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化学実験室〈2〉



 どうして、だとか。なんで、だとか。

 今の僕はその手の言葉を聞き飽きたし、聞くつもりもなくなってきている。

 結果には、必ず理由や原因があるのだ。何が起きたのか分からなければ考えれば良い。それしかない。

 だから、僕は四時間目前の休み時間に起こった事を考えていた。



 僕はいつも通りに学校までの道を行く。すっかり慣れたもので鼻歌混じりにもなっていたり。

 今の僕には車も植木鉢も大した障害にはならない。だけど、正門前の信号で捕まってしまった。ああ、考え事をしながらだから、いつもより早足になっていたのかな。

 しかし、爆発か。ガス爆発。もしかしたら、どこかのガス栓がきちんと閉まっていなくて漏れていたのかもしれないが、いや、そうであっても人為的なのに変わりはない。いったい誰の仕業だろう。

 僕らよりも前にあの部屋を使ったクラスの誰か。もしくは、僕らのクラスの誰か。あるいは先生。あるいは全く関係のない第三者。

 駄目だ、絞れない。

 今のところ、誰が犯人なのか、何故ガスが充満していたのかすら分からない。

 疑うとすれば、僕と明石さん以外の全校生徒。下手をすれば、部外者の可能性もあるんだ。目下、予測も予想も出来そうにない。

「………………」

「ん」

 僕の横に、背の低い誰かが立った。

「……今朝は早いんですね、先輩」

 七篠、か。

 思えば、こいつと会うのも三度目になるんだな。感慨、深くはないか、全然。

「いつもと同じだよ」

「……そうですか」

 七篠は僕に視線を向けず前を見たまま呟く。その視線は多分、何も捉えてはいない。自分以外のモノを射抜くような鋭いものに見えて、その実空っぽなのだ。誰かさんと同じで。

「なあ」

「はい」

「バスガス爆発って言ってみてくれない? 早口で十回」

「はい?」

 僕を馬鹿にするような口調で、七篠は聞き返してきた。

「……先輩、私を馬鹿にしているんですか」

 そんなつもりは毛頭ないけどなあ。

「言ってみただけだよ」

 すると、七篠は目を丸くさせて、初めて僕の方に顔を向ける。

 彼女の髪の毛は相変わらず短く、不揃いだったけど、僕が最後に見た時より、幾分か可愛くなっている気がした。年下の成長って、何だか早く感じられる。

「何?」

「……いえ、失礼しました」

 七篠はふいと僕から顔を反らし、前を向いた。

「先輩が珍しい事を言うものですから」

 僕が珍しい?

「先輩は無駄な事をしない人だと思っていましたから」

「へえ……」

「……変わりましたね、先輩」

 その時、ぞくりと背筋が震える。

 今、こいつはなんて言ったんだ。僕が、変わっただって?

 信号が変わっても、僕は少しの間歩き出せなかった。七篠の足は相変わらず早いから、彼女が一人でどんどん先に進んでいくのを見送る。



 そこから目新しい事は起こらない。前回のリピート。ボールを避けて、一時間目の古典がスタート。

 ……あー、しかし。

「明石さん」

「何よ」

「机、近くないかな」

 うん。いつの間にか、明石さんと僕の机との幅が狭まっていた。必然的に、彼女との距離も縮まっている。

「そう? 気のせいでしょ」

 いや、手紙を使わずにこうしてコソコソ会話出来るまでに近付いているのだから、僕の気のせいではない。

「こ、殺されちゃうよ」

「問題ないわ」

 明石さんは余裕たっぷりに微笑むと(実に嫌らしい笑顔だ)、すっと、綺麗に手を伸ばして立ち上がった。

「先生」

「おう、どうした明石、質問かあ?」

 ポロシャツを着た筋肉質の男性教師は豪快に笑った。

「いえ。教科書を忘れてしまったので、隣の彼に見せてもらいたいんですけど」

 何ぃ!?

「何ぃ!?」

 先生が突然叫んだので、クラス中がざわめく。

「申し訳ありません」

「ま、まあ、委員長のお前でも忘れ物ぐらいはするかあ! よっしゃあ、許可するぞ!」

「……ありがとうございます」

 明石さんはお辞儀をして、再び席に着いた。

「明石ぃ、次からは気を付けろよ!」

「すみません。……声がでかいのよ先公」

 無論、最後の部分は僕にしか聞こえていない。

 明石さんは自分の机を僕の机にくっ付けて、僕の教科書を指で示した。

「ねえ、どういうつもり?」

「別に」

 素っ気無く答えると、明石さんは僕を見てニヤニヤと笑う。

 まあ、致し方ない。僕では明石さんに逆らえないのだ。逆に考えてみるか。この状況はマイナスではなくプラスなのだと。むしろマイナスだけどプラスにしてやるぐらいの意気を持とう。

「ねえ、明石さん」

「何?」

「四時間目の爆発だけど、どうやってクリアするか考えてる?」

 そう、こうやって作戦を練る時間に当てれば良いのである。時間はまだあるし、多分、明石さんは次の授業からも教科書を忘れたと言い張りそうだから、緻密綿密厳密精密な計画を立てられるかもしれないんだ。

「実験室に行かなきゃ良いんじゃない?」

 ……元も子もない。が、一番分かりやすくて簡単である。うーん、保健室を見てみぬ振りしている身としては反対出来ないな。

「でも爆発は起こるんじゃないの?」

「私らが死ななきゃ良いんじゃないの?」

 う。唯我独尊な人だなあ。

「他の人が死んだらどうするつもり?」

「線香でも上げるつもり」

「……それじゃあ困るんだよ」

「何でよ?」

 僕は生き返りチャレンジって特殊過ぎる状況でも波風立てずに、クリアしたあとの明日からも平穏無事に暮らしたいんだ。その為には爆発なんて派手な事は防ぎたい。

「ふーん、あんたって変わってんのね。ま、良いわ。それじゃあ爆発を防ぐ路線でいきましょうか」

「良いの?」

 僕はてっきり、明石さんは自分が生き残る為なら喜んで他者の肉を貪り血を啜り、高笑いしながら他人を崖下に突き落としていくような人だと思っていたんだけど。

「あんた今失礼な事考えてるでしょ」

 ここで頷くほど馬鹿じゃない。僕は出来もしない口笛を吹いて誤魔化した。

「……畜生にも劣る愚鈍な誤魔化し方ね」

「そんな事より、どうやって爆発を防ごうか?」

 明石さんは僕を睨む。僕は顔を反らす。

「考えれば分かるでしょ」

 考えろと言われたので僕は頭を捻ってみた。

 爆発を防ぐには、か。うん、爆発といってもガス爆発なのだから、ガスがなければ前回のような悲劇は起こりえないのである。

 では、ガスを消すにはどうすれば良いのか。四時間目が始まる前には実験室にガスが充満している。ならば窓を開けるなりして換気しながら、どこから漏れているか確認して先生に進言すれば良い。

 つまり、僕たちがやるべきは急いで実験室に行き、ガスを除去する事だろう。

「……違うわ」

 違いますか。

「じゃあ、ガスが漏れる前に原因を突き止める」

「ええ、正解ね。多分、犯人がいるでしょうから」

 ま、考えたくはないのだが、それしかないだろう。

 恐らくは、いや、確実に誰かがあの状況を作り出し、あの結果を望んでいるんだ。

「なら、ガスはいつ流されていたのかを考えよう」

「もしかしたら、今かも、ね」

 いや、それはない。僕は首を振って否定の意を示す。

 明石さんは不満げに眉根を寄せていたが、ふと思いついたように手を打った。反応が古い。

「一時間目からガスが流れてたんじゃ、私でも気付くくらいの量になってるわよね」

 うん。僕はあの時、異臭を微かに感じたんだ。あくまで、微かに。

「だから、二時間目でもないと思う」

「じゃあ三時間目ね」

 それも僕らが来るぎりぎりの、直前の可能性が高い。更に言えば、犯人はあの場に残っていたのかもしれない。死神さんの注意力散漫も理由の一つなのだけど、犯人が僕らと一緒に、木っ端微塵になっていたのなら気付くのも難しそうである。

「三時間目にあの部屋を使っていたクラスを割り出せないかな?」

 部外者よりも内部の生徒を疑った方が手っ取り早い。何より、もし犯人が誰かに見つかったとしても前の授業で忘れ物をしたとか、最低限の言い訳は出来るし、犯行自体やりやすい筈だ。

「一年三組よ」

「……なんで知ってるの?」

 いや、有り難いし頼もしいんだけどさ。

「さあ、なんでかしらね」

 まあ、これで一年三組に的が絞れた。

 そもそも矢を放とうとしている向きが違うかもしれないし、矢を放つ的を探そうとしている事から間違っているのかもしれないのだけれど。

「三時間目の、いつ、様子を見に行くか、だけど」

「休み時間が終わってすぐはどうかしら?」

「いや、間に合いそうにないと思うよ」

 出来るなら犯人が事を起こそうとしているところを押さえたい。

「じゃ、授業の途中で抜け出しましょう」

 えっ……、まさか、それって。ずる、サボりって奴じゃないか。

「何よ、その顔。だってそれしかないでしょう」

「でも……」

 死にたくはない。現場を押さえたい。けど、ルールを破る行為に、簡単には賛同出来ないよ。

「なら、私だけでも行くわ」

「もし、犯人が複数なら?」

「……回りくどい事するような奴に襲われるとは思ってない。けど、もしヤられたら、恨むわ」

「聞きたくはないんだけど、何を?」

 明石さんは悪戯っぽく笑った。あはは、馬鹿だこの人。



 ぼうっとしていると、

「お、そろそろ終わりだな! よっしゃあ、じゃあ号令だ!」

 先生が声を張ったと同時、時計の上に設置されたスピーカーからノイズが漏れた。ああ、きっともうすぐチャイムが鳴る。

「起立、礼」

 明石さんはチャイムが鳴り始める前に、早口で号令を終えた。

「ねーねー!」

「ん?」

 舞子さんが近付いてくる。

「さっきの古典教えてよー!」

 チャイムを物ともしない声量に僕は感心した。

「えっと、僕で良いの?」

「うんうん、あたし、一ヶ月前から古典が苦手なんだよねー」

 まあ、もう何度も繰り返してきた問答ではある。



 二時間目の家庭科、課題を明石さんに任せて、僕は割れたガラスを補修する為、と言うよりは蜂が教室に入ってこないようにする為、ダンボールを調達しに行った。

 付き添おうかと提案してきた明石さんには参った。二人して教室を出て行ったのがばれたら、ねえ?



 そんなこんなで三時間目、である。

「はあ……」

 本当なら僕が一番楽しみにしていた、楽しめる筈の数学なんだけど。ガス爆発を止める為に途中で教室を抜けなければならない。

 正直に言って、色々と気は進まなかった。好きな教科を受けられない事と、途中で授業を抜ける事が重く僕に圧し掛かっている。

 しかも、どうやって授業中に抜けるかに関しては分からない、そもそも考えていないのだ。隣であくびを噛み殺している明石さんは任せろと胸を張っていたけれども、どこまで信用して良いものか。

 今回は、明石さんは教科書を持ってきた、と言う事にしている。机は離れたままだ。非常にありがたい。二時間目までの、細山君の鋭い眼光がようやくになって、なくなってくれた。

 授業よりも先取りして、三十分程度新しい知識の開拓に臨んでいたところだろうか、

「……あっ」

 がたんっ、と。隣からけたたましい物音が聞こえてくる。

 何だろうと思って顔を上げれば、明石さんが床に倒れていた。……そう来るか。

「あっ、明石さん!?」

 クラスメートが心配そうに駆け寄り、明石さんを中心にして輪を作る。遅れてやって来た先生も「大丈夫か」なんてとぼけた声を発した。

「だ、大丈夫です。少し目眩がしただけですから……」

 目眩を起こしただけで、椅子を巻き込んで倒れるかな普通。

「保健委員っ、保健委員を呼べっ!」

「明石さん、死なないで!」

「うああああああああ! つみきちゃああああああん!」

 ああ、ここは普通じゃないのか。

 僕は教科書から目を上げ、教室中を見回す。脱出するには仮病を使って、保健室へ行くと言えばそれで済むだろう。しかし、僕はどうすれば良いんだろう。保健委員でも何でもない僕が保健室まで付いて行くなんて不自然極まりない。

 あ、もしかして、明石さん一人で行ってくるつもりなんだろうか。うーん、楽が出来ると喜ぶべきかな。

「保健委員は誰だあっ、早くしろ!」

「明石さんが死んじゃうじゃない!」

 戦場の様相を呈してきた教室。

 どうやら、保健委員はまだ名乗りを上げていないらしい。それもそうだろう、一歩引いて見守って、決して関わり合いにはなりたくない状況だもんな。

「あ」

 生徒の内の誰かが間抜けな表情で口を開く。

「なあ、保健委員ってさ、敷島じゃなかったっけ?」

 クラス中が水を打ったように静まり返った。

 えと、敷島って誰?

「そういやあいつ、朝に山崎と喧嘩してたな。今頃生徒指導室で説教食らってんじゃねーの?」

 ああ、野球部の片割れ君か。なるほど、そりゃ保健委員の仕事どころじゃないな。

「それじゃあ、誰が行く?」

「早くしないと明石さんが……」

「誰でも良いから早くしろっ!」

 俄かに騒然とする教室を尻目に、僕は黙々と教科書を読み耽っていた。

 その時、肩に柔らかな感触と、申し訳程度の重みを感じる。

 おいおい、まさか。

「……あ、ごめんなさい」

 やっぱり。明石さんだ。彼女は今にも倒れてしまいそうな様子で僕にもたれ掛かっている。とんでもない演技派だな、この人。流石、伊達に中学から猫被っているだけはある。

「あの、このまま連れて行ってもらっても良いかしら?」

「へ?」

 ふと、周りから視線を感じた。そのどれもが、強い敵意である。

『早く連れて行ってあげなさいよ』

『明石さん可哀想。断ったら殺す』

『つみきちゃんに触れるなんて……!』

 聞こえない筈の、怨嗟にも似た心の声が聞こえた気がした。

 行かなきゃ、僕は死ぬ。

「分かったよ」

 僕は立ち上がり、明石さんに肩を貸す。全く、良くやるよ。そして引っ掛かる方も引っ掛かる方だよ。

 背中に刃物と呼んでも差し支えない類の視線を受けながら、僕は明石さんを連れて教室を出る。

「……ねえ、もう良いんじゃないの?」

「馬鹿ね、あんた。他のクラスの前も通るでしょ」

「ああ、それもそうかもね」

 狡賢いというか、抜け目ないというか。

「とりあえず渡り廊下まで行くわよ」

 僕は答えずに歩きだした。有り難い事に、明石さんの体重はさほど負担にならない。むしろ軽い。とりあえず、彼女に指示された通り、渡り廊下まで肩を貸す。

「ほら、もう良いでしょ」

「…………なーんか投げやりっつーか、反応に乏しいわね」

 いつも通りだと思うんだけど。

「折角女の子と密着してたってのに。つまんない奴ね」

「えーと、ごめん?」

「謝られてもムカつくだけよ。さて――いるわね」

 明石さんは渡り廊下の端を渡らずに、堂々と真ん中を進む。彼女は外から見える実験室の様子を注意深く観察していた。

 歩きながら、僕も彼女に倣い、実験室を眺めてみる。なるほど、確かに実験室には生徒がたくさんいるな。一年生だからか、どうにも幼く見えるというか、ぎこちない感じである。まあ、遠目からだし、窓越しなのであくまで感じではあるのだが。

「あの中に犯人がいるのね」

「いるかもしれない、だよ。可能性が高いだけだからね」

 しかし、ここからどうするんだ。教室を見ているだけじゃ分からないし何も出来ない。かと言って教室に乱入する事は好ましくないだろう。

「明石さん、どうするつもりなの?」

「近くに隠れるわよ。さすがに、犯人だって他人の目があるとこでガス栓捻らないでしょうし」

 それはどうだろうか。一理あるが、ガスを撒き散らすような危険人物に僕らの常識は通用しない気もする。だけど、今は様子見が一番の選択肢だな。僕は頷き、校舎に入っていった明石さんに続いていく。

 授業中だから当たり前なのだが、校舎の中は静かだった。こちらの棟には実験室だとかの特別教室ばかりなので、人の気配がそれほどしない、時折実験室から先生らしき人の声が聞こえてくるのみ、である。

「何してんの、行くわよ」

 行くって、どこに?

「実験室の近くよ。ドアに聞き耳立てても良いんだけど、バレたら面倒だから……そこの階段にでも隠れときましょ」

 階段か。隠れるとは言うが、身を隠せる場所は殆どない。尤も、授業中なので誰とも会わないだろうから、大丈夫と言えば大丈夫だろう。

「具体的にはこの後どうする気?」

 僕は階段に腰掛け、僕の二段上に座る明石さんへ声を掛ける。勿論、振り向かないし上は見ない。見ないぞ。

「とりあえず、あそこから一年生が出ない限りは手出し出来ないわ」

 そこは僕と同意見らしい。

「うーん、ただ待つってのもなあ」

「ゲームでもしましょうか」

 こんな時にゲーム? いや、明石さんの事だ。何か考えがあるのかも――

「良し、王様ゲームやるわよ」

 ――うあー。

「イヤだよ」

 それって大人数でやるものじゃないか。二人しかいないし、第一、僕はあの手のゲームが好きじゃない。

「じゃあ女王様ゲーム」

「もっとイヤだよっ」

 響きだけで吐いてしまいそう。僕がずっと明石さんの言う事を聞かなきゃならないじゃないか。

「私の為に骨ぐらい折りなさいよ」

「言葉の意味そのままでしょ、それ」

 多分儲けは発生しない。本当に骨を折るだけっぽい。

「じゃあどんなゲームが良いってのよ」

「僕が悪かったよ。ゲームは止めにしよう」

 何をされるか分かったものじゃないからなあ。

 明石さんは唇を尖らせて、頬を膨らませている。実に似合わない。

「つまんない奴ね」

「……分かった、付き合うよ。何が良いの?」

「本当? じゃ、マトリョーシカごっこね」

 凄く嫌な予感。マトリョーシカってロシアの土産物だったっけ。あの、金太郎飴みたいな感じの。

「一応聞いておくけど、どういう風に遊ぶの?」

「服を一枚ずつ脱いでって、全裸になったらマトリョーシカか、好きな人の名前にハラショーを付けて叫ぶの」

 病院に行く事をお勧めしたい。そんなの遊びじゃなくてイジメだよ。

「絶対にイヤだ」

「えー、見てる方は面白いのに」

 そりゃそうだろうよ。



 馬鹿な事を話していると、実験室の扉が開いた。僕らは教室から出てくる生徒をやり過ごす為、急いで階下に行き、聞き耳を立てる。

「チャイムは鳴ってないよね」

「移動教室だから早く終わったんじゃない?」

 ああ、どうやらそれっぽいな。一年生の会話からは「ラッキー」だとか「楽」だとかの言葉が窺える。

「もう少し様子を見てから行くわよ」

 了解。僕は軽く頷いてみせる。

 やがて、五分は経った頃だろうか、人の声も気配もすっかり鳴りを潜め始めた。幸いにも僕らに気付くものは誰もいない。

「覚悟は良いわね、行くわよ」

 出来る限り足音を忍ばせていく。何だか悪い事をしているみたいだ。いや、授業を抜け出してるんだから、悪いに決まってる。

 律儀にも、実験室の扉は閉まっていた。

「鍵は掛かってないわ」

 そう言うと、明石さんは躊躇せずに引き戸を開ける。委員長モードではないのでえらく乱暴な手つきだった。

「え……?」

 声を漏らしたのは僕じゃない。明石さんでもない。

「あんた、何してんの?」

 線の細い女の子だ。彼女はこちらに視線を向けて顔を青くさせている。ちなみに、全く知らない人、初見であった。

「え、あ、あの……」

 教室の隅の机、その近くにしゃがみ込む女の子の視線は泳ぎまくっている。決して僕たちと目線を合わせない。声は震えているし、心なしか体調も悪そうだ。

 ああ、まるで悪戯のバレた子供みたいじゃないか。

「ここで何してたかって聞いてんのよ」

 明石さんは相手が一人だからか、強気な口調である。足をずんずん踏み出し、女の子へ近付いていく。

「わっ、わたし、何も……」

 してる。確実に。

 ま、授業中に部外者が入ってきたので驚くのも無理はないが、彼女はまず侵入者である僕らを責めるべきだった。心のどこかで罪の意識を感じている、かどうかは知らないが、恐らくは、どう誤魔化すのかで頭が一杯なんだろう。だから、当たり前の行動を取れない。本来責めるべきは女の子なのに立場が逆転している。起因原因要因は然り、だ。

「わ、わた、わたし……」

 吃り過ぎ。勝手ながら、自他共に認めよう。名も知らない女の子、君が犯人だ。

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