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003……王の懐に潜る



 城下町で起きる細波は、既に市壁で囲われたアッデ国全体にまで波紋を伝播させていた。

 夜間に禁を破って逃走した番兵を追うべく、既に市井には平時よりも兵士の影が多くある。物騒な町の様相に、街路樹の下では小さな団塊を作って町人が噂について考察する。

 その面持ちは心做しか悦びがあった。

 良くも悪くも平和な街は、日常的な話題に飽きてしまう。事件性のある物があると、不安な表情を顔に貼り付けながら、彼等は嬉々とした情念を言の葉に乗せて話す。

 兵士はただ、意思があるかも定かではない望洋としか顔で見遣る。


 そして同様の顔で、城下の騒めきを聞く翡翠の仮面があった。

 茄子紺の軍服の袖に腕を通し、外套(マント)をバルコニーに吹き付ける風に靡かせている。

 着衣する物や、超然と立つ姿は城の偉容にも勝る貴影。その美麗な身形も、やはり仮面によって全く異質な雰囲気へと化していた。

 己が築いた国家の安寧が小さな異分子によって破壊されている事実を淡々と眺める。

 奥にある瞳にも感情の兆しは無い、理性の光すら窺えぬ濁った虹彩。果たして、怯懦があるか否かを判じられる者はいない。


 バルコニーの塀の傍に控える近衛達は、ただ王の指示を待って黙然と佇立する四人。

 重甲冑で装備して直近を固めれば、その偉容はさながら王を守る四つの巨塔であった。

 近衛の一人が王の一瞥を受けると、室内に居る警備兵の数名を率いて通路へと歩む。王の言葉は無く、また忠義する兵も無言だった。

 人の声は無い、静かな王宮に昼の光が差し込む。


 その背後の支柱に寄り添うかの様に立つ黒衣の女性。頭部に奇妙な銀の円環(サークル)を掲げ、他にも銀細工を施した立ち居姿。

 黒衣の裾は襤褸の様に擦り切れ、洗練された城内の綺麗な様相にも不相応でありながら、王とは対照的に異様な気品があった。

 噂は既に部下に収集させた情報にて、聞き及んでいた。

 逃走者は国境検問所に勤務する番兵。現場には犀と破壊された家屋の残骸。蛻の殻と化した中には、片付けられたばかりの食器は二人分だった。

 誰よりも仕事熱心だったと仲間内では言われる彼が犯行に及ぶには動機が無い。


 恐らく、偶然にも家に招き入れた何者かが禁を破って小戸を開け、犀による襲撃を受け、これを退治して現場に警邏が駆け付けるよりも先んじて逃走。

 主犯は居合わせた者、国内でもまだ調査中だが、国外の旅人であると推測される。


 先ず、番兵の勤務時間は最終時間であり、友人関係も殆ど無く、仲間以外に家に宿泊させる人間はいない。

 しかし、早朝の身辺調査では番兵は欠員が無かった。番兵の役職は、主に城内勤務の員数で溢れた者を左遷したも同然の物。

 城内にも、彼と親しき人物は居ない。

 女性は顎に手を当て推考する。

 隣では小柄で背を丸める黒衣の男が嗄れた笑声を上げていた。


「様子見に来てみたら、何奴でしょうかな?王様、これは直ぐ潰してくれなきゃ私らの面子が立たんですぜ」

「…………」


 無言の王に、男は落ち窪んだ眼窩の奥で炯眼を光らせる。

 女性が微笑み、男はその意を察する。


「あの坊やかい。確か、手前(アンタ)のお気に入り……」

「寝んねの時間は来ていても、あの子の瞳は眠れない、夢見るあの日はいつまでも」


 歌の様な調子で喋る彼女に、男はまたしても全身を震わせて笑う。

 王と彼女以外の声は無い。



 城の裏庭では、尖頭形(アーチ)状の城門の前で複数の兵士が倒れていた。皆が白目を剥いて伏している様は、明らかな事件の臭いを放つ。

 扉に生まれた小さな間隙に身を滑り込ませ、城内へと侵入する二人。

 杖を突いて軽快に先行するアカリに、番兵は(おのの)きの視線を注いでいた。


 事の経緯(いきさつ)は、至って単純だった。いや、安易に思えるのは字面だけなよかもしれない。

 ――国の異常を、伝えてやらねばなりませんな。

 アッデ国の夜に起きた事件の真相を国に伝えるという目的により、城への侵入を敢行する。

 先ず、禁を破った時点で国賊も同然の自分達の注進を王が聞き入れるか否かは、実行する前から信を得ないなど自明の理。

 しかし、アカリは自身の考えを疑う事もせず、悠揚と城中の敷地を越えると、目隠しを取り払ってから城門に構えた警備兵に顔を向けただけで倒してしまった。


 後方の藪に身を潜めていた番兵には、何事が起きたのかすら判らない。顔を向ける、その何気ない所作で相手を失神させた。

 昨夜の剣や体捌きも使わずに沈黙させたのは、魔法の類いなのか。彼ならば、周密な警備網を掻い潜って王の御前まで辿り着けるかもしれない。


 しかし、それからが不安の種であった。

 アカリに交渉力があるかなど解らない。流浪の傭兵より受けた言葉を、王が承知する筈も無い。

 ならば武力か――それこそ、最も懸念すべき点である。先刻の力を用いて、兵士を遣り過ごす積もりだろう。

 謁見の間を設けるには、やはり武力のみが恃み。それ以外の手法が番兵にさえも思い付かなかった。

 自分は本当に、国に仇為そうとする人物の傍らに居るのかもしれない。


「アカリ、まさか……王を暗殺する積もりか?」

「捉え方に寄りやすね。あっしの遣り方で行きます」

「それは……不穏だな」

「失敗()ありませんでした、任せて下さい」

「不安しかない……!」


 後顧の憂いばかりが募る。

 妙な点で力強い語調が、殊更に不安感を煽った。傭兵として彼が為してきた功績は知らないが、それでも不穏当であるのは確かである。

 アカリが手甲剣の刃を抜き放った。


「少なくとも恩返し。番兵さんが平和に暮らせるよう、交渉するだけですよ」

「よ、傭兵はそこまでしないぞ」

「一飯の恩で充分。僕は侠客でっさ」


 突然、番兵はアカリによって蹴り飛ばされた。

 壁際に倒れ込み、腹を強打した痛みで悶えていると、床を打つ金属音が鳴り響く。

 驚いて顔を上げると、床面に刃を叩き付けた甲冑姿があった。アカリは逆立ちになった手で跳ねて、刃先を間一髪で避けている。

 何処から現れたのか、耳敏い彼の感知を潜り抜けて来たとは思えない。動くだけで騒がしい重甲冑での隠密など到底難しい筈である。


 重甲冑の兵が大剣(だんびら)で弧を描く様に薙ぎ払う。鈍く空気を切り裂く音と共に一陣の風が吹いた。

 アカリは低い前傾姿勢で地面を蹴りながら、唸りを上げる剣先に上体を傾けて()なす。相手が得物の重量に振り回される一瞬を衝き、反撃に剣を振り終えた重甲冑に向け、手甲剣を突き出した。

 しかし、彼の予想を裏切って、返す刃の第二撃――逆側から横薙ぎが再度強襲する。

 番兵が万事休すと顔を覆いそうになる中、彼は跳躍すると宙で横倒しになり、下を擦過する大剣の鎬地を転がって躱した。

 大剣から落ちて着地する寸前に、甲冑に向けて片目を見開く。瞼の下から現れた青紫色の虹彩が燐光を帯びる。


「迷い子は眠れ」


 彼と眼を合わせた重甲冑が凝然と動きを止めると、数瞬の間を置いて地面に倒れた。

 何が起きたのか――盲目と思われた彼の瞼の下から瞳が現れた。光を発するそれは、不気味とも美しいとも表現し難い力があった。

 ――城門の守衛も、その眼で倒したのか。?

 一息吐いたアカリは、重甲冑の兵の腰から長剣を奪い取り、無造作に番兵へと投げ渡す。

 受け取って訝る様子に、アカリが朗らかに微笑んだ。


「少しの間、自己防衛を宜しく」

「は?――うわっ!?」


 頭上から降り立つ影。

 城内に勤務する兵士達が、次々と予想外の位置から登場し、二人に奇襲を仕掛ける。

 目眩るしく押し寄せる剣閃の波を、アカリは紙一重で躱す。番兵は二人の兵士を相手取り、不様に転げながらも処していた。

 実戦経験の少ない番兵としては、斯様な荒事には慣れておらず、それこそ人を斬る事に躊躇いを覚える。昨夜の犀ならば兎角、相手は同じ人間だ。

 しかし、疑ってしまう。

 敵の警備兵は、高く跳躍したり、尋常ではない膂力で剣を振って石の壁に刃を突き立てたりもした。時には、鎧の下から滴る血すら見える。

 自分の体の限界すら委細構わず、攻撃を中断しない。


「に、人間なのかっ!?」

「天井に伏兵なんざ、考えもせんかった。僕の落ち度ですかな」


 アカリが両目を見開く。

 彼を中心に半円状に拡がる青紫の波紋が兵士達に触れると、意識を失って番兵以外が倒れる。(くずお)れた甲冑の騒音の後に、再び城内に静謐の涼気が戻る。


 安堵する番兵の前で、アカリが一人の警備兵の装備を脱がせ始めた。何事かと寄ると、彼は兵の肘を指差す。

 赤黒く変色し、複数の箇所に青痣の滲む痛々しい損傷の痕。加減もせずに(ふる)われた事で、身体的な負荷に耐えられずに靭帯が破断したのだろう。

 確かに、戦闘を顧みてみると、兵士達はどれも訓練で培った剣術ではなく、奇抜で型も無く力の限りに振っていた。

 技巧よりも、寧ろ獣の様相に近い荒々しい体捌き。


「昨日の犀や警邏と同じです」

「どういう事だ?」

「犀は二足で直立なんか出来やせん。禁を破った、慎重な王を守るための直属の部下で構成された警邏が、密偵の疑惑ある奴の元へと悠長な足取りで向かう筈が無い」


 真意が読めずに番兵は頭を捻った。

 王に尽くす彼等に必死な様子が見受けられない、市街に居るはずの無い犀のあり得ぬ所作と興奮状態。アカリは得心顔で頷いて、天井を見上げた。

 警備兵による人体の限界を越えた戦闘、犀、危機感の薄い警邏。


「どうやら皆さん、操られてるようで」

「操られる?……誰に」

「王様以外に有り得んでしょう」

「ど、どうして……しかも、夜間の外出禁止令と何の繋がりがあるんだ?何の意味があるんだ?」


 アカリは目隠しを戻し、杖で体を支えながら立ち上がった。


「『魔法騎士団』ですよ」

「……は?」

「周辺国に“鬼の坐す国”だなんて呼ばれるのは、奴等の贈った仮面の所為です。あれが恐らく被った王様の精神を支配して、対面した他者にも同様の効果をもたらす。

 本人の意思の束縛を受けた身体許容限度すら超えた体術が可能になる。あの鬼の様な戦法が、その外聞の所以でしょうな」

「だから!それに何の意味が――」

「選出ですよ」


 即答したアカリに番兵は止まった。


「ありゃ密偵用じゃありやせん。

 魔法の素養がある人間の判別です。戸を開いた奴の方を自動的に犀が感知して突撃する。撃退出来るなら城内に引き込んでしまい、無いならば処理」

「処理された人間は……どうなるんだ?」

「番兵さんなら見たでしょ。(ゴミ)捨て場を」


 番兵は自身の日常を思い返す。

 アカリが言いたいのは、彼が現れて以降ではない。自分の役職で常に目にする場景の中にあるのだと示唆している。

 静思していた番兵は、その解答に辿り着いて蒼褪める。


「難民……か……」

「窓を開ける奴は、好奇心を持つ野郎か。それとも、何が来ようと撃退出来ると自信がある……力があるヤツです」

「魔法の素養、とは?」

「危機的状況下や本人の感情が異常な昂りを起こした際に、人体の中にある“魔素”が反応するんですわ。それが魔法の素養となる核」


 苦笑するアカリの顔は、自分でも深く理解していないという表れだった。

 魔素――生来から限られた人が持つ力。百の内に一つ有するとされる稀少な元素であり、幼少から本能で操る者や、後天的に覚醒して魔法の力を発する場合もある。

 後者は、外的要因に依る精神面への強烈な刺激を受けた時に凍結していた魔素が稼働する。

 魔素を元に体内で生成される塊が魔力であり、それを動力源として現象つまり魔法を操るのが魔法士。


「この国で、魔法士の選出……!?」

「『魔法騎士団』が、ただ強固な軍備をこの国で補充してるだけでっさ。王を操って懐に招き入れたい奴を搾取する為の制度です」


 番兵が呆然とする中で、アカリが進み出す。

 今度はより広範囲に音が反響する為に、先程よりも少し強く杖で地面を突く。

 天井は高い、先程と同じ伏兵が居ても即座に対応可能な態勢を整える積もりなのだ。


「仮面の力で操れる数には限度がある。だから国民全体を力で統制出来ないし、処理の為に難民として追い出す」

「何故……難民は反抗しないんだ?」

「あっしが居た番兵さんとは違って、あんな目に遭ったら誰だって怖くて口外出来やせんよ」


 アカリと番兵は階段前に立った。

 城の最も高い尖塔、その最上階が王座。二人が目指すべき目的地である。

 警備兵から拝借した長剣を抜く。番兵は侵入時まで覚悟決まらなかったが、現状ではアカリに付いて行く他に道は無いのだと諦観した。

 こちらは嬉々として手甲剣の刃を前方に翳す傭兵(アカリ)だった。


「王の仮面、あれは何だ?」

「それは追々話やす。けれど、僕の獲物ですよ」

「あれを剥がせば、王は元に戻る……?」

「それは、土壇場での勝負ですな」


 警備兵達の跫が近づく。

 アカリが構えて鋭く駆け出し、番兵は深く息を吸ってから剣の把を強く握り締めて追った。




アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


更新遅くてすみません。

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