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天使と悪魔の伝説~外伝~  作者: 弥生遼
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外伝Ⅱ 妖花~その27~

 ここにも一人、ワグナスが宰相となったことにより、世の乱れを予感した男がいた。

 但しこの男の場合、オルトスと違って乱世になることを望み、期待していた。それが自らの置かれた不遇の境遇を脱する唯一の手段であると考えていたからであった。

 後に帝国中興の祖となり、帝国の歴史上最高の英雄となるレオンナルド・カーゼロン・ガイラスは、未だ帝国の一隅で燻っていた。


 不愉快な、まことに不愉快な感覚であった。毎日毎日、目覚めの時はやってくるのだが、その度に言い様のない不快感に包まれていた。きっと目覚めることを拒んでいるかのようであり、世に存在することすら阻まれているような気がしてならなかった。

 目を開けると、薄汚れた天井が視野に入ってきた。見慣れた天井である。何日、何十日、いや何百日と見てきた天井で、木目の構造も滲みの形も完全に覚えていた。

 「くそっ……」

 そのことにも不愉快となったレオンナルドは、上半身を起こした。ひどい頭痛がした。昨日の酒が随分と残っているようだ。

 「ん?」

 ふと視線を転じると、レオンナルドの隣で女が全裸で寝ていた。世辞にも美人ではなく若くもない。ただ肉付きのいい女であった。

 「ああ……昨日の女か」

 レオンナルドは思い出した。昨晩、近くにある集落の酒場で引っ掛けた女である。酔った勢いのまま自宅へと連れ帰ったところまで覚えていた。状況からして情交に及んだのだろうが、まるで記憶になかった。きっとそれほど快感ではなく、単なる精のはけ口となっただけなのだろう。

 「ふん」

 もうこの女への興味は失せた。今のレオンナルドにとって女の体をした肉塊でしかなかった。ベッドから出ると、大きく背伸びした。その姿が窓に映った。背は高いが肉づきのない、ひょろりとした体躯。レオンナルドはこの体が嫌いであった。高貴なる血を引く者は筋骨豊かでなくてはならないという幻想がレオンナルドにはあった。幼少の頃から体を鍛え、栄養価のある物を食してきたが、それが筋肉となることはなかった。

 『俺ほどの男が、こんな田舎で……』

 という鬱屈と憤懣がレオンナルドにはあった。帝室の血を引きながら、このような田舎で隠居爺みたいな生活を送るにはレオンナルドはまだ若く、才知に溢れていた。

 レオンナルドは、今上皇帝ロートン二世からすれば末弟の子、つまり甥にあたる。幼少の頃から知能に優れ、周囲を驚かせていた。そういう逸話には困らなかった。

 すでに六歳の時には帝国の歴史書に精通し、その字句のほとんどを諳んじていた。それだけではなく、その解釈にも誤りがなく、学術院の教授を驚かせたほどであった。

 こういう話もある。

 レオンナルド十歳の時、皇族達の間で皇宮の書庫にある書物の数が話題になった。レオンナルドは、その数を正確に言い当て、題名も書棚の端から順番に記憶していたのだった。

 レオンナルドの父であるエスマイヤは、最初は頼もしく思っていたが、やがて子供らしからぬ知性を不気味に感じるようになっていた。

 『レオンナルドは人ではないかもしれない……』

 知性だけが超人的ならまだしも、レオンナルドの素行にはやや人の情にかける部分があった。それにまつわる逸話もある。

 これもレオンナルド十歳の時である。同年代の王子達が集まる機会があり、そこで喧嘩が起こった。喧嘩の理由は他愛もない。会食に出された苺の大きさを巡っての子供らしい些細な諍いであった。しかし、当人達は至って本気で、やがて双方が決闘だと叫び出したのである。それを聞いたレオンナルドはその場を飛び出すと、どこからともなく二本の剣を携えて戻ってきて、喧嘩していた二人に投げ渡したのである。

 『さぁこれで決闘をしたまえ。決闘を見るのは初めてだから楽しみだ』

 と悠然と苺を食べだしたのである。当然決闘は行われることなく、当事者二人はそれで気がなえ、喧嘩は自然と終わった。周囲は喧嘩をやめさせるため機転を利かせたのだとレオンナルドを褒め称えたが、父であるエスマイヤは心底残念そうな息子の顔を見逃していていなかった。

 エスマイヤがレオンナルドのことを危険だと決定付けた出来事がさらに後に起こった。それは先帝であるガハラ帝が薨去した時、レオンナルド十二歳の時であった。

 当時、後に皇帝となるロートン二世は皇太子として立てられていたが、ガハラ帝との親子仲は非常に悪く、皇太子の地位を廃されるのではないかという噂が公然と皇宮で囁かれていた。ロートン二世が廃された時の有力な後継候補がエスマイヤであった。ガハラ帝は末子ということもあってエスマイヤを可愛がり、エスマイヤ自身も知性豊かで人望もあった。実際に皇帝の延臣にはエスマイヤを皇太子に推す声は少なくなかった。自然とロートン二世はエスマイヤを敵視して警戒していた。

 しかし、ガハラ帝が亡くなるや否や、エスマイヤは兄であるロートン二世を支持し、臣下の礼を取った。これに感激したロートン二世はエスマイヤの手を涙ながら握り、エスマイヤの忠誠に感謝の意を表した。

 その話をエスマイヤは家族に自慢げに話した。エスマイヤからすれば自分の取った行為は皇帝の末弟としても臣下としても当然のことだと思っていた。しかし、レオンナルドは、

 『惜しいことをなさいましたね、父上。もし陛下が握られた手に毒針でも仕込んでいたら、今頃父上が皇帝となっていたでしょう』

 この言葉にエスマイヤが凍りついたのは言うまでもなかった。レオンナルドが言ったことは謀反の指嗾というだけではなく、明らかな不敬罪でもあった。何よりもそのようなことを十二歳の少年が平然と言ってのけたことにエスマイヤの恐怖はあった。

 『この子は将来大それた人物になる……』

 エスマイヤはレオンナルドの言動を注視するようになった。

 だがその二年後、エスマイヤは病のために亡くなった。臨終の間際、エスマイヤは枕頭に駆けつけたロートン二世に対して、

 『我が子レオンナルドは才知溢れておりますが、甚だ人の情に欠けるところがあります。願わくば帝都に置かれることなく、北方にでも領地を賜り、そこで生活させるようにお命じくださいませ』

 ロートン二世はやや驚かされた。我が子に軟禁生活をさせてくれ、とエスマイヤは言うのである。しかし、ロートン二世自身も、鋭利な刃物のようなレオンナルドの才知を不気味に思っていたし、彼の聡明さは自分の息子達など相手にならぬほどであると思っていた。将来的にはロートン二世の子達の敵となる可能性もないわけではなかった。ロートン二世はエスマイヤの進言をいれ、レオンナルドに北方の僅かな土地を与え、そこでの生活を強いたのであった。

 それから九年の月日が流れていた。

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