2−4: ソロモン王の指輪1
二人の物理学者がマニュアルを持って行ってから一週間後のことだった。リビングや他の部屋の掃除はともかく、窓のガラスは業者に頼むしかなかった。仕事の帰りに業者に寄り、アイザックは支払いを済ませた。
リビングの椅子に座り、アイザックはやっと片付いたと満足していた。そこですこしばかりの違和感を感じた。立ち上がって確認すると、財布がないことに気付いた。業者に置き忘れてきたのかとも思ったが、それなら業者から電話の一本もあっていいだろうとは思ったが、そういう電話はなかった。
そういうことがこれまでにもなかったわけでもないので、カード類は財布とは別に持っていたのが、幸運と言えば幸運だった。
翌朝、アイザックは遅れる旨の連絡を職場に入れ、警察署に、警察署の遺失物の部署に向かった。
カウンターで名乗り、運転免許証を見せると、担当者は一旦奥に下った。数分後、担当者は小振りのプラスチックの箱を持ってカウンターへと戻って来た。そこで担当者は箱に入っている財布を開き、中身、具体的には財布に挟んであるアイザックの名刺を確認した。
「アイザック・マーフィーさん、ご確認を」
担当者は財布をアイザックに差し出した。アイザックもまた、財布の外見と名刺を確認した。
「ありがとう。助かりました。えーと、受け取りとかは?」
アイザックは財布をズボンのポケットに戻しながら訊ねた。
「こちらの確認もお願いします」
担当者は受け取りの書類を左手に持ち、右手でプラスチックの箱の中を指差した。そこには、四つの指輪がくっついた、つまりはナックルが残っていた。
「こういうものを持ち歩くのはあまり感心できることではありませんが、」担当者はアイザックに顔を向けて続けた。「これが武器の類いとして役に立つかは実際のところあやしいように思いますし。それに、どうやら美術品や骨董品の部類に入るようなので、今回はこのまま返却ということで済ませようかと思いますが」
アイザックはプラスチックの箱の中のナックルを見つめた。
「いや、これは……」
そう言いかけた時、母とアーヴィンから聞いた話を思い出した。つまり、ソロモン王の指輪の話だった。
「あぁ…… 確かに」
アイザックはナックルも取り上げ、上着のポケットに押し込んだ。
「では、こちらの書類の、遺失物の内容にチェックを。それと、この下のところに署名をお願いします」
担当者は書類のそれぞれの箇所を指差しながら言い、アイザックはその指示に従った。
そうして、アイザックは無事に財布を取り戻し、ついでに歴史から消えていたソロモン王の指輪も手に入れた。
正直、ソロモン王の指輪が気になり、アイザックはその日、仕事に集中できなかった。
アパートメントに戻ると、リビングのテーブルにソロモン王の指輪を置き、椅子に座った。
アイザックの頭には、「なぜ目の前に現われたのか?」とか、「どういう経路で現われたのか?」という疑問はなかった。というのも、絶対常識マニュアルの影響であることは間違いないと思っていたし、物理学者がアイザックのマニュアルを持って行ったことと関係していることも間違いないと思っていたからだった。そして、もちろん、それはそのとおりだった。
アイザックが考えていたのはたった一つ、「これじゃぁ、これまでと実質的に違わないんじゃないか?」というものだった。ただ、もう一つ気になっていることはあった。というのは、光よりも速いものはないと聞いたことがあったからだった。それが正しいなら、マニュアルがずっと遠くにあるとか、別の宇宙に帰ったとしたら、これはただのナックル、あるいはナックルもどきに過ぎないのかもしれない。
それこそが今アイザックが悩んでいる点だった。ソロモン王の指輪を試してみるか、それとも試さないか。二人の物理学者は、どこにいるのか。
「はぁ」
アイザックは、ナックルを見つめたまま、大きく溜息をついた。