第二話 演技
姫匙がビッチだったからといって、何かが変わるわけではない。
僕は明日、姫匙に謝って、平穏な日常を取り戻すための努力をするだろう。
姫匙もきっと、誠意に謝れば言いふらしたりなんてしないはずだ。
……たぶん。きっと。そう願いたい。
話してみた限り、悪い人ではなさそうだった。
だから、きっと言いふらしたりしないだろう。
――――――――――そう、思っていた。
翌日。
僕が教室に入ると教室が一気に静かになった。
違和感が襲う。
いつもならこんなに視線を浴びることはない。
僕は一瞬硬直して、それから自分の席に座る。それでもまだ教室内の沈黙は続いた。
視線も僕の方に向きっぱなしだ。時計の音だけが教室内に響く。息をする音すら聞こえてしまうのではないだろうか。
授業中でもこんなに静かになったことはない。
そう断言できるほどに静かな空間だった。
喜ぶべきことだろう。いつもは雑音が響く教室で、静かにゲームができないのだ。
そう、喜ぶべきこと──ただしそれは、クラスメイト全員(ただし一人を除いて)の視線が僕に向いてなかったらの話だけれど。
僕が教室に入ってからどれくらいの時間が経っただろう。
注目されるのに慣れていないからか、汗が止まらない。
原因は一つしかないだろう。
バレた。昨日のことが言いふらされたのだ。
犯人はきっと、僕の前の席で朝から気持ち良さそうに眠りに就いているこの女──姫匙憐香だろう。
もし今の僕が昨日の僕にメッセージを送れるとするなら、きっと「スマホを取りに戻るな」と送ることだろう。何か月も溜め続けた石で引いたガシャは爆死。昨日のログインボーナスはしょうもなかった。
――最悪だ。僕の高校生活は終わりを告げた。
これから転校してくるかもしれない美少女転校生に「水斗くん、姫匙さんに無理矢理キスしたってほんと? そういう人だと思わなかったの。私に、私の人生に関わらないで。気持ち悪い」と拒絶されることだろう。
ああもう。……最悪だ………最悪だ…………最悪だ………………。
気づけば昼休みになっていた。
未来への絶望感に溺れていたら時間が経つ感覚すら忘れてしまっていた。
もう…………今日は早退しよう。明日は………………学校休もう。明後日は……………………………あっ……………もう、学校行くの……やめよ。
美少女転校生がやってきたところで相手にされないなら、僕は何のために学校に行っているんだろう。
僕はそのほんのわずかな希望の為に学校に通っていたんだ。ああ、ああああ、ああああああ。
全てに絶望して、引き出しの中の荷物をカバンに詰めた。そして未だに突き刺さる視線を必死に無視して、ゆっくりと教室を出ようと歩き始めた。
むぎゅ。
僕の腕に絡みつくように胸が押し付けられた。
何が起こったのかわからず、ただ腕に抱きつかれ立ち尽くす。
これがクラスメイトの前でなければ、相手が姫匙でさえなければ、心の底から喜べたかもしれない。嬉しくない……といえば嘘になるけど、心から喜べない。
ビッチと噂される少女が、僕に無理矢理キスされたと言いふらした相手が、僕の腕に絡まってきたのだ。
「水斗くん。もう帰ってしまうの?」
腕に絡みついてきた姫匙が、耳元で囁くように言った。
姫匙の方を向くと、恥ずかしげもなさそうに優しく微笑む。
「……か、関係ないだろ」
「関係ないわけないじゃない!」
姫匙は食い気味にそう言って、抱きしめていた僕の腕をさらに強くぎゅっと抱きしめた。
上目遣いで、子犬のように、涙目になって、続ける。
「私、あなたの為だったら何でもできるわ! 愛しているの! どんなプレイでも受け入れちゃうの!!」
………………………………はあああ?
教室内がざわつき始めた。「プレイって何したんだよ」「やっぱそういう関係だったのか」「鹿倉サイテーだな」「姫匙健気じゃね?」「ビッチって噂、鹿倉が流したんじゃねえの?」「うお! マジ陰キャのくせしてやるじゃんアイツ」。
プレイってなんだ? なんか僕が悪者になってないか?
「……昨日の教室のプレイじゃ満足できなかった、よね」
姫匙が悲しそうに下を向いて、呟くように言った。
外野から「教室プレイ、マジだったのかよ」「目撃者いるんだろ?」「姫匙が上で鹿倉が下だったって」。
僕はその声を聞いて確信した。見られていた、と。
僕が姫匙と教室プレイをしたみたいになっているけど、もちろんしていない。
けれど、証言は一致する。
僕と姫匙が教室にいて、机が倒れた時に僕は姫匙を抱きしめた。目を開けると姫匙とキスしていて、そういう体勢になっていたかもしれない。
「いや、ええと……」
僕はなんて返したらいいのかわからなかった。
言いふらしたのは姫匙じゃない。けれど何故、姫匙がこんな嘘をつくのかわからなかったからだ。
姫匙は、そんな僕の耳元で「私に合わせなさい」と囁いた。
姫匙の目を見ると、何か作戦があるように思えた。その目を見て僕は小さく頷いた。
「私も早退するから。今日は、デート……しよ?」
「……あ、ええと。うん、しよう。デート」
姫匙は演技とは思えないくらい自然に、嬉しそうに笑った。
そして、教室を出ていく直前。唖然としているクラスメイト達に姫匙はこう言い放った。
「私と水斗くんがどこでえっちしてようが、あなた達にどうこう言う資格はないわ! だって私、姫匙憐香と鹿倉水斗くんはお付き合いしてるもの」
その堂々とした宣言にざわついていたクラスメイト達は静かになった。
演技だとわかっていても、さっきの姫匙の彼女キャラの甘々を見せられた後に威嚇するような声を出されれば、誰だってビックリする。
僕でもビックリするくらいだから、きっとクラスメイト達は動揺しているに違いない。
そりゃもう、教室でのプレイに関してはどうこう言う資格はある、というツッコミを忘れるくらいに。
《次回・間接キッス》
喫茶店で交わした僕達の《契約》――。