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天使と悪魔の伝説~外伝~  作者: 弥生遼
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外伝Ⅱ 妖花~その20~

 ワグナスとアフィリア・ビルバネスが結婚式を挙げたのは、帝暦七一七年雪花の月ことであった。二人が婚姻を世間に公表して半年以上過ぎてのことであった。皇帝ロートン二世の裁可が下りなかったためである。

 これについてワグナスは、ベイマン一派の陰謀であると邪推したのだが、実情は違っていた。ロートン二世自身が裁可を下すのを躊躇っていたのだ。

 『ワグナスをビルバネス如きにくれてやるのは勿体無い』

 ワグナスという異才の存在に興味を持ち始めていたロートン二世は、彼を何とか手元に置いておきたいと思うようになっていた。それにはロートン二世の身内の女性と結婚させるのが得策であったが、残念ながらロートン二世の娘達は悉く他家に嫁いでいた。

 「よろしいではありませんか。ビルバネス家はベイマン家に敵愾心を持っております。ザーレンツとビルバネス家が結びつければ、ベイマン家に対抗できる勢力を築くことができます」

 ロートン二世にそう耳打ちしたのは、皇帝一家の家宰であるレソーンであった。レソーンは皇帝一族の家政を取り仕切るだけではなく、ロートン二世に助言をする謀臣でもあった。

 なるほど、とロートン二世は得心した。ここ数年、政治に対する意欲を失ったとはいえ、ベイマン家の専横には密かに眉をひそめていた。今のうちになんとかしておかなければ、さらに数年後取り返しのつかない事態になるかもしれないという危機意識は持ち合わせていた。

 『ビルバネスにも恩を売ることにもなろう』

 ロートン二世は、そのように自分に言い聞かせ、ワグナスとアフィリアの婚姻を認める書類に印璽を押した。


 そもそもロートン二世とはいかなる人物であるか。臣下に弑逆された唯一の皇帝として名を残すのだが、皇帝の資質としては可もなく不可もない皇帝であった。

 即位した時こそ政務に熱心であろうとしたのだが、歳月が経つにつれてその意欲を失っていった。それには理由はある。

 この時代、教会は存在していたが、サラサ・ビーロスの頃と違って独立勢力が如き組織はまだ確立していなかった。教団が一個の行政機関のように組織立った教団になるのはレオンナルド帝以後のことであり、本来教会が行うべき宗教的祭祀の一部は皇帝が行っていた。これが非常に煩雑であり、皇帝の生活がこれに左右されることも少なくなかった。皇帝になれば政治を思うままにでき、そのうえで贅沢三昧できると思っていたロートン二世が政治への意欲を失うのに時間はかからなかった。

 そこへ現われたのがマベラ・ベイマンであった。マベラは万事においてそつがなく、ロートン二世の心の隙間に付け込んできた。政治処理案件はすべてマベラの手に委ねられ、ロートン二世は祭祀を遂行する一方で、遊興に耽る日々が続いた。その結果、ロートン二世はますます政治から遠ざかり、気がついた頃にはマベラの専横が目立つようになっていた。そうなってロートン二世は初めて己の怠惰を恥じ、マベラを密かに憎むようになった。

 だが、自らこの事態を打開する意思はロートン二世にはなかった。それほどの覇気はなく、また上手くやれる自信もこの皇帝にはなかった。下手をすれば自分がやられるという恐怖心の方が大きかった。だから、ワグナスの出現はまさに自らの事態を変えてくれる英雄の出現であった。


 ワグナスとアフィリア嬢の挙式は皇宮内部にある聖堂で行われた。これはロートン二世の格別のはからいであり、彼のワグナスにかける期待の表れでもあった。ランスパーク男爵夫人宅で挙式を行ったオルトスとは規模がまるで違っていた。

 参列者もオルトスの時に比べれば遥かに多い。慣例として皇帝は臣下の結婚式には参列せず、代理として家宰のレソーンが参列していた。

 「この度は陛下の格別のお計らい、誠にありがとうございます」

 ワグナスは辞儀を低くして丁重に礼を述べた。

 「いえいえ。陛下もザーレンツ殿に期待しておられるということです。そのザーレンツ殿がビルバネス家のご令嬢と縁をもたれるのも、帝国にとっても誠に喜ばしいことです」

 レソーンの祝辞は型どおりのものであった。しかし、その言葉に潜む真意のようなものをワグナスは感じていた。

 『陛下は私に期待されておられる……』

 それは決して言葉だけのことではないだろう。そうでなければ、いくらが相手がビルバネス家の娘とはいえ皇宮の聖堂を使わせることなどしないに違いない。

 『これはベイマン家と事を構えた時に有利になる』

 派閥抗争において最終的に勝利を収めるためには皇帝を握らねばならない。それは歴史が教える教訓であった。

 ワグナスはちらりと参列しているジネア・ベイマンを見た。まだ表立って敵対関係にあるわけではないので、同僚の官吏として招待していたし、相手も平然と参列していた。しかしながらジネアは、まるでこの場がワグナスとアフィリアの祝いの席であることを忘れているかのように、自分の仲間達と会話を交わすことに余念がなかった。

 「ワグナス。この度はおめでとう」

 声をかけられたのでそちらに目を向けると、オルトス・アーゲイトであった。彼が帝都を去ってからまだ四ヶ月ほどであるが、実に久しぶりの再会のように思えた。

 「おお、オルトスか。ありがとう。私の方が先に婚約したのに、式を挙げるのは私の方が後になってしまったな」

 「相手が相手だけにいろいろとあったのだろう」

 オルトスは相変わらず呑気であった。相手がオルトスでなければ、その危機意識のなさに苛立ちを感じたであろうが、オルトスが言うとなると鷹揚と構えた余裕を逆に感じさせた。

 「それよりも聞いているぞ。第三皇帝直轄地は早速成果をあげているそうじゃないか。新田開発に商工業の奨励。領民からもすこぶる評判がいいらしいな」

 まだまだだよと、とオルトスは照れたように顔を背けた。ワグナスはこの男を友として選んで正解だったと思っている。オルトスの手腕は派手さこそないが堅実である。政治家というよりも行政執行者として優れた素質をもっていて、ワグナスが帝国の政治を掌握した暁にはきっと有能な腹心として辣腕を振るってくれるだろう。

 「しかし、君ほどの人材がいつまでも地方に燻っていていいはずがない。いつか必ず帝都に呼び寄せてやるからな」

 ワグナスが言うと、オルトスはやや眉を顰めた。どうやらオルトスは権力闘争のようなものを嫌いらしい。しかし、友であるからいつか理解してくれるだろうとワグナスは信じて疑わなかった。

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