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化学実験室〈3〉

 僕は本を読まない。嫌いではないが、わざわざ買ってまで読みたいとは思わない。

 その僕が唯一買おうかどうか悩むジャンルの本がある。推理小説だ。恥ずかしい話だが、名探偵なんて言葉には心が踊る。

 更に恥ずかしい話だが、自分が探偵になって犯人を追い詰める妄想にも心当たりがある。

 今、僕の目の前には犯人がいた。ガスを撒き散らし、実験室を吹き飛ばそうなんて考えているぶっ飛んだ思考の持ち主である。一年生の、ちょっとばかり幸の薄そうな女の子だけど容赦はしない。

 僕は女の子から目線を外さずに人差し指をすっと伸ばした。

 ……い、言うぞっ。絶好のチャンスじゃないか。今しかない、ディテクティブ僕!

「犯人はあんたでしょ」

 そう、犯人はあんただ!

「悪いけど、爆発なんて派手な真似はさせないから」

 そうだそうだっ。

 ってアレ? な、なんで……?

「な、なんで……?」

「なんで知ってるの、かしら? ふん、あんたみたいな愚鈍な奴の考えはお見通しなのよ」

 と、盗られた。僕の出番が、千載一遇、もうこれから先生きていく上でここしかないって場面だったのに……。

「あんた、何落ち込んでんのよ?」

 ほっといてくれ。

 明石さんは訝しげにこっちを見ていたが、僕は無視し続ける。拗ねてないもんね。

「……とにかく、馬鹿な考えは捨てなさい。タメにならないわよ。今ならまだ見逃してあげるから」

「あ、あなたに何が分かるって言うんですか!」

「――分かるのよ。私にはね」

 女の子は幾分か驚いていた。

「だから、止めなさい」

 ん?

「わ、わたし……」

 何か、変な臭いがしているような。

「大丈夫、まだ間に合うわ」

「も、もう、遅いんです」

 僕が別の事に気を取られている内に、女の子は机の上に出しっぱなしだったマッチを引っ掴んでいる。

「こっ、こんな世界、なくなっちゃえば良いんだ!」

「止めなさいっ」

 明石さんが女の子に駆け寄るが、一歩遅かったらしい。

 ガスならとっくに漏れていたのだ。前回みたく大量ではないが、女の子の周囲を爆発させるぐらいの量は溜まっているらしい。死にたいのなら勝手に死ねば良い。僕にはそれを止める力も権利も意思もない。

 だけど、明石さんは違った。

 彼女は死すら顧みず、女の子を抱き締めたのである。

 ああ、なんて美しい光景なんだろう。僕は思わず目を背けた。明石さんの最期の顔が、まるで子を見守る母親のような、そんな崇高なモノに見える。

 あるいは、同じ傷を持った者同士が傷口を舐め合うような。

 そんな光景を最期に遺し、彼女らは――



「バーン!」

 死後の世界で僕を出迎えた死神さんは嬉しそうに声を上げた。

「ぎゃっはっはっ、おいおいパッツン、爆発は派手だがよ、二度も見たくはなかったぜ」

「……うるさいわね」

 僕がこっちにいるって事は、当然明石さんもこっちに来ている事になる。生き返りチャレンジを受ける者は一蓮托生なのだ。強制的に道連れにされる。はあ。

 今回は明石さんの爆死により、無傷だった僕も連れてこられたのだ。

「明石さん、平気?」

「ええ、問題ないわ」

 あると思うんだけど。

「……どうしてあの子を庇おうとしたの?」

「気紛れ。何よ? 謝って欲しいなら謝るけど?」

 それは今から謝ろうとしている人間の態度じゃない。

「謝罪はいらない。僕はどうしてって聞いてるんだよ」

「ちっ、気紛れって言ったじゃないの」

 口が固いのか頭が固いのか。

「死神さん、今度はしっかり見ていましたよね?」

「あー、何をだよ?」

「僕たちと一緒にいた女の子をですよ」

「見てた見てた。ちゃんと見てたよ。なんつーか、マッチ売りの少女みたいな奴だったな」

 確かに。火も点けてたしな、あはは。馬鹿か僕は。しかし、薄幸、と言うか何というか、あの子は、その、いじめられっ子の顔をしていた気がする。

「で、そいつがどうしたんだよ?」

「死神さんはあの子についてどう思いますか?」

 死神さんは胡坐をかいたまま、こてんと、後ろに倒れた。

「すげームカつく。二回もチャレンジの邪魔しやがって」

「他には?」

「あー、なんつーか、顔見たら殴りたい感じの奴だな。見てるだけでもイライラしてくる。母性本能もクソもねー、あいつが刺激すんのはせーぜーオレの闘争本能ぐれーのもんだな」

 分かりやすい人だなあ。だけど、伊達に死神を名乗っちゃいない。僕の抱えていた違和感を、僕よりも的確に言い当てている。

「もしかしてあの子、いじめを受けているんですかね」

「そーじゃねーの? 間違ってもいじめる側には回らなさそうな顔だし」

「ちょっとあんたら、随分好き勝手言ってんじゃない」

 明石さんは僕らを睨んでいた。恐かったが、何よりも先に哀れだと思ってしまう。

「おー、そーいやパッツンもいじめられてたもんな。やっぱ、アレか? 仲間が悪く言われてたら気になんの?」

「仲間じゃないわよ! 私の事を知ったような口を利かないで、不愉快だわ」

「図星だからって怒んなよー」

「違うって言ってるじゃない! 気紛れ、魔が差したっ、それだけよ!」

 こうして彼女らを見てると何故だか犬と猿を連想してしまう。ああ、あとは雉がいれば完璧だなあ。

「本当ムカつくわねあんたって。事ある毎に突っ掛かってきてさ。私に恨みでもあんの?」

「あー、ないけどパッツンってからかったら面白いんだよなー」

 死神さんはへらへらと笑っている。実に楽しそうだがそろそろ止めなきゃな。僕らに残された時間は腐るほどあるのだろうけど、無限じゃない。

「二人とも、ちょっと落ち着いてよ」

「うっさい、殺すわよ」

 もう死んでます。

 雉も鳴かずば何とやら。丁度良い、僕が雉ならあとは桃太郎だけで揃うじゃないか。



 生き返りチャレンジ、スタート。

 目が覚めた僕は、いつも通りに行動して、いつも通りの時間に家を出る。

 ただ、いつもよりもゆっくりと歩いた。



 一時間目。

 二時間目。

 ……そして、三時間目。

「はあ……」

 非常に憂鬱である。本当なら僕が一番楽しみにしていた、楽しめる筈の数学なんだけど。ガス爆発を止める為に途中で教室を抜けなければならない。正直に言って、色々と気は進まなかった。好きな教科を受けられない事と、途中で授業を抜ける事が重く僕に圧し掛かっている。

 しかも、だ。授業中に教室を抜けられたとしても、あのぶっ飛んだ女の子を止める方法がない。と言うか、そもそも考えていないのだ。隣であくびを噛み殺している明石さんは任せろと胸を張っていたけれども、どこまで信用して良いものか。

 今回は、明石さんは教科書を持ってきた、と言う事にしている。机は離れたままだ。非常にありがたい。二時間目までの、細山君の鋭い眼光がようやくになって、なくなってくれた。

 授業よりも先取りして、三十分程度新しい知識の開拓に臨んでいたところだろうか、

「……うっ」

 どさどさっ、と、何だか騒がしい音が聞こえてくる。

 何だろうと思って顔を上げれば、明石さんが机に突っ伏して胸を押さえていた。……今度はそう来るか。

「あっ、明石さんっ!?」

 クラスメートが心配そうに駆け寄り、明石さんを中心にして輪を作る。遅れてやって来た先生も「大丈夫か」なんてとぼけた声を発した。

「だ、大丈夫です。ただの、持病の癪ですから……」

 ひゅー、突っ込みどころ満載! でもわざわざ机の中から教科書を落とす必要はないよね普通。

「保健委員っ、保健委員を呼べっ!」

「明石さん、死なないで!」

「うああああああああ! つみきちゃああああああん!」

 ああ、ここは普通じゃないのか。

 僕は教科書から目を上げ、教室中を見回す。脱出するには仮病を使って、保健室へ行くと言えばそれで済むだろう。しかし、僕はどうすれば良いんだろう。保健委員でも何でもない僕が保健室まで付いて行くなんて不自然極まりない。あ、もしかして、明石さん一人で行ってくるつもりなんだろうか。うーん、楽が出来ると喜ぶべきかな。

 そんな訳ないよね。

「保健委員は誰だあっ、早くしろ!」

「明石さんが死んじゃうじゃない!」

 戦場の様相を呈してきた教室。

 どうやら、保健委員はまだ名乗りを上げていないらしい。それもそうだろう、確か、この場には保健委員である敷島君がいないのだから。

「あ」

 生徒の内の誰かが間抜けな表情で口を開く。

「なあ、保健委員ってさ、敷島じゃなかったっけ?」

 クラス中が水を打ったように静まり返った。

「そういやあいつ、朝に山崎と喧嘩してたな。今頃生徒指導室で説教食らってんじゃねーの?」

「それじゃあ、誰が行く?」

「早くしないと明石さんが……」

「誰でも良いから早くしろっ!」

 俄かに騒然とする教室を尻目に、僕は黙々と教科書を読み耽っていた。

 その時、肩に柔らかな感触と、申し訳程度の重みを感じる。

 来たか……。

「……あ、ごめんなさい」

 やっぱり。明石さんだ。彼女は今にも倒れてしまいそうな様子で僕にもたれ掛かっている。とんでもない演技派だな、この人。流石、伊達に中学から猫被っているだけはある。そんな事言ったら殴られちゃいそうだから言わないけど。

「あの、このまま連れて行ってもらっても良いかしら?」

 ふと、周りから視線を感じた。そのどれもが、強い敵意である。

『早く連れて行ってあげなさいよ』

『明石さん可哀想。断ったら殺す』

『つみきちゃんに触れるなんて……! 絶対に許さない、絶対にだ』

 聞こえない筈の、怨嗟にも似た心の声が聞こえた気がした。

 行かなきゃ、僕は死ぬんだろうな、やっぱり。尤も、前回はのこのこ付いて行って爆死した訳ですが(明石さんが)。

「分かったよ」

 僕は立ち上がり、明石さんに肩を貸す。全く、良くやるよ。そして引っ掛かる方も引っ掛かる方だよ。

 背中に刃物と呼んでも差し支えない類の視線を受けながら、僕は明石さんを連れて教室を出る。

「にしても、持病の癪って」

「……まさか本当に信じてくれるとは思ってなかったわ。あのクラスには愚鈍しかいないのね」

「日頃の行いが良かったのかもね」

 あの調子なら、明石さんが何を言っても面白い反応を返してくれそうではあるな。

「へえ、あんたにしちゃ分かってるじゃない」

「ありがとう」

 僕は渡り廊下まで行き、明石さんの肩から離れる。

「前から思ってたんだけどさ、あんたって女に興味ない訳?」

 はい?

「あ、もしかしてホモなの?」

 失礼な。僕は同性になんて興味がない。……異性にもあまり興味がない。もっと言ってしまえば、他人に興味がないのかもしれない。

「違うよ」

「ふーん?」

 あ、絶対納得してない顔だ。



 渡り廊下を抜け、校舎に入る。

「この後はどうするつもり?」

 僕は実験室近くの階段に腰を下ろし、明石さんは僕の二段上に座った。どうやら彼女は誰かの上に立たないと気が済まないらしい。

「とりあえず、待つわ」

「それじゃあ前回と同じじゃないか」

「うるさいわね、考えがあんのよ」

 本当かなあ。

「私は同じ轍を踏まない。あの手のタイプなら幾らでもやり様があるのよ。信じなさい」

 蛇の道は蛇、なのかな。それとも目には目を、いじめられっ子にはいじめられっ子ってところだろうか。

「良し、王様ゲームやるわよ」

 またゲームか。

「……僕は待つ事に対して苦痛を感じないタイプなんだ」

「私は感じるのよ。ほら、割り箸もあるし」

 そう言うと、明石さんはポケットから割り箸を取り出す。うあー、どうしてそんなもの持ってるんだよ。

「家から持ってきたのよ。ほら、どっちを引く?」

「イヤだって前回から言ってるじゃないか」

「つべこべ言わずに引きなさいよ」

 うん、今まさに君の態度に引いてる引いてる。

「独りでやってれば良いじゃないか」

「王様になれたら好きな事命令出来るのよ?」

 まるで暴君、まるで独裁者。僕はそんなの好きじゃないんだ。

「校舎の二階から飛び降りてとか、二分間息を止めてとか、二千円ちょうだいとか、教師の背中叩いて逃げろとかさー」

 随分とまあ、実現出来そうなラインの命令である。

「明石さんが王様の国だと、一日も経たないでクーデター起こされちゃいそうだよね」

「どういう意味かしら?」

「意味はないよ」

 明石さんは見る見るうちに不機嫌になっていく。

「つまんなーい。ひまー、超ひまー」

「ああもう、分かったから髪の毛引っ張らないでよ」

「本当? じゃ、引いてみて」

 差し出された二本の割り箸。

 逡巡して、右を引いた。

「あ」

 どうやら、僕は人の上に立つ資質も器もないらしい。

 僕の引いたまっさらな割り箸を見て、明石さんは口角を嫌らしく吊り上げる。

「ふふん、私が王ね」

「みたいだね。で、僕にどんな事をさせたいの?」

「うーん、じゃあね、服を一枚ずつ脱いでって、全裸になったらマトリョーシカか、好きな人の名前にハラショーを付けて叫ぶの」

「それマトリョーシカごっこじゃん!」



 馬鹿な事を話していると、実験室の扉が開いた。僕らは教室から出てくる生徒をやり過ごす為、急いで階下に行き、聞き耳を立てる。

 五分は経った頃だろうか、人の声も気配もすっかり鳴りを潜め始めた。幸いにも僕らに気付くものは誰もいない。

「行くわよ」

 僕は頷き、明石さんに続いて、出来る限り足音を忍ばせていく。

「さーてと」

 と言うか、一体どうするつもりなんだろうか。僕は結局明石さんの考えとやらを聞いていないのだけど。

 明石さんは悩んでいる僕を無視して、お構い無しに引き戸を開ける。委員長モードではないのでえらく乱暴な手つきだった。

「え……?」

 声を漏らしたのは僕じゃない。明石さんでもない。線の細い女の子だ。幸の薄そうな彼女はこちらに視線を向けて顔を青くさせている。

「え、あ、あの……」

 教室の隅の机、その近くにしゃがみ込む女の子の視線は泳ぎまくっている。決して僕たちと目線を合わせない。声は震えているし、心なしか体調も悪そうだ。まるで悪戯のバレた子供みたいじゃないか。

 うん、まあ犯人なんだけどね。

「って明石さん?」

 明石さんは声を発する事なく、つかつかと(いやむしろ、ずかずかって表現の方が似合うかも)女の子に歩み寄っていく。

 女の子は顔を青くさせて、おどおどと明石さんを見つめているのがやっとだった。

 一体、何をするつもりなんだろう。

「あ、あの、あの、わ、わたし……」

 ――ぱしんっ。

 渇いた音が実験室に響く。

 女の子が目を見開き、頬っぺたを手で押さえていた。えーと、どうやら明石さんがビンタしたらしいのだけど、なんで?

「あんた、窓開けときなさい」

「へ?」

 戸惑っていると、明石さんは射抜くような視線を僕に送った。逆らうのが恐かったから、大人しく窓を開けていく。

 廊下側、三つ目の窓を開けたところで換気の為なのだと気付けた。

「あんた、いじめられてんのね」

 女の子は俯き、肩を震わせる。図星だったのだろう。

「死にたかった訳?」

 返事はない。明石さんは構わず続けた。

「それともいじめてた奴を殺したかった? だから、こんな回りくどい事をしたの?」

「……こ、こんな世界なくなっちゃえば良いんだ」

「ふーん」

 明石さんは女の子の襟元を片手で掴み、無理矢理に持ち上げる。

「愚鈍ね」

「ひっ……」

「真正面から向き合うのが恐いんだわ」

「あっ、あなたなんかにわたしの気持ちがっ」

 もう一度、乾いた音が響いた。

「いじめってのはね、いじめる方にだけ非があるんじゃないの。される側にも原因があるのよ。自分は何も悪くない。悪いのは相手だ、この世界だ。そう思うのも無理ないかもね、心底吐き気がする意見だけど」

「違うっ、わ、悪いのは……!」

「自分の弱さを認めなさい。そして、強くなりなさい。あんたをいじめてた奴ら見返してやるのよ」

「むっ、無理……そんなの無理……」

 また、ビンタ。

「出来るわ」

 女の子は明石さんを見つめていた。至近距離で向かい合っているせいか、はたまたビンタの威力が強すぎた為か、女の子の頬は赤く染まっている。

「磨きなさい、自分を」

「……でも」

「二年三組、明石つみき」

「え?」

 突然自己紹介を始めた明石さん。僕にはもうどうして良いのか分からない。

「何かあったら私のところに来なさい。こう見えても私、委員長なのよ?」

 女の子は口を小さく開けてぽかんとしている。

「あんたの名前は?」

「な、中華(なかはな)れんげ……です」

「れんげ、これからは私があんたの味方よ」

 中華さんは口をぱくぱくとさせていた。どうでも良いけど今日のお昼はラーメンにしよう。

「今日の事は黙っといてあげる。だから、行きなさい」

「行くって、どこに……?」

 明石さんは中華さんから手を離し、彼女を労わるように頭へ手を置いた。

「教室に。……また何かされそうで恐い?」

「……はい」

「されたら、鼻で笑ってやりなさい。下らないわってね。愚鈍な奴らがあんたにちょっかい掛けてる間、あんたは頭も体も、何もかも鍛えまくるのよ」

「わ、わたし……」

「……腹が立ったら噛み付いてやれば良い。引っ掻いて、引っ叩いて、気の済むまで泣けば良いの」

「そ、そんな事したら……」

「駄目。抵抗しなさい。安心なさい、私がバックに付いてるから。あんたが何をやっても良いように――根回しもしておいてあげる」

 うわあ、笑顔が黒い。

「……わたし」

「世界はあんたが考えてるほど弱くない。厳しくて、この部屋を爆発させるだけじゃ何も変わらない。絶対に消えない。でも、あんたが思ってるほどつまんなくもない。自分が変われば世界も変わる。上に行きなさい、そうすれば見えなかったものだって見えてくるのよ」

 …………ふーん。

「それでも辛くなったら、私のところに来なさい。力一杯、慰めてあげる」

 中華さんは耳まで真っ赤にしていた。しかし、彼女は何かを決意したらしく、真っすぐに明石さんを見つめる。妙に熱を帯びた視線だったのだが。

「わたし、頑張ります」

「そ? なら良し、やっちゃいなさい」

「はっ、はいっ。そ、その、失礼します、お姉さまっ」

「……へ?」

 素っ頓狂な声を上げる明石さんを残し、中華さんは何度も頭を下げ、逃げるように実験室を飛び出していく。

 いや、しかしなるほど、こういう解決方法もあったとは。つくづく明石さんって凄いなあ。

「お、姉さま?」

「何だか慕われちゃったみたいだね」

 僕は気楽に口を開く。こうしてまた死亡フラグを回避したのだ。明石つみきさまさまである。

「……ねえ」

「ん?」

 明石さんはよろよろとしながら椅子に座り、頭を抱えた。

「もしかして私、種を蒔いたのかしら」

 もしかしなくても。君はきっちり騒動や面倒事の種を蒔いたんだよ。

「どうしよう、お姉さまって……しかも、私の地ばれちゃってるし」

「口止めすれば良いんじゃない?」

 多分、あの子なら何でも聞いてくれるんじゃないかな。ただし明石さんに限る、だろうけど。

「あー、やっちゃったー」

 そう言う明石さんの顔は、意外にも明るかった。僕には、彼女のような事はとても出来ない。だって、出会ったばかりの他人にどうしてあそこまで言えるんだよ。挙句懐かれちゃってさ。

「ねえ、明石さん」

 明石さんは机に突っ伏し、顔だけを僕に向ける。

「僕君の事、結構好きかも」

「へえあっ!?」

 今回クリア出来たのは明石さんのお陰だろうが、彼女の取った行動がベストだとは思っていない。実験室の爆発を防ぐだけならば、他にも方法はあったろう。それこそ山のように。

 それでも、僕は明石さんに感謝している。ああ、だって、こんなに素晴らしい出し物は他じゃ見られないじゃないか。

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