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寄り道〈1〉

 昼ごはんを食べ終わり、部活のミーティングがあるらしい七篠と別れ、僕は玄関に突っ立っていた。明石さんと待ち合わせをしている為、である。

「……ふう」

 今の時間は一時五分前。五時間目開始まで残り三十五分もある。が、今の僕には関係がなかった。何せ今から明石さんと二人で学校を抜け出すのだ。いや、勿論甘酸っぱい展開などには決してならないだろう。何故ならば、僕らは今からテロリストから逃れる為に学校を抜け出すのだ。涙と鼻水で塩辛い展開にはなろうとも、楽しい事に発展する筈がない。

 正直、生き返りチャレンジを続行する為だとはいえ、僕は学校を途中で抜け出すなんて事を快く思っていない。病気や怪我といった正当な理由もないのに早退するのだ。ルールを破る行為には諸手を挙げて賛成出来ない。だけど、仕方ない。背に腹は代えられないのだ。

 しかし、明石さん遅いなあ。それとも、僕が昼食を食べ終わるのが早かっただけなのだろうか。

「待った?」

「ん」

 靴箱に背を預けていると、食堂の方から明石さんがやってくる。

「遅かったね」

 僕がそう言うと、明石さんはむっとした顔で僕を睨んだ。

「女の子には色々あんのよ。集団で行動しないあんたには分からないでしょうけどね」

「そっか、ごめん」

 確かに。僕には女の子の事や集団で行動する事なんて何も分からない。ここは素直に謝っておこう。

「で、どうやって抜け出すつもり?」

「そうね、正門からだと人目に付きやすいわ。裏口から出ましょう」

 明石さんは靴を履き替えながら事も無げに言い放つ。

 何だか、チャレンジを始めてから悪い事ばかりやっている気がするなあ。僕のポイント、下がっちゃいないんだろうか。

「行くわよ」

「ああ、あのさ」

「何よ?」

 学校を二人で抜け出す程度の事をこれ以上とやかく言うつもりはない。ないのだが。

「五時間目、どうしようか」

「はあ?」

「だって、僕たち二人とも無断でいなくなってる訳じゃないか。余計な勘繰りはされたくないんだけど」

 同じタイミングで男女二人が消える。僕らに限って言えば有り得ないんだけど、下世話な想像を働かせる輩もいる筈だ。特に、某細山君なんかは。もしこの事を知られたら、僕は怒り狂った彼に殺されてしまうかもしれない。

「んなの考えたって仕方ないでしょ。それとも何、あんたもっぺん銃で撃たれたいの?」

 滅相もない。

「後の事は後で考えるのが一番。さ、行くわよ」

 まあ、考えたって仕方ない事は考えないに越した事はない。明石さんは何だか楽しそうだし、彼女の機嫌を損ねる必要もないだろう。



 裏口、と言うよりもそこにはブロック塀しかなかった。

 僕たちは人目に付かないよう慎重に歩を進め、グラウンド側の、部活棟が連なるエリアまでやってきたのである。

「裏口って言ってなかった?」

「ここだって裏口よ。それに、こういうところから脱出した方がそれっぽくない?」

 何かに影響を受け過ぎだろう。でも、外へ出るならどこから出ても同じだよな。僕は二メートル程度の高さのブロック塀に足を掛け、手を掛けて一息に上り切る。

「よっ……と」

 誰かに見られているかもしれないから迅速に事を済ませた方が良い。僕はブロック塀の縁にしゃがみ込み、周囲の様子を観察する。うん、誰もいないし見てないな。

「明石さん、今だよ」

「分かってるわ、よっ」

 明石さんは存外頼りない動作でこちらへ上ってくる。見かねた僕は手を貸してあげた。

「お礼なら言わないわ」

 構わないけど、どうしてこうも偉そうなんだろう。

 ブロック塀の向こうは通学路になっている。幸い、今は誰もいないが、こんなところでうろちょろしていたら誰に見つかるとも知れない。僕は塀から飛び降り、地面に着地した。足が痺れて、痛い。

「明石さん、ほら、早くしないと」

「分かってるって言ってんでしょ」

 明石さんは恐る恐る、塀に手を掛けながら後ろ向きになって飛び降りた。

「……明石さんってさ」

「何よ?」

「結構鈍いんだね」

「悪い?」

 否定はしないのか。

「悪くないけど、意外だなって。部活で活躍してたんじゃなかったっけ?」

「それとこれとは話が別よ。こんなの、初めてだったから」

 明石さんの要領自体は決して悪くないのだから、つまりアドリブが利かないって事なんだろう。

「同じ轍は踏まない。次からはもっと華麗に飛んでみせるわよ」

 僕としては、次が来て欲しくないんだけどね。



 学校を抜け出したのは良いんだけど(本当は悪い事なんだけど)、これからどうしようかなんて、僕は何一つ考えちゃいなかった。

 明石さんは何を考えているのか、適当に歩き続けている様にしか見えない。別段、彼女と一緒にいる理由はないのだけど僕は何となく付いていっていた。

「ねえ、どこに行くの?」

「決まってんでしょ、家に戻るのよ」

「明石さんの家に?」

「当たり前でしょ。私が私の家に帰っちゃ悪い訳?」

 悪くはないけど。

「ところでさ、あんたの家ってこっちなの?」

「ううん、別方向だけど」

 明石さんは立ち止まり、僕に哀れむような視線を送る。

「あんた馬鹿ね。じゃあどうして付いてくるのよ」

「何となく」

「……まあ、別に良いけど、さ」

 彼女は僕に背を向けると、またすたすたと歩き出した。



 どうやら明石さんは制服から私服に着替えたかったらしい。確かに、昼間から制服姿で外を出歩いていたら不審に思われてしまうだろう。だけならまだしも、警察に事情聴取なんてされかねない。そんなの嫌だ。

 とは言いつつ、ここまで来たのだからもう良いや。後は野となれ山となれ精神で僕は明石さんに付いていっている。比較的人通りの少ない道を選んではいるのだが、いつどこで誰と出会うか分からない。

「明石さんの家って遠いの?」

「ええ、校区ぎりぎり」

 へえ、何でまたそんなところを選んだのだろう。と、疑問を口にする寸前に僕は気付いた。彼女はいじめられっ子だったのである。そして僕が知る限り最高で最悪の猫被りだと言う事に。確か、猫を被るにも、同じ場所で三年ぐらいが限界なのだと聞いていた気がする。彼女はその為に、わざわざ遠いところから、今までの自分を知らない者ばかりの土地へ来たのだろう。

 しかし、どう考えても、逆立ちで市内一周した後の呆けた頭でも明石さんはいじめっ子気質だと思うのだけれど。

 まあ、物事や性格は往々にして表裏一体するものである。馬鹿と天才は紙一重。いじめられっ子だって、いついじめる側に反転するか分からないのだろう。なまじ、明石さんはいじめられていた人なだけに反動は凄そうだ。

 もしかして、今の明石さんは本当の明石さんではないのだろうか。……なんて、僕みたいなコミュニケーション弱者が猫被りの天才を評すには相応しくない。明石さんは明石さんなのだ。それで良い。僕はそう思う。

「あんた、このまま付いてくる気?」

「明石さんが駄目って言うなら僕も自分の家に帰るよ」

「別に。私は構わないけど……」

 妙に歯切れが悪い。やっぱり嫌がられているんじゃないか、僕。

 よくよく考えてみると、僕らは生き返りチャレンジを受けている者同士だけど、同志じゃない。無理やり足並み揃える必要もない。クリアさえ出来れば良い。足の引っ張り合いをするつもりはないから、必要なら協力し合う時もあるけど、本質的には、根本的には他人同士なのだ。そして学生である僕たちが学校を出た以上、今はプライベートな時間なのである。邪魔されたくないよな、やっぱり。

「いや、やっぱり帰るよ。邪魔になりそうだし」

 これは本心だ。正直、学校で起こる厄介事なら二人で対処する必要性が出てくる。が、しかし、僕と明石さんが別れた後、個々に降り掛かる災難は自力で解決、回避すれば良いのだ。何もわざわざ二人でいる事はない筈である。現に、今までだってそうしてきたじゃないか。

 それに、何かあったとしても明石さんなら心配は要らないだろう。むしろ不安要素は僕の方なのだから。

「だから、良いって言ってるじゃない」

「迷惑掛けるよ、絶対」

 情けないが言い切ってしまう。

「……あんた一人でいる方が迷惑なのよ」

 む?

「あんた、間が抜けてるから。何かあっても、近くに私がいた方がフォロー出来るでしょ」

 ああ、そんな考え方もありなのか。なるほど、バラバラでいるよりもリスクを分散させずに済む。僕たちが固まっていれば嬉しくないイベントだって多くは起こらない。単純に、二回が一回で済むのだから。

「でも、何か嫌がってたように見えたからさ」

「あんたって変なところに気が回るのね」

 明石さんは髪の毛を掻き上げて僕を見る。

「私の家、遠いのよ。それでも良いなら付いてきなさい」

「遠いって、どのくらい?」

「そうね、一時間半は見ておいてくれる?」

 遠いな、そりゃ。明石さんはいつもそれくらいの距離を歩いている事になる。そうか、あの蹴りはこうして鍛えられていたのか。

「何か勘違いしてるけど、歩きだけじゃなくて電車も使うのよ。あんた、定期持ってないでしょ。お金あんの?」

「あ、そうだったのか」

 うん、お金なら大丈夫。いつもは大金なんて持ち歩かないのだけど、生き返りチャレンジが始まってからは何が起こるか分からない。その為、多めに持ってきているのだ。

 ……しかし。

「電車に乗らないと帰られないのかな?」

「はあ?」

 例えばバスとかタクシーとか、船とか飛行機とか。自転車、自家用車、徒歩。さあ、どれでもお好きなものを選んでください。

「バスは出てないし、タクシーなんてお金が掛かっちゃうわよ。船? 飛行機? 自転車、車? 良いわよ乗ってあげるから持ってきなさい。持ってこれるものならね。ああ、それと私、歩くのはヤダからね」

 わがまま振りかざされて論破された。いや、わがままを言ったのは僕の方か。

「どうして電車が嫌なのよ?」

 僕は断じて嫌じゃない。強いて言うなら嫌がっているのは電車の方だろう。

「死神さんから聞いてなかったっけ。僕、電車に乗ったら死ぬんだ」

「は? 何それ、電車乗ったら死んじゃう病にでも掛かってる訳?」

「え、そんな病気あるの?」

「ないわよっ」

 頭を叩かれた。軽い音が響いて明石さんは僕を指差し笑った。中身が空っぽで悪かったですね。

「で? 電車が何なのよ?」

「僕一人でチャレンジしていた時に試したんだけど、何回乗っても、何時に乗っても、どこから乗っても、僕の乗った電車は基本的に脱線して、大惨事を引き起こすんだよ」

「……嘘、本当に?」

 脱線したり、電車が来た瞬間ホームに突き落とされて轢かれたり、車内で通り魔に刺されたり。こんな事が嘘になるとも思えないし、何よりチャレンジに関しての嘘は吐きたくない。

「もしかしたら、僕が乗っても何も起きないタイミングが存在するかもしれないけどね」

 かなり、楽観的な意見だけど。

「私は乗っても平気だったのに……」

 と言う事は、僕と明石さんに用意された選択肢が違うという事だろうか。僕が行ったらデッドエンド直行な場所でも、明石さんなら平気。うーん、ならその逆も有り得るって考えておこう。

「僕と乗り物は相性が悪いのかも」

「かといって帰らないってのも癪だし。……試してみましょうか」

「試す?」

 明石さんは自身有りげに頷く。

「あんた、この時間に電車に乗った事は?」

 ない、かな。大体、お昼を回ってまで生きているのは今回が初めてじゃないのか? ならば、ただ今記録更新中なのである。一秒先が見えない人生よこんにちは。

「じゃ、乗ってみるわよ」

「えーと、僕も?」

「ふふっ、とーぜん」



 気は進まなかったが、僕は明石さんに半ば引っ張られる形で駅までやってきた。

「空いてるわね」

「え? 明石さんご飯食べてないの?」

「お腹じゃないわよバカ。レディを何だと思ってんの。空いてるのは駅よ、駅。人が少ないでしょ」

 言われて、僕は周囲を見渡す。確かに、少ないな。時折通行人と目が合ってしまうのだが、問題はないだろう。通勤通学ラッシュを越えれば、昼間の駅なんてこんなものか。

「でも、それが何?」

 人が多い少ないなんてどうでも良い気がする。あ、いや、学食だけは混雑しないで欲しい。

「あんた、家から学校まで近いでしょ?」

 へ、僕そんなの言ったっけ。あの学校で僕の家を知っているのは七篠ぐらいのものなのに。

「電車に乗った事ある奴だったら、ついつい見ちゃうし、思っちゃうもんよ。あ、今日は空いてるラッキー、って。は、あんたには分からないわよね、人の少ない電車に乗れるって幸せが」

「ふーん、そういうものなの?」

「一回ラッシュん時の電車に乗ってみれば?」

 実はチャレンジの時に乗った事があるんだけど、何とも思わなかったり。学食とは違い、電車には僕が乗れる程度に、ぎりぎりの隙間があるのだ。こういう時は小さくて良かったと思える。こういう時、ぐらいだな、本当。

「ま、良いわ。ほら行くわよ」

 明石さんに先導されて南口からの階段を上る。ここの駅は橋上駅と呼ばれるタイプのものなのだ。僕は、このタイプの駅が一番嫌いだったりする。こういう駅は二階部分に改札口などの機能が集まるのだ。だから移動に時間を割かれてしまう。それに、改札口付近は人でごった返すから辛い。尤も、僕は滅多に電車乗らないけど。

「ほら、切符買って来なさいよ」

「はーい」

 駅構内には切符売り場、改札口、コンビニなどが並んでいる。だけど用があるのは切符売り場だ。僕は明石さんに教えてもらった通りの金額を入れて切符を購入する。ついでに確認、えーと、一、二、三……七つ先の駅で降りるんだな。

「まだなのー?」

「ごめん」

 改札を抜けていた明石さんに謝り、僕も改札口に切符を通す。駅員さんが窓口からこちらを覗いていたが、声は掛けられなかった。ふう。彼女と並び、エスカレータは使わずに階段を下っていく。この駅は島式ホームと呼ばれるプラットホームを二面、線路は四つ有しているのだ。ちなみに島式ホームと言うのはホームの両側が線路に接しているもので、ホームそのものは「ちょっと何してんの早く来なさいよ愚図ー、鈍重ー、愚鈍ー。って私の話聞いてんのあんた。返事ぐらいしたらどうなのよ? ははーん、そう。そんなに私を怒らせたいんだー? 良いわよ、あんたがその気なら私にだって考えがあるんだから」と言う訳である。ってアレ、何か僕の熱の篭った説明が邪魔されてしまったような気が……。

「って明石さん、歩くの早いね」

 明石さんは可哀想なモノを見る目付きで僕を見ていた。



 プラットホームの端っこで電車を待つ事数分。時間には余裕があるからと明石さんが言うので、僕らは快速や特急ではなく、やってきた普通電車に乗り込んだ。

「ガラガラだね」

 この車両の乗客は僕ら以外に殆ど誰もいない。大学生らしき男の人が一人、居眠りをしているお婆さんが一人。僕らを合わせたところで、たったの四人である。

「何、座らないの?」

 明石さんは既に座席の端に腰を下ろしていた。

「ねえ、どうして端に座るの?」

 ふと、気になったのである。

「へ?」

 見れば、大学生もお婆さんも端に座っている。他にも席は空いているというのにだ。

「真ん中に座らないの? 折角広い場所が空いてるのに」

 それとも何か、わざわざ狭い場所に行く理由があるのだろうか。

 明石さんは何気なく視線を遣り、他の乗客を確認している。

「落ち着くんじゃないの?」

「端っこが?」

「真ん中に座ってたら、両端を誰かに座られちゃうでしょ。すぐ横に人がいたら気、遣うじゃない」

 ああ、だから端に行くのか。端なら、隣に座られるのは片方だけで済む。

「あんたも気ぐらい少しは遣うでしょ。隣に美人が座ってたら、ああ、なるべく普通にしていようとか、隣の奴が寝かかってたら接触しないように首を動かすとか」

 うーん。それぐらいはするかも。

「快適な電車ライフを送る為には端を取るのが重要なのよ。つまり、オセロやアタック25と同じね」

「そうなの?」

「ええ。電車内では考察力、洞察力、瞬発力、持久力が求められるのよ」

 そんなに隅っこが好きだなんて、皆ザリガニみたいだなあ。でも、僕も狭い場所は落ち着くかも。こういうのって器の大きさなりが影響していたり。

「で、座らないの?」

「ん、じゃあ」

 僕はより取り見取りの状況に少しだけ迷って、明石さんの対面に座った。

「……どうしてそこに座る訳……?」

 明石さんこそ、どうして僕を睨んでいる。

「広く座れて良いじゃないか」

「かもしんないけど……」

 僕はそう言ったきり彼女から顔を背け、窓を見た。流れていく景色がやけに新鮮だと感じられる。

「ちょっとあんた、無視しないでよ」

 そんな事言われても、ここは電車の中だ。僕も最初の方こそ浮かれていて忘れていたが、他の人の迷惑にならないよう会話は控えなきゃ。僕にとってマナーはルールと同義語である。守れと言うのなら守るのが当然だろう。見知らぬ誰かを気持ち良くさせるつもりは露もない。だけど気分を害して敵に回すつもりも同じようにない。

「あっそ。じゃもう良い」

 明石さんは腕を組んで目を瞑った。ふて寝感丸出しである。駅は、七つ、か。じゃあ僕も少しくらい眠っておこう。

 いや、でも今の内に色々と考えを整理しておくのはどうだろうか。今後の生き返りチャレンジにおいて非常に有意義な活動を……。




 体を揺さぶられる感覚に目を開けるとそこは、ここはどこだ?

「う、んん……?」

「……やっと起きたのね、愚鈍」

 いつの間にか、僕の隣には明石さんが座っている。

「あ、今どこ?」

 電車はまだ走っていたから、一つ前の駅が近付いているのだろうか。

「もう、過ぎちゃった」

「え? じゃあ次の駅で降りようよ」

「もう、止まらないわ」

 いや、止まるでしょ。

 そう思った時、僕はようやくになって異変に気付く。

 車内に響き渡る車掌さんのものであろう、悲痛な叫び。無線から聞こえてくる声は何と言っているか聞き取れないが、相当焦っているのは確かだなあ。眠っていた筈のお婆さんは怒号を上げて運転室への扉を杖で叩き続けている。大学生のお兄さんは誰かに電話を掛けている様子だった。騒々しいから何を話しているのかは分からなかったけど、『帰ってきたら見せたいものがある』だとか『愛していたよ』なんてワードが聞こえていた。

 うん、なるほど。

 僕は窓の外に目を遣る。普通電車にしては、景色の流れる速度が異常だ。速過ぎる。

 うん、うん、なるほどなるほど。

「明石さん」

 顔面を蒼白にしている明石さんがこちらを向く。

「僕の言った通りでしょ」

「……あんたとはもう二度と電車に乗らない」

 彼女の声は震えていた。

 一つ訂正しておこう。電車どころか、僕とは一緒に乗り物に乗らない方が良いって事を。

 さてさて、カーブが見えてきた。このスピードできつめのカーブを曲がり切れるかどうか。考えるまでもない。絶対無理。

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