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天使と悪魔の伝説~外伝~  作者: 弥生遼
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外伝Ⅰ 朝霧の記~その8~

 クスハルでの日々は穏やかなものであった。

 すでにラブールの塾を出ているツエンは客分として扱われた。そのため常に授業に出る必要はなく、時として部屋の片隅で授業を聴講したり、またある時はラブールが所蔵している書物を片っ端から読み耽ったりと自由に過ごしていた。

 「どうだね?たまにはお前が授業をしてみないか?」

 数週間経ったある日、ラブールがそう切り出してきた。

 「私がですか?」

 ツエンは戸惑った。師の要望には応えたいが、人前で授業するなど気恥ずかしく、その柄でもないと思っていた。

 「私は人にものを教えるような器量のある人間ではありません」

 「そんなこと、百も承知じゃよ」

 ラブールはかかっと笑った。

 「何もきちんと授業する必要はない。お前が考えていることやナガレンツでやったことやりたいことなどを語ればいい」

 「しかし……」

 「いずれナガレンツにおいて政治を見なければならんのだ。人前で喋ることもあろう。その練習と思えばいい」

 生涯の師にそう言われればツエンも応諾しなければならなかった。


 「我が師より授業をせよと言われた。だが、私は人に教えを説くほど知識は深くない。繰り返しになろうが、我が師の教えとそれに対する私の見解と、実際の政治にどれほど即し得るかを考えていきたい」

 ツエンは授業の冒頭でまずそう宣言した。これには聴講している三十名ほどの生徒達も度肝を抜かれた。ラブールのことを我が師と言いながら、その教えに対して見解を述べるというのである。

 「まず我が師は『政治の根本は民にある』と仰られる。これはまったくもって正しい」

 国家の政治とは民衆のために行うものである。ラブールの政治思想の根源がまさにそこにあり、ツエンもそのことを政治的行動の原理としていた。

 「国家は民衆より租税を集め、それを元手に国家を機能させる。民衆の生活が安定してこそ、国家は安泰でいられる。この原則は天然自然の法則ともいえる」

 だがこれは理想に過ぎない、とツエンは法官が裁きを言い渡すように断言した。

 「先生の理念は理想論でしかない。およそ現実の政治に即したことではない」

 ツエンは堂々と師と仰ぐ人のことを批判した。生徒達は唖然としていたが、当のラブールは実に嬉しそうであった。

 「質問があります」

 勇気のある生徒が一人手を上げた。ツエンは一瞥して、どうぞと言った。

 「先生は自らの政治理念を信奉し、それを実践され成功されたではありませんか?」

 「左様。先生は成功された。それは実行者が先生だからであり、先生を信任された先のメイヤ領領主が聡明であられたからだ。これは稀有な例と言っていい」

 「それでは、先生の政治理念は空論ということではありませんか。我らがそれを学ぶ意味があるのでしょうか?」

 「ある。その理念を身につけ、自らが政治的指導者になった暁には行動理念とすべきなのだ。だが、それだけでは駄目だということだ。政治は理想論だけでは回らんのだ」

 たとえば、とツエンはここで一呼吸置いた。

 「まずは自らが政治的指導者に立たねばならぬ。ここに家老出身の子弟がいるかどうか分からんが、そうでないのならまず自らの才幹でそこまで上り詰めねばならん。また、自らを認めてくれる領主と巡りあわねばならん」

 「それは領内における権力闘争ということかな?」

 今度質問したのはラブールであった。この師からの質問にツエンは多少困惑した。

 「自らが政治的指導者、要するに家老になるのは己の才幹次第だから、いかようにもなろう。しかし、認めてくれる領主というのはどうするのだ?自らに都合のいい領主に変えるのか?それとも他の領主に仕えるのか?」

 ラブールの質問は鋭かった。領主を変えるというのは穏当な手段では不可能であるし、だからといって仕える主を変えるというのも節操がないことであった。

 「そこが難しいのです。不肖の身、まだ答えが出ずにいるのです」

 まぁ続けたまえ、とラブールは授業を続けることを促した。

 「私はナガレンツ領で官吏の家に生まれた。私自身も官吏であったが、故あって遊学の身である。約二年間、先生の下で政治理念を学んできたが、現在の様だ。政治とは理想だけではどうにもならんことを私が身をもって知らせているわけだ」

 ツエンは自嘲気味に言った。

 「要は政治とは人なのだ。人に為に行われることは人によって左右されるわけだ」

 その良き範例がある、とツエンはゆっくりと一同を見渡した。

 「神託戦争だ。あれほど馬鹿げた戦争はない。あれは皇帝の個人的な恣意によって行われた戦争であり、人民にとって百害あって一利もない。そういう愚昧な主君に、先生の政治理念を説いてもおそらくは受け入れられまい。先生の薫陶を受けた諸君なら、今上皇帝がいかに先生の政治理念から遠い存在あるか、重々承知であろう。」

 生徒達は度肝を抜かれたことであろう。今度は皇帝のことを堂々と批判したのである。ここがクワンガ領であるからその毒素は多少薄まっているが、他領なら間違いなく密告にあってツエンの首は即座に飛んでいただろう。

 「最後になるが、私はまた故郷に戻らねばならん。いずれ我が故郷が私を必要とする時が来るはずだ。そしておそらくはナガレンツから出て諸君達に合間見えることもないだろう。私は先生の政治理念をナガレンツで体現するつもりだ。諸君らもそれぞれの立場でぜひとも先生の理念を実現させて欲しい」

 以上だ、とツエンが締めくくると、拍手が沸きあがった。その中で一段と激しく大きく拍手が聞こえた。ツエンがそちらを見てみると、一人の青年がラブールの隣に立っていた。

 「アル……」

 生涯唯一の師がラブールであるならば、彼は生涯唯一の友であった。

 アルベルト・シュベール。クワンガ領の現領主であった。

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