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プロローグ「復讐の双眸」



 夜闇を明るく照らす炎が吹き上がった。

 何事かと振り仰いだアカリは、その先で轟々と燃え上がる村長の屋敷の風景に全身が硬直した。

 突如として発生した火は、またたく間に支柱や屋根を食い破る。

 中にはまだ、メルや侍女達なども居ただろう。今は焦熱の(とぐろ)に巻かれて、生きている事すら不可能だ。

 火炎を背にし、足下に長い影を落とす女性を睨む。先刻から続く謎の現象、すべてが彼女の声に起因する。


「何で、こんな酷い事を……っ」


 曾て無い烈しい怒りに駆られ、アカリは女性に向かって走る。奇妙な声により生まれる現象の脅威すら忘れ、堅く握った拳を彼女の白磁の肌へと叩き込んだ。

 畑仕事に従事していたアカリの腕力は、相応に強く上背の女性を張り倒すだけの力がある。普段は温厚な人柄だからこそ、他人にそれを発揮する事は無い。


 女性の頬を命中した――そう確信した瞬間、彼女の輪郭が闇に薄れて、攻撃がすり抜けた。虚空を切り裂いた拳固に引っ張られ、アカリは勢い止まずに倒れてしまう。

 何事かを理解できず呆然としていると、目前に一人の甲冑が立った。薄汚れた鎧を纏い、掲げた剣に人の死体を飾る醜悪な姿態。

 面を上げたアカリの頬に頭上から滴る血が付着する。月のない夜空を背景に、鋒に吊るされた哀れな死体が晒されていた。


「あ、ああ……!!」


 アカリの前に進み出た騎士が、傲然と剣で処した村人は、馴染み深い人物の一人だった。いや、己を忌諱する村の人々の中で、親しいとなれば殆ど限られてしまう。

 必死に頭で否定する、解答を遠回しにする。

 それでも、目の前の景色はどんな取り繕いもさせず、残酷な事実のみを滔々と伝えた。

 頭上で目を見開いたまま、胸郭を鋭利な刃で貫かれたアージスが、光を失い濁った瞳でアカリを見詰める。


「嘘だ……嘘だ……」


 絶望で打ち拉がれ、項垂れるアカリへと騎士が剣が振り下ろす。鋒にあったアージスの遺体は投げ捨てられ、足許に踞る彼の右手首を切断した。

 鮮血が飛び散り、絶叫が上がる。

 腕を押さえて激痛に悶えるアカリへ、悠々と女性が歩み寄った。慈しむ様に手を伸ばした彼女は、しかし跳ね起きた彼に手を弾かれる。


 女性の脇を通過し、燃える屋敷へと近寄ったアカリは、手首の断面を火で焼いた。

 燃え上がる痛みに唇を切るほどに噛んで耐える。

 止血を荒業で済ませると、彼は爛々と紫の双眸を輝かせ、蹌蹌(そうそう)と前に進み出た。

 背にした火よりも熱い憤怒と、凍てつく殺意を混在させた眼光で女性を睨め上げる。


「何者なんだ、おまえ達は……!僕らが一体何をしたって言うんだよ!!」


 一人で糾するアカリの声に、応える声は無かった。

 城塞の如く構える甲冑の一団は、死体を掲げて血に濡れる事すら厭わず動きを止めている。

 女性が首輪に手を当て、その艶やかな唇に死を告げる言葉を乗せて囁く。

 身構えたアカリは、足許に転がる石を摑み取る。先ず打撃が効かなかったとなれば、投擲も恐らく無意味。

 女性の声音が一言を空気に伝えれば、そこかしこから謎の力が作用して、氷や奇怪な風が押し寄せる。屋敷の炎も同様の手順で発生した物なら、アカリに打つ手はない。

 しかし、たとえ無理だと理解していても藁にも縋る思いだった。


 ――よく聞いて、アカリ。

「…………」


 再び脳内に響く聲。

 自分の身体を勝手に操る不快で不可解なモノだったが、今のアカリは身を委ねるように耳を澄ませた。拒絶したくとも、これに何度も命を救われたのだ。

 この窮状を打開する為にも、この声が必要となる。

 痛みと失血で眩暈(めまい)がする。それでも意識だけは繋ごうと、必死に己を奮わせた。


 ――一度、瞼を閉じるの。

「どうして?視えなければ、あれは躱せない」

 ――ええ。だから、別の視点に切り換える。

「別の視点」


 鸚鵡返しするアカリは、目許を優しく撫でた。

 どんな目的で村を襲ったかは知らない。いや、標的は自分だったのだろう。アカリの自宅を訪ねたり、未だに即殺せずに動きを窺っている。

 常識を覆す力を行使する女性。

 本来は無い視覚をもたらす義眼。

 速了なのかもしれないと不安になりながらも、アカリは彼等が自分の義眼を狙って来たのだと推考した。

 ならば、結局アージスやメルが死んだのも自分の所為なのだ。義眼を棄てて、この黒衣の集団に殺された方が贖罪となるのだろう。


 思考がそこまで行き着いて、途轍もない自責の念に駆られたアカリは、その場で目を抉り出そうとした。

 しかし、それを制止する様に声は優しく続けた。


 ――願うの。この場から逃げる、その道筋を探したいと。

「逃げたって、僕は罪人だ。ここで死んだ方が良いんだ」

 ――それをアージスが願う?メルが喜ぶ?


 その聲が二人の名を口にした事に唖然とする。

 僅かに弛緩した激しい罪悪感、その隙を衝いて聲がさらにアカリを叱咤する。


 ――生きなさい、死が罪滅ぼしにはならない。

「生きる……?」

 ――貴方の死を悦ぶのは、こいつらだけ。そんな事で、良いの?

「……よくない、僕はこいつらが許せない」

 ――さあ、目を閉じて。


 聲に従い、瞼を下ろす。

 闇に鎖された視界、その中で幽かに桃色の靄が揺れている。それが再び地面を這い、自分へと接近する様が視えた。

 この瞼の裏に宿る暗闇に、女性の首輪と力の動きだけを視覚している。義眼の力なのか、それとも研ぎ澄まされたアカリの力なのかは判らない。


 自己暗示するように、アカリは強く願う。


 ――この窮地を脱し、敵陣を突破する術理(みちすじ)を示せ。


 眼を開けたアカリの視界に光が閃く。

 暗い地面に光の道筋が浮かんでいる。兵士の残像が虚空に現れ、それを辿るように実像(ほんたい)が動き出す。

 靄は従前に視認可能であり、すべてを捉えていた。


 アカリは瞬きも忘れ、前へと駆け出す。

 目視した残像に従い、凶刃を避ければ一瞬の後に兵士の剣が空気を切り裂く。横に飛び退いて、直ぐに氷柱が地面から屹立した。

 相手の体が遅い、光の路を辿る自分だけが速く動ける。

 甲冑の音、それらの反響で背後の敵の位置なども捕捉できた。視覚に現れた異変が、他の感覚器官の鋭さまでを平時の数倍以上に増幅している。


 敵の兇手を悉く掻い潜って、アカリは集団の最後尾に脱出した。

 この理不尽な暴力の渦を無傷で過ぎ去った少年に、黙然と死の剣をふるっていた騎士が動揺で振り向いて止まる。女性さえもが、口許に僅かな驚愕が滲んでいた。


 足を止めず、アカリは村の道を猛然と走った。振り返らず、ただ一心不乱に前へ進む。

 背後から甲冑が追跡する音はしない、あの不気味な囁き声も無い。死の沈黙に包まれた村の形骸にすら目を遣らず、彼は転びながらも森へと逃げ帰って行った。


 その背を見守った女性は、首輪から手を離して艶然と微笑む。甲冑達に指示し、森へと追跡の手を放った。

 彼女は一度だけ燃える屋敷を振り仰いで、屋内で燃える者達に囁く。


「熱く燃えては消えていく、残した子のこと見送らず、哀れな村人ここにあり」





************




 下草を踏み分けて、担いだ背嚢(リュック)の肩紐を調整しながら進む。暗い林間に響くのは、自分の跫だけ。

 杖で足下を小突きいて障害物を捕捉する。まだ夜も明けない森を往くのは厳しいが、それでも躓かずに進んだ。


 瞼を閉じたアカリは、ふと後ろを顧みる。

 風に乗って香るのは、木の燃える臭い。義眼のお蔭で視える様になった今ならば判る。村だけではなく、自宅も火が放たれたのだろう。


 黒衣の集団を躱して逃げ帰ったアカリは、急いで最低限の物だけを背嚢に容れて旅支度をし、以前に村長から貰った杖を携えて家を出た。

 あと少しでも遅ければ、火に焼かれていただろう。親から贈られた義眼も奪われていた。


 彼等の目的は判らない。

 しかし、アカリが拠り所としていたモノを理不尽に奪った事に変わりは無い。十五年目にして最悪の誕生日であった。


 ――これから、どうするの?

「決まってるさ」


 アカリは喪った手を握る様に右腕に力を込めて、村から背を向けた時に微かに瞼を開ける。

 覗いた紫の瞳が、樹影の中で妖しく、剣呑に光る。


「絶対に許さない、必ず復讐する」


 穏やかだった少年は、その声色を殺意ですべて染め上げて告げた。





アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


本当の意味での本編スタート。

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