失意からの始まり
とある森の中。人が立ち入ることが滅多にない深域に、俺ことアーク・サファイアがダボダボな服と己の体型に無理矢理合わせた軽鎧を身に纏い、己の身体に不釣り合いに長い剣を片手に持ち、俺の身体と比較すると圧倒的差があるほど巨大な黒い熊と相対していた。
タイラントベアー。この黒い熊の名前だ。
巨大な両腕は人の体をトマトのように潰し、爪は一振りで成人した男性の胴体を両断するであろう。
魔物の階位は下級から最上級とあるが、このタイラントベアーは上級に匹敵する。
人間という、か弱く脆い種族でこの熊を倒すのには苦労するだろう。
とはいえ、人間の中にも規格外な存在はごまんといる。そんな者達からすれば上級の魔物など、雑魚も同然。
では、そんな俺はどうなんだとなるが、残念なことに俺は規格外という存在ではない。
「ガアアァァ!」
「……ちっ……やはり剣では勝てない…………剣の腕をそこそこあげても、こんな剣と俺の筋力ではこいつを倒すのに役不足か……」
先程から剣で切りつけているが、一向に倒せる気配がない。タイラントベアーの硬い毛に阻まれて剣が通らないのだ。
正直、俺の剣術は自己流ではあるが、それでも実戦で培った技術だ、上級魔物相手でもやりあえる筈。しかし、安物の剣というのもあるが、俺の低い筋力では傷をつけることが出来ない。
「ガアアァァ!」
「うるさいなぁ……やっぱステータスが問題になるか……もういいや、ディバインレイ」
光の上級魔法を唱えると、タイラントベアーの上空に魔方陣が現れ、光の柱がタイラントベアーへと降り注ぐ。
降り注ぐ光の奔流は生きるものの存在を許さず、地面すら分解して塵へと変えていく。
しばらくすると、光の柱は徐々に小さくなっていき、消えてしまう。
残ったのは円形状に土を丸出しにした大地だけ。タイラントベアーの姿など影も形も見当たらない。
当然であろう。ディバインレイは光の上級魔法で、さらに俺の魔力の数値は高い。
魔力のおかげで魔法の威力が上がるので、流石のタイラントベアーも耐えきることが出来る筈もない。
詠唱破棄をしているので威力は三割ほど落ちていてもこの威力を出せるのだ、流石は上級の魔法といったところだ。
魔法を使えば上級の魔物も容易く滅ぼせる。しかし、それでは駄目なのだ。
この世界には想像を越える化け物が多くいる。魔法一択の戦い方では勝てない存在も多い。
それに、魔法は体内の魔素を消費して発動する。故に、魔素が枯渇すれば戦う手段が無くなる。
魔素を節約して敵を倒す力を得るのが当面の目標だ。魔法しか手段が無くては、俺の目的は達成出来ない。復讐など、到底出来ないのだ。
そう、兄とあの女。それに人間共にだ。
「……はぁ……どっこいせ……」
手近にあった岩に座って思案する。
俺の見た目だが、髪は銀色で右目は青、左目は緑色のオッドアイ。
左手は普通の人間の腕であるが、右手は黒い刺々しい肌を晒し、爪は鋭く尖っており、凶器に見えるほどだ。
さらに特徴的なのは、頭の右側頭部から生えた捻れた黒い角が前に突き出ていて、左の側頭部には白く光る角が天へ向かって伸びている。
そして、背中には服を破いて翼が生えており、右側は黒く禍々しい翼、左側は白く神々しい翼となっている。
この容姿を人間と呼ぶ者はいないだろう。そう、俺は魔族と天族とのハーフだ。魔族のデヴィル種と、天族のドミニオン種の。
かつて、親父が天族の女を連れてきて生まれたのが俺というわけだ。
魔族はまぁ、簡単にいうと悪魔だな。人を奴隷にしたり食料にしたりする。
で、天族というのは天使だ。全ての天族は翼を持っていて、人間を都合のいい道具としか見ていない。
そして、人間にとって魔族というのは畏怖する存在で排除すべき敵というスタンスである。
故に、半分魔族である俺を人間共は殺そうとする。見つかれば討伐隊を編成されて俺を殺しにくるだろう。
というか、以前人間のふりをしてパーティーに参加していたが、バレて殺されかけた。
さらに、奴等にとって許せないのは、俺の半分は天族というのもある。
天族が魔族に穢された。とてもではないが人間の立場からしたら看過できない事態だ。人間にとっての天族は自分達を守ってくれる守護者のような存在だから。実態はどうあれ。
だから俺は人前に出れない。姿を現せば最後。間違いなく攻撃される。
「……はぁ、この森を出るのも当分先だな……」
この森の外は人間の世界だ。以前バレて逃げた先がこの森で、それ以来ここに引き籠っているわけだ。
幸い、この森は食料が豊富なので飢える心配はないし、森の浅い場所くらいなら人間も侵入してくるので、そいつらから服を奪ってすごしていた。
「……もう少し剣術の腕を上げてからでないと、特級に出会ったら一瞬で殺される」
この世界には冒険者という、ファンタジーでは御用達な存在がいる。
冒険者はもっぱら魔物狩りが専門だが、人間領に流れてきた魔族を討伐することもあるのだ。
そして、冒険者は評価によって階級が定められ、その最上位の存在が特級というのだ。
奴等は化け物だ。魔族領である魔大陸に存在する最強の戦力、伍魔皇と互角にやりあえるのだから。
俺のような非力な存在では太刀打ちどころか、息をするように殺されるだろう。
根本的にステータスの差がありすぎるのだ。
「……ステータス……」
おもむろに単語を呟くと、目の前に薄い青白い画面が出てくる。
この世界、ステータスと呟けば、今の自分のステータスを表記してくれる親切設計なのだ。
そして、俺のステータスはというと。
アーク・サファイア
一四才
ステータス
筋力 E
体力 C
耐久 E
敏捷 C
魔力 A
魔素量 A
残念なことに、ステータスを数字では表記してくれない仕様だ。
その時の状態でステータスがブレるというのもあるが、明確に数字化しようとすると文字化けするんだとか。
故に、こんな大雑把な表記しかしてくれない。で、何でアルファベットで表されるのかというと、かつて異世界から来た勇者が残した文化だそうだ。
この世界には異世界の文化が所々あって情緒をぶち壊してたりする。このアルファベットもその一つという訳だな。
冒険者階級がアルファベットじゃないのは何故か知らん。恐らくありきたり過ぎたのだろう。
話は逸れたが、ステータスのアルファベットはFから、E、D、C、B、A、Sまであり、Sが最大となる。
で、ステータスが百を越えると次のランクへと変わり、Eのステータスは百から二百の間ということになる訳だ。
そして、Sより上にいった場合はSの後ろに数字が付く。S2と。
で、見てみると分かるが、俺のステータスは魔法偏重のステータスとなる。
とはいえ、これくらいのステータスなら魔族にはごろっといる。
なんの魅力もないステータス。されども、八年前にこのステータスに達していれば、俺は捨てられることもなく、こんなへんぴな場所に籠る必要もなかった。
頑張ってはいるのだ。こうして日々戦闘訓練を積み、上がることはないと諦めていたステータスが上がり、希望の光りが見えたから。
しかし、最近は諦めの感情も僅かに滲み始めてもいる。父親から捨てられて四年。この森に籠って二年。
かなりの魔物や人間を殺してきたが、それでもこのステータスなのだ。
かなりの数の戦闘をこなしてきたので戦闘技術は上がった。現に剣術ならばそこいらの冒険者には負けない。
しかし、ステータスが思うように上がらない。
どうやら俺はステータスが上がりにくいらしく、常人より何倍もの努力をしなくてはいけないということだ。
幸いなのは魔法のみに絞れば戦えることか。だが、個人によって戦い方は異なるので、相性の良し悪しが出てきてしまう。魔法一辺倒では必ず無理が出てくるのは明白。
そして、大きな問題として、俺の姿はよく言って幼い。悪く言えばがきんちょなのだ。
見た目は十二才に満たないくらい。肉体年齢は一四を過ぎたにも関わらず、未だに背が低く童顔だ。故に成人男性向けの剣を持つと不釣り合いになる。
そう、ステータスの上がりが悪い原因の一つが成長の遅さにあるのだろう。
ここ数年は容姿の変化が少なくっているのでこのまま成長が止まるのではと危惧してもいる。
しかし、流石にこのまま成長しないなんてことはないだろうから、いつかは大人の体型になるはずだ。
それまでもう少し待って欲しいいと叫びたい。俺の父親に。
「……けど、森を出て戻ってもいくとこがないんだよな……」
とはいえ、魔大陸に戻ったところで、あの糞兄に見つかれば拷問されて殺される。隠れて暮らした所で、見つかる危険性に怯え続けなければいけない。
再び姿を偽って人間として潜伏しても、顔が割れているのでそれも難しい。
俺が使える幻影魔法で姿を誤魔化せるのは角を隠すくらいしか出来ないのだ。翼に関しては簡単に出し入れ出来るので、裸の背中を見られない限り大丈夫なのだが。
最後の逃亡先らは天海陸だけになる。
しかし、その選択は、それこそ命がいくつあっても足りない。
俺の半分は魔族。天族にとって最大の敵で、倒すべき存在。見つかれば人間以上に熾烈な攻撃が待っている。
そのため、天海陸に行くのは自殺行為そのものだ。
「……結局、ここで暮らし続けるしかないのか……」
ここの魔物であれば俺の魔法で駆除出来る。森が火事にならない限り食料には困らない。
森にある薬草や魔物の素材を求める人間の出入りは頻繁にあるから、服も困ることはない。
派手な事をしなければ暮らしていけるのは確かだ。
「……ふざけるな……」
なり直せると思った。前世で失敗したから、やり直せるチャンスだと思った。
「ふざけるな」
魔皇の息子に転生出来て喜んだ。しかも、伍魔皇でも最強と言われる闇魔皇の息子に。
「ふざけるな!」
怒りが吹き出してくる。イライラは頂点に達し、自分に降りかかる逆境に悪態をつく。
闇魔皇の三男という微妙な生まれながらも、魔皇の息子ならばいい暮らしが出来ると思っていた。
だが、蓋を開けてみれば、父親の期待にそぐえないからと捨てられ、長男には拷問され、自分に仕えていた女に裏切られる。
人間領に落ち延びて見れば、魔族というだけで殺されそうになり、人間のふりをして冒険者をやれば逆恨みされて正体がバレ。この森に追いやられた。
「ふざけるな! あんまりだろうが!!」
立ち上がって空に向かって怒鳴る。誰かに向けた怒声ではなく、あまりに理不尽な境遇に対して。
確かにステータスの上がりが悪く、これ以上は伸びないと判断されたのは自分の所為かもしれない。
けど、拷問され、俺に支えていた女に裏切られ、落ち延びた先で出会った人間にまで裏切られる。
これが叫ばずにはいられるか。
「ガルルル!」
ふと、唸り声が聞こえて振り向くと、先程よりも小柄なタイラントベアーが俺を見ていた。
臨戦態勢で、いつでも飛び掛かれるように身を低くし、酷く歪んだ形相をしている。
「……あぁ、さっきのはお前の母親か? すまんな、肉すら残さず消し飛ばしてしまった」
「ガアァァ!」
俺の言葉を理解したのか知らないが、雄叫びをあげて飛びかかってくる。
体が小さい分、さっきのより弱そうに見える。しかし、腐っても上級魔物だ。俺の心許ない筋力ステータスではこいつに傷はつけられない。
それに、今は嫌な過去を思い出して虫の居どころが悪い。ストレスが溜まるようなことはしたくない気分だ。
「シャドウパニッシュ」
上級闇魔法であるシャドウパニッシュを唱える。
自分の周囲に発生した影のような闇が質量を持ってタイラントベアーへ襲いかかっていく。タイラントの横っ腹へ衝突して吹き飛ばし、顔を連続で左右に叩き、怯んだ隙に地面へ押し付けるように覆い被せた。
シャドウパニッシュは影そのもに質量を与えて自在に操ることが出来る。なぶり痛め付けるのに適している魔法だ。
「ガアァァ!」
「すまんな、ただの八つ当たりだ。お前は母親と同じように消し去ってやるからな……ディバインレイ」
再びディバインレイを唱える。先程とは違い、手加減なく全力で。
光の柱が降ってきてタイラントベアーを飲み込む。先程よりも太く、密度の濃い光の柱が。
「ふふ、はははは! 少しは気も晴れたな!」
この体になってから、性格が変わったことは自覚している。
魔族寄りの思考といったらいいのか。命の重みなど気にすることもなくなり、生き物を殺した所で気分が悪くなることもない。
むしろ、楽しいと感じることすらあるのだ。
「ぬ? 地震か?」
ふと、足元が揺れ始めた。魔大陸ならば地震はよくあるが、この一帯は少ないので珍しいな。
おお! なかなか大き……。
「って! どわ! まさか空洞!? ディバインレイで地面にダメージを与えたからか!?」
突如地面が崩れ、下へと落下していく。どうやら全力のディバインレイが岩盤に致命的なダメージを与えたらしく、崩壊していく。
「くそ! 下手したら死ぬ! えぇい! シャドウウォール!」
闇が俺の全身を包みこんで球体になる。シャドウウォールは影を盾代わりに使う中級魔法で、ある程度形を変えられる。
全身を包むことで、落下の衝撃と落石のダメージから身を守ることにした。
でなければ死ぬ。俺の低い耐久値では落石だけでも驚異で、岩に埋もれればまず脱出は困難になるから。
「あだ! ……あんまり深くはなかったか…………解除しても大丈夫か?」
大きな衝撃を受けると落下している感覚がなくなる。瓦礫に注意しながら、恐る恐るシャドウウォールを開けていき、問題ないと判断してから解除する。
「……十メートルくらいか? 飛べば脱出出来るが……」
十メートル程度、これくらいならば一瞬で飛び上がれるな。
にしても、これは洞窟か? そこそこの広さを持ってるぞ。
「……ん? 奥に進む道か? ………………気になる……」
向かい合わせるように道が二つある。恐らく片方は外に出る道。もう片方は奥に進むのだろう。
この洞窟は妙なのだ。整理され、歩きやすくなっており、壁には燭台を置く窪みらしきものが数ヶ所ある。
明らかに誰かが使っていた痕跡が残っているのだ。
「……多分……遺跡か……長いこと人の出入りがないからか、塵が溜まっているな。……何かレアアイテムでも残されてる可能性もあるな……」
古代の遺跡には強力な効果を持った道具、魔道具や魔装具が眠っていることがある。
ピンからキリまであるが、当たりを引けば国が傾くほどの物が見つかるという例もあった。
道具頼りになるのは些かカッコ悪いが、使える物は使うべきだという考えのほうが勝る。
それに、俺は以前強力な魔装具を持っていたが奪われてしまった。
それを取り戻すためにも強力な魔装具が欲しいのだ。結局道具便りなのは情けないが。
「……とりま、こっちに行くか」
山勘で決めて通路を進んでいく。まぁ出口に着いたら戻ってくればいい。
光源がないので魔法で指先にライトという光を放つ玉を出現させ、慎重に進む。
魔素に乱れがないかなども見ながら。
遺跡には侵入者対策として、罠が仕掛けられている可能性もあるのだ。
「……とはいえ、かなり古い遺跡だからな、多分トラップの類いはもう駄目に………………な! 」
突如自分の足元に魔法陣が広がり、身構える。
と同時に体全体を調べられたような感覚を覚えた。
「トラップマジックか!? くそ! 俺が気付かないとは! かなり巧妙に隠してやがった!」
設置式の魔法で、生物が通ったら発動するものもある。
大概悪質な効果ばかりで、今の状況は正直危険だ。
この狭い通路、逃げ場は前後だけで、この先がどうなっているのか分からない。
ならば、後ろに下がる他ないのだ。
だが、肩透かしで終わることとなった。
魔法陣は何も発動せずに消え、静寂のみが残ってしまう。
「……え? なんにもない? ……もしかして、魔法陣は途中で駄目になってたのか?」
魔法陣は精密な情報の塊で、少しでも欠けてしまうと不発に終わったり、最悪暴発する。
今回は幸いにも不発で終わったわけだ。
「……悪運だけはあるんだよな……さて、進むか」
それから暫く道なりを進むと、罠の類いはあったが何故か起動せず、特に問題なくすすめた。
そして、進みきると開けた部屋に抜けのだ。
「……これは……」
壁周りに光源があるので部屋の隅々まで見ることが出来るが、何もない。
四角い部屋なのだが、見事に殺風景だ。
ただ一点を除いては。
透明な結晶体が部屋の真ん中にあり、その中に一人の女性が眠るように入っていた。
見た目は十代後半か、大人になりかけな体つきをしている。
「……ダークエルフ?」
彼女の特徴は、浅黒い肌に長い銀髪で、耳も細長い。
ダークエルフの身体的特徴である浅黒い肌と耳から、そう断定する。
「……なんでここに絶滅したダークエルフが……」
ダークエルフは千年前に滅んでいる。
まさか、ダークエルフの実物を見ることが出来るとは。そして、何よりも美しい。
正に絶世の美女が裸体を晒していた。