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すずめばち

 二時間目と三時間目の間の休み時間。

 十分と言う短い時間だけど、クラスの皆はお喋りに花を咲かせたり、予習をしたり復習をしたり別のクラスに遊びに行ったり用を足しに行ったりしている。

 僕はと言えば、いつも通り、次の時間の教科書に目を通しているだけだ。正直、予習とも言えない。数学はある程度理解しているつもりだから、真剣に読める筈もなく、教科書の内容は頭に入ってこない。

 それでも時間は潰れてくれる。僕の与り知らぬところで進んでくれるのだ。こんなに嬉しい事はない。もっと、もっともっともっともっと早く進んでくれれば良いのに。僕が気付かない内に二十四時間経っちゃえば良いのに。

「ねえ」

「何?」

 僕を呼んだのが明石さんだったので、あえてそっけなく応じた。

 細山君に目を付けられちゃたまったもんじゃないからなあ。

「今のところ良い調子じゃない? 三時間目なんて数学よ、何も起こる筈ないわ」

 その点に関しては同意せざるを得ない。

「適当にやっときゃ一時間なんてすぐよ、すぐ」

「そうだね」

「……ちょっと、何でそんな適当なのよ」

 そう言われても困る。と言うか、明石さんに話し掛けられるだけで困るのだ。

「細山君」

「あいつならいないわよ。トイレに行ったんじゃない?」

「いつ戻ってくるか分からないよ」

 明石さんは眉間に皺を寄せて僕を睨んだ。

「じゃあ、私とは話せないって事じゃない」

「出来る限り話したくないんだ」

 話なら、向こうで嫌と言うのも嫌になるくらい出来る。

「……へえ、あの子とは楽しそうに喋るくせに」

 あの子? ああ、ああ、舞子さんの事か。

「彼女は細山君の好みじゃないからね」

「それじゃ、あんたの好みって訳?」

 何故そうなる。

 細山君の好みじゃない人が僕の好みの人だって? 明石さんって実は頭が良くないのかな。学校の勉強は出来るけどそれ以外はからっきしだったり。

「好みじゃないし、嫌いでもないんだ。舞子さんからは必要な話も聞けるしね」

「利用してるんじゃない。最低ね、あんた」

 利用してるのかと言われればそうかもしれない。

 だけど、僕は少し違うと思った。何故なら、利用するだけならもっと御しやすい人を選ぶだろうから。

 そして舞子さんは御しやすい人ではない。彼女の行動も思考も、僕は満足に読めない。僕には何一つ、彼女の言動の予測が付かない。

 思えば僕は学校に着いてから舞子眞惟子に振り回されてばかりな気がする。

 それなのに、拒絶出来ない。以前の僕なら一も二もなく聞こえてない振りをして無視するか、相槌を打って受け流すか、やんわりと人付き合いを拒否していただろう。

 じゃあ、どうしてだ? 話を聞きたいなら別の誰かでも良い筈だ。それこそ細山君でも構わない。なのに、僕は舞子さんと……。

 ……僕は、舞子さんが好きなのか?

「分からないよ」

 似合わないな、僕にはこんなの。

 色恋沙汰に疎い奴が考えるだけ無駄だろう。

「あっ、そ」

 明石さんはつまらなさそうに僕から目を反らし、教室の時計に目を遣った。

 それに倣い、僕も時計を見遣る。時刻は十時三十七分。あと三分で授業が始まる。

「きゃああっ!」

「えっ?」

 突如聞こえてきた悲鳴に、僕は驚いてしまった。なんだ、またボールか?

「……蜂」

 明石さんが呟く。

 声の聞こえてきた方に目を向けると、グラウンド側の生徒数名が席から立ち上がり右往左往、軽いパニックに陥っていた。

 更に良く見ると、割れたガラスの隙間から黄色くて黒い何かが入り込んでいる。なるほど、蜂か。

 刺々しい警戒色に身を包んだそれは、教室内を気ままに飛び回っている。

 羽音が耳朶を打ち、やけに耳障りだ。

 僕は騒ぎ回るクラスメートをよそに教科書を広げる。

「ちょっとあんた、少しは焦りなさいよ」

「ああいうのは動くものに襲い掛かるんだよ」

「いや、そうじゃなくてっ」

 どうしたんだろう、明石さんらしくない焦りぶりだな。たかが蜂じゃないか。それとも彼女は虫が苦手なのだろうか。

 尚も、教室からは騒乱が収まる気配が見えない。ホームルームでの時間が帰ってきたようで、実にやかましい。

「やばっ」

 明石さんは席から立ち上がり、またもや掃除用具入れに向かった。

 何をするつもりだ?

 明石さんは箒を引っ掴み、天井付近を飛んでいる蜂を強く見据えている。

 そのまま、彼女は蜂が降りてくるタイミングを見計らって箒を振り下ろした――ってまずいよ!

「明石さんっ」

 僕は思わず叫んでしまう。あの蜂は、ただの蜂じゃない。あの大きさ、アレはもしやスズメバチではないだろうか。そうだとしたら、刺されちゃひとたまりもないぞ。

 そんなの、明石さんなら分かっているだろうに。蜂ってのは攻撃的で獰猛だ。どうして、彼女は自分から狙われるような真似をするんだよ。

 大きめの蜂は箒を避けたものの、気分を害してしまったらしい。羽音を立てながら、明石さんの周囲を威嚇するように旋回し続ける。

 このままじゃ本当に危ないぞ、誰か助けてやらなきゃ。細山君、今がチャンスだっ。バタフライナイフで蝶のように舞い蜂のように蜂を刺せば、明石さんの君に対する評価は鰻登りだよ!?

 でも細山君は教室の隅でがたがたと震えている。おい。人間は殺せるのに虫一匹にはその態度なのか。僕が浮かばれないぞ。浮かぶつもりないけど。

 そして今浮かびそうなのは明石さんである。彼女は蜂に負けず劣らずの攻撃性を剥き出しにしていた。

 そんなの、君には似合わないのに。

 もっとスマートに構えていれば良いんじゃないか?

「……あっ」

 全身に怖気が走る。

 割れた窓から、二匹目の蜂が入ってきたのだ。そして、明石さんは気付いていない。

「明石さん、後ろ!」

「え?」

 女子生徒の声に明石さんが反応するも、もう遅かった。



 僕はとてもじゃないけど、明石さんを見る事が出来なかった。

 彼女は結局蜂に刺され、激痛に悶え倒れたのである。数分もしない内、痙攣を繰り返して呻くのもやっとという有様だった。

 ……今は三時間目の途中。明石つみきが救急車に乗せられてからどれくらい経っただろう。

 酷く、不様だった。

 哀れみを通り越して怒りすら覚えそうになる。危険なのが分かっている筈だろうに、蜂に対して箒を振り回し、優等生、委員長の肩書きも消えた。泡を吐き、涙を流して痛みに喘いだ彼女は明日からどんな目を向けられる?

 人様の悪口を言うのは好きじゃないが、言う。言うぞ。

 馬鹿だよ、明石つみき。

 もう先生の話なんて耳にかすりもしない。今はただ、彼女の無事を、生き返りチャレンジの継続を祈るのみである。

 目を瞑り、ゆっくりと息を吐き出していく。見回すと、ああ、教室中はお通夜みたいな雰囲気を醸し出していた。やめてくれ。彼女はまだ死んじゃいない。

「……う」

 ああ、でも、そうか。

 どうやら駄目だったらしい。僕の意識は薄れていく。

 ははっ、そりゃそうか。この世には神も仏もいるんだろうからな。きっと僕らを見て、指差して笑ってる。くそ。

 いったい僕は、何に対して祈ってたんだ。恥ずかしい、悔しい、悔しいよ。折角上手くいってたのに。自分たちだけで頑張ってきたのに……なんで、僕は祈りなんて捧げようとしたんだ。

 あっちの世界に連れていかれる寸前、僕は最期の力を振り絞って、叫び散らしてやった。

 案外、大声を出すのは気持ち良いものである。



 目を開ければ、ここは。

「かー、良いとこまで行ってたってのによー」

 残念そうな死神さんと、俯いて今にも泣きだしてしまいそうな明石さん。

 僕は明石さんに掛ける言葉が分からない。

「死神さん、今回の原因は?」

「パッツンが蜂に刺されて死んじゃいましたとさ。だらしねーな、蜂ぐらいなんだってんだ」

 日本じゃ、蜂による死亡者は少なくない。それこそ蜂の毒というのは蛇や熊よりも恐ろしいのだ。

 だから、いや、だからと言って仕方ないとは言わせたくない。今回は避けられた筈なんだ。明石さんが無闇に蜂を刺激しなければ、死ななくて済んでいたのである。

「明石さん、僕がなんて言いたいか分かる?」

 明石さんは肩を少し震わせた。僕に怯えている訳じゃない。さっき経験した死への恐怖か、僕に対しての罪悪感、そんなところだろう。

「……詰ってくれて良いわよ」

 違う。詰るつもりも罵るつもりも、罵倒する気すら起こらない。

「どうして、あんな事したの?」

「別に理由なんてないわよ」

 嘘だ。

「明石さん、僕は君を高く評価してるんだ。頭が良いだけじゃない、空気も読める、状況判断にも優れている、生き返りチャレンジなんてふざけたものに対する適応力もある。明石つみきには力がある。全てにおいて僕より優れている」

「あんた、何言ってんの?」

「明石さん、正直に言ってしまえばね、僕は君に嫉妬しているんだ。涼しい顔で何でもやってみせる君が、羨ましくて仕方ない」

 明石さんは僕の真意を探ろうと、強く見据えてきた。

「なのに、そんな君があんなくだらない事で死んでしまうのが、僕には不思議に思えて仕方ない。蜂、蜂だよ? 箒を持って注意を引いて、挙句敵意を買って刺されて死ぬ。……言っちゃ悪いけど、涎と鼻水を垂れ流して喘ぐ君は凄く不様だった」

 そんな明石さんを見たくなかった。

「……なあ、どうして? どうしてあんな事をしたんだよ?」

 教えてくれ。優等生である君を凡人足らしめた要因とは、何なんだ?

「私は……」

 明石さんは相変わらず俯いたままである。だけど、僕に答えようとしていた。

 僕はじっと待つ。良いさ、時間はまだまだある。僕らが諦めない限り、だけれど。

「私ね、昔、蜂に刺された事があるの」

 ぽつぽつ、と。

「小学校、五年生ぐらいの時だったかな。遠足で山に行ってさ。その時に刺された」

 僕は何気なく死神さんを見遣った。

 目が合った死神さんはノートをめくり、ゆっくりと頷く。

 どうやら本当の事らしい。

「アナルファクシーって奴だな」

 死神さん自信満々だけど違うからそれ。多分、アナフィラキシーの事か。

 確か、生死に関わるアレルギー反応、みたいな、感じだったっけ。

 ふうん、そうか、明石さんは今回が初めてじゃなかったんだ。

 道理で。利き過ぎてると思ったよ。

「その時の私は笑っちゃうくらい愚図で、頭も良くなかったし、運動だって殆ど出来なかった。他人との付き合い方だって、全然分かんない駄目な奴だったのよ」

 ……信じられないな。今の明石さんとは全く正反対じゃないか。

「遠足のグループ分けも私だけ仲間に入れてもらえなくて、仕方なーく、お情けで入れてもらってたの。だから、一生懸命頑張った。疲れたって言う子の荷物を持ってあげたし、皆にお菓子も分けてあげた。小学生に出来る限り、思い付く限り尽くそうとした」

 明石さんは地面を見つめながら、声を絞りだす。

「少しぐらいは距離が縮まったかなーって、子供ながらに思ったりね。あはは。でも、帰る間際の自由行動になって、私は見捨てられた」

 底冷えするような、何もかもを諦めたような、その手の暗い感情をぶつけられてしまい、僕は少しだけたじろいだ。

「私たちのグループは山の、ちょっと奥まったところまで行ったの。そこで、一人の男子が蜂の巣を見つけて、棒で突いたりしてちょっかいをかけた」

 小学校も五年生になれば、それが危険な事だと分からないのだろうか。いや、分からないからこその、今の明石さん、か。

「ま、勿論巣を守るために蜂が出てくるわよね。皆先生のところまで必死に走ったわ。のろまな私も必死になって逃げた。だけど、所詮は小学生よね。すぐに追い付かれちゃって、私は、足を引っ掛けられて転んだ」

 僕は相槌すら打たない。

「ガキなりの知恵ね。一番どうでも良かった私を囮にして助かろうとしたのよ。で、悔しい事にそこそこ上手くいっちゃった。大半の蜂が私に群がり、数えられる程度の蜂が私以外の子を追い掛けた。逃げてった子たちも刺されたかもしれないけど、私ほどじゃあない筈よ」

「……刺されたって、どれくらい?」

 明石さんは口角を吊り上げて、愉しそうに僕を見つめる。その瞳からは何も感じられない。

「――見る?」

 彼女が服を脱ごうとしたので、僕は首を横に振った。見なくても、大体分かってしまったのである。

「……悔しかったわ。悲しかったし腹が立ったし、私を切り捨てた奴を殺したいとも思った」

 そりゃ、そう思うのも無理はないか。

「でもね、一番殺したかったのは私自身よ。私は、私が一番嫌いだったわ。だって、もし私がどうでも良い奴じゃなかったら、あんな目には遭わないで済んだのよ。頭が良かったら、足が早かったら、皆に人気があったら、私は……」

「それは……」

「仕方なくないわ」

 う。言おうとした事が読まれてる。

「私が悪かったのよ。頭が悪いのは罪だわ。運動出来ないのも空気が読めないのも、何も出来ない奴が悪いの。切り捨てられるのも何もかも、自業自得よ。愚鈍は、罪なんだから」

 あー、身に染みるなあ。

 だからあんなにも、彼女は僕に怒っていたのか。

「それから私は自分を変えようとしたわ。知識を増やしたくて本を読んだ。難しい言葉は辞書を引いて調べた。運動出来るように毎日走った。嫌だったけど、筋肉も少しは付けたわ。自己啓発のセミナーにも行った。カウンセリング受けて、色んな人と色んな話をした」

 ああ、羨ましい。

 自分を変えたいと思う人間は数いれど、変えようとした人間はそう、いない。

 そもそも、僕は変えたいとも思った覚えがなかった。だから、羨ましくて、それ以上に嫉ましい。

「そう簡単に効果は現れなかったけど、私は耐えた。そしたら、県下でもトップクラスの中学に合格したわ。あはは、思ったよりも簡単だった。友達が欲しくて入ったテニス部、ダブルスで優勝したわ。シングルスでも優勝しただろうけど、あはは、思った通り簡単だった。人付き合いも何もかも上手くいったわ」

 自慢話……? いや、違うな。なら、明石さんはどうして泣きそうなんだ。

「今までの惨めな私が、嘘みたいだった。あの日、蜂に追い掛けられた私はもうどこにもいない」

 ――あ、私立?

 そうだ。県下でもトップクラスの中学に通っていて、どうして今はここにいるんだ?

 僕の通う学校は、何の取り柄もない僕が通えている事から推して知るべしのレベルである。特に秀でた者はいないし、性格には問題ありでも目に見えての問題児はいない。普通だ。普通極まりない。

 そんな学校にどうして彼女が通ってるんだ。

 って、何となく分かっちゃいる。

 愚鈍だった自分を変え、新しい自分に変わった。頭も良く、運動も出来、皆に好かれる委員長。

 でも、だからこそ。

「……でも、怖かった。いつか、本当の私が愚図だって、愚鈍だってばれちゃうんじゃないかって」

 彼女は耐えられなかったのだ。

 猫を被り続けられなかった。

 嘘の自分を演じ続けられなかった。

 だから、ここへ、僕の通うようなレベルの低い学校にまで、わざわざ来たのだろう。自分のことを知っている者が殆どいない場所へ、知らない場所から知らない場所へ。もう一度猫を被る為に、嘘の自分を演じる為に。まるで指名手配犯だな。

「結局、僕にはばれちゃったみたいだけどね」

「うっさいわね」

 あ、怒ってる。だけどまだ空回りって感じだったり。

「……だから、蜂が怖いのよ。アレを見たらどうして良いのか分からなくなっちゃう」

 恐怖に支配された人間の取る行動は、概ね二つ。

 追い詰められるまで逃げるか、追い詰められて抗戦するか、だろう。

 明石さんはあの時、蜂に戦いを挑んだらしい。ふーん。

「ま、理由は分かったよ」

「ちょっと、上から目線で話し掛けないでくれる?」

「仕方ないだろ。僕の方が背が高いんだから」

「そういう意味じゃないわよっ」

 人には色々あるんだな。猫を被るのにも理由があったって事か。コンプレックスだったり、フォビアだったり。

 でも、我慢してもらう。

「明石さん」

「何よ?」

 明石さんは目を合わしてくれなかったが、少しは元気になってくれたらしい。声にいつものキレが戻りつつある。うんうん、良い傾向だな。

「蜂を見ても、あんな事はもうしないで欲しいんだ」

「…………分かってるわよ。言ったでしょ、同じ轍は踏まないって」

 とりあえず信じておこうか。

「分かった。大丈夫、もう少し休憩する?」

 明石さんは顔を真っ赤にして俯く。

「馬っ鹿じゃないの?」

 が、彼女は勢い良く立ち上がり、スカートを叩く。

「今の話、全部嘘だからね」

 はい?

「……あ? パッツン何言ってんの?」

「嘘だって言ってるでしょ! ほらっ、さっさと次行くわよ!」

 僕と死神さんは顔を見合わせ、仕方なさそうに苦笑した。



 僕は今回で何回目のチャレンジだろう。

 いつも通りに学校までの道を行く。すっかり慣れたもので鼻歌混じりにもなっていたり。

 今の僕には車も植木鉢も大した障害にはならない。だけど、正門前の信号で捕まってしまった。ああ、いつもよりかなり早足になっていたのかな。

「………………」

「ん」

 僕の横に、背の低い誰かが立った。

「……今朝は早いんですね、先輩」

 声まで掛けられてしまう。誰だろうと顔を向ければ……ああ。

 平たく言えば、そいつは僕の幼馴染だった。一つ下の女の子、である。

「久しぶり」

 彼女の名前は七篠歩。僕が家族以外で名前を覚えている、数少ない知人の一人だ。

「…………声、掛けてくるんですね」

 七篠は僕に視線を向けず前を見たまま呟く。その視線は多分、何も捉えてはいない。自分以外のモノを射抜くような鋭いものに見えて、その実空っぽなのだ。

 彼女の不揃いなショートカットが風に揺れ、車が一台通り過ぎていく。

 こうして出会うのは、二度目か。七篠にとっては一度目だろうけど。

「掛けちゃ悪かったかな」

「別に」

 あ、しまった。これじゃ前回と全く同じである。

 と、言いつつ。七篠から聞き出すべき事なんて特にないんだよな。別段、仲良くする必要なんてないし。

「なあ、蜂って好きか?」

「……蜂、ですか?」

 ま、折角会ったんだ。無視して行くのもつまらない。

 七篠は僕の、意味のない質問を真剣に考えているようだった。

「私は、好きでも嫌いでもないです。刺されるのは嫌ですけど」

 何となくだけど、お前ならそう言うと思っていたよ。

「……先輩は?」

「ん、僕は……嫌いだな」

 そう言うと、七篠は少しだけ目を見開く。

「珍しいですね」

「何が?」

 信号は、もうすぐ変わりそうだ。

「……先輩が好き嫌いをはっきり言う事が、です」

 そうだったっけ?

 そうだったか。

「ふーん」

 信号が変わり、僕はあえて歩幅を狭める。七篠の足は相変わらず早いから、彼女は一人でどんどん先に進んでいった。



 意識してゆっくり歩いたからか、玄関に着くと舞子さんと出会った。いつもより早く着いた感覚だったのだけど、まあ良いや。わざわざ違った行動を取る必要はない。



 そこから目新しい事は起こらない。前回のリピート。ボールを避けて、一時間目の古典がスタート。

 ……あー、しかし。

 当たり前なんだけど、前と同じ授業内容なんだよね。まずい。退屈だ。全然面白くない。いや、一度聞いた事だから仕方ないのだけれど。

 ただ、ノートは真っ白なので板書だけ写していく。うーん、前々回は張り切って真面目に受け過ぎちゃったな。

「……ん」

 授業も半分を過ぎた頃、隣からゴミが飛んでくる。丸めた紙だった。

 あ、違う。ゴミじゃない。これは手紙だ。

 僕は隣の明石さんを見る事無く、手紙を開く。

「あれ?」

 思わず、隣に目を遣ってしまった。明石さんは目を反らし、いかにも優等生然とした調子でノートを取っている。

 しかし、これ、どういう意味だ?

 僕はためつすがめつ手紙に書かれた、短いメッセージを読み返す。

『ありがとう』なんて言われても困るんだけどなあ。

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