ススム (3)
「父と母の間が離れてしまったことは、ススム兄さんのせいだとずっと思っていました。それは、ぼくにはどうしようもないことだけど、兄さんが最初からいなかったら、どんなにか良かっただろうとはよく思いました」
「じゃあ、いない方がいいということ?」
ここで、またひとしきりキューイポさんの笑い声が高まった。
「ぼくのためではなくて、母のためにはいて欲しいのです。そうすれば、何かが変わるかもしれないから」
「どう変わる?」
「うーん」
言葉にするのはむずかしかった。
「どう…と言っても…」
「なんでもいいよ。思いついたこと」
「壁のようなものが溶ける感じかな…」
「溶けるかな?」
「それか、カギのようなもので、母の心にカギ穴があって、そこを開けてくれるような感じかな」
「そこが開くとどうなる?」
「どうなるのかな。でも、ススム兄さんがいなくなった時にまで、少し戻れる気がする。それを確かめてみたい気がする」
「合わないカギだったどうなるのかな?」
「どうなるのかな」
キューイポさんが笑いながら話に入ってきた。
「きっとこの顔じゃあ、カギを開けさせてくれないよ。近づくことも難しい」そしてまた笑いの渦。キューイポさんの笑いに釣られて、ぼくのお腹からも笑いの渦が巻き起こってきていた。ぼくは、クククと笑いをこらえた。
「でも、できれば、一緒に帰って欲しいです」
「それはわたしのことなの?」
と、キューイポさんがまた話に入って来た。
「いちいちうるさいなあ。キューイポ。君は少し離れた所で黙って聞いている役目だろう」
リューイポさんが怒ったのがおかしくてか、またキューイポさんが笑い、リューイポさんはやれやれといった顔で、ぼくにほほえんだ。
「キューイポさんが一緒に帰ってくれれば、すぐにDNAなどで親族かどうかということがわかるのではないのかな? そんなに詳しくわからなくても、サルーパの人かぼくの国の人かの区別くらいはつくと思います」
「でも、それでキューイポが親族ではないことがはっきりしたら、どうなるのかな? それに、今のキューイポのことを見たら、君のお母さんはどう思うのかな?」
たしかに…。どう思うだろう。
「おいおい」と笑いながら、キューイポさんがこりずにまた話に入ってきた。
「わたしは、アユムと一緒に行く気はないよ。ここがいいのだ。もし、アユムのお母さんがわたし会いたいというのなら、ここに来るんだね」
またここでしばらく笑い、笑いながらキューイポさんが話を続けた。
「それとも…、アユムはわたしを引っ張って行けるのかね? リューイポがわたしを大男の前から引っ張って行ったように、それと同じ力で引っ張って行けるのなら、私も着いていけると思うがね…」
ぼくは考えた。それは無理だ。それほどの強い意志はぼくにはない。ぼくは何かに動かされてここまで来たけれど、それは、キューイポさんが日本に来るよりはずっと小さい力で済むことだったからだろう。ぼくにはここからキューイポさんを母さんの暮らす家まで引っ張っていくほどの力も意志もないのだとさとった。
それに…、今はラルさんがいるから言えないけれど、キューイポさんを兄さんと思おうとすると、やはり無理があった。いくつかの不思議なことはあったけれど…、たとえばチューリップの歌とか、キューイポさんが話した日本語みたいな言葉とか、父の笑う姿がふと重なったこととか…。それだけでは、完全に信じることはできない。やはり兄さんは兄さん、キューイポさんはキューイポさんで、つながりようがない。別の人だと思う。
お腹がいっぱいになると、また眠くなってきてしまった。さっきのベッドにまた横になりたいと思った。
「まあ、ここに来るまでに十五年も経ってしまったのだから、ゆっくりと考えよう。いろいろ無理にやってもうまくかない」
リューイポさんが言った。
ぼくはたまらなく眠くなり、もうろうとなってしまって、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。次に目が覚めたときは、昨日まで寝ていたキューイポさんの部屋で、だれもいなかった。もう夜になっているようだった。




