寄り道〈3〉
僕は後悔している。反省もしている。次は、もうない。
「うーわ、あんたの部屋ってホント何もないのね」
ベッドのスプリングがぎしぎし揺れていた。明石さんがばたばた暴れているのである。ほとほと迷惑。
「……やっぱり、入れるんじゃなかった」
「テレビとベッドしかないじゃない。あ、でもベッド良いなあ。私の家って布団なのよ。こう、これ、良いなあ、スプリング」
ああ、止めて、そんなに跳ねちゃ壊れちゃうよお!
と言うか、何もないなら出ていって欲しいんだけど。そりゃ着替えの場所としては僕の家を提供したけど、暇潰しの為にまで提供したつもりはこれっぽっちもない。
「本だけは結構あるのね。へえ、推理小説から少年漫画まで。思ってたより雑食なのね」
ジャンルにはこだわらないからなあ。字が読めさえすれば、時間さえ潰せれば良いのである。
「殆どがもらいものだよ。僕が自分で買ったのは少ないんだ」
「ああ、それで中途半端になってるんだ。これとか、上巻しかないじゃない。下巻は? 続き気にならないの?」
「気にならない。あ、ちなみに、それは中巻もあるらしいよ」
続きが気にならないも何も、ストーリーがあるかどうかすら未だに分からない詩みたいな文章だったからなあ。鳥は飛ぶとか、魚は跳ねるやら、くらげには骨がないとか。当たり前の事をさもロマンティックに書いてるだけで心の琴線には触れなかったのである。
「明石さんは本を読むの?」
「当たり前じゃない。本を読んで頭が良くなるとは思っていないけど、頭の良い人間は全員が本を読んでるに決まってるわ」
決まってるらしかった。でも、本はやっぱり読むものだよな。参考書を買っただけ、持っているだけで頭が良くなったと勘違いする人間にはなりたくない。
「うわ、カントだ。哲学ー、やっぱあんたって小難しそうな本に影響受けてる訳?」
「へ?」
「いっつも小難しい顔してるじゃない。何かにつけて悟った風な事言うしさ」
そんなつもりはなかったのだけど、周囲からの僕はそう見えているらしい。いや、何かに影響を受けたってつもりもないんだけど。
「影響は受けてないよ。僕、その本読んでないしね」
もらって棚に並べたきり、そのままなのである。勿体ない。お金じゃなくて、僕に本を譲った事が。猫に小判。豚に真珠。虎に翼。あ、最後は違うか。
「明石さんこそ何かに影響を受けてるんじゃない?」
すぐ悪口言うし。愚鈍愚鈍。グドンって何だよ。帰ってきたウルトラマンにでも影響受けたのか。
「私は誰かに影響を与える事があっても、与えられる事は少ないわね。……それと、悪口を言っているつもりはないわ。口が悪いのは認めるけど」
「どう違うの、その二つ?」
「私は本当の事を言っているだけだから」
真実は、時に悪口や性質の悪い嘘よりも残酷になるというのに。
明石さん、ナチュラルに言葉のナイフを振り回していたのか。
「何見てんのよ、目にウジ虫でも入っ……湧いた?」
「言い直さなくて良いよ!」
結局僕の眼球をウジ虫が這うことになるんだからさあ!
「ウジ虫だのゲスだのカスだの無能だの。君の語彙力にはうんざりするくらいに脱帽するよ」
「別に。大した事じゃないわ」
何を読んでいるんだろうな、明石さん。彼女の愛読書を読めば、僕も悪口スキルが上がるのだろうか。
「いつもどんな本読んでるの? 世界の悪人列伝とか?」
「誰が読むか。別に、辞書よ、辞書。暇があったら辞書を読むの」
「面白いの、それ?」
「良ければ貸してあげるわよ。漢語辞書とかどう?」
結構です。しかし、辞書か。暇潰しに読んでいれば、言葉を自然と覚えていくのだろう。でも。
「幾ら暇でも辞書を読むってのはなあ」
「嘆かわしいわね。電子辞書を得意げに使ってる奴より嘆かわしいわ」
人の趣味あれこれを勝手に嘆かないで欲しい。
「……ふーん、推理、推理、推理小説ばっかりねえ。ね、推理漫画ってないの?」
「漫画だとチープな印象を受けちゃうから持ってないんだ」
「そう? 意外とそうでもないわよ。絵、ならではのトリックは漫画にしか表現出来ないじゃない」
僕は小説ならではの叙述トリックが好きなんだけどなあ。賛否は分かれるだろうけど、信頼出来ない語り手とか。
「じゃあ薬を飲んで小さくなったり、多重人格だったり、おじいさんの名前を勝手に使っちゃうような探偵が出てくる漫画はないの?」
ない。一切ない。
「読まないって言ったじゃないか」
「読みなさいよ。私が面白いって言ってるんだから間違いないわ」
「僕に君の趣味を押し付けないでよ。そんなに読みたいなら自分で買えば良いじゃないか」
「面白くなかったらどうすんのよ、お金の無駄じゃない」
面白いって言ったのはそっちなのに。
「何よ、文句あるの?」
「ないよ。言っても聞いてはくれないだろうしね」
「聞くわよ」
「聞くだけでしょ」
不毛だ。今まさに時間を無駄にしている事に気付けない僕らも無駄である。
「……生意気。頭の中、脳みそじゃなくてメロンパンでも入ってるんじゃないの?」
「僕がメロンパンなら君はドーナツの真ん中だよ」
「へえ、誰の頭が空っぽだって言ってるのかしら?」
「僕は勉強は苦手だけど、自分の口から出る言葉には気を遣ってるんだ。ちゃんと頭で考えて、ね」
今日の僕はどうしちゃったんだろう。いつもならこんな事絶対に言わないのに。明石さんに引っ張られているのだろうか。
「それじゃあ私が考えなしの馬鹿みたいじゃない!」
「考えて言ってるならもっとひどいよ。どうして僕には冷たく当たるんだ」
どうして僕の上に立とうとするんだ。こっちにだって我慢の限界があるんだ。多分。
「あんたとは普通に接してるわよ」
あれで? これで普通? 馬鹿にされているんだろうか。
「それも出来る限りの親しみを込めて、ね」
「親しみ……?」
親しみ。親しみだって? 必要ない。明石さんは何か勘違いしているけど、僕は望んで彼女と友好を深めたい訳じゃないんだ。お互いの生き返りチャレンジが上手く行くようにしたいだけで、過度の馴れ合いはよした方が良いとも思っている。
「迷惑だよ」
「……何ですって?」
わざとらしく聞き返さないで欲しいな。聞こえてるんだろ。怒っているのが丸分かりだよ。
「迷惑だって言ったんだ」
でもあえて言う。
「僕は明石さんと友達になりたいなんて思っちゃいないんだよ」
明石さんは顔を真っ赤にして僕を睨んでいた。
「あ、あんたが言ったんじゃない」
「何を?」
「す、好き、って」
好きって、何を。彼女にしては回りくどい言い回しだな。もっとズバッと突き刺さるように、グサッと突き抜けるように言って欲しい。
良く分からないから追加の説明を求めようとしたところで、変てこな音が聞こえてくる。ひゅー? びゅー? ひゅーん? 舞子さんみたいになっちゃった。
「ね、何か変な音しない?」
「はああ!? 音が何よ馬鹿! 誤魔化してないではっきりしなさいよ!」
いや、何を怒っているのか分からないけど、何かが起こっているのは間違いない。音は徐々に大きくなる。まるで、上からものが降ってくるような。
「あっ」
「ああっ!?」
破砕音。衝撃音。叫び。
当たりだ。やっぱり災難が降ってきた。
どこからか飛んできた石ころみたいな形のものがガラスにぶつかり、ガラスが砕け、その石ころが明石さんの後頭部に命中したのである。大変だ。
「後片付けが大変じゃないか……」
掃除って苦手なんだよね。箒とちり取り、どこにしまっておいたっけ。
「……あれ?」
明石さんは動かない。彼女は後頭部から、血を流していたのだ。
「しっ、死んでる!」
まあ、そりゃそうか。
凶器はこの石ころ。変な形をしていて、表面が熱で融けていた。なるほど、明石さんの頭はフットーしていたのだろう。
では犯人は誰だろう。何者かが二階にある僕の部屋の窓へこれを投げ入れたのは間違いなさそう、だ……? あ、駄目だ。眠い。意識が薄れていく。
「お勤めご苦労さんです!」
「……何の冗談ですか……」
「いやあ、ようやく出所出来たなあ、と思って」
逆、逆。何もない死後の世界の方が刑務所に近いんだから(行った事はないけど、多分)。こっちからあっちに行く時に言われたい言葉ですよ、それは。
「今回の死因は……誰かが投げた石ころですよね」
「うーん、そいつは桜でんぶより甘い考えだな」
死神さんはえっへっへと薄ら寒く笑う。
「パッツンに当たったのはただの石じゃねー。ありゃ隕石って奴だな」
「隕石って、宇宙からの、あの隕石ですか?」
「おー、そーだよ。いやいや、お前らの国に隕石が降ってくるなんて、すげー確率らしいぜ」
運やら確率なんて、もう信じてはいないけどね。それにしても凄い確率って言うか、何だか間抜けだな。
「……ちょっと、こっち見てニヤニヤしないでくれるかしら」
「あ、ごめん。つい。それより明石さん、頭大丈夫?」
「それは勿論、私の怪我を心配してくれてるのよね?」
ふんふんふーん。
「あんたに馬鹿にされると腹立つわ」
攻撃的に鼻を鳴らして、明石さんは腕を組み、僕を見据える。
「次は避けてみせる。同じ徹は踏まないわ」
やる気満々だなあ。
でも。
「次はないよ。やっぱり、逃げるのはナシにしよう」
「はあ?」
明石さんは不満そうに睨んできたが、死神さんは全てお見通しとばかりにへらへらしている。
「死神さん、電車に乗っていた時の、僕たちが死んだ時間を教えてもらえますか?」
「午後二時、二十分」
「では前回、つまり明石さんの頭に隕石が降ってきた時間は?」
「午後二時、二十分だ」
前回、前々回の死亡時刻が同じ。驚く事はない。今のところは偶然の域を出ないし、何よりここはうんざりするところだ。
「……ただの偶然じゃない」
「その通りだよ。でも、三回四回と続いていけば、必然にもなりうる。いや、必ず、そうなるよ」
「言い切ったわね。根拠でもある訳?」
「ない。だけど、僕はそうなると信じてる。分かっていると言っても良い」
「いつになく強気じゃないの……」
まあね。
「でも、信じられないわね。あんたっていまいち信用出来ないし」
仕方ないな。このままじゃ話が進まない。
「死神さん、データを見せましょう」
死神さんは眉を潜めて、ノートと僕を代わりばんこに見遣った。
「良いのか?」
「ええ。いつまでも隠しておくのは無理でしょうし」
「ちょっと、何を隠してたってのよ」
「データって言ったじゃないか。でも実際には見せられないんだけどね。死神さん」
「あー、分かってる。んじゃ纏めたとこだけ言ってくぞ」
咳払いした後、死神さんはノートに視線を落として真剣な顔つきになる。
明石さんはまだ何が始まるのか分かっていない様子だったけど、聡明な彼女になら即理解してもらえるだろう。
「何のデータなの?」
「おー、オレがこいつに頼まれてやってたんだけどよ、自分の死んだ時間を纏めてくれってさ」
「死んだ時間? あ、それって……」
もう気付いたのか。幾ら何でも早過ぎる。鳥肌が立つくらいに頭が良いし、察しも良いな、明石さん。
「うん。二百回分の時間があるんだけど、調べていく内に共通点を見つけたんだ」
「同じ時間に死んだとか、そういう事?」
「……うん。死神さん、お願いします」
「あー、任せろ。えっと、こいつが死ぬ時には幾つかのパターンがある。十時までに死んだパターン。十二時までに死んだパターン……」
何の事はない。データがどうのとは言ったけど、結局、この作業は再確認なのである。僕たちが、何に喧嘩を売っているかの、だ。
予感はしていた。生き返りチャレンジでは、僕らが選べる行動は無限に等しい。が、それは、夢幻に等しい間違いだ。許されていない。選べない。選択肢は、一つあれば御の字なのである。
考えてみれば分かる事だった。毎度毎度、朝食にしたってパンしか食べていない。食べられない。選べないのだ。それ以外、正解以外のものを選べば即、死が待っているのだから。
僕はチャレンジが始まってからは何だかんだでいつもと同じ行動しか取っていない。行動範囲内から出ようとしたり、あまりにも日頃の自分とは違う事をすれば死ぬんだから仕方ない。多分、明石さんも同じ筈だろうな。
僕は乗り物と相性が悪い。
だから、電車やタクシーに乗ってしまえば何かが起きる。違う。そうじゃない。いつも行かないところへ行こうとしたから、死んだんだ。
明石さんは電車に乗っても死なない。彼女と乗り物の相性が良い訳じゃない。通学路、だから。電車に乗らなければ時間内に学校へ行けないから。ただ単に、いつもと同じ事をしているだけだったから、何も起こらなかっただけだ。
つまり、この生き返りチャレンジ内において、僕らの行動可能範囲は非常に狭められている事になる。
理由は明確。それでいて不明瞭。世界がイレギュラーな存在を外に出したくないんだろう。歪みを広げたくないんだろう。
だから、僕らはいつもと同じところにしか行けない。
そしてもう一つ、時間だ。
いつもと同じ場所でしか行動出来ないのと同じく、いつもと同じ時間に動かなければならない。
例えば、僕が家から出ないでいた時に起こった、起こる筈のない心臓病で死んだ時。どうしてあんな事になってしまったのか、ずっと考えていた。答えは一つ。しか、思い浮かばなかった。
恐らく、生き返りチャレンジにはタイムリミットが設けられている。
何時までに何をしなければいけない。どこに行かなければならない。僕の場合、十時までに学校へ行かなきゃならなかったのだろう。現に、学校へ行きだしてからは心臓病なんて起こっていない。
「つまり、どういう事なの?」
死神さんから粗方のデータを聞き終わった明石さんは、未だ納得のいかない様子で僕に話し掛けてくる。
「……僕らの行動をフローチャートにしてみるんだ。朝起きて、何をするかで物語は分岐していくってね。分岐は膨大な数に、それこそ無限に近い数になるんだろうけど、正解は一つ。残りは外れ。その結果、間違った分岐に行き当たってしまえば、死ぬ」
朝起きて、パンを食べれば次の選択肢へ。それ以外のものを食べようとしたら、バッドエンドへご招待。
「選択肢を繰り返して、正解を繰り返し引き続ければいずれは二十四時間が経過する。そうなれば僕らの勝ちだ。見事生き返りチャレンジはクリアって事だね」
「ふーん、ゲームみたいで面白いわね」
コンティニューも出来るし、リタイアだって可能だしね。でも、僕たちはプレイヤーであると同時にゲームのキャラクター、駒でもある。
「まあ、そう簡単にはいかないよ。世界が許さない。選択肢を目の前にしたまま時間切れを狙われちゃ面白くないだろうからね。そこで、時間に制限を掛けたんだ」
この話が真実かどうかなんて意味がない。的に当たっているかなんて知らない。あくまで、こんなところだろうと当たりを付けているだけである。世界が何をどう思っているのかなんて、分かる筈ないから。
「何時までに何かをしなきゃいけないってのが、掛けられた制限って事かしら?」
「と言うより、条件に近そうだね。これこれをクリアしないと次に進めないって感じじゃないのかな」
今のところ、僕に課せられたであろう条件は『十時までに学校に行く』ってところか。
「私の条件は分かんないわね」
「多分、僕と同じなんじゃない?」
明石さんだって学校に行かなきゃ、チャレンジは始まらない、ようなものだろう。
「……つーか、さ」
「あー、何だよパッツン? 目がちっとばかりこえーんだけど」
僕と死神さんは明石さんに睨まれていた。何をしたと言うのだろう。
「そんなデータやら仮説やら、どうして黙ってたのよ。私に、だけ」
「怒んなってー、オレはどーでも良かったんだけどよ、こいつが二人だけの秘密にしてください、死神さん愛してますとか言うもんだからさー」
あはは、言ってない。
「ま、あくまで仮説だし、データと言っても、死神さんが暇潰しで適当にやってた信頼度の低いものだからね。明石さんに言うまでもないと思ってたんだよ」
「ふーん? あっ、そう」
「本当だってば。信じてよ」
「はっ、別に良いけどね。どうせ私なんて信用されてないんだもんねー」
そう、嘘だ。
死亡時刻云々のデータと、タイムリミットその他の仮説はもっと先に取っておきたかったのである。
明石さん本人はさておき、彼女の能力には目を見張るものがあった。それこそ、嫌気が差すくらいに。僕が明石さんに勝てるところは現段階においては何もない。ただ、一つを除いて。
経験、だ。
唯一僕が勝っているところは、それだけだろう。だからこそ、ギリギリまで札は残しておきたかった。優位に、立っておきたかった。
「じゃあ、次の条件ってのは二時二十分までに何かをする、って事で良いのね?」
「うん、間違いないと思うよ」
この生き返りチャレンジをクリアする為には、チャレンジャー同士が足を引っ張り合っていてはどうにもならない。自分にとって効率良く、都合良くチャレンジを進めていく為には、相手との信頼関係も必須である。
僕と、明石さんが仲良くならなければいけない。うん、やぶさかではない。
だけど、その事については懸念があった。記憶について、である。
チャレンジが終了した後も、チャレンジの時の記憶が残っているかどうか。そもそも、チャレンジの事を覚えているのかどうか。
もし記憶が持ち越されてしまうのなら、明石さんとは適度に、いや、ある程度仲が悪いくらいの関係に努めなければ。獲得した明日を、いつも通りに過ごしたい。そこに他人は邪魔なのだ。過度の干渉は受けたくない。吊り橋理論なんてものに惑わされるつもりはないが、不安要素は排除したい。
チャレンジャーの目的はチャレンジをクリアして生き返る事。しかし、僕にはプラスアルファが必要なのである。いつも通りの明日を手に入れる。その為には明石さんにも思い通りに動いてもらう必要があるだろう。
どうやって? 簡単だ、お互いがお互いの言う事に耳を傾けられる、対等な関係を作り上げれば良い。けど、僕は明石さんと釣り合わない。天秤は彼女に傾いている。精々、いつもは間抜けだけどたまに面白い事を言う、ぐらいが僕に対しての、明石さんの評価だろうな。
まあ、今はそれで構わない。今までを鑑みれば、崖っぷちのところで対等関係は出来ている。このまま、このままで終われば良い。