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ざまみろ日本兵

作者: 東京多摩

「ざまみろ日本兵!」


 まじめ、優しい、好々爺、出来た人。

 そんなことを街中で言われる祖父が、家族の前で酔う時だけ言う言葉であった。

 東北の貧しい農村で生誕以来足が悪く、周囲でびっこ引きと呼ばれていた祖父は、常に耐えがたきを耐える生活をしていた。

 悪いことに彼には時代を見てもことさら多く兄弟いたので、飯も腹5分あれば多いような生活で足のせいで仕事も手伝いがなかなか出来ないことからよそってもらった飯を弟妹の椀の中へそっと渡していた。

 周り近所でとうとう付いた名前が『4尺枯れ木』、何とかあばらの出ない貧相な体と何をされてもぐっと堪え言葉を発さないその姿から、4尺枯れ木に顔を付ければ出来上がりと誰かが言い出したのが始まりだったようだ。

 尋常、高等小学校と教師、学友は馬鹿にされ続け、ただ真一文字に口を結び目を伏して耐えた。

 卒業後、兄や弟が出稼ぎに町に出るなか、親の好意で部屋住みとして置いてもらった。

 朝残月が見える頃起きて外へ、井戸水を天秤棒で担いで甕へ移したら、縄綯いと草履作り、飯を食ったら野良仕事か薪割り、日が落ちたら葦で細工作りをして残り湯を貰って寝る。

 そんな毎日が続いていたし、わざわざ枯れ木に嫁ぐ人もいないと思ってそんな暮らしが死ぬまで続くと確信している中、現実は覆った。

 まず最初に長男が中国へ渡った。

 次男はビルマへ。

 4男は舌を噛みそうな長い名前の小島へ送られた。

 5男は何処へ行くとも言っておらず、家族誰もわからなかった。

 家にいた3女は畑をやりつつ近くの工場を手伝いにいくことが増えて行った。

 他の若い妹たちも、とにかく仕事が割り振られ、忙しく歩いていた。

 そして最後に、自身もとうとう国に引っ張られる事となった。

 足が悪いから兵隊に取られる前に終わるだろうと高を括っていたが、現実が無常にも降り注ぐこととなった。

 そして何より、出来ても定点防衛、つまり肉壁ぐらいしか出来ない自分が行かなければ成らぬほど逼迫している状況が恐ろしく感じられたのだった。

 国は南の島に人を注ぎ込んでいて、自分もそこに送られ、そして無残に護国の鬼になるのだと思ったが、送られた先は本島の北端側、山奥の通信基地であった。

 メクラ、脳無し、気狂いの半歩前、くちなしにみみなし。

 何とか人の体を保てるような奴らが集まるそこでは、毎日が天国のようであった。

 まじめに訓練と仕事さえすれば飯はきちんと一人分食える。

 回りもひどい奴らしか居ないものだから、陰口も罵倒もない。

 何より上官に当たる人がやる気が無かった。

 ある朝点呼を取ったら全員で食料調達と行って川で釣りを行う。

 敵性言語もお構いなし、さばいばる訓練として魚を燻製、塩漬け、日干しと加工し軍飯へ。

 また別の日は勝手に作った畑を耕し、豆を蒔いて体力づくりと忍耐力をつけると屁理屈をこねていた。

 炭焼きの息子は燃料作成と言って炭を作り、少しちょろまかして近隣の農村へ渡し小遣い稼ぎをしていた。

 雪原行軍訓練と称し、ウサギや鹿を狩ってくる小班もあった。

 俺たちまで前線送りになるなら、いよいよお国もおわりさ。だから今のうちにやれることやって楽しんでおこうぜ。

 東京訛りの言葉で何処からかかっぱらって来た酒を飲むたび、上官はげらげら笑いながらそんなことを言っていた。

 そんなものかと思って祖父は上官の酒を受け、燻製のマスを肴とする日々だった。

 楽しい日も唐突に終わりを告げた。

 突然の降伏、武装解除だとか色々話がある中北側からの進攻。

 通信基地として本土と島との中継、いざと言う時のための装具点検に飯も食えない日々が続き、こちらも唐突に終わった。

 軍は解散され、上官から餞別だと皆に渡された魚や肉の燻製を携え実家へ戻ると、憔悴している父母、とにかく飯を食って生きねばと畑仕事に精を出す妹、とりあえず上の兄が帰ってくると無邪気に喜ぶ他の妹たちが出迎えた。

 戻ってきたことを知らせに村の家々を歩くと周りの家では誰某が南で死んだだとか、どこぞで抑留されただとかそんな話ばかりだった。

 最後の家を後にする帰路、なぜだか、彼は涙を流し笑っていた。

 優しい一番上の兄は消息不明、切れ者の次兄は骨が届いた。

 4男は捕虜となったがいつ帰ってころれるかわからず、5男は抑留されていると葉書が来た。

 悲しかった。なんとも言えぬまでに。

 近所の嫌われ者は骨の変わりに血まみれの服が届いたと聞いた。威張り散らしていたあいつは北の島の更に北へ連れて行かれたらしい。

 狐と心であだ名付けた奴は船と一緒に沈み、一人で笑っていた彼は指を欠いたと聞いた。

 悲しかった。周りの人がそんなことになっているということに。

 しかし、間違いなく不謹慎だとわかっても、笑ってしまった。

 今、生きている。

 その喜びから、笑っていたのだった。


 やがて祖母と出会い、夫婦となり、足を引きながらも子供を育てきった祖父は、とてもまじめで優しい好々爺だった。

 祖父が亡くなって数年経つが、祖父の仏壇の前で酒を仰ぐたびに思い出す。

 「ざまみろ日本兵」の言葉と、涙を浮かべた笑い顔の祖父を。

 何も思ってその言葉になったのか、なぜ涙を浮かべ笑っていたのか、今はもうわからない。

 だから私は、黙って酒を仰ぐだけだ。

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