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先天性ブルーチョコレート  作者: 秋茄子トマト
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放課後ブラッドベリ

2.放課後ブラッドベリ


 ぼくは、確か、餓死したはずだった。

 ひきこもっていたときに、親が死んで、きょうだいから、仕送りを止めれば働くんじゃないかと思われて、それでそのまま、死んだはずだ。

 ぼんやりと、そんなことを思いながら、改札からの道を歩いていたのは、天気がくもりだったからかもしれない。

 ひきこもっていたときに好きだった天気は、くもりだった。

 くもりが一番好きだった。

 くもりの空は、ぼくを助けてくれる。

 だって、くもりのときには、あまり人が歩いていない。

 光が少ないから、人の顔もよく見えない。

 うすぐらい天気が、自分の心にあって、自分は一人ではないと思わせてくれる。

 これが晴れの日で楽しそうな空気だったら、悲惨なものだ。

 自分が世界でただ一人不幸な人間に思えてきて、しかも寄り添ってくれる人がいないような気持ちになってしまうから。

 だから、曇り空は、ぼくにとっては、祝福の空だ。

 くもりのほかには、雨も好きだ。

 雨が降っているときは、みんな傘をさす。

 傘をさしていれば、相手と目線を合わせずに済む。

 相手からも、自分が見えない。

 あまけむりの中、すべてのものがかすむから、ぼくの姿は秘匿される。相手の姿も、霧の向こうにあるようにあいまいになる。

 ぼくは、守られている。

 そんな気持ちになる。

 だから、雨も好きだった。

 改札から出ていくと、一本道で、それが学校のような建物に続いていた。

 そこに、曇り空の下、ぼくだけが歩いている。

 さっきまでは星空だったのに、急にくもりになるのが、なぜか不思議ではなかった。

 ゆっくりと校門をくぐる。

 昇降口のようなところで、くつをはきかえて、中に入る。

 学校の地図が、目の前に見えた。

 覚えるのに苦労することなんてなさそうな、簡単なつくりだった。

 ぼくは、ふらふらと学校の中を歩いてみることにした。

 他のみんなも、ぼくと同じことをしているのか、たまに、何人かの人たちとすれちがった。

 曇り空だった空は、いつの間にか青く染まっていて、だけど、以前のように、落ち込んだ気分や、世界から切り離された気分にはならない。

 ただ、ある種の懐かしさ、あるいは、一種の憧憬を感じるだけだ。

 こういう気持ちで、学校を歩いた覚えは、あまりない。

 ぼくには、楽しい青春というものはなかった。

 小学校のころが、どうだったのか、いまいち思い出せないが、楽しいこともあり、楽しくないこともあり、ただ、どちらにしろ、小学校時代は青春とは呼ばないような気がしている。

 中学校と高校の時間に、楽しい青春というものを送った記憶はなかった。

 しかし、送りたいとは思っていた。

 なんだか、この空間に満ちている空気は、その、楽しい青春とやらのイメージに、沿っている気がしていた。

 まるで、なにか楽しいことが起こりそうな予感がした。


 昼のような陽光の中、廊下を進む。

 きらきらと、ほこりが回廊を舞う。

 それは、何かダンスを踊っているように見えて、ぼくはそういう世界が好きだ。

 教室の扉は、開いていて、机に座っている人や、机に手を軽く触れている人もいる。

 机に座っている人は、その机の持ち主とか、そこが自分の席だとか、そういうことじゃないんだろう。

 きっと、なにか、懐かしいものを思い出しているんだと思う。

 そうでなければ、何か憧れのものを感じているのか。

 その座っている人の表情が、やけに甘いのは、きっと幸せを感じているから。

 ぼくは、その人のことを知らないけれど、首に巻かれたマフラーが、列車から出たあと、すぐに見た人だという確信を与える。

 教室をいろいろと覗いていく。

 黒板、机、いす、ロッカー。

 これぞ学校、って感じだ。

 ぼくは、学校に、いい思い出がない。

 でも、悪い思い出もない。

 だって、途中から、学校に行かなくなってしまったから。

 楽しい学校生活とやらにあこがれがあったから、こういう世界に来たのかな、と、ちょっとだけ思う。

 もし、学校にひどい思い出があって、教室にトラウマがあったら、こういうところには来なかったかもしれない。

 でも、今のぼくは、前のぼくと違うから。

 もしかしたら、前のぼくが持っていたトラウマなんて気にせずに、ちゃんと動けるかもしれない。

 だから、ここに来ている人も、トラウマを持っているのかも。

 でも、そんなことは、大したことではない気がした。

 まるで、この世界では、すべてが許されているような確信。

 すでに解放されたという解放感を感じる。

 本当は、こういう気持ちのほうが自然なのに、前までのぼくは、なにかずいぶんと小さく、委縮して、本来の自己から遠く隔たっていたように感じる。

 めちゃくちゃ小さな段ボール箱に、体中を折りたたんで、無理に押し込んだまま、生活していたみたいな気さえする。

 階段をのぼる。

 段数は数えない。

 がらりと扉をあけて、屋上へと至る。

 空には青空が広がっていた。

 フェンスにもたれかかる。

 ひゅう、と吹く風は、五月のにおいがした。

 ずるずる、と、フェンスに背中をもたせかけたまま、地面に座り込む。

 きれいな雲だ。流れている。

 遠くから、声が聞こえる。この世界でも、だれかがしゃべっている。

 幸せな音。ぼくはそういうのが好きだ。

 だれかが幸せにしゃべっているのを、ちょっと離れた、だれにも気づかれない場所で、聞くのは、そんなに悪くない経験だ。

 さみしいとは思わない。

 なぜなら、幸せを幸せとして認識するだけだから。

 そこには、認識するぼくはいても、感じるぼくはいないので。

 幸せな声を聞いているとき、その声だけが存在していて、ぼくの哀しみは存在しない。

 そもそも、なにかを見るときに、ただ見るだけのときに、感情は動かないからだ。

 ぼくは、他者の声の幸福に没入した。

 だから、そのとき、ぼくの世界には、幸福しかない。

 その幸福には、所有代名詞はつかない。

 そのとき、その幸福には、ぼくの幸福も、他人の幸福もない。

 ただ、幸せがあるだけだ。

「おはよ」

 振り向くと、マフラー少女が笑って立っていた。

 ふぁさ、と前髪が、美しくなびく。

 紙のふくろを、こちらにかかげる。

「牛乳とサンドイッチ」

 そして、少しばかり、首をかたむけた。

 髪がさらりとかたがる。

「一緒に食べる? よかったら」


「どこで買ってきたの?」

 ぼくの質問。

「んー、購買? みたいなところがあって。でも、お金はらってないよ」

 ぼくの顔を見て、あわてて、

「ドロボーじゃないよ、ドロボーじゃ」

 たはは、と笑う。

 ぶんぶんと顔の前で激しく交差させる手がかわいい。

「ご自由にどうぞ、って書いてあって、いろんなものが置いてあるんだって。気になるなら、あとで見に行くといいよ。ちょっと、とりすぎちゃったかなー、って思ったから、分ける相手がいて助かったよ。ま、あとで食べてもいいんだろうけどね」

 どうやら、取っても取り切れないほどあったので、ひかえめにしたつもりだったのだが、それでも多く取りすぎたらしい。

「屋上で人に会えたのも、何かの縁かもね」

「そうかも」

 ぼくたちは、サンドイッチを食べた。

 ブルーベリージャムのサンドイッチと、苺とクリームのサンドイッチ。

 ぼくは、甘いサンドイッチは嫌いだった。

 はずなのに、なんだかおいしく食べられた。

 二人で半分こした。

 ぼくがブルーベリーを食べる。

 少女がいちごを食べる。

 半分になったブルーベリーを少女に。

 半分になったいちごをぼくに。

 果物から先に食べるという共通点を持ったぼくたちは、いよいよメインディッシュにとりかかる。

 たまごに、ハム、シーチキン。

 オーソドックスな、ありがちな、だけどだからこそおいしい、サンドイッチをぱくぱくと食べる。

 つぎはちょっと珍しいもの。

 トマトとアボカドとツナ。

 まぐろとアボカドは合うというし、ツナは要するにまぐろだから、案外、理に適っているのかもしれない。

 エスニック風のよくわからないソースがかかった、えびのやつ。

 なんだか東南アジアの味がした。

 卵にカツだけど、ソース味じゃなくてしょうゆ。

 ぼくは基本的にソースがあんまり好きじゃなくて、しょうゆが好きなのだけど、かつ丼だけは卵とじじゃなくてソース派だった。

 でも、これはこれでうまい。

 最後に、また、たまごとハムとシーチキン。

 そして、牛乳。

 紙パックに、ぶすりとストローを刺して、飲む。

 なんだか、昔、こうやって牛乳を飲んだ気がする。

 それは遠い記憶だ。

 きっと、お母さんにつれられて、複合商業施設に行ったころの、小学校にあがるまえの記憶だ。

 ぼくは、聞き分けのいい子で、手のかからない子で、自己主張をあまりしない子だった。

 買い物に行ったときに、何か飲み物を買うのだけれど、そのときに牛乳を買い与えても、なにも言わなかったそうだし、買いたいものはと聞いても、何もないと答えていたそうだ。

 だけど、きょうだいは、牛乳はいやだ、ジュースがいい、と言って、お母さんはおどろいたんだって。

 でも、大きくなるにしがって、ぼくは自己主張をするようになった。

 というか。

 自己主張する領域が、ぼくときょうだいでは違っていたのだろう。

 ぼくにとっては、牛乳かジュースかは、どうでもいいことだった。

 しかし、たとえば、学校に行くか行かないかは、どうでもいいことではなかった。

 ぼくは、学校に行かない選択をしたわけだが、それはかなり自分としてもきつい選択で、しかし、それを選ぶしかなかった。

 こういうときに、自己主張が強すぎるとか、わがままだとか言うのは理解不足だ。

 結局それは、そういう風にしか動けなかっただけの話だ。

 それに仮に、そういう風にしか動けなかったというよりも、ある種の選択の結果だとしても、どうしてそれが、わがままになるのだろう、ならないじゃないか。

 それは結局、牛乳とジュースと、どちらかを選ぶのと、何も変わりはしない。

 どちらも、自分の好みで選んでいるのだから。

 自分の好みで選んでいい領域と、自分の好みで選んではいけない領域。

 その境界線を引くのはだれだろう?

 ぼくは、そういう境界線を、勝手に引かれたうえで、自分がそれに従わされるのが、我慢できない。

 ぼくは、その境界線に、同意した覚えなどないのだから。

 それが、ぼくの生前の怒り(の一部)であり、怒りを超えたどこかの地点に行きたいと思っていたのは間違いない。

 いま、ぼくは、その地点に立っているのかもしれない。

 境界線のことなんて、ぼくは考えなかったし、考えていないし、境界線なんて無視してもだれにも怒られないし、仮に怒られたところで問題なく境界線を超えていくだろうとぼくは確信している、そんな精神状態だ。

 他人に怒られることを恐れないという精神状態。

 これは、生前にはなかったものだ。

 真に自由だという気がする。

 まるで死ぬのが怖くないかのように自由だ。

 当然かもね。

 だって、たぶんぼくは、もう死んでる。

「購買、行く?」

 ぼくは、マフラー少女にそう声をかけた。


 マフラー少女に連れられて、購買に行くと、そこにはいろいろな食べ物があった。

「学食もあるよ」

 ちら、と横を見ると、学食があって、おいしそうな食事が出ていた。

 カフェテラスまであって、なんてお洒落なんだ。

 購買には、主にパンがあるようだったから、ぼくたちは学食のものも食べてみることにした。

 ぼくはから揚げ定食で、マフラー少女はラーメンだった。

 ここの食べ物も無料で、自分でよそって自分で食べるらしい。

 ラーメンは、自分でゆでるみたいだったが、実に簡単につくれた。

「うま~」

 かつおぶしのダシがきいたラーメンは、ぼく好みの味で、ぼくも半分食べさせてもらった。

 もちろん、ぼくのから揚げ定食も、半分、少女にあげた。

 そのあと、少女はコーヒーを、ぼくは紅茶をのみながら、カフェテラスでおしゃべりをする。

「あー、いー天気だねー」

「いー天気だねえ」

 いい天気、の、いいを、ぐーんと伸ばして、いーい、天気だねー、という風に言う。

 なんだかそれがおかしくて、どんどん言葉を伸ばしていく。

「ほんとーーーーに、いーーーーーーーーーー天気」

「いーーーーーーーーーーーーー天気だ」

「だ」

「だ」

「だだだだっ」

 言葉あそびをしながら、なんでもない話をする。

「夏目漱石のさぁ、彼岸過迄、って話、面白かった」

「ひがんすぎまで? あー、ああ! あの話か! ぼくも好きだ」

 ひきこもりっぽい人が出てくるから、ぼくはわりと共感できる部分もあった。

「文学っていいなあ、って思うんだよね」

「いいよね。言葉の芸術」

「うん。絵画とかも好きだけどね。わたしは、割と、言葉の芸術、好きだ」

「そういえば、短歌が好きな女の子に出会ったよ」

「ホント? 今度、紹介してよ」

「うん」

 まるで夢の中にいるように、すらすらと女の子とおしゃべりができる。

 まるでそうするのが自然なことのように、言葉が出てくる。

 まったく考えていないように、口が動く。

 考えてダンスは踊らない。

 考えるとダンスは踊れない。

 考えないでダンスは踊るもの。

 だから、ダンスを踊るように、ぼくは人と話している。

 意図から解き放たれて、意識ではないところで、ぼくの言葉が紡がれるように、ぼくは人と話している。

 そして、それでいて、しゃべった言葉に後悔することがない。

 ああ、こういうおしゃべりが、ぼくはしたかったんだ。

 そのとき、そう、強く思った。

 こんなおしゃべりが出来ていたら、ぼくは絶対に、違った人生を歩んでいただろう。

 でも、それはもういいのだ。

 もうそれは終わったことで、そうだっていうのに、これからまっているのはハッピーエンドなのだから。

 ぼくには確信がある。


夏空の 星降る夜の そのあとの 青空の下 学園の光


 マフラー少女が、歌うように、短歌を詠んだ。

 今が夏なのかなんて、僕は知らない。

 それは、どうでもいいこと。

 季節が存在しない世界なのかもしれないし。

 星降る夜、今の青空、学園の光。

 確かに、この学び舎は、輝いているような気がした。

 希望によって輝いている。あるいは、ぼくの心に照らされて。

「ねえ、何か詠んでよ」

 ぼくにもリクエスト。

「そうだねえ」


 改札を 抜けるとそこは 遊園地 くもりの下を 安らかに歩く


「あれ、くもりぞらなんて、あったっけ?」

「改札をぬけて、ここに来る途中、くもってた。ぼくは最後だったから、それで天気が変わったのかも」

「もしかしたら、人によって違う天気なのかもよ? あたしは晴れだった」

「そうかもね」

「でも、遊園地って、ここのこと?」

 そう言って、学校の敷地を、大きく手を広げてしめす。

「うん。学校だけど、遊園地みたい」

「確かに、学校っぽくないね、あまり」

 死にたい気持ちにならないもん、全然。

「それはいいことだ」

「だよねー」

 死にたい気持ちにならないのは、いいことだ。

 本当に。

 そういう話をしながら、ぼくたちはまた、屋上に戻ってきた。

 とてもきれいな青い空。

 ぼくたちは、手をつないで、空を見上げていた。

 特に何かするわけでもない。

 何も考えてもいない。

 生前、こういうときは、なにかをごちゃごちゃ考えていたものだった。

 まるで、妄想するみたいに、連想するみたいに、思考が連鎖して、連なっていた。

 でも、今は、そんなことがない。

 ただ、無心に、青空を見ている。

 それは、とても気持ちのいい状態だった。

 心が青くなっていく。空の青と空の青として見る。それだけ。

 それだけの世界。

 ただ、見る。あるものを、あるがままに。

 すうっ、と世界が、美しくなっていくのを、どこかで感じた。


 ぼくは、まるで何かのスイッチが入ったかのように、軽くマフラー少女の手をにぎると、首だけ動かして、少女の方を向いた。

 少女も、ぼくの方を向いた。

「なんて美しい青空だ」

 ぽろりとこぼれでた言葉。

「世界は本当は美しかったのかもしれない」

 かもしれない。

 ささやくような声でそう答えた。

 ぼくたちは、どちらからともなく立ち上がると、教室へと向かう。

 なんとなくで見た教室に入ると、そこには、コンパートメントにいた女の子がいた。

 マフラー少女を、短歌の女の子に紹介する。

 短歌の女の子を、マフラー少女に紹介する。

 すると、先生が入って来て、国語の授業がはじまった。

 いつの間にか出てきた、ノートと鉛筆。

 ぼくは、国語の授業は、あんまり面白いとは思ってなかったけど、この授業は面白かった。

 みんなでおしゃべりしたり、マフラー少女の意見を理解しようとしたり、ぼくの気持ちをわかってもらおうとしたり、議論ではない、なにか心の大切な部分を交換するようなつながりが、この授業にはあった。

 こういう授業を、ぼくは待っていた。

 それは、みんなも一緒だった。

 みんなの顔が、幸せそうに輝いていたから、ぼくはそう思う。


 そして、放課後が来る。

 きらきらと輝く粒子の世界。



放課後の秘密めいてる屋上でそこにあるのはペイルロゼッタ



 ただ、その夕暮れが美しかったことを覚えている。




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