四日目の朝 (4)
アユムは長い夢を見た。アユムはまだ小さくて、写真の中にいた兄と手をつないでいた。兄に引っ張られると、思いがけず速く走れる。あんまり速いので、手がはなれそうになる。
「待ってよ! 放さないで! 行かないで!」
アユムがさけぶと、兄が振り返って、にっこり笑う。
「ほら、とぶぞ!」
ふと、気がつくと、アユムは切り立ったがけの上に立っており、兄がアユムの手をしっかりにぎって、ふわーっととびおりた。
「ほんとだ!」
まるで、羽根がはえたように、二人は宙に舞った。
「アユム、いいぞ!」
ふたたび振り返った兄の顔は、キューイポのそれになった。アユムは、思わず手をはなしてしまい、そのとたんに飛べなくなった。と、身体が深い谷底へと落ちていった。
「助けてー!」
そして、自分の声で目がさめた。
部屋にはだれもいなかった。
たしかきのうも、同じような夢を見ていた。夢の中で最初に振り返った兄は、どんな顔だったろうか。アユムは夢をたどろうとした。でも、はっきり見たと思ったのに、もう思い出すことができなかった。
どこかで、だれかが歌を歌っていた。その言葉ははっきりしないのだが、メロディーは、どこかしら聞き覚えがあるものだった。
それは、「チューリップ」の歌に似ていた。でも、どこかしら、変だ。リズムも音も。
どこかしらにているから、とても気になって、アユムはもっと耳をこらしてみた。
「ツァイー ファファァタ」と聞こえるところ。
「それって、サイタ サイタのことかなあ」
アユムは、ぼんやり思った。
「シーイッシ、カカカー」
まったく、意味になっていない。ハラヤ語なのだろうか。でも、アユムの知っているチューリップの花の歌とおきかえようとすれば、おきかえられる。
歌がだんだん近づいてきて、思ったとおり、その歌の主は、キューイポだった。
「オモイダシ… ドコカ キク」
キューイポはそんな、日本語みたいな言葉をしゃべった。
キューイポは、ぐっとアユムの目を見て、額に手をあてた。そして、小さいコップに入った水薬をまたアユムに飲ませた。その薬は、からだのすみずみにまで、しみわたっていった。
「今、何時?」
ふたたび眠りに落ちる前に、アユムは重たい口を動かして、やっとこれだけを言った。
「イマ、ナンジ?」
オウムのようにキューイポが繰り返し、アユムはなんだかおかしくなってしまった。
「クスリ キク」
もう夢を見始めているのだろうか。キューイポの言っていることがわかった。
「アユム オヤスミ」
キューイポがアユムの額に手をあてると、ひんやり冷たくて、気持ちが良かった。
「ススム…、兄さん」
言葉になるかならないかの、小さい声でアユムは言い、キューイポはまた身体を揺らして笑っていた。なのに、目から滝のように水が流れ落ちている。水はアユムの額に落ちてきて、そこから流れて見る間にたまっていき、たちまちベッドのふちにまで届き、静かに波打っていた。
「泣いてるの?」
アユムのその声は、どこかに吸いこまれてしまった。ひたひたと、アユムの額に落ちる水の感じが、いつまでもアユムの心に残った。




