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教室〈3〉

 僕は決して、優しくないだろう。

 僕は決して、厳しくないだろう。

 何故なら、他者にそうした事がないからだ。

 優しくした事も、厳しくした事もない。

 優しくされた事と、厳しくされた事ならあるが。

「ねえ、あんたって本当に二百回もループしてんの?」

「ああ、本当だよ」

 僕が明石さんにポイントを譲ったのにはれっきとした理由がある。

 それは彼女の事を可哀想だと思ったからでは、決してない。

 今、僕は詰みに近い状況に追い込まれていた。

 教室でのデッドエンドを回避する為には、グラウンドから飛び込んでくるボールを避けなければならない。

 だけど、僕が避ければ、避けたボールに当たって隣の明石さんが死ぬ。彼女が死ねば、僕は細山君に殺されてしまう。

 じゃあと、明石さんを助けようと接触を試みれば、やっぱり僕は細山君に殺されてしまう。あと明石さんも死んじゃう。

 正直に言ってしまえば、僕は明石さんが死のうが死ぬまいがどっちでも構わない。

 ただ、それだと僕は細山君から恨みを買ってしまう。

 僕は生き返ったあとも平凡に、今までと同じように暮らしたい。波風を立てないよう、慎重にチャレンジをクリアしたいのだ。

 だから、明石さんにポイントを譲って、生き返りチャレンジを受けさせたのである。

「へー、信じられないわね。でも二百回って。相当駄目なのね、あんた」

 ほっといてくれ。

 ……教室での死を乗り越える為には、僕も明石さんもボールを避け、尚且つ僕は明石さんと接触しない事が必要なんだ。

 普通なら、無理。

 前にも言われたけど、『今からボールが飛んでくるから、気を付けてくれ』なんて言われても、大抵の人なら危ないのはボールじゃなく僕だと思うだろう。つまり、僕は明石さんに自力で助かってもらうしかなかった(けど、何度やっても無理だとは思う)。

 違う。

 今回は違う。今回からは違う。

 何故ならば、明石さんはもう知っている。

 グラウンドからボールが飛んでくる事も、僕らが細山君の手に掛かると言う事も、生き返りチャレンジの事も何もかも。

 だから、彼女は自分の力で助かれる。

 だから、僕は彼女に点を与えた。全て、自分の為である。

 事態の打開と、それと、少しばかりの人恋しさが僕の背中を押したのだ。

「よっしゃ、んじゃ説明も大体終わったろ? あとはやるだけだ。準備は良いな?」

「ええ、問題ないわ。二十四時間過ごせば良いんでしょう?」

 その通り。だけど、それが難しい。

「おっしゃ、じゃ、チャレンジ再開な。せーぜー頑張れ」

 難しい。

 それはとても難しい事なのだ。

 一人でなら難しい。じゃあ、二人でなら?

 僕はまだ気付いていなかった。

 やっぱり、一人で難しいなら、もう一人増えたところで簡単になる筈がないのだと。

 そして、味方が増える分、敵も増えるのだと。



 目覚まし時計の鳴る五分前に目が覚める。いつもの事だ。

 僕はゆっくりと身を起こし、布団を跳ね除けベッドから立ち上がる。

「さて」

 もう、手の甲にはヒントが書かれていない。僕が生き返りチャレンジに慣れた証拠だ。

 ポスターも貼られていない、カレンダーも掛けられていない白い壁。本棚が二つ、一つは中身が空っぽ。捨てるのも面倒だからそのまま置いてある物だ。あとは、タンスと小学校からの勉強机。テレビはあるが滅多に見ない。テレビゲームも携帯ゲームもやらない。音楽も聞かないから、CDの一枚だって存在しない殺風景な部屋。

 気付いた。

 この部屋と、あの世界。

 どこがどう、違うのだろうと。



 顔を洗って、制服に袖を通して階下のリビングに行く。

 朝食はトーストだ。バナナを食べたら食中毒で死んで、たまにはお米を食べようと思い、冷蔵庫にある冷やご飯をレンジに入れたら爆発して死んだからである。



 八時十分。

 ニュース番組を流し見てから、僕は家中の戸締りを確認する。窓の傍に立つと春の陽光が瞼に降り注いだ。うーん、少し眠たい。

 靴を履き、玄関の鏡で身嗜みを確認して、ドアを開ける。眩しい。

 もうヒントは要らない。

 この先の角を曲がれば青い車が僕に襲い掛かる。

 だから僕は、少しの間民家の塀に背を預け、今後の事について考えた。

 考えていたら――あれ? なんだ、この感覚……?

 足先から力が抜け、がくりと地面に膝を付く。

 まさか、また心臓病?

「いや……」

 違う。胸が苦しくない。少しだけだるくなっただけだ。そう、これはまるで、まるで。

 死後の世界に戻る時の、感覚だ。



 目を開ければ真っ白い世界と、真っ赤な顔をしているであろう死神さんと、真っ赤な顔をした明石さんがいた。

 どうやら、二人は言い争っているらしい。

「……うーん」

 僕は少しだけ考え、寝た振りをした。

 二人の口喧嘩の内容から、どうやら死神さんが明石さんの失敗を詰っており、明石さんがそれに対して反論しているらしいと推測する。

 ここへ戻されたって事は生き返りチャレンジに失敗したって事だけど、今回は僕が失敗した訳ではないようだな。失敗したのは、明石さんだったらしい。

 ふーむ。

 つまり、僕が死ななくても明石さんが死んでしまっては駄目なのか。

 チャレンジの参加者の内、一人でも死んでしまえばそこで挑戦は終わり。強制的に終わらせられる、か。

 足を、引っ張られたらしい。

「私はまだ一回目だったんだから、仕方ないじゃない」

「仕方なくねーよボケ! とんだお荷物だぜてめーはよう!」

 ごめん明石さん。僕が言える事ではないのだけれど、今だけは死神さんに賛成だ。

 しかし、このままでは聞き苦しいし、何より事態が進展しない。

「落ち着いてください」

 僕は体を起こし、二人の間に割って入った。

「あの、明石さんはどうして死んだんですか?」

 明石さんは「死んだ」と言う言葉に反応して、少しだけ肩を震わせている。ああ、やっぱり怖かったんだろうな。

 僕は彼女から答えを得るのは難しいと悟り、死神さんに顔を向けた。

「へっへっへっ。聞いて笑って見て笑え、記念すべきパッツンの一回目の死因だ。こいつはな、ベランダに干してあったパンツが風で飛ばされそうになって『きゃあ、だめえ』とか言いながら身を乗り出して地面にバーンってなって死んだのさ」

「うわー、間抜け過ぎる」

 いや、初めてだから誰にでも失敗はあります。次から頑張りましょう!

「……あんた、本音と建前が逆になってるわよ」

 あれ?

「まあ、良いわ。失敗したのは私の責任だし」

 明石さんは顔を真っ赤にしながら、僕たちから顔を背けた。

 完璧な委員長とは言え、流石にあんな死に方じゃ恥ずかしいのかな。

「それより、何なのあの世界? 本当に私たちの世界なんでしょうね?」

「おー、そうだよ。その点に関しちゃ抜かりねー。ただ、お前らが世界とやらに嫌われてるだけだ」

「嫌われてる?」

「ま、直に分かるだろうぜ」

 僕は、その事については黙っておく。

「明石さん、何とかなりそう?」

「問題ないわ。私を誰だと思ってるのよ?」

 うん、大丈夫そうだな。僕とは違って彼女にはしっかりと、向こうでも生き返りチャレンジの記憶が残っているらしい。

 ホント、僕とは大違いだ。

「同じ轍は踏まない。良いから、早く二度目に行きましょう」

 僕はもう二百を超えてるのだけど。

「あの世界は僕らの知ってる世界だけど、もっと気を付けた方が良いよ」

「……あんたに言われなくても分かってるわよ」

 明石さん、やたら不機嫌である。まあ、仕方ないか。

「おっしゃ、んじゃ飛ばすぞ」

 僕と明石さんは死神さんの言葉に頷き、再度、チャレンジに挑んだ。



 目覚まし時計の鳴る五分前に目が覚める。いつもの事だ。

 僕はゆっくりと身を起こし、布団を跳ね除けベッドから立ち上がる。

「さて」

 もう、手の甲にはヒントが書かれていない。僕が生き返りチャレンジに慣れた証拠だ。



 顔を洗って、制服に袖を通して階下のリビングに行く。

 朝食はトーストだ。バナナを食べたら食中毒で死んで、たまには朝食を抜いてみようとしたら何故かテレビが爆発して死んだからである。

 ……時間は過ぎて八時十分。

 ニュース番組を流し見てから、僕は家中の戸締りを確認する。窓の傍に立つと春の陽光が瞼に降り注いだ。うーん、少し眠たい。

 靴を履き、玄関の鏡で身嗜みを確認して、ドアを開ける。眩しい。

 もうヒントは要らない。

 この先の角を曲がれば青い車が僕に襲い掛かる。

 だから僕は、少しの間民家の塀に背を預け、今後の事について考えた。

 まず考えるべきなのは明石さんが戦力になるかどうかだろう。くそう、死神さんのミスだなんて、僕にはどうしようもない、想像しようもないアクシデントだった。

 明石さんは今のところ、僕が細山君によってもたらされる死を回避する為にしか機能しない。

 だけど、彼女は非常に優れている。頭も良いだろうし、状況をすぐに理解出来、生き返りチャレンジにおいて一番のネックであろう記憶の持ち越しについても問題はなさそうだ。

 よって、今は彼女についての評価を決定出来ない。が、少なくとも僕よりは大いに優れている。僕は彼女に対して辛うじて経験だけが勝っている。このアドバンテージを利用して、明石さんに手綱を握られないようにしなければ。

 ある程度考えを纏めていると、けたたましい排気音が僕の傍を通り過ぎていく。

 良し、行こう。



 学校の玄関に辿り着き、舞子さんと会話を交わしながら教室の席に着く。

 舞子さんと他愛ない事を話ながら、僕は隣に一瞥をくれた。

 明石さん、朝早いんだな。と言うか、二回目にして学校の教室かよ。あっという間に僕に並んでいる。

 ……やり切れないなあ。

 そう思いつつ、中々に明石さんが頼もしく見えた。

「あは、どしたの?」

「や、何でもないよ」

 明石さん、僕の方を全く見ない。記憶は……あるんだろうな、やっぱり。

 ふむ、向こうから接触してこないならそれに越した事はない。細山君の前で、下手に彼女と話でもしたらアウトだ。うん、僕らは仲間じゃない。今のところは協力しあう意味もない。敵、とは言い過ぎかもしれないが、あくまで明石さんは、僕と同じタイミングで生き返りチャレンジを受けている人。これぐらいの認識でいこう。彼女の力を期待し過ぎても、あとで困るのは僕なんだから。



 さて、運命の時間がまたやってきた。

 先生が教室に入ってきて、短い朝礼を終えて出ていく。

 隣からはぴりぴりした緊張感、みたいなものが漂っていた。明石さん、気合い入ってるなあ。

 僕は不自然にならない程度、最低限の動きだけでグラウンド側を向いた。

 やはり、来ている。白球だ。

「危ないっ」

 僕は明石さんがボールを避けやすいよう、わざと声を出して注意を促した。

 ボールは僕の下がった頭を掠める。横目で見ると、椅子から飛び退いた明石さんの前方を白球が通り抜けていく。

 良かった、成功だ。僕が明石さんに触れる事無く、二人ともがボールを避ける。紛れもなく、限りなく理想的な形である。

 教室内は騒然。許容範囲。これなら細山君のご機嫌を損ねる事もないだろう。その上で僕は念を入れて、明石さんからは離れておいた。

「――っ」

 明石さんは僕に一瞬だけ視線を寄越す。その視線は決してクラスのスーパー委員長が送る「大丈夫? 怪我はなかった?」 って感じのものではない。やけに鋭い、僕を刺し殺すようなものだった。

 そのまま明石さんは僕の横を通り抜けて掃除用具入れに向かう。散らばったガラスを片付けるつもりだろう。

 僕はと言えば手伝う気などこれっぽっちもなかった。だって、細山君が嬉しそうに明石さんへ駆け寄って行くんだもの。

 水を差すのは、野暮と言うものだろう。

「うわー、さっきの危なかったねー」

 舞子さんが幾分か興奮した様子で話し掛けてくる。

「誰も怪我がなくて良かったよ」

 これは僕の嘘偽りない本心だ。

「あは、でも、君も明石さんも格好良かったねー。漫画のキャラみたいに反応してさー」

 そうだね、まるでギャグ漫画だよ。

 やがて教室も静まり返り、いつもの静寂が訪れた頃先生がやってくる。

「うおー、本当にガラス割れてやがる。おまえら春で良かったな! 冬だったら風が寒いからな!」

 ポロシャツを着た筋肉質の男性教師は豪快に笑った。

 余談だが、彼の浅黒い肌と、笑った時に見せる白い歯が一部の女子生徒に人気なのだと、一年生の時に聞いていた気がする。

「……こっちゃ花粉症だっつーの」

 明石さんは席に座り際、忌々しそうに呟く。

「ガラスの事はちゃんと言っておくから、今は授業始めるぞ! 明石! 号令だ!」

「ちっ…………起立」

 うわー、僕にしか聞こえない程度の舌打ちだー。女の人って恐いな、声のトーンがまるで違ってる。

「礼、着席」

 クラスが明石さんの号令に従い、一糸乱れぬ統制を見せた。

 先生は満足そうに頷き、

「よっしゃあ! 授業を始めるぞうっ!」

 僕にとっては記念すべき、生き返りチャレンジ初の一時間目の開始を告げる。

 ちなみに、これから行なう授業というのは古典だったりする。



 僕は今まで知らなかった。授業というのがこんなに楽しく、こんなに幸せだなんて。

 ループを繰り返し、大概の物や事が既知である僕だからこそ、知らない事を知る喜びが噛み締められた。車もボールも飛んでこない平和な時間。ああ、素晴らしい。

 今までの死亡フラグのラッシュは何だったんと思うぐらいに拍子抜けだ。

 教室の壁に掛かった時計を見ると、そろそろ五十分の経過を示すところに差し掛かっている。

 僕の学校では一コマ五十分の七時間。そこに昼休みやら、帰宅部の僕が言うのも何だけれど、部活の時間を挟めば半日近くは学校で過ごしている事になるだろうな。

 何はともあれ、あと一分でチャイムが鳴る。別に休み時間が待ち遠しい訳じゃない。ただ、時間の経過が嬉しい。

「お、そろそろ終わりだな! よっしゃあ、じゃあ号令だ!」

 先生が声を張ったと同時、時計の上に設置されたスピーカーからノイズが漏れた。ああ、きっともうすぐチャイムが鳴る。

「起立、礼」

 明石さんはチャイムが鳴り始める前に、早口で号令を終えた。

 しかし、意外だったなあ、こんなに上手く行っているとは。次は十分の休み時間を挟み、二時間目の家庭科をここで受ければ良し。簡単、簡単。

 これはもしかして、最初の難易度が高過ぎただけじゃないのか?

「ねーねー!」

「ん?」

 舞子さんが近付いてくる。

「さっきの古典教えてよー!」

 チャイムを物ともしない声量に僕は感心した。

「……えっと、僕が?」

「あは、他に誰がいるのー?」

 いやいや、隣には委員長であり、学年一の優等生でもある明石さんがいるじゃないか。猫被りだけど。

 ……うーん、教えるのは全然構わない、むしろ別に良いくらいなんだけど、僕には自信がないのである。間違った知識をひけらかす愚行は避けたかった。あとで恨まれるのは、恐い。

「お願いっ、ヒントだけでも良いからっ」

 ヒント、か。

 僕は落書き一つない手の甲に視線を落とす。

 まあ、折角一時間目を越えられたんだ。思い返せば、舞子さんには情報面で助けてもらっているのだし、恩には恩で返しておこう。

「じゃあ、僕で良ければ。えーと、どこが分からないの?」

「あは、全部、かな……?」

「……さっきのところ?」

「えーと、一ヵ月ぐらい前からかなー」

 それって教科書の、授業の最初っからじゃないか。

 どうしよう。あいにく僕は、何とかに付ける薬とやらは持ってない。

「地道に、基礎からやっていこうか。とりあえず活用形から」

「あは、ホントに基礎からだー」

 何がそんなに嬉しいんだろう。面白いんだろう。楽しいんだろう。



 二時間目は時間割通り家庭科だった。

 僕は忘れていたのだが、どうやら今日から裁縫を学ぶらしい。

 先生が裁縫について、一通りの基本を黒板に記している。中学でも習った気がするけど、僕にとっては新鮮だった。忘れていたようである。

 へえ、ふーん、来週からエプロン作る事になるのか。それで、一学期の最後にそのエプロンを着て調理実習、と。素晴らしい流れじゃないか。

 僕は板書をノートに写していく。

 三十分ほど経ったところで、先生が持ってきていた鞄から大量の縫い針と五センチ四方の布切れ、それと、糸を巻いたボビンを取り出した。

「来週から作業だから、今から手縫いをして慣らしておきましょう。席は自由にしても良いですよ。ただ、怪我だけはしないようにね」

 先生は列の一番前の人に針と布切れを配っていく。

 今から二十分、ダラダラとやっていれば終わるらしい。

「それと、使った布にはフェルトペンで名前を書いて提出してくださいね」

 成績に響くのだろうか。ま、良いか。

 僕の席は一番後ろだ。回ってきた針と糸と布を見回して、僕は手縫いの方法を思い出す。思い出せないところは、ノートを見ながら何とかしよう。

 とりあえず、針の穴に糸を……。

「ん」

 あれ? よ、っと、このっ。

 あれえ? 上手い事入らないぞ。

 針と悪戦苦闘、糸を穴に通すのに四苦八苦、更に言うなら十二苦ぐらいしていると、隣からやけに鋭い視線が注がれていた。

 小さい頃に動物園で見た、ベンガルトラを思わせる殺意に身を縮こまらせていると、

「貸してみなさいよ」

 お声が掛かる。

 明石さんだ。彼女は驚嘆すべき、称賛すべきスピードで課題を終わらせたらしい。彼女の持っている布を見ると、器用にも自分の名前、明石つみきと丁寧に縫い込んでいた。

 やり過ぎじゃないの?

 確かに明石さんに任せれば僕は一足早い休み時間を得られるだろうな。

「いや、自分でやるよ」

 しかし断った。

「……どうして?」

 罵声を浴びせたかったのだろうが、明石さんは周りの目を気にして優しく、委員長っぽく話し掛けてくる。だけど目は笑ってない。

「忘れたの? 僕は細山君が恐いんだ」

 僕は声を潜めて苦言を呈した。

 そう、こんな風にお喋りしているだけで(殺されるかもしれないから)内心ドキドキなのに、椅子を近付け合い、傍目からならば仲良しに見えるシチュエーションで明石さんと一緒に作業をやったなら、僕はどうなっちゃうんだ? 多分死ぬ。確実に殺される。

「それくらい大丈夫よ。ほら、貸しなさいってば」

「嫌だ。万に一つの一つもあるなら、僕は危険をわざわざ冒したくない。と言うか、僕の課題については気にしなくて良いよ」

 明石さんは笑みを深める。ああ、怒る代わりに笑っているのか。もう無表情に撤してください。

「あんたが気にしなくても私が気になるのよ。……のろまな奴って嫌いなの。見ててイライラしてくるから。なんだってあんたそんな愚鈍な訳? 愚かで鈍いなんて、最悪よ」

 最悪結構。罵声上等。最低なんて言葉なら、諸手を挙げて歓迎しよう。

「遠慮しておくよ」

 それでも僕は、死にたくないのだから。

 あの感情を、味わいたくないのだ。

「…………あっ、そう」

 明石さんは気分を害してしまったのか、席を立ち、課題を提出しに行く。そのまま先生に断って教室から出ていった。トイレかな(失礼)。

 しかし、どうして明石さんが機嫌を悪くしているのか理解出来ない。僕が愚鈍で、見ていてイライラするのなら見なければ良いじゃないか。大体、そう思っているのなら僕みたいな奴と無用な接触を図るべきではない。

 でも、こんなのは幾ら僕が考えても仕方ない事だな。だって考えても考えても、訳が分からなくなるだけ。

 とりあえず今は課題に集中しよう。何かに集中していれば、その分何も考えなくて済むし、時間の進みも早く感じられる。

「ねーねー、一緒にぬいぬいしよーよー」

「へ?」

 顔を上げると、舞子さんが笑っていた。

 ……ぬいぬいって何?

「あは、これこれ」

 ああ、課題の手縫いの事か。

「良いよ、隣が空いてるから座ったら?」

「良いの? 委員長、今はどこかへ行ってるみたいだけど」

「良いんだよ。委員長なんだから、戻ってきても笑って許してくれるさ」

 舞子さんとなら、細山君は僕に対してなんとも思わないだろう。と言うか、気にもしない筈。考えたくはない話だが、彼の気が多ければ、話は別になってしまうんだろうな。

「あれ、全然出来てないよ?」

「糸が通らなくてね」

「あはは、意外と不器用なんだね、貸してみなよ」

 僕は何も言わず、舞子さんに針と糸を手渡した。

 おお。すいーっと糸が針穴を通っていく。舞子さんは意外と器用だったらしい。

「はい、あとは玉結びして、すいすいーっとやっちゃえば良いよ」

「ありがとう、何とか間に合いそうだよ」

 残り時間は十五分。

「あは、でも何を縫えば良いんだろうね」

 糸のある限りに縫いまくれば良いんではないだろうか。

「あ」

「ああ」

 僕らが談笑していると、委員長こと、明石さんが戻ってくる。

 舞子さんは申し訳なさそうに、席をそそくさと退こうとしたが、

「良いわよ、座ってて。私は舞子さんの席を借りるわね」

 明石さんはにこやかに舞子さんを押し留めた。

 こうして見ると、良く出来た人形みたいだな。と言うより、明石さんの演技のレベルが高いのか。

「………………」

 明石さんが僕にだけ見える角度で睨んできたので、僕は課題に取り掛かる。あー、怖い怖い。色んな意味で。

「あは、明石さんって本当に優しいよねー」

 能天気に笑う舞子さんには賛同出来ない。

 明石さんとはやり辛いって言うか、やり切れない。一旦人間の裏を知ってしまうと、とても面倒な事になるんだな。……はあ。

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