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血院  作者: 辰野ぱふ
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サルーパ (3)

「あの…、ぼくの荷物は…」

「さっきの運転手が持って来ます。サトウ先生が昼休みになって家に帰って来るときに車で一緒に運んで来ます。あ、大事なものが入っていたかな?」

「いえ…。」

 ぼくは今背負っているデイパックを手で確かめた。パスポートや貴重品は肌身離さず持っているようにと、父さんが言っていた。車に積んであるスーツケースには貴重品は入れていない。

「ここをよく歩いたね。覚えていますか?」

「いいえ、ぜんぜん覚えていません」

「お母さんは元気ですか?」

 さっき車の中で答えていなかった質問だ。

「あまり元気ではないです。母は病気なのです。寝てばかりいます」

「そうですか」

 雲が多かったけれど、太陽が顔を出すと、急に暖かくなる。

「アユムは今年、大学に行きますか?」

「はい」

「いいね。勉強は楽しいでしょう?」

「う…。そうですね。好きな勉強は楽しいです」

「ぼくも中学に行ったよ。サトウ先生のおかげです。字も読めるし書ける。日本の言葉もね」

「すごいですね」

 ラルさんからはハガキももらっていたし、メールのやりとりもしていたから知っている。ラルさんはそのことがとても自慢なのだなと思った。

「自動車の免許が取れればいいのだけれどね。それはぼくには取れないことになっています。この国には位というものがあります。さっきの運転手さんはね、本当はぼくよりは位が上の人なのだよ。免許が取れるのだからね。あの車はサトウ先生の車だからね、ぼくも使っていいことになっています。サトウ先生のおかげで、ぼくはよい暮らしができます。自転車には一人で乗れるからね、いつもはどこでも自転車で行くよ」

 十五分くらい歩き、父さんの家に着いた。これも写真で見ていたからすぐにわかった。ラルさんは手慣れたようすで門のカギを開けた。すると、門のすぐ左側にあるラルさんの家から、二人の子どもが走り出てきて、ラルさんの周りを走り回った。

「ぼくの息子たちだよ。一番上の息子はリムといって、今、ここにはいないけれど、もう中学生だよ。名前はぼくのお父さんと同じ。リムは町のレストランでウェイターをしています。今、仕事中ね。学校から帰ると仕事に行くのだよ。それで、この上の子がサリムで、十歳。もうすぐ学校に上がる。下の子がミリムで六歳」

 そして赤ちゃんを抱いた、若い女の人が出てきて、うやうやしくぼくにあいさつした。

「ミユキです。ぼくのおくさんです。日本料理のお店、知っているでしょ? ミユキはその家の娘で、お母さんは日本の人です。赤ちゃんはサユリ。女の子です。たった一人の女の子だよ」

 「知っているでしょ?」と言われたけれど、ぼくはちっとも知らなかった。

「女の子は日本の名前なのですね?」

「そうだね。名前は神様がヒントをくれました。だから、そうなった」

 意味がわからなかったけれど、ぼくはうなずいてしまった。ラルさんはまだ三十歳ちょっと過ぎくらいのはずだけど…、もう四人も子どもがいるのだ。ハガキのやりとりで知っていたけれど、実際に会ってみると若く見えるし、やっぱりびっくりする。

「アユム、アユム」

 父さんの家の扉を開けると、中からおばさんが走り出てきてぼくを抱きしめた。その人は泣いていた。

 ラルさんがサルーパ語で何か言うと、その人は涙を拭い、ぼくを父さんの家に招き入れた。

「すみませんね。ぼくのお母さんだよ。とても懐かしいから、うれしくて泣いているんだよ。覚えている?」

 ぼくは、やっぱり何も覚えていなかった。それに、ラルさんのお母さんは写真でも見たことがなかった。

 家の中に入ると、しょう油の煮物のにおいがした。ぼくのおなかはグーと鳴った。

「もう、お昼だよ。お昼にはサトウ先生は車で帰って来るからすぐだよ。でもアユムは先に食べていていいと、先生が言っていました」

 ラルさんのお母さんが作っておいてくれたのは、肉じゃがだった。そのほかに、天ぷら、とんかつ、おさしみまであった。

 白いご飯がお茶碗に用意されて、ぼくは「いただきます!」と大きな声で言うと、たまらずに食べ出した。でも、ラルさんもラルさんのお母さんもじっと座って、ぼくを見ているだけだ。

 ぼくはとんかつを口に頬張ったまま、どうしていいかわからなくなった。頬がカーッと熱くなるのがわかった。きっとぼくは真っ赤だった。

「ラルさんたちは、食べないのですか?」

 口をモゴモゴさせながら、やっとこれだけ言った。

「サトウ先生を待っています」

 「え~っ」とぼくは心の中で思った。ぼくだけが先に食べてもいいということなの?

 それで、はしを置いて、口に入っている分をぐっと飲み込んだ。お腹は空いているけれど、ぼく一人で食べるのはなんだか、恥ずかしい。

「ごめんなさい。ぼくたちは、違う部屋に行きます」

 ラルさんが部屋を出て行くと、「おかわり、ネ」と、なんと、ラルさんのお母さんは、もう一つ別のお茶碗によそったご飯をぼくの目の前に置いて、ニコニコ笑って、部屋から出て行った。

 どうしようか。食欲が半分になってしまったように感じた。実はお腹の調子も今一つだった。でも、飛行機で食べていた物にはうんざりしていたので、目の前に並んでいたごちそうは魅力的に見えた。まあいいや。食べろと言うのだもの、食べよう。ぼくは一人ではしを進めた。

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