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 互いに自己紹介を交わし、ユウカと名乗る少女は俺の隣に座った。


「貴人さんはどうして一人なんですか?」


 子供とまともに会話をした経験がなかったので、どんな話しをすればいいのか考えていたが、その心配はいらないらしい。

 ユウカはおしゃべりの部類だった。そして、無神経だった。

 何にでも興味を惹かれるお年頃なのか知らないが、ユウカはこちらの事情も配慮しない言葉をぶつけてくる。


「どうしてって、別に……」

「別に何ですか?」


 ユウカは身を乗り出し俺を見つめる。

 どうでもいい話のはずなのに、ユウカの目は真剣だった。


「別に、一人でもおかしくはないだろ」


 どうしてそこまで知りたがるのかはわからないが、俺としてはこの話題を終わらせたく、投げやり気味に言った。


「もう少しでクリスマスです」


 こいつは意地が悪い、俺はそう思った。

 明日がどんな日か知っていて、一人でいる俺をからかっている。


「明日は一年でも大切な日です。みんな大切な人と過ごします。貴人さんは違うのですか?」

「ああ、俺に大切な人はいない」


 友人も、家族も、大切ではあるが、クリスマスを一緒に過ごすほどではない。

 だから今年も俺は一人。無理して誰かと一緒にいようとは思わない。

 一人の方が安心する。


「いい加減、違う話にしてくれないか。俺の話なんて聞いても面白くないだろ?」


 このままこの話題を続ければ気分が優れなくなっていく。

 だから、なるべく優しい口調で誘導したつもりだった。


「昔も、ですか?」


 なのにユウカは引かない。


「過去にもいなかったんですか?」


 無意識に俺を追い詰めていく。

 ユウカにとっては何気なく質問で、興味本位の言葉だったのだろう。

 俺だって言いたくなければ嘘を付けばよかった。


 そんな人はいない、と。


 少なくとも、今日でなければここまで動揺はしなかった。

 その一言が俺にとって何よりも重く、触れられたくない話だったから。


「あの、どうかしましたか?」


 ユウカが不安そうな声を漏らしていた。


「ああ、大丈夫だ」


 そう言いながらも、俺は地面のタイルを見つめていた。

 もし、この顔を見られたら引かれる自信がある。

 視点が揺れて定まらなく、頬は痙攣したように引き吊り、雪が降るくらい寒いのに手に汗をかいていた。


 外でユウカが何かを言っていたが、それを必死に無視した。

 落ち着け、と心の中で何度も何度も繰り返し続け、外界の音を遮断し、繰り返す言葉以外のことは何も考えないように意識を集中していく。

 余計な言葉も、記憶も入る隙がなくなれば症状はだんだんと緩和していった。

 この方法を見つけるまでは大変だった。


「気分が悪いんですか?」


 ユウカの声がようやく耳に届くのと同時に、心配そうに尋ねるその声が誰かと被って聞こえた。


「たいしたことじゃない。ちょっと、疲れているだけだ」


 大きく息を吐く。

 これ以上、無理をすれば症状が悪化する予感がした。

 たかが子供相手に気を使う余裕もなく、人通りの多い街中で自我を失えば大事になるかもしれない。


「心の病気なんだよ。俺は」


 平気だと言い続けるより気分はマシになった。

 もっとも、こいつが話し掛けず、離れてくれるのが一番なのだが。


「どうすれば治りますか? 貴人さんの病気を治したいです」


 離れていくのだと思っていた。

 心の病気だと言えば、普通の人なら距離を開けたがる。

 だが、こいつは平気な様子で、今まで通りに接してくる。

 良くも悪くも子供なんだ、こいつは。

 普通に優しい子で、無垢で純粋なんだ。


 この少女は何も知らない。

 知るには若すぎる。

 大切な人がずっと傍にいるものだと信じて疑わない。

 予告もなく、予兆もなく、突然一人になる孤独を知らない。

 知らない方がいい。

 知れば生きていく事が辛くなる。


 三年もの間、俺が抱え続けた病気。

 それを治す方法は二つだと言われた。


 一つは過去を完全に忘れること。

 そして、もう一つは過去と向き合い受け入れること。


 どうするのかは自分で決めなさい、と医者に言われた。


 考えるまでもなく忘れることなんて出来なかった。

 必然的に事実を受け入れるしかなかったが、それが俺には耐えられなかった。

 過去のことを思い出すと死にたくなるほど苦しくなり、治療から逃げ出して避け続けてきた。

 それは、これからも変わらないのだと思っていた。


「私が傍にいます」


 いつからか、ユウカの手が俺の手の甲に重ねられた。

 手袋をせず、冬の冷気にさらし続けられた両手は冷え切っていたらしく、ユウカの小さな手がとても温かく感じられた。


 こうして誰かに触れられたのは何年前のことだろうか、と漠然と思った。

 不思議なもので、すぐには思い出せないくらい時間が経っているのに、こうして懐かしい感覚だけが確かに残っている。


 そのことが、どうしてか嬉しくて涙が出そうになった。


「一人だけいたんだ。誰よりも大切な人が」


 きっと、今の俺は正常ではないのだろう。

 医者の前でも、友人でも、家族でも避けていた言葉を、ずっと胸にしまっていた言葉を吐き出している。

 出会ったばかりの小さな子供相手に――。


「その人のこと、好き、だったんですか?」

「ああ、そうだ」


 躊躇くことなく口が開く。

 その気持ちは昔から少しも変わっていない。

 誰の前であろうと堂々と好きだと言える自信がある。


「よければその人のこと、話してくれませんか?」


 俺はどうかしている。

 クリスマスが俺を正常ではいられなくさせる。


「愛華っていうんだ」


 不思議と心の乱れは少ない。

 普段は口が裂けても言えない言葉が簡単に出てくる。

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