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003……最初の景色は



 アカリの意識が回復したのは、装着が終わって数刻が経った頃だった。瞼を開くと、脳が新たな情報を解析する。

 横倒しになった室内の様子を、アカリの眼は()ていた。景色が映像として、脳内に情報が伝達される。眼球を喪失して生きていた彼には元来無い筈の力。

 初めて体感する視覚に、未だ愕然として寝台の上を動かなかった。義眼は外観だけで、欠損した視覚能力を補助する機能は無い。

 しかし、この今は亡き親から贈られた品は、その摂理を打ち破って、彼に色鮮やかな風景を見せていた。視る、という未知の感覚に慣れず、彼は目を手で覆った。


 視覚自体を遮断してしまえば良い。


 アカリは瞼を閉じんとした時、脳裏に別の映像が蘇った。眼前の景色ではない、ここではない遠隔地(どこか)の出来事が視えている。

 鎖した途端に別の何かが浮かんできた。

 未知の体験ばかりが重なり、アカリは恐怖でその場に踞る。狂乱で今にも自我を失いそうな精神を押さえるので精一杯だった。


 ――辛いの?苦しいの?

「く、苦しい……義眼の所為(せい)……?」


 以前よりも鮮明に聞こえる脳内の声。

 しかし、それは幾人もの声色が重なったかの様に異質なモノである。頭を苛む苦痛により、恰も自分自身が何人もの意識と繋がっているのかとさえ錯覚した。


 眼前を(おお)った筈の瞼の裏に、脳裏の画が投影される。風に(そよ)ぐ梢の向こう側で、自分の家を訪ねる黒衣の集団。両手で鋒を頭上に掲げた剣を持つ。

 今の映像が何を意味するのか、アカリがより意識を注いで視ようとした時、手首を握られる感触に体が跳ねる。


 アカリは驚愕で眼を見開いた。

 またしても目前に景色が現れる。寝台を挟んで立つ……人間、これが?一人は情熱的な赤(?)髪、もう一方は禿げかけた頭部をした壮年の男性。

 色彩や人間自体を初めて視認するため、赤や青といった抽象的概念、そして女性や男性の区別に困窮する。触覚と聴覚のみを恃みにした生き方のアカリには、視覚を得たところで理解し得ない世界だった。

 自分の手首を握る者……それがメル。隣の人が医者なのだと、半信半疑ながら認識する。


「アカリ兄さん……だ、大丈夫?」

「メル……だよね。凄い、視えるよ君の顔が。これが赤髪、これが人の顔なんだ」


 義眼をした瞬間から生じた異変。

 メル達こそ一驚し、アカリの顔を覗き込む。紫色の虹彩、中心へと収斂する様に幽かな光が揺らいでいる。

 彼はメルの髪の一房を掌に滑らせ、感触で事実確認を重ねて行う。稠密に書架へ詰められた書物の文字など、奇形の数々が情報として取得された。

 鮮烈な刺激は、苦悶から快感へと変遷する。

 長らく自分を周囲と隔絶させていた眼の有無、それが今解消された事により、もはや眼球を抉り捨て子にした親の所業すら恨まなかった。

 寧ろ時を経て、こうしてまた眼を与えてくれた事にこそ深甚なる感謝を抱く。

 余人が平凡と称しても、アカリには覆し難い厳然たる美しさとして世界が映る。

 今までにない笑みが溢れ、彼は嬉々として室内の物を手に取り、矯めつ眇めつして記憶に深く刻み込んだ。


「アカリ兄さん、本当に私が判る?」

「うん、うん!」


 上機嫌にメルの両手を堅く握り締め、上下に強く揺さぶる。故意にではなく、感情を制御しきれていない。

 環境に抑圧され、抑えていたアカリの無邪気な性質が決河の勢いで溢れていた。屋敷に通う姿を時折見かける医師でさえ、平時の姿とは異なる様相の彼に唖然としている。

 自分達が忌避した人間が、皮肉にも眼を取り戻しただけで印象が好転してしまう。何と薄情なことかと、医師は自嘲気味にその姿へと息を吐いた。


 アカリは扉を開けて廊下に出た。

 今ならば、この健全な姿をアージスに披露できる。最も苦労をかけた者の一人である彼にこの姿を見せる事こそ、恩返しの一つになるのだ。

 医師に訊けば、アージスは小用で村の北側の森――即ちアカリの家の方面に居るという。帰路の途上で彼の喜ぶ顔が見られるならば畳重。

 建物の内装を眺めながら、侍女達の隣を颯爽と駆け抜け、玄関を飛び出る。


「……凄い……」


 目前に広がる畑、水路を流れる水。

 既に日の暮れた夜とは(いえど)も、音だけで捉えていた頃とは比較にならない衝撃を与えられる。足下の砂礫さえ拾い上げてじっと視た。


 夜は月光さえ無い暗闇。曇天に姿を(くら)ませた月さえ見れば、きっと見惚れただろう。話には聞いても、願っても視られなかった彼の感動は一入(ひとしお)だった筈である。

 不意に、脳裏に浮かんだ映像を想起する。

 自宅を訪ねていたあの黒衣……否、僧衣の様な服を纏った集団は何者だろうか。今まで視覚で物を認識した経験も無いアカリは、物を想像する際にそれを映像として脳内に再生できない。

 それが如何に特殊な義眼を得たからといって、即時可能な筈もないのだ。()ず、家の事や黒い僧衣の集団さえ念頭にすらなかった。


 屈み込んで砂を視たいたアカリの前方にて、砂を摺る堅い靴底の鳴らす(あしおと)がした。村の人々が履くのは大抵が草履(サンダル)である。


 村を訪ねる旅人の中にも革靴の人間がおり、それが踏み鳴らしていくのを、アカリはよく憶えていた。いや、革とも少し違う。

 ここ最近に村を訪ねた者など居ない筈だ。

 アージスが余所者でも歓迎する寛容な人柄であるのも理由の一つだが、慎ましい生活を送る村人からすれば外様(とざま)の人間は生活の糧になる。だからこそ、来訪者は放っておかないのが常であり、村に異様な動きはなかったからこそ、可能性は無い。

 歩み寄る音に、アカリも顔を上げた。


「悪い子見つけて叱ろうと、一歩進んで一睨み、童は容易く怯えてる」


 子守唄の様な抑揚、夜闇に溶ける黒衣。

 夜は目が利き(にく)いと聞いていたが、義眼では闇さえよく視えていた。相手の輪郭が克明に捉えられ、襤褸(らんる)も同然の裾なども捉えられる。

 肩と前身頃のみを保護する薄い軽鎧を装着した女性だった。

 闇に映えるのは、血の流れる生者とは思えない白皙の肌。頭巾を被り、隙間から漏れた滑らかな白い長髪。

 目許まで隠す銀の額当(ひたいあて)は、一対の角、それを基部に頭部を囲う馬蹄形の輪がある。

 爪先に鉄の具足を施していた。成る程、靴音が妙に硬質だった理由を漸くアカリは納得した。


 奇異なる風貌も、だがしかし視界の開けたばかりで違和感しか無い彼では、その奇態の如何を断ずる常識が無かった。


「夜に耀く眼の中に、世に残りし邪悪なり。眼窩を抉って取り出して、壊して救ってあげましょう」


 この麗人が、奇人であるという事は世情に疎い少年でさえも解せる。夜にたった一人、それも砂を拾って注視する村の嫌われ者に会話を求める時点で正気の沙汰ではない。

 また彼女が一歩と歩み出る。

 その進歩を、ただアカリは静観していた。


 ――逃げてっ!

「ッ――また……!?」


 アカリは後ろへと飛び退(すさ)る。

 またしても体が勝手に動いた。しかし、声の正体云々や原理を考えるよりも、今は前に居る彼女の存在が放つ不気味さにこそ意識が集中する。

 僧衣の女性は、喉に装着した銀の首輪に触れると、低く荒い語調で囁いた。


「《吹き荒べ、黒い風(アテル・ウェルテクス)》」


 彼女の背後から、一迅の風が吹く。

 アカリの着地に備えた足を掬うほどの風圧であり、風の中には黒い針の様な物が幾つも混じって肌を切り裂いて過ぎた。強風に押され、地面を転がる。

 直ぐに跳ね起きると、風は止んでいた。

 体中に生まれた浅い傷から血が滴る。膚を這う痛みに顔を歪めながら立ち上がり、一歩ずつ後退する。


 何をされたのか、全く判らない!


 ただ確かな事として、アカリの目に変化が表れていた。

 女性の首輪から、薄い紫の靄が漂っている。彼女は、それに手を添えて囁く。


「《衝き立て、氷柱の丘よ(コリン・スティーリア)》」


 またしても清澄な声音で囁いた。


 ――避けて!

「何処へ……!?」


 アカリはふと視線を下に向けた時、女性の足下から自分の方へと地面を這う紫の靄を目視した。接近する異様なそれに、漠然と危機感を覚えて左へと跳んだ。

 立っていた過去位置から靄が円錐を象って一瞬の後、巨大な氷柱が出現した。地面を突き破って現れた物に巻き上げられた泥が雨水の如く降り注ぐ。


 アカリは宙に弾き上がった泥を摑み、女性へと一つを擲つ。目眩ましの積もりだったが、彼女の寸前に透明な紅の壁が立って汚泥を阻んだ。

 それでも充分だと、アカリは隣を駆けて過ぎた。人間の技ではない、鍛治が扱い、自分が苦手とする火などの自然現象とはまた異なる部類で発生する人為的な現象。

 恐慌で思考能力が低下し、アカリは必死にただ走った。

 しかし、その生来から敏い聴覚(みみ)は進行方向を騒がせる音を知覚した。まだ距離は遠いが集団の気配であり、一斉に何かを唱えている。


『傲然たる呪物(じゅぶつ)に封印を、行使する咎人は断罪し、囁く聲で不浄を消したまえ』


 (やかま)しい甲冑の音。重く泥を踏み均す無粋な足は、一切の乱れなく歩調を揃えて進行する軍だった。

 また脳裏に浮かぶのは、アカリの自宅を訪れた武装集団。嫌な予感に、彼は顔を蒼褪(あおざ)めた。


「あれは、現実だったのか……!?」


 アカリが目を凝らそうとした時、()()()()()()()()()()()()()()()。足は前進していないのに、目だけが遠くの景色をより近くで視ようと独りでに動いた。

 鈍く曇った剣を両手で掲げた甲冑姿。人相も匿し、全身を固めた武装が複数束ねられた集団は、自我を得て進む堅牢な城そのものに思われた。

 威圧感を放つそれに、しかしアカリは違和感を覚えてより注視する。曇った剣の刃には、目に焼き付く真紅が幾つもあった。それはメルの頭髪に似た色で、すぐ傍にある水路を流れる水に似た物。

 彼がやや視線を上に上げると、剣の鋒から垂れ下がる物体を発見した。同じ液体を滴らせるそれは、人間の四肢である。

 そう、あれは血なのだ。

 その理解が及んだ時、アカリは言葉を失った。夥しい甲冑は、凶器の先端に人を刺して振り掲げて歩む。


「見つけた見つけた哀れな子、やっと見つけた宝物、潰して壊して塵になれ」


 背後からも女性の声が闇に谺する。

 前後を挟む恐怖の聲たちに、アカリは叫んだ。


「おまえ達は一体、何なんだよッ!!」



アクセスして頂き、誠に有り難うございます。


次回、覚醒。

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