ススム (2)
「サトウ先生のご両親は、違う所に住んでいるのかな?」
「そうです」とぼくは言った。
父さんの父さんも医者だ。昔は国立の病院に勤めていて、そのあと個人病院を開いた。もうおじいさんだけれど、現役だ。
そういえば、ススム兄さんの葬儀の後は会ったことがない。どうしているのだろう。父さんは日本に帰って来た時は訪ねているようだけれど、ぼくに一緒に行こうとは言ったことはない。遠慮しているのだろうか。
身体がポカポカ暖かくなってきていて、うっすら汗をかいていた。
「もうお昼をずいんぶんとすぎましたね。何か食べましょうか」
とリューイポさんが言ったようだった。
それで、ぼくは起き出して、皆と一緒に食堂に向かった。
食堂には湯気が立ち込めていた。もう食事の時間を過ぎているからか、木のテーブルに座っている人は少なかった。
ガラス窓は厚くてくもっていて、外がゆがんでぼんやりと見える。外の明るさだけで、十分に明るい。
「どう? 食欲はあるかな?」
リューイポさんがラルさんを通して質問してきた。
「はい。ここのおかゆはおいしいですね。特にこれが好きだな」
ぼくは茶色い粉のようなものを指した。
「ひまわりの種、ゴマ、アワ、カボチャ、いろいろな種をローストして、塩で味付けしてある。香ばしいだろう? そっちに麺類もあるよ。食べたいのなら、もう少しやわらかく煮てもらおう」
「いえ、ぼく、これが好きだから、おかゆがいいです」
キトパさんは何かメモしている。これはまだぼくの診察なのかな? メモはあとで血帳に書かれるのかな?
「お腹の調子はどうかな?」
「いいです」
「疲れていない?」
「さっき、横になったら、すっきりしました」
キューイポさんだけが一つ隣のテーブルに座っていて、麺をすすっていた。ズルズルと音がするし、おわんに顔をくっつけるようにしている。だから犬なんて言われるのだろう、と思った。
しばらくは食べることに集中して、それから、静かにリューイポさんが聞いてきた。
「ススムは君にとって、どんな人?」
「ススム兄さんはぼくの前に立ちふさがっている人です。ススム兄さんの記憶もなにもないのだけれど、でも、その姿のない人がぼくの前に立ちはだかっています」
「それはどういうこと?」
「父さんの中にも…。特に、母さんの中にも動かずにいるのです。ススム兄さんがまずいて、ぼくはその陰にいるのです。母の心の中のススム兄さんが占めている部分はとても大きいのです。だからぼくの入る隙間はなかったのです」
「それは悲しいこと?」
「今は少し悲しいです。でも、それまではなんとも思っていませんでした。それが普通のことでしたから」
そう言ったとたん、ぼくはなんだかすごくおかしくなってきた。まるでキューイポさんのように笑いの渦が心の中からわきあがってくるのを感じた。
「不思議だけれど、悲しみってずっと深くなるとおかしいツボと似ているような気がします」
ヒュッヒュッヒュッヒュッヒュッ…。と、キューイポさんが隣のテーブルで笑った。
ラルさんが話に入って来た。そしてススム兄さんのことを話した。ススム兄さんは小さい時からとても頭が良くて、漢字も書けたし、英語もわかったし、サルーパ語もわかっていて、なんでも知っていたという。活発で運動もよくできて、床体操? のようなものもできたし、踊りもうまかったそうだ。馬にも乗れた。母さんはとても自慢に思っていただろうということ。
母さんはラルさんにもラルさんの家族にもとても優しく、いろいろしてくれたこと。でも、ススム兄さんがいなくなってからは、話もあまりしなくなり、ラルさんにもラルさんの家族にも会いたがらなかったそうだ。
母さんがサルーパを離れる時のこと。ラルさんは空港に送って行きたかったけれど、母さんはそれをいやがったらしい。「もう、ぼくのことを見たくなかったのだと思います」と、ラルさんは悲しそうに言った。
キューイポさんが、またしきりに笑い、「わたしなんて、会う人が皆、もう二度と会いたくないと思うだろうさ」と言ったらしい。
「お母さんは、喜んだり楽しんだりしてはいけないと思っているのです。ススムが喜んだり楽しんだりできないのだから、自分もしてはいけないと感じているのでしょう。真面目で優しい人ですから、自分のことを責めて、いつも悔やんでおられるのでしょう。
ぼくとススムと一緒に祭りに行っていいよと言った、そのことをずっと悔やんでおられるのでしょう」
ラルさんが静かに言うと、それが当たっているように思えた。




