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もう一つの眼──001……親の贈り物



 金と銀と銅。

 どれが一番美しいか、それを見分ける。

 皆は迷わず、輝く金が文句無しの一番だと言う。どうして決め付ける?


 磨けばどれだって、美しく光る原石なのに。磨いてしまえば、金にも負けない独特の美を宿すというのに。



*********



 低く重たい雲が空を覆っている。森の草木は朝露に濡れて、無風の樹間には夏の兆しとなる湿潤な空気が蟠る。歩む者は皆が肌に滲む汗を忙しなく拭うのが普通となり始める季節。

 行商人もまた、荷車に乗せた商売道具の管理に最も注意する時期であり、森で唯一舗装された道で馬に輓曳(ばんえい)させながら、後方の荷台に振り向いて確認する。

 鬱屈とした曇底は、見上げずとも人々の心を沈鬱にさせる。


 森で背負子を担ぐ影は、切通の崖の上からその通行人の行方を見届ける。いや、正確には音で位置を捕捉し、そちらに顔を向けているだけだ。

 樹影の下に潜み、ただ静観する姿は空気に溶け込んで気配を消していた。

 端整とも平凡とも言い難い、印象の薄い面差し。薄い唇は始終感情の火を灯さず真一文字に結ばれた表情。そして、目隠しに手拭いを巻いて、頭の後ろで堅く縛っている。


 昼と夜は大差無い。

 彼にとっての日常で、太陽が頭上にあり、月が夜気を照らす時も判らない。ただ確かなのは、自分の前がいつも無窮の闇に(とざ)されている事のみ。

 周囲はいつも音が漲っている。自然や生命、他者を知覚するとなれば、それだけ。生きていく上では、それだけで事足りる。

 片手に提げた枝で足先を運ぶ方向を小突いて障害物を調べる。一見、前進することに慎重になる者の作業は遅いのが常だが、その手先は路上の石でも転がして遊んでいるかの様に軽く、そして早い。

 太く張り出した木々の根も、軽快に飛び越える。その道程は酷く険しいにもかかわらず、何ら蹴躓くことなく歩調は()まず弛まず目的地へ。


 森林限界となる際に、一軒の家が建つ。

 木組みと藁葺きの素朴な外観であり、引戸を開けた内装も竈が一つと弓矢、箪笥と横に立て掛けた三尺半の杖。生活に最低限な物だけを備えた室内で背負子を降ろす。

 堅く結んだ紐を解き、積んで乗せた薪などを竈へと放る。(ひうち)を切る時ばかりは、手元の作業が滞る。何年やっても、彼が慣れることはない。その所為か、火傷を防止すべく生活費を(はた)いて買った厚手の手袋は、小さな火にも抱く彼なりの恐怖心を示していた。


「あっれ~?また手袋なんてしてるの?」


 戸口から響く揶揄いの語調に、彼は顔を上げて手袋を外した。小枝を手に取り、床を叩きながら足下を確かめてそちらに進む。

 訪問者のくすくすと小さな笑声に向かって歩いていたが、当の本人はその緩慢な歩調に待つのが焦れったいのか、直ぐに住居に押し入って隣を過ぎ去る。

 跣で歩く時に鳴らす、足の裏が床に貼り付く特有の音で感付き、彼は後ろへと振り返った。


「もう昼なのかい、メル」

「アカリ兄さんが無様に火傷してないか、楽しみにしてたのに」


 メルというのは愛称であり、訪問者の本当の名前はメラリス。

 近くの農村に住む鍛冶の娘であり、父の生業の影響で肌は焼けている。人懐っこい円らな瞳をいつも細めて悪戯っ子の笑みを顔に貼り付け、一つに結った紅い髪を元気に揺らしている。将来を期待される村一番の美しい娘――らしい。

 彼――アカリも、彼女の住む農村で働いており、そこで村人の噂から聞いた話である。その内容の真偽を確かめたくても、目が見えなければ話にならない。

 幼少期から盲目なアカリは、身辺にある不都合にも慣れる前から村で農業に従事している。まだ赤子の状態で隣接する森の中に捨てられていた彼を村長が拾った。

 その赤子は奇妙な事に、眼球が無かったのだ。抉り取られたのか、血涙を流していたという。親の存在を証明するのは、赤子に握らせた一通の文。

 そんな災禍の凶兆とも皆が慴れる中で、村長は我が子のように育てた。しかし、その村長が流行り病で亡くなってからは、迷惑をかけぬ様にと森で暮らし始める。そして今、村長の息子による言い付けで、メルはよく家に訪れるようになった。


 アカリはうん、と唸ってから床に腰を下ろす。

 目の不自由な彼のために、メルはよく料理を拵える。これも村長の息子からの注意で、彼は食事を木の実一つで終わらせてしまう事が多いからと、メルに監視させるようになった。

 嫁入り修行にとメルもまた料理を手習で覚え、その上達の如何をこうしてアカリに披露する。

 室内に漂いはじめた芳ばしい香りに鼻を鳴らして嗅ぐ彼が、まるで犬の様に見えてメルは可笑しそうに笑った。


 粗末な木の皿に盛られたそれに、アカリは匙で掬って臭いと熱気で位置を捉えると、口許に慎重に運んだ。親もいなく、同居人も居ないとなれば補助は望めず、必然的に一人で不都合を処理する術理を日々模索している。

 ただやはり口からはみ出す事もあって、唇の周りを汚す。それを横で見守るメルが無造作に濡らした手拭いで乱暴に拭うのだ。


「間抜けなアカリ兄さん、私が居ないと本当に駄目よねっ!」

「もう、迷惑かけない積もりだったんだけどな」


 消沈するアカリに、メルはふんと鼻を鳴らす。

 物事を悲観的に捉える彼は、村からの冷遇にも反論せず、同年の子供からは愚鈍と卑称され、受ける虐めにも訴えること無く沈黙していた。

 そんな姿を端々で見かけては、煮え切らない気持ちになるのがメルである。何故ならアカリには、同年代の誰よりも優れた力があるのだ。


 目が不自由な代わりに、触覚や(みみ)が人一倍鋭い。触れれば何かを一度で看破し、幽かな音の反響で他者や物体の位置を捕捉してしまう。

 前にも、メルが彼の直ぐ後ろで皿を落とした時も、床に付く寸前で身を翻して皿を摑み、何気無い仕草でメルに返したのである。

 それなのに、皆から足を引っ掛けられたりされても、事前に知覚していながら避けたりしない。だから皆は、彼が疎いのだと誤解していた。


 メルは消極的で暗い性格のアカリが、本当に嫌いだった。


「そういえば、今日は十五歳の誕生日でしょ?」

「ああ、そうだった」


 とても興味が薄そうな彼に、メルは顔をむっとさせてその鼻先まで顔を寄せた。ほら、避けない、苛つく。

 十五歳が成人とされており、メルは自分より一年先に迎えたアカリが恨めしい。彼女は成人すれば、隣に住む幼馴染の家に嫁ぐのだ。

 結婚に憧れている少女は、これを小さい頃から待望していた。アカリもその話を何度か聞いている。

 メルが彼の頬を指でぐりぐりと押す。無表情で受け止める彼が、本当に苛立たしい。


「成人すれば、職に就けるのよ。アカリ兄さんは家業が無いから、自由に選択できる」

「村長の家で働かないか、と言われた」


 アカリとしては、恩情のある村長の一家に一つでも何かを返したい所存で生きていた。だからこそ、村長の息子であるアージスの下で働く事を所望している。

 最近は、人柄が良い事もあってアージスの妹にひどく気に入られた。声と足音、その歩調だけでしか人を判別出来ないないアカリは、一向に他人に恋情を持つことすらない。

 確かに愚鈍と言えばそうなのだろう。メルは顰めっ面のまま、食事中のアカリの背を叩く。


「アカリ兄さんは私の家の鍛治でも継げば良いのよ」

「だから僕、火は駄目なんだって」

「厚い手袋があるじゃない」

「親父さんに迷惑だよ。狭い部屋で僕みたいな愚鈍を抱えてたら、作業は進まない」


 空になった皿を引ったくるように取り、メルは桶に汲んだ水で洗い始めた。成る程、鍛冶は手元の正確さ、錬鉄を炙る火勢の調整、他にも様々な技を強いられる。

 アカリの様に目の利かぬ者では、出来る事も少ない上に邪魔になるのは明白だ。悲しくも、彼に鍛冶の適性は皆無だった。

 だからといって、農業と隣の村まで炭を運ぶだけの仕事では充分な生活費を賄えない。そんな事に納得しながら、現状を変えようとしない彼にアージスやメルさえ嘆息を禁じ得なかった。


 アカリはふと思い出した様に、箪笥へと躄って進む。訝って振り返った彼女の背で、彼は曳斗(ひきだし)を漁り始めた。物が入っていないも等しいが、その奥の方へと手を這わせる。

 見かねたメルが、箪笥の中身を検めた。彼は苦笑しながら身を引いて、大人しく待機する。

 すると、メルの指先に硬い方形の物体の感触。ゆっくりと引き摺り出すと、一つの箱だった。矯めつ眇めつして、彼の方へと振り向いて手渡す。


「これ、何なの?」

「アージス様から頂いた。村長が預かっていて、捨てられた僕と一緒にあったらしい」

「ふーん、それで?」

「十五歳になったら開けろって、僕の親が手紙に記していたそうだ」


 箱を手に持って笑顔のアカリを見詰めたメルは、その中身が気になった。何せ、正体が判らない彼の親を示す手懸かりだ。

 メルはそれを半ば奪う様に取ると、金具を外して箱の蓋を開けた。やや埃被っているが、手元が汚れても気にしない。

 明かされた中身は、二つの球体。

 透き通る白い水晶体に、一つ紫の円が彫られている。中身は空洞となっているのかもしれないが、光に翳しても暗くて判らない。

 メルでも判る、これは――義眼だった。


 物珍しく、奪われた後に慌てて箱を取り返すアカリ。蓋の無いそれの中へと手を入れると、球体の存在を感知して首を傾げた。

 指の間に挟んで転がしている。


「義眼よ、それ」

「義眼って、あの目の替わり?へえ、嬉しいなぁ」

「明日にでもアージス様の家の医者に嵌めて貰いなさいよ。アカリ兄さんに悪戯しない人だし」

「うん、そうするよ」

「義眼なんて、見てくれだけで価値なんて無いのに。そんな物を贈るだなんて、せめてお金にすれば……」

「僕は嬉しいんだ、これでも」


 アカリは箱にもう一度それを納め、蓋を閉じると大事そうに胸に抱いた。

 メルは不思議そうに、それでもどこか嬉しそうに笑うと、戸口の方へと歩いて行く。


「それじゃあ、またね。アカリ兄さん」

「ありがとう、メル」


 メルが立ち去った後、アカリは箱を箪笥に仕舞って、自分も小屋の壁に立て掛けた桑を持つ。そろそろ村での仕事が始まる。

 彼は地面を小枝で突つきながら、村へといつもより軽い足取りで向かった。






読んで頂き、誠に有り難うございます。


次回の更新は、今日の夕方か明日の朝になると思います。早めにしたいですね。


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