002……街道の傍で
土砂崩れの恐れもあり、街道へと急いで戻った二人は、賞金稼ぎの視線に注意しながら人波に合流すると、中継点の駅まで休まず歩いた。
少女が起きた時の栄養補給、身体を温められる落ち着いた場所が欲しい。
普段は傭兵稼業で飯を食い繋ぐアカリの業に則り、二人である程度は稼いでいる。出費は控えたいが、人の命には替え難い。
このグレスの判断にも、アカリが異を唱える事はなかった。
駅に着いて、少し多く糧食を買い込んだ二人は、そこから少し離れた地面の平坦な林の中で野営した。
草枕は流石に辛いと、天幕を張って地面には遮水性のある布を敷き、少女を寝かせる。
体温が低くならぬよう体を吹く必要があって、目の見えぬアカリに代わってグレスが悶絶しながら済ませた。
熾火の熱に当たる位置で外套に包ませ、目覚めるのを待つ。二人は漸く落ち着いて、倒木の幹に腰を下ろした。
アカリはやはり、油断なく少女を視ている。
不審な挙動があれば、即座に飛び掛かって手甲剣で首を刎ねられる居合い腰。その姿勢は、一月もの間をその傍で費やしていたグレスも畏怖する。
グレスからすれば、少女は明らかに人畜無害そうな優しい顔つき。
紅の髪は、襟足が肩に届かない短さに切り揃え、顳顬は鎖骨辺りに垂れるほど長い髪型に揃えている。
泥で汚れた顔も拭ってやれば、肌理の細かい白い肌がそこにあった。
帯で腰を絞ったオフショルダーの貫頭衣を干して、今はアカリの単衣で凌いでいる。
一四、十五の小娘であり、容貌は清艶で嘉い印象を受ける。
「アカリ、お前がそう露骨に警戒していると、起きた時に娘が変な気を起こすやもしれんだろう」
「む、それはそうか」
アカリが構えを解いて、乾いた樹幹の上に横臥する。道を急いだため、さしもの彼も疲労の色があった。
グレスは娘を担いで長距離を歩んだ所為か、体の凝りもあって吐いた嘆息はひどく重い。
二人は一時の情けで至った現状、果たしてこれが正しいか判じかねていた。
二人が熾火で鍋に煮込んだ具材を交代で混ぜ、見張りをしていると、天幕の中から少女が顔を出した。
臭いに釣られたらしく、相好を崩して情けない笑顔を浮かべている。外套に身を包んで、鍋に近寄ろうとした寸前でグレス達に気づいて飛び退った。
機敏な動きに、アカリが手甲剣を抜く寸前だった。
天幕の中から顔だけを出して警戒する彼女に、グレスが刺激せぬよう話す。
「俺達は旅の者だ。別に君をどうこうしようと思わない」
「……ほんとに?」
疑いに揺れる碧眼に、グレスはうなずいた。
暫し逡巡してから、摺り足で熾火の側まで寄ると、鍋の中を覗き込む。
まだ表情に警戒があったが、腹の虫が鳴って羞恥に顔を赤らめ、誤魔化すように騒ぎ出す。
忙しない様子にアカリは鬱陶しげに目を眇め、彼もまた少しして空腹を訴える腹を思わず抱いた。
「おや、アカリ。今、何か聞こえたぞ?」
「グレス、それ以上は言わんでくれ」
「二人とも腹が減ってるなら仕方ないな」
椀を取りだし、そこに煮汁を注いで渡す。
食欲をそそる色に濁った汁から立つ湯気に、二人は生唾を呑んでいた。苦笑するグレスも己の分を注ぎ、食前の礼をして啜る。
それから少女とアカリによる鍋の争奪戦が繰り広げられた。
「アカリ、そう急ぐな」
「やはりグレスの飯は絶品。これを知らぬ他の旅人に同情と優越感を禁じ得ねぇ」
「嬉しいが、言い方がな……」
アッデ国の初日で振る舞われた時、アカリは彼の飯の虜だった。
初めて味わった日より、携帯食の粗末さに舌が過敏になっっている。
汁を飲み込むアカリの気迫に若干引きながら、グレスが流眄した先では少女は半ば涙目で食していた。
まるで子犬の様な印象に、思わずグレスは笑みが溢れる。
「……どうだ、旨いか」
「美味しいです、凄く」
それから二人が争いが続き、鍋の底が見え始める。
アカリは未だ満足していないが、怪我人に対する譲歩で最後の一掬いまでは取らなかった。少女は頭を下げて一礼し、一片の警戒や疑念すら無い笑顔で完食する。
篤く礼を言って椀を返す少女は、今や最も自身を警戒している男の隣で無防備に余韻に浸っていた。
食器を片付けながら、グレスは手帖を取り出す。
少女の意識が回復したならば、やるべき事がある。図らずも飯で警戒が解けた今だからこそ遣り易い。
「俺はグレス、アッデ国の元番兵だった」
「アカリ、しがない傭兵でさ」
無愛想なアカリの反応に、少女は慌てて頭を下げる。
「えと、私はメリアラです」
「そうか。宜しくな、メリアラ」
「あの、周りにはメルって呼ばれていたので、そちらの方が落ち着くというか……」
「おう、そうなのか。済まないなメル」
手甲の中の細工を確認し乍ら聞いていたアカリは、その手の動きを止めて少女を凝視した。
グレスも、その異様な反応に気づく。
小首を傾げるメリアラ――愛称をメルとする少女の視線から逃れるように、アカリは顔を逸らした。
「どうした、アカリ?」
「いや、別に。ごめんなさいまし」
グレスは気を取り直して、メルに問う。
「それで、君を崖の傍で保護したんだが、あれはどうしたんだ?」
「じ……実は、父が殺されて、その理由を探る為にも私は父の知己である『おじさん』に助けて貰おうと故郷を出て」
「出身は?」
「か、カルティクスです」
「ふーむ、その『おじさん』には会えたか?」
悄然とするメルの反応に察して、グレスは何も問わなかった。
父を想って旅立ったが、目的の人物が見つからずに右往左往していたのだろう。無鉄砲と言いたいが、事の端緒が父の死ともなれば、嘲る事はできない。
事情を尋ねるとはいえ踏み込んではならない域がある。父の死について無粋に問うのは恥ずべきであるとし、グレスは口を噤む。
黙々と話を聞くアカリは、少女の赤髪を横目で見た。
メルもまた、戸惑いで碧の瞳をちらちらとそちらへ寄越す。
「旅に出たんですが見付からず、よく野盗に追われて」
「それは、大変だな……」
「彼等を撒く為に森の奥深くに行ったら、何だか別の人に襲われて」
「別の人?」
「黒装束の、魔法士たちに」
その特徴にアカリとグレスは互いを見合った。
黒装束の魔法士、それも集団であるならば仇敵の『魔法騎士団』に相違無い。
あの山間部に彼等が居たとなれば、二人は危険な土地で休んでいたという事。
アカリとグレスは、やや顔を蒼褪めさせて笑う。携帯食を齧っている場合ではなかった。
少女の存在を少し早く気取って、現場に駆け付けていたなら、『魔法騎士団』との衝突は免れなかっただろう。
アカリは、メルから感知する特殊な反応を視た。
『魔法騎士団』がどんな底意を以て襲ったかは知らないが、少なくとも彼女が擁する特別なモノを求めたに違いない。
人の居ない山へと彼等がわざわざ入って襲うのだから、余程の事なのだろう。
二人の様子を訝りながら、メルは話を続けた。
「崖から落とされて、今ここに」
「それで、『おじさん』とは?」
メルはぱっと顔を輝かせた。
些か興奮気味に前に乗り出す彼女に、アカリは驚いて少し距離を置いた。無愛想だった相手から話し掛けられた事が嬉しかったのかもしれない。
微笑ましそうに静観するグレスに非難の視線を向けながら、少女の話を聞く
「『おじさん』は……」
「待った」
アカリが手で制止すると、樹幹の上で立ち上がり、周囲を顧眄する。彼の意中を察知し、グレスも短剣を引き抜いた。
話を中断されて当惑するメルの隣に二人が背で囲うように立つ。
「あの、アカリさん?グレスさん?」
「アカリ、相手は何だ?」
「色々混ざっているが、賞金首と身形の粗末な野郎が結構な数揃えてやす」
「野盗だな」
アカリの纏う空気が冷たく変化していく。
模様のある手甲剣を挺き放つと、虚空へと何度も振るった。混乱の沙汰かと思ったが、その後に三人の足元へと叩き折られた矢が散乱する。
闇夜の中でも、アカリの魔眼は冴えていた。
やがて、三人を囲うように林間から武装した人間たちの姿が暗中に忽然と姿を現す。熾火に照らされたその顔は、狂喜に歪んでいた。
メルが小さく悲鳴を上げ、思わずアカリの股引の裾を摑む。
「手甲剣の華々しい初陣になりそうだな」
「そりゃ喜ばしい事ではあるんですが……」
「どうした?」
「ちと度を過ぎたモンも居ます」
「度を過ぎた……?」
虚空を振り仰いでいたアカリ。
暫くして、その表情に僅かな驚怖が兆し、メルを脇に担いだ。
「あっ、アカリ!?」
「グレス、横に飛びんさい!!」
驚く彼女とグレスを叱咤し、その場から飛び退く。
慌ててグレスも地面を蹴って跳躍した。
次の瞬間、突如として発生した暴風に煽られて吹き飛んだ。
爆風の威力は計り知れず、ただ数瞬前まで腰を下ろしていた樹木は木っ端と化して四散する。無論、ただ跳躍しただけの三人に届く余波も強大だった。
凄まじい熱風が含む木片に背中を乱打されるグレスは、独楽の様に回りながら空中でアカリの手によって突き飛ばされる。何事かと訊ねる間も無く、地面に叩き付けられて転がった。
呼吸の苦しくなる衝撃に苦鳴し、震える腕で立ち上がった。
そこでは、右の上腕半ばから断たれ、流血を迸らせるアカリが仁王立ちをしていた。左脇にはメラリアを抱えたまま、周囲を睨んで牽制する。
グレスはその後ろ姿を見て、血の気が引いた。
彼が腕を損失した原因――それは、謎の攻撃の余波から自分を庇った所為だ。
何をされたかは判らないが、自身のためにアカリが犠牲となったのは明白である。
敵の攻撃は――理解不能だった。
座していた樹木は破砕され、アカリの右腕は消滅してしまったのか、肉片すら見受けられない。
皹割れた手甲と、内側から破損の無いウーツ鋼だけが残っている。
グレスは摺り足で前に出ながら、ウーツ鋼を回収した。手拭いで包んでから腰の雑嚢へと収納する。
アカリが右腕に向けて瞳を瞬かせると、出血が忽然と止まった。その部位の傷で血が凝固したかの如く、生々しい断面からは一切の血すら滴らない。
グレスは長剣を構えつつ、その傍に寄り添った。
相棒の片腕を奪ってしまった自身の失態を挽回する他に、今は償う術は無い。
「アカリ……俺は……!」
「安心しなさいな。これでも軽い傷だ」
アカリは脇に担いだメラリアを降ろし、懐剣の鞘を足で器用に抜いて、口で得物の柄を摑む。
全方位を円の陣形で包囲するのは、野盗と一部は上等な装備を手にした賞金稼ぎと思しき人物たち。寄せ集めとはいえど、下手な兵よりも実戦経験に富んだ集団だった。
手負いの状態、加えて戦闘経験の少ないグレスで、更にはメラリアを庇った戦線は、曾てない窮状となっていた。
義手や手甲が破損した場合を想定した事もあって、過去に懐剣を口で扱う戦法で対敵した時もあって、じぶん一人なら野盗を退けるのも困難ではない。
いつしか我知らず二〇〇万ファルンもの報奨金を付けられた身分としては、ただ失笑するばかりだった。
アカリは心中で冷酷な判断を降す。
最悪はメラリアを置き去りにするしかない。
グレスと二人ならば、脱出も可能性としてはあり得る。
ただ山中で拾った奇妙な子供、それが特殊で自身の運命に漠然と関わりを感じたといえど、庇い立てする道理無し。
「――グレス。あっしが陣を崩す」
「判った、俺がメラリアを守れば良いな?」
「……重荷になるなら捨てやしょう」
アカリは冷たい声で言い放った。
グレスが驚愕に目を瞠る。
少女を見捨てた脱出策、敵の戦力や現状の厳しさから、理解はできる。その判断で相対的に自分の甘さを自覚させられながらも、やはり同意しかねた。
グレスは長剣の柄を強く握り直して、軽く振るった。
「自分で助けた手前、メルを忽せにしては後顧の憂いになる」
「……仕方無し」
アカリは意を決し、陣形の手薄な部分めがけて地面を蹴った。
円状に展開した包囲網は、しかし薄く伸ばされた盾の如く密度が無い。アカリ達を逃さぬだけの密度を有する員数が現場には揃っていなかった。
見開かれたアカリの双眸は、敵対者、味方、風や足下の草木…………自然界に存在する悉くが発する未来の動作、その軌跡を捕捉する。
迫撃を開始した野盗を鮮やかに躱しながら、その首筋や懐に一刀を斬り込む。
グレスとメラリアは、その後ろに従いて行った。
二人に振り翳される脅威のみを斥ける。
たとえ右腕を失ったとて、アカリの行動を阻める者は居なかった。途中から奪った剣を左手で駆使して、さらに敵を斬り払う。
目の前の一人が腰めがけて横に薙ぎ払った棍棒を、地面に突き立てた剣で受け止め、その柄の上に飛び乗った。
器用に片足のみで直立する。
その状態から回って棍棒の遣り手の頬を打擲しつつ、口に摑んでいた懐剣を手に持ち替え、翻身と同時にグレス達の後方から迫る敵の眉間に擲った。
飛び降りて剣を再度摑み、さらに奥で構えていた敵の内懐に低く潜り込んで、膝から一太刀で切断する。
一点突破を敢行し、包囲網をあと少しで脱するほど敵陣の奥深くまで踏み込んだ時、アカリはある方向を振り仰いだ。
血色を変え、グレス達を叱咤する。
「グレス!今度は屈みんさい!」
「判った!」
低く地面に伏せた三人の頭上を、一瞬遅れて光線が薙いだ。野盗もろとも勦討する力に、メラリアは唖然としている。
光の焼いた地面の線から爆風が発生した。泥と砂塵が掘り起こされ、捲れ上がった地面と共に深く根を張っていない木々は倒れる。
無差別に対象を消滅させる暴力で荒れる戦況の中、グレスは目前に包囲網に豁然と開いた道を捉えた。アカリとメラリアの肩を摑んで、そちらに走って導く。
状況を理解したアカリもまた駆けた。
「何なんだ、あれは!?」
「取り敢えず、この場を離脱しやしょう」
アカリはふと足を止めた。
重大な事を失念したのかと、グレスも止まって彼を顧みる。
アカリの視線は自分に固定されていた。厳密に言うなれば、グレスの背負った大きな荷物たちである。
「グレス……外套」
「持ってる。お前の分も回収済みだ」
「天幕や寝巻きは」
「畳んで背負ってる」
「……ウーツ鋼、あっしの私物」
「安全に確保した」
「……あの戦闘の何処に、そんな余裕が……」
「そんな物、一瞬で片付けられる!」
まだ背後で士気を崩さず追撃せんとする敵襲を恐れ、先を急かすグレス。
アカリとメラリアは彼を追って走り出したが、その裏では呆れ半ばに驚嘆していた。
グレスは――思っていた以上に頼れる存在ではないか、と。
アクセスして頂き、誠に有り難うございます。
次回も宜しくお願い致します。




