かる合気道! とか」
……やっぱり。テロリストと戦う気満々じゃないか。
「だから無理だって。本を読んだだけで強くなれるなら、こんな本出版する訳がないよ」
「読んでみて、やってみなけりゃ人は変わらないわ。知識は城、知識は石垣、知識は堀よ」
何か混ざってる混ざってる。……まあ、その後を付け足すのなら知識は味方にも敵にもなり得るね。
「……もしかして、何か出来るようになったの?」
有り得ない話じゃない。明石さんならそれぐらいは可能だろう。
そう思ったのだけど、彼女は残念そうに首を横に振る。
「駄目ね」
ああ、駄目か。
「私には合気道なんて向いてないもの。やるならこれよ、これ」
そう言って差し出したのは表紙の取れかけた一冊の本。
「……『瞬殺! 超人相手でも恐くないクォーラルテクニック!』 って何これ?」
「ああ、さっき借りてきたの。かなり熱い喧嘩殺法が載ってるのよ」
そんなもの学校に置いておくなよ!
「ん……」
ページをめくっていくと、人間には不可能な技がやけに劇画チックな挿し絵付きで掲載されていた。何だよこのロンドン橋落としって。こんな体勢に持っていける肉体があるなら殴ったり蹴ったりした方が早いだろうに。
「凄くない? ほら、このコークスクリュードライバーとか。ただ、これって熊爪ってのが必要らしいのよね」
こんなの借りる生徒は明石さんしかいない。とか思っていたら、貸し出しカードを見て愕然とする。あの、細山君もこの本を借りていたのだ。やばい、チャレンジ始まって以来一番面白くて笑えない。
「ふふ、これでテロリストをマットに沈めまくってやるわ」
「ねえ、本当に戦うつもりなの?」
「……ケースバイケースね。私は勝てると思った時にしか動かないから」
「それなら良いんだけど」
信用しても良いんだろうか。
五時間目、開始。
「先生、来ないね」
「殺されてるんじゃない?」
明石さんは物騒な事を平然とした顔で言い放つ。こと、生き返りチャレンジにおいては有り得ない話じゃないのに、だ。
時計の針が時を刻んでいく。教室内も俄かに騒々しさを帯びてきた。やれ自習だの、やれ早く帰れるんじゃないかと、期待を込めて皆は口を開いている。ごめん、そうはならないんだ。
――コツ、コツ。
廊下側の窓にシルエットが映り、乾いた足音が響く。
来た。
「明石さん、分かってると思うけど」
「ええ、様子見ね」
誰が入ってくるか分かっているのに心臓は高鳴る。鼓動は早まり、頭の中が白く染まっていく。
足音が鳴り止み、扉が開かれた。教室は一瞬にして静けさを取り戻し、入ってきた人物を見て再び音を取り戻す。
「黙れ」
明石さんに聞いていた通り、羊のマスクを被ったテロリストは開口一番、銃を見せびらかしながらそう言った。
教室にやってきたテロリストは何もしなかった。今のところは。
どうやら、僕のクラスメートは皆、生きたいのに懸命で、賢明らしい。テロリストの持っている銃が本物だと分かるやいなや(威嚇射撃の為に天井の一角が犠牲となったが)、水を打ったように静まり返っている。馬鹿みたいに騒ぐ事も怯える事もなく、ただ、物言わぬ貝のように黙っている。
それでも死への恐怖と生の渇望、ない交ぜになった様々な感情とが、えもいわれぬ緊張感を教室中に張り巡らせていた。
テロリストは、一人。体型と声からして、恐らくは女性だろう。だからと言って攻撃に転じようとは思わない。彼女の仲間も隣のクラスにいるだろうし、そもそも席から立ち上がった瞬間に撃たれそうで怖い。
一分、五分、十分。
何も出来ないまま、呼吸すらままならない状態で、時間だけが刻一刻と過ぎていく。
でも、動けない。まだこっちはテロリストの狙いも読めていないのだ。動機、武器、人数、場所。情報はないに等しい。下手に暴れてもすぐに取り押さえられるか、殺される。もしこの場でテロリストを無力化させる事が出来たって、騒ぎを聞きつけたテロリストの増援が来るだろう。
タイムリミットの二時二十分まで一時間を切っている。いや、もしかしたら教室に残っている事が条件ではないだろうか。だとしたら、いや、だとしてもだ。大人しくしているしかない。選択肢なんて、やっぱり用意されてはいないのである。
駄目だ、息苦しい。
死を目前にしていると、こうも辛いものなのか。こんな事なら一息に殺してくれた方が断然楽だ。
「……くそ」
テロリストには聞こえないように毒づく。まずいな、これじゃあ五時間目なんてあっという間に終わっちゃう。
明石さん、何か策はないのだろうか。
「……すー」
……ね、寝てる。寝てる。寝てるよ! 先生明石さんが居眠りしてます! テロリストがいる状況下で安らかな寝息を立てています!
いやいや、まずいだろ。何で誰も彼女を注意しないんだ。あ、そうか、喋ったらどうなるか分からないもんな。見てみぬ振りをするしかないんだ。
器が大きいと言うか、神経が図太いと言うのか。
幸いな事に、テロリストは明石さんには気付いていない。と言うか、誰の事も見ちゃいない。さっきから扉に背を預けて携帯電話を弄っているだけだ。仲間と連絡を取っているのだろうか。
くそ、どうする。どうするどうする。明石さんと意思の疎通が取れない以上、僕が単独で動くのは危険だぞ。もう二時五分前だ。テロリストが教室に来てから三十分近くは経つ。これじゃあ隕石に衝突されて死んだ方がマシだ。
待てよ、三十分? そんなに時間が経って、何も起こっていないのか? どうしてこんなに静かなんだ。銃声一つ、生徒の叫び声一つ聞こえてこない。全員が全員、このクラスの人たちみたいに聞き分けが良いんだろうか。
両隣のクラスからも、何も聞こえてこない。何か、おかしいぞ。本当に、テロリストが来ているのか?
もしかして、もしかして、もしかして。
もしかして、今、このクラスにしかテロリストが来ていないのではないか?
理由も根拠もない。奴らの仲間は確実にいるだろう。だけど、おかしいじゃないか。確かめたい。
どうしようか。相手は一人。戦うのが難しくても、振り切るなら可能かもしれない。
畜生失敗した。クラスに留まって様子見をするより、学校全体の状況を把握する方が先だった。
「すー」
でも、明石さんがネック。邪魔過ぎる。どうしてこんな緊急事態に眠っていられるのさ。僕一人で逃げても良いけど、くそ、どうする、どうする。
「くそっ」
あ。声、出しちゃった。
僕の声を耳聡く聞き付け、テロリストがこちらを向く。羊のつぶらな瞳と、目が合う。
やばい。やばいやばいやばいやばい。やばいやばいやばいって!
知らない振りをするか、逃げるか、それとも黙って殺されるのか。
どうするんだよ僕!